楓花は月に何回か、ランチでensoleilléを利用するようになった。大学にはあまり行かなくなったので、ゆっくり過ごせる平日に行くほうが多い。
 ホテルの社員登用試験に、楓花は無事に合格した。学生のうちはアルバイトとして働き、四月から社会人としてフロントに入ることにもなるらしい。
「そういえば前に言ってた〝スカイクリアと提携してる話〟聞いたよ。確か飲食代が五%オフと、ソフトドリンク一杯無料やったかな?」
 楓花の食事中、晴大もよく一緒に休憩していた。
「そう、やな。夏に行ったとこは遠いから十%やけどな。楓花のとこ隣やから、ちょっと弱いな」
 以前に楓花が晴大からもらった割引券は十五%オフだったのでそれに比べると弱く感じるけれど、全ての飲食が五%オフの対象になるので案内はしやすい。
「あ──そうや楓花、楓花もうちの社割対象やから」
 晴大は言いながら楓花に一枚のカードを渡した。薄い紙のカードではなく、何かの磁気が入っているらしい。
「何これ? 何のカード?」
 表面にはスカイクリアのロゴと、小さい字で店舗の名前が書いてあった。楓花の名前もローマ字で〝FUUKA NAGASE〟と打刻されている。
「うちの社員証。ここ(ensoleillé)はみんな楓花のこと知ってるから勝手にやるけど、他の店もし行ったらそれ出して。二割引するから」
「ええっ? なんで?」
「なんでって……、もう家族みたいなもんやろ」
 晴大は言いながら楓花から顔を背けて少し照れていた。まだ正式なプロポーズはされていないので、仮のまた仮だ。
「それにしても、悪いやん……まだやのに……」
「良いから使え。それに、もう何回かやってるしな」
「え……あっ、もしかして、メニューと金額合わんかったの、これ?」
 楓花が晴大と付き合いだしてからensoleilléで一人で会計をしたとき、いつもメニューの料金と請求額が合わなかった。
「それに、用意したの親父やし。楓花のこと認めてくれてる」
 晴大と婚約したならともかく、今はまだ付き合っているだけだ。そんな状態で割引してもらうのはものすごく申し訳なかったけれど、晴大の父親に認めてもらっていることも、ensoleilléの従業員が親切にしてくれることも嬉しくて、楓花はありがたく受け取ることにした。打刻されている名前が〝FUUKA WATARI〟に変わる日が待ち遠しくなってしまった──。
「晴大さん、すみません……お客さん……」
「あ──ほんまやな、楓花、また後でな」
 店に入ろうとしている女性が何人かいたけれどホールスタッフが少なくなっていたようで、晴大は慌ててエプロンをしていた。そして数名が店内に入ってきたのを見てから、窓際の席に案内していた。晴大はデートのときはともかく大学では無愛想なこともまだあるので、笑顔になっているのを見て思わず笑ってしまう。
 今の男の子かっこ良かったね、と話す女性たちを何となく見ていると、一人が楓花の視線に気づいた。楓花は慌てて手元に視線を戻す。
「もしかして──長瀬楓花ちゃん?」
「……はい? ──あっ、佐藤先生?」
 七年ぶりに会うけれど特に佐藤が老けたと思わなかったのは、日々子供たちと接しているからだろうか。
「先生、いまどうしてるんですか?」
「まだあの学校で勤めてるよ。昨日体育祭やったから、今日は代休で、先生たちと」
 佐藤と一緒に来ていた女性二人が会釈をしてくれた。楓花の知らない顔だったので、この数年で着任してきたらしい。佐藤が楓花を手招きしたので、食事を終えていたのもあって席を移動した。
「長瀬さんは? いま……大学生?」
「はい。四年なんでもうすぐ卒業なんですけど……隣のホテルでバイトしてて、そのまま就職します」
「へぇ。大人になったねぇ。そうか、あの子らそんな年か……」
 卒業してからのことを聞かれたので、私立の女子高を出たあと大学で英語を学んで、今では英会話に特に困らない、と言った。
「同級生たちと連絡取ってるの?」
「はい。成人式でも会ったし──」
 楓花は言葉を止めて、不思議そうな顔をしながら近付いてきた従業員を見た。彼はトレイに水が入ったグラスを三つ乗せて持ってきていた。
「晴大……、佐藤先生」
「……ほんまやっ。ビビった!」
「え、待って、──渡利君?」
 佐藤もやはり、晴大のことには気付いていなかったらしい。
 水を三つしか持ってきていなかった晴大は楓花の分を追加しようとしたけれど、元の席に戻るから、とそれは断った。
 佐藤は晴大と話をしたそうにしていたけれど、晴大は三人の注文を聞くと、楓花に〝全部話して良い〟と言ってから厨房へ戻っていってしまった。
「長瀬さんさぁ、渡利君とは……?」
「ええと……付き合って、ます」
「わぁ、そう! え、もしかして、あの頃から?」
「いえ……二年くらい前からです。大学で同じクラスで」
「へぇ。なかなかの男前になってるやん。渡利君は就職は? 大学一緒やったら、渡利君も英語得意なん?」
「晴大は──お父さんがスカイクリアの社長で、継ぐらしいです」
 七年ぶりに会う佐藤には、やはり情報が多すぎたらしい。
 全てを話すには時間がないし他の女性二人にも申し訳なかったので、楓花は〝近いうちに晴大と二人で学校訪問する〟と約束して連絡先を交換してから元の席に戻った。
 どんな話をしようか考えながら、彩里に聞いたことを思い出した。
『翔琉は渡利君を認めとぉで。よく名前出るし、あれもこれも真似しとるし』
「──楓花? なにニヤけてん?」
「え? あ──ううん、晴大のこと考えてた」
 晴大は勤務を終えたようで荷物を持っていたので、佐藤たちに挨拶をしてから二人で店を出た。