大学に入って、楓花と彩里に声をかけたのは本当に偶然だった。隣の席にいた男は反対側の奴と話していたので入りにくかった。前の席にいた楓花と彩里には、会話が途切れたタイミングで仲間にしてもらえた。
初めは特に深く考えず一緒に行動していた。彩里が年上男性しか恋愛対象にしないと聞いて、そのときから俺は楓花が気になるようになった。そこそこ可愛いし、何よりクラスで一番チャラい格好の俺と普通に接してくれることが嬉しかった。そしていつの間にか、楓花のことを好きになっていた。
告白する勇気はまだなかったし、楓花が俺のことをどう思っているのかも分からなかった。だからまずは知ってもらおうと、頻繁に話しかけた。楓花はいつも答えてくれたし、俺のことを知ろうともしてくれていた。だから思いきってデートに誘ったが、告白しても良い返事はもらえなかった。
「もしかして、渡利のこと……?」
「違う、渡利君とは何もない。翔琉君のことがまだよく分かれへんというか、私が、まだあかん、って言ってる。さっきも、手……払ってもぉたし」
楓花の手を握ろうとすると、触れた瞬間に払われてしまった。ショックだった。
渡利は楓花と同じ中学だと入学式の日に聞いた。親しくはしていなかったが、いつも楓花の近くに姿があった。楓花は渡利とは何もないと言っているし渡利が他の女と一緒にいるのを何度も見たが、渡利が楓花にアピールしているようにしか思えなかった。
少しでも楓花に喜んでもらいたくて、二回目のデートに誘う前に渡利から楓花の趣味を聞いた。渡利は興味なさそうに『知るか』と言っていたが、最後に思い出したように〝ピアノを弾く〟とぽつりと言った。
「今は趣味で弾くだけらしいけど」
「……そうか、助かったわ」
簡単に礼を言って離れようとすると、渡利に呼び止められた。
「おまえが長瀬さん誘うのは勝手やけど──あいつの成績知ってるか?」
「知らん、同じくらいちゃうん?」
「──俺とな? おまえ落として再試受けたやつ、長瀬さんは満点やったらしいぞ」
「え……マジで?」
「おまえが落としたって先に聞いたから、比べて避けられんの嫌で黙ってた、って言ってた」
避けられるのは、どちらかといえば俺だ。
俺は成績はあまり良くなかったし、バイト先も、サークルの先輩も、世間から良いと思われるものではなかった。英語の勉強ができれば、とパブで働き始めたが、そこは〝反社会的な奴ら〟が多く来る店だった。初めはなんとかかわしていたが、奴らの力には敵わなかった。気付けばあっちの世界に足を踏み入れ、事故を起こしてしまっていた。
俺がそういう奴らの中にいたことを、渡利は既に知っていたらしい。だから楓花にも伝わっていたし、クラスの奴らほとんどに俺は嫌われた。それでも相変わらず楓花は俺と仲良くしてくれていたが──、恋人にはなれなかった。
楓花は以前から渡利が好きだったらしい。渡利の噂も嘘だったと聞いて、俺は少しだけ楓花に同情した。渡利は覚悟していただろうが、留学のことは楓花は初耳だ。付き合いだしていきなり遠距離、しかも海外で時差があるのは、可愛そうでしかなかった。
渡利となかなか連絡が取れないようで楓花は見る度にため息が増えていたが、俺にはどうすることもできなかった。渡利のことはどうでも良いが、楓花が悲しむ顔は見たくなかった。だから──、楓花が渡利のことで困っていたら助けようと決めた。
渡利が帰国後の楓花は、毎日が楽しそうだった。二人は一緒に過ごすようになったので、俺は教室ではだいたい彩里と一緒にいた。
「良いなぁ楓花ちゃん、玉の輿やわ」
「玉の輿? ……金持ちと結婚するん?」
「あれ? 翔琉君に言っとらんかった? 渡利君の家」
