六月になって就職活動は本格化したけれど、楓花は既に自信を無くしてしまっていた。大企業には書類で落とされ、中堅企業や中小企業には一次面接で落とされた。楓花は何らかの形で英語を使う仕事を希望していたけれど、思いつくほとんどの企業とは縁がなかった。
 大学卒業までに必要な単位は取れると確信できているので、大学にはあまり行っていない。必須の授業やゼミを中心に出て、あとの時間は就職活動とアルバイトと卒業論文に充てていた。
 もしかすると英語を生かせるかもしれない、と思って地元の食品メーカーを受けてみたけれど、予測通り潰されてしまった。この日は夕方にアルバイトの予定が入っていたけれど、行く気になれず休む連絡を入れた。
「あら? 楓花ちゃんじゃない?」
 電車の最寄駅を降りると、後ろから声を掛けられた。
「やっぱり、楓花ちゃん! もしかして……面接の帰り?」
 声を掛けてきたのは、晴大の母親だった。
 楓花は帰って眠りたかったけれど、母親に誘われて渡利家へ行くことになってしまった。晴大は今日は大学へ行って、午後はアルバイトだと聞いている。
 渡利家には晴大の父親は不在だった。女同士なので話はしやすいけれど、相手は──きっと、未来の姑だ。悪い人ではないと分かっているけれど、緊張してしまう。
「就職活動、うまくいってないの?」
「はい……。始まったとこなんで、まだ大丈夫なんですけど、お祈りメールばっかり届くから……」
 今日の面接もたぶんダメです、と力なく言うと、母親は楓花の隣に座りに来た。
「晴大から、うちで働かないか、って話はされてる?」
「……はい。でも、好きな仕事したら良い、って言ってくれたから……。いつかは隣で支えたいとは思うんですけど、今はまだ分からなくて」
 最初から頼るのも嫌だったし、一人で社会に出て働いてみたかった。
「晴大とは──確か、成人式の後から付き合ってるって言ってたよねぇ?」
「はい。同じ中学で、大学で再会して……」
「晴大はたぶん、その頃から楓花ちゃんとの将来を考えてたと思う」
「え? あ──そういえば、お父さんに〝相手探してやる〟って言われたの断ったって」
「そう。大学入ってすぐの頃かな。あんな真剣な晴大、初めて見たかなぁ」

 ──母親の話によると。
 晴大は大学に入ってから、父親にスカイクリアを継ぐ意志があることを話した。父親は快く受け入れたけれど、アメリカで経営を勉強することと、卒業後は早くに結婚することを条件にしたらしい。
『相手は、そうやな、娘さんいる知り合いに聞いてみよか』
『やめてくれ、そんなすぐに信用できんわ』
『そんなことないやろ、顔で断られることないやろうし、今から徐々に……四年もあったら』
『そんなん、無理』
『何言ってんや、出会って一年も経たん間に結婚して上手くいってる人もいるんやぞ。信用は後からでもついてくるやろ。……形だけで良いから、とりあえず落ち着け。今みたいにフラフラしてたら、おまえに信用ないぞ』
 それでも晴大は父親が言うことを全く聞かなかった。そっぽを向いて不機嫌そうに口を尖らせていた。
『晴大──彼女でもいるんか?』
『……おらんけど、気になる奴ならいる』
『ほぉ。どんな子や?』
『いま同じクラスで、ensoleilléの隣のホテルでバイトしてる。英語はたぶん俺より得意やわ。そいつのことは信用してる』
『ふぅん。脈ありそうか?』
『──今は嫌われてる。でも誤解されてるだけやし、誤解とけたら──いける気はする』
 晴大は初め言いたくなさそうにしていたけれど、父親には打ち明けたらしい。それから父親は何も言わなくなり、晴大が楓花を紹介する日を待つことになった。

「晴大は──親の私が言うのもおかしいけど、良い顔してるでしょ? だから女の子に困らされてるかなぁ、とは思ってたのよ。でも楓花ちゃんは晴大の内面を見てくれて、晴大も安らげたん違うかな」
 楓花は晴大の顔を──もちろん格好良いと思うけれど、それほど評価したことはない。同級生の誰も知らない弱い面を見て、強がりな態度に隠された本当の意味を聞いて、もっと奥にある優しい心を知った。楓花のことを何年もずっと好きだったと聞いて、彼に素直にならずにはいられなかった。
「楓花ちゃんのことは私も気に入ってるし、将来──お嫁に来てくれたら嬉しい。晴大と一緒にスカイクリアを継いでくれたら、もっと嬉しい」
「……もし違う仕事に就いたら、私どうなりますか?」
「それは楓花ちゃんの自由よ。本当に、好きな仕事をしてくれて良いの。私はただ、楓花ちゃんには、晴大のそばにいてあげてほしくて……。晴大、高校のときは表情が硬くてね。でも今は毎日楽しそうで……」
 きっと楓花が近くにいるからだ、と母親は言った。楓花は高校時代の晴大を知らないけれど、大学入学で再会したときよりも今のほうが、表情が豊かになったと感じていた。
「ねぇ、晴大は……何を誤解されてたの?」
「それは──」
 非常に言いにくかったけれど、言葉を選びながら楓花は正直に話した。話し終わると母親は、晴大は何も悪くないと分かって安心していた。
「態度があんまり良くなかったから、良い人か悪い人か分からなくて……でも私には、ずっと優しかったんです。いつも私のこと気にしてくれて……」
 晴大は自分が傷つくことよりも楓花の幸せを考えてくれていた。
「私、前は何でも友達に合わせてたけど、付き合いだしてから、自分の意見を言えるようになったんです。だから感謝もしてて……そばで支えたいとは思うけど、頼ってしまうのは嫌で……」
 楓花が母親に正直に複雑な気持ちを伝えると、ゆっくり悩んで決めれば良い、と優しく言ってくれた。