大学四年の後期ガイダンスの朝、楓花はもちろん晴大と一緒に大学へ行った。教室に入ると、いつも席を取っているあたりに既に彩里と翔琉が座っていたので、その前に席を取った。彩里と翔琉は夏休みに何度かデートしたようで、そのときのことを簡単に話してくれた。
「戸坂さん──こいつ、どうなん?」
「ん? どうって?」
 晴大は彩里に翔琉のことを聞いた。
「桧田に──大事にしてもらってる?」
「うん?」
「あ、当たり前やろ。俺だって男やし」
「ふん、なら良いわ」
 晴大は翔琉から顔を背けてから口角を上げた。彩里は翔琉を褒めている、とは楓花から晴大に伝えていたので、それを本人からも聞きたかったのだろう。
「おいっ、渡利っ、その……いろいろ、悪かったな」
「──何が?」
「楓花ちゃんのこととか、おまえのことも悪く言ってた……。俺のことも悪く言われたけど、あれは事実やったし、チャラにしてやる」
「してやる、って。……まぁ良いか、もうごちゃごちゃ言うなよ、俺も言わん」
 晴大が翔琉の返事を聞く前に正面を向いたので、楓花も前を向いた。
 四年間で最後の学期は、楓花は必須の授業の他は共通科目の中で興味があるものだけにしようと決めていた。アルバイト先のホテルの社員登用試験はまだ受けていないけれど〝落ちることはまずない〟と言われているし、空いた時間は晴大や友人たちとの思い出を作ろうと思った。
「なぁなぁ楓花ちゃん、いまLINEで送ったんやけど、今度そこ行かん? オープンしたとこやけど平日やったら空いとぉかも」
 彩里が言うのでスマホを見ると、最近オープンしたばかりの若者向けのショッピングモールの情報が届いていた。男たちは置いておいて、女同士で楽しみたいらしい。
「楓花ずっと、俺とおってくれたからな……たまには行ってこいよ」
「なぁ彩里、それ昼間やろ? 夕方やったら会える?」
「そうやなぁ……」
「じゃあ俺も、迎えに行く」
「──どうせやったら、晴大と翔琉君でどっか行ったら?」
「えっ、渡利と遊ぶん?」
「……駐車場あるとこなら」
 彩里は言葉にはしなかったけれど、ショッピングモールの情報の他には別件の質問も届いていた。彩里が聞いていたのは、晴大と翔琉のことだ。『翔琉は〝渡利君と仲良くしたいけど今さら無理やろな〟って言ってたけど、もしかして渡利君も翔琉と仲良くしようとしてる?』と書いてあった。どうやらそれが本題のようで──、楓花は『その通り』とスタンプを送った。
「おまえ車で迎えに行くん?」
「そのつもりやけど」
 晴大がいつも通りの表情で言うと、まだ運転免許を持っていない翔琉は悔しそうにしていた。大学生のうちに取る人が多いし楓花も一応取っているけれど、翔琉は卒業前の春休みに教習所へ行こうと思っていたらしい。
「彩里、ごめんなぁ、俺、徒歩やけど」
「ううん、良いよ」
 楓花と彩里がショッピングモールへ行く日はとりあえず午前中に四人で集合し、夕方まで男女に分かれて過ごすことになった。
 ガイダンスのあと、楓花はまた晴大と過ごすことを選んだ。軽く昼食を取ったあと履修希望もすぐに提出したので、久々にゆっくりできるリフレッシュスペースに行った。
「楓花、聞いてくれた? 旅行のこと」
「ん? あっ、うん、良いって」
 旅行しようとは二人で話していたけれど、念のため、楓花の両親にも許可を取った。卒業論文が終わってから、と言っていたけれど、諸々の事情があって春休みに行くことになった。行き先と日程は、まだ決めていない。
「どこが良いかなぁ。遠かったら移動で疲れるしなぁ」
「いま九月よな……半年後……海外行く? 楓花、パスポートある?」
「あー、ない……」
「それなら国内で良いか。遊ぶか、ゆっくりするか」
 国内の旅行先をいくつか挙げながら、楓花は海外旅行のことを考えていた。英語が通じる国なら特に問題はないし、二人で行きたいと思っている場所がある。そこにはできれば新婚旅行で行きたいので、晴大にはまだ秘密だ。
「なぁ、それより俺、桧田と何したら良いん?」
「……何やろなぁ? 私が行くとこの近くで……カラオケ? ──リコーダーあかんかったけど、歌は苦手ではないやろ?」
「嫌や、あいつと個室なんか。……俺また楓花のピアノ聴きたい」
「……あのとき、よくタイミング重なったなぁ?」
 楓花が晴大と関わることになった、体育祭前日の音楽室だ。当時のことを思い出すとおかしくて、楓花はつい顔を緩めてしまった。
「まさか晴大が、ははっ」
「笑うな……。それに、あの日、俺が行かんかったら、今はないやろ」
 晴大が音楽室に来ていなかったら、おそらく今ごろは付き合っていなかった。晴大は楓花を知らないまま、楓花は晴大に憧れたまま、同じ大学だったとしても話すことすらなかったかもしれない。
「先生まだあの学校にいるんかなぁ?」
「どうやろな。転勤してんちゃうか?」
「私、高校のとき音楽の授業はあったけど、進学校やったから、一年のときで終わったんよなぁ。だからあの頃が一番楽しかった」
「……俺と付き合ってたらもっと良かったのにな?」
「それはっ、リコーダーしか接点なかったし、隠してたやん」
「そんなん、楓花のピアノたまたま聴いたとか、どうでも言える。もし他の奴らに嫌がらせされても、助けたのに」
 自信満々に言う晴大に、楓花は思わず頬を膨らませた。当時の晴大は人気がありすぎて関係を知られるのが怖かったけれど、彼が言っていることは確かにその通りだ。あの頃、楓花は恋人が欲しいとは思っていなかったけれど、もしも晴大に告白されていたら付き合っていたのだろうか──?