「あ──親が会社してるとか言ってたな。えっ、結婚すんの?」
「らしいで。留学中にもチラッと言われてて、帰ってきてからプロポーズされたんやって。まぁ、まだ先の話やから、仮みたいやけど」
ということは楓花は、渡利とあんなことをしたのか。付き合う時点で多少の許可はついてくるにしても、渡利は普段は飄々としているくせに楓花には──、思わず拳に力が入るが俺が怒ることではないし、そもそもどこまでしたかは聞きたくない。
「渡利の家って、何の会社なん?」
「スカイクリアやって。楓花ちゃんも知らんかったみたい」
俺はもう完全に、勝てる気はしなかったが──。
ゼミの渡利歓迎会で楓花が困っていたときも、掲示板の前で二人が女に絡まれていたときも、気付けば身体が先に動いていた。楓花が男たちに絡まれるのは見たくなかったし、渡利が女に手を上げて楓花が泣くのも見たくなかった。楓花に良いところを見せるには、これくらいしかない。
「おまえのこと見直したわ。借りは……どっかで返す」
「──す、好きにしたら良いやろ。じゃあな」
渡利と過ごすのは嫌だったが、正直に言うと単位が危なかったので〝一つは、勉強を教えてくれ〟と頼んだ。やはり息苦しかったので、〝もう一つは、楓花を幸せにしろ〟と言った。
楓花には話したが、本当は渡利とは仲良くなりたかった。ただ、あいつは今も恋敵に変わりないので、顔を見るとどうしても敵意が沸いてしまう。渡利も俺が嫌いなのか、俺を見るといつも不機嫌だ。楓花に向けている優しさを間違って俺に向けてくれれば、もしかすると仲良くなれるのでは、と勝手に思っているが。
「ん? なに? 何か用か?」
「……なわけないやろ、ホワイトボード見てるだけ」
ゼミの席は決まっていないが、コの字型に並べられた机で渡利はだいたい俺とホワイトボードの間に座っている。俺と渡利を交互に見た楓花は、一人で可笑しそうに笑っていた。
初めは特に深く考えず一緒に行動していた。彩里が年上男性しか恋愛対象にしないと聞いて、そのときから俺は楓花が気になるようになった。そこそこ可愛いし、何よりクラスで一番チャラい格好の俺と普通に接してくれることが嬉しかった。そしていつの間にか、楓花のことを好きになっていた。
告白する勇気はまだなかったし、楓花が俺のことをどう思っているのかも分からなかった。だからまずは知ってもらおうと、頻繁に話しかけた。楓花はいつも答えてくれたし、俺のことを知ろうともしてくれていた。だから思いきってデートに誘ったが、告白しても良い返事はもらえなかった。
「もしかして、渡利のこと……?」
「違う、渡利君とは何もない。翔琉君のことがまだよく分かれへんというか、私が、まだあかん、って言ってる。さっきも、手……払ってもぉたし」
楓花の手を握ろうとすると、触れた瞬間に払われてしまった。ショックだった。
渡利は楓花と同じ中学だと入学式の日に聞いた。親しくはしていなかったが、いつも楓花の近くに姿があった。楓花は渡利とは何もないと言っているし渡利が他の女と一緒にいるのを何度も見たが、渡利が楓花にアピールしているようにしか思えなかった。
少しでも楓花に喜んでもらいたくて、二回目のデートに誘う前に渡利から楓花の趣味を聞いた。渡利は興味なさそうに『知るか』と言っていたが、最後に思い出したように〝ピアノを弾く〟とぽつりと言った。
「今は趣味で弾くだけらしいけど」
「……そうか、助かったわ」
簡単に礼を言って離れようとすると、渡利に呼び止められた。
「おまえが長瀬さん誘うのは勝手やけど──あいつの成績知ってるか?」
「知らん、同じくらいちゃうん?」
