就職活動が本格的に始まるのは秋なので、楓花はとりあえず勉強に専念していた。単位を多めに取ってはいるけれどこれから取るべきものもあるし、卒業論文に向けてのテーマも決めないといけない。考えることが多すぎて、三年生前期の試験は今までより少し成績が落ちてしまった。
「楓花ちゃんがそんなんって、珍しいな」
彩里に成績を隠すのもやめたので、結果を見せて落ち込んでいた。ちなみに彩里は就きたい職種や卒業論文テーマが見えてきたようで、楓花より成績が良かった。
「勉強できたん?」
「ううん……あんまり。いろいろ考えだしたら止まらんかって、気づいたら夜中とか」
「あかんやん、寝な。お肌も荒れるで。ストレスたまるし……。渡利君から連絡あるん?」
「ある……けど減ったかなぁ……。でも忙しいんやろうし」
晴大から連絡が来るのは、今では十日に一回ほどになった。何とか耐えているけれど、このままもっと減っていくと辛くなってしまうかもしれない。
「楓花ちゃんも応援したいんやろうけど……我慢はよくないで? 私なんか、毎週会ってても辛いときあるのに」
楓花が成績を落としたのは、晴大から連絡が来ないことも影響していた。Emilyにも連絡してみたけれど、晴大にはほとんど会わないと返事が来ていた。
「何してんやろう……今は──寝てるかな」
「楓花ちゃん……正直になりたいんじゃなかったん? 渡利君だって、楓花ちゃんから連絡したら嬉しいんじゃない?」
それからたっぷり悩んだ末に、楓花は七月下旬に晴大が休みだと聞いていた日のワシントン州の朝を狙って彼に電話した。前回、晴大から電話があったのと同じような時間だ。
なかなか繋がらないので心配したけれど、十コールほど待つとようやく出てくれた。晴大は寮の仲間たちと外へ朝食に出掛けていたらしい。
「電話いま大丈夫?」
『うん、いま部屋に戻ってきた。楓花、どうした? 声おかしくないか?』
それはきっと、晴大の声を聞いた嬉しさで泣きそうになっているからだ。
「大丈夫。晴大、元気そうで良かった」
『ごめんな、なかなか連絡できんで……。授業にはなんとかついていけてるけど、来月に試験あってな。それ合格せな帰られへんから、日本におったときより勉強してんちゃうかな』
「え……延びるん?」
『いや、希望したらな。俺はちゃんとやって、絶対九月に帰る。早く楓花に会いたい。……楓花?』
「──涙が……。この二ヶ月くらいちょっとしんどくて……頑張るって言ったのに」
言うつもりはなかったけれど、思わず言ってしまった。晴大のほうが辛いはずなのに、楓花はまだ、始まったばかりなのに──。応援していたかったのに、楓花の現状を知らせて心配させてしまった。
『やりたいこと、まだ見つかれへん?』
「うん。卒論はなんとかなるかもやけど、就活が……。まだ考えてるだけやけど、全然わからん。英語を生かしたいなぁとは思ってるけど……。良いな晴大は、決まってて」
また、言ってしまった。
晴大が親の会社に入ることを望んでいるのかもわからないのに、本当は就職活動をしたかったかもしれないのに。
「ごめん、今日は電話せんほうが良かった……いらんことばっかり言ってる……」
『楓花、俺、日本帰ったら、すぐ楓花のとこ行くから。あとちょっと頑張れ。ペンダント、あるよな?』
「うん、あるよ。毎日つけてる」
今は寝る前なので、入浴を済ませたあとなのもあって手に持っている。
「私、こんな弱かったかな……」
『弱くても良いやん。完璧なやつなんかおらんし。……なぁ、楓花──もしも就職決まらんかったら、親父の会社に入るか?』
「……え?」
『一個、空きがあってな……別に急いではないから楓花次第やけど。空きあるというか、今はないんやけどな』
意味が、あまりわからなかった。
「どういう意味?」
『俺が継ぐときの話やけどな。たぶん十年後くらいになると思うけど……そのとき楓花に隣におってほしい』
「え? それ、は」
『やりたい仕事見つかったらそれで良いんやけどな。ただ、俺は──。ま、この話は、帰ったらちゃんとするわ。俺が言いたいのは、一人で頑張りすぎるな、ってこと。まわりに助けてくれる人いっぱいおるやろ? 俺だって楓花に助け求めたし……』
それは八年前の、音楽室でのことだ。
『俺を頼れ。な?』
楓花はその言葉を聞きたかったのかもしれない。聞いた途端に涙がこぼれて、けれど今度は笑顔になれた。
晴大が〝親の会社に〟と言っていたのは、おそらく楓花が考えていたことだ。彼は楓花に近づこうとする翔琉に圧をかけ、楓花にも故郷の景色を見せた。晴大は特に何も言わなかったけれど、もしかすると楓花を試していたのかもしれない。そしてあの景色を何年先も、何十年先も、一緒に見たいと思ったのかもしれない。
十年後に隣にいてほしい、と晴大は言った。十年経つと三十歳──ただのお付き合いで良い年齢ではない。彼はきっと、楓花と結婚して二人で会社を継ぐことを今から想定している。
晴大のことは好きではあるけれど、信じてはいるけれど、恋人として一緒に過ごした時間がまだ短いので判断材料がない。第一、晴大の親が何の仕事をしているのか楓花は知らないし、晴大に誘われたからといって入れるものでもない。ましてや結婚のことなど、何も知らないうちから考えられるはずがなかった。
──とは言っても、楓花はいまのところ、晴大と別れる未来も予定していない。
もしも違う会社に就職が決まったら?