「──俺とな? おまえ落として再試受けたやつ、長瀬さんは満点やったらしいぞ」
「え……マジで?」
「おまえが落としたって先に聞いたから、比べて避けられんの嫌で黙ってた、って言ってた」
避けられるのは、どちらかといえば俺だ。
俺は成績はあまり良くなかったし、バイト先も、サークルの先輩も、世間から良いと思われるものではなかった。英語の勉強ができれば、とパブで働き始めたが、そこは〝反社会的な奴ら〟が多く来る店だった。初めはなんとかかわしていたが、奴らの力には敵わなかった。気付けばあっちの世界に足を踏み入れ、事故を起こしてしまっていた。
俺がそういう奴らの中にいたことを、渡利は既に知っていたらしい。だから楓花にも伝わっていたし、クラスの奴らほとんどに俺は嫌われた。それでも相変わらず楓花は俺と仲良くしてくれていたが──、恋人にはなれなかった。
楓花は以前から渡利が好きだったらしい。渡利の噂も嘘だったと聞いて、俺は少しだけ楓花に同情した。渡利は覚悟していただろうが、留学のことは楓花は初耳だ。付き合いだしていきなり遠距離、しかも海外で時差があるのは、可愛そうでしかなかった。
渡利となかなか連絡が取れないようで楓花は見る度にため息が増えていたが、俺にはどうすることもできなかった。渡利のことはどうでも良いが、楓花が悲しむ顔は見たくなかった。だから──、楓花が渡利のことで困っていたら助けようと決めた。
渡利が帰国後の楓花は、毎日が楽しそうだった。二人は一緒に過ごすようになったので、俺は教室ではだいたい彩里と一緒にいた。
「良いなぁ楓花ちゃん、玉の輿やわ」
「玉の輿? ……金持ちと結婚するん?」
「あれ? 翔琉君に言っとらんかった? 渡利君の家」
「あ──親が会社してるとか言ってたな。えっ、結婚すんの?」
「らしいで。留学中にもチラッと言われてて、帰ってきてからプロポーズされたんやって。まぁ、まだ先の話やから、仮みたいやけど」
ということは楓花は、渡利とあんなことをしたのか。付き合う時点で多少の許可はついてくるにしても、渡利は普段は飄々としているくせに楓花には──、思わず拳に力が入るが俺が怒ることではないし、そもそもどこまでしたかは聞きたくない。
「渡利の家って、何の会社なん?」
「スカイクリアやって。楓花ちゃんも知らんかったみたい」
俺はもう完全に、勝てる気はしなかったが──。
ゼミの渡利歓迎会で楓花が困っていたときも、掲示板の前で二人が女に絡まれていたときも、気付けば身体が先に動いていた。楓花が男たちに絡まれるのは見たくなかったし、渡利が女に手を上げて楓花が泣くのも見たくなかった。楓花に良いところを見せるには、これくらいしかない。
「おまえのこと見直したわ。借りは……どっかで返す」
「──す、好きにしたら良いやろ。じゃあな」
渡利と過ごすのは嫌だったが、正直に言うと単位が危なかったので〝一つは、勉強を教えてくれ〟と頼んだ。やはり息苦しかったので、〝もう一つは、楓花を幸せにしろ〟と言った。
楓花には話したが、本当は渡利とは仲良くなりたかった。ただ、あいつは今も恋敵に変わりないので、顔を見るとどうしても敵意が沸いてしまう。渡利も俺が嫌いなのか、俺を見るといつも不機嫌だ。楓花に向けている優しさを間違って俺に向けてくれれば、もしかすると仲良くなれるのでは、と勝手に思っているが。
「ん? なに? 何か用か?」
「……なわけないやろ、ホワイトボード見てるだけ」
ゼミの席は決まっていないが、コの字型に並べられた机で渡利はだいたい俺とホワイトボードの間に座っている。俺と渡利を交互に見た楓花は、一人で可笑しそうに笑っていた。