もしも仕事の誘いにだけ乗って、結婚はしないと言ったら?
もしも、そもそも交際を認められなかったら──?
晴大に元気をもらったはずなのに、また考えすぎて眠れなくなってしまった。
「楓花ちゃんがそんなんって、珍しいな」
彩里に成績を隠すのもやめたので、結果を見せて落ち込んでいた。ちなみに彩里は就きたい職種や卒業論文テーマが見えてきたようで、楓花より成績が良かった。
「勉強できたん?」
「ううん……あんまり。いろいろ考えだしたら止まらんかって、気づいたら夜中とか」
「あかんやん、寝な。お肌も荒れるで。ストレスたまるし……。渡利君から連絡あるん?」
「ある……けど減ったかなぁ……。でも忙しいんやろうし」
晴大から連絡が来るのは、今では十日に一回ほどになった。何とか耐えているけれど、このままもっと減っていくと辛くなってしまうかもしれない。
「楓花ちゃんも応援したいんやろうけど……我慢はよくないで? 私なんか、毎週会ってても辛いときあるのに」
楓花が成績を落としたのは、晴大から連絡が来ないことも影響していた。Emilyにも連絡してみたけれど、晴大にはほとんど会わないと返事が来ていた。
「何してんやろう……今は──寝てるかな」
「楓花ちゃん……正直になりたいんじゃなかったん? 渡利君だって、楓花ちゃんから連絡したら嬉しいんじゃない?」
それからたっぷり悩んだ末に、楓花は七月下旬に晴大が休みだと聞いていた日のワシントン州の朝を狙って彼に電話した。前回、晴大から電話があったのと同じような時間だ。
なかなか繋がらないので心配したけれど、十コールほど待つとようやく出てくれた。晴大は寮の仲間たちと外へ朝食に出掛けていたらしい。
「電話いま大丈夫?」
『うん、いま部屋に戻ってきた。楓花、どうした? 声おかしくないか?』
それはきっと、晴大の声を聞いた嬉しさで泣きそうになっているからだ。
「大丈夫。晴大、元気そうで良かった」
『ごめんな、なかなか連絡できんで……。授業にはなんとかついていけてるけど、来月に試験あってな。それ合格せな帰られへんから、日本におったときより勉強してんちゃうかな』
「え……延びるん?」
『いや、希望したらな。俺はちゃんとやって、絶対九月に帰る。早く楓花に会いたい。……楓花?』
「──涙が……。この二ヶ月くらいちょっとしんどくて……頑張るって言ったのに」
言うつもりはなかったけれど、思わず言ってしまった。晴大のほうが辛いはずなのに、楓花はまだ、始まったばかりなのに──。応援していたかったのに、楓花の現状を知らせて心配させてしまった。
『やりたいこと、まだ見つかれへん?』
「うん。卒論はなんとかなるかもやけど、就活が……。まだ考えてるだけやけど、全然わからん。英語を生かしたいなぁとは思ってるけど……。良いな晴大は、決まってて」
また、言ってしまった。
晴大が親の会社に入ることを望んでいるのかもわからないのに、本当は就職活動をしたかったかもしれないのに。
「ごめん、今日は電話せんほうが良かった……いらんことばっかり言ってる……」
『楓花、俺、日本帰ったら、すぐ楓花のとこ行くから。あとちょっと頑張れ。ペンダント、あるよな?』
「うん、あるよ。毎日つけてる」
今は寝る前なので、入浴を済ませたあとなのもあって手に持っている。
「私、こんな弱かったかな……」
『弱くても良いやん。完璧なやつなんかおらんし。……なぁ、楓花──もしも就職決まらんかったら、親父の会社に入るか?』
「……え?」
『一個、空きがあってな……別に急いではないから楓花次第やけど。空きあるというか、今はないんやけどな』
意味が、あまりわからなかった。
「どういう意味?」
『俺が継ぐときの話やけどな。たぶん十年後くらいになると思うけど……そのとき楓花に隣におってほしい』
「え? それ、は」
『やりたい仕事見つかったらそれで良いんやけどな。ただ、俺は──。ま、この話は、帰ったらちゃんとするわ。俺が言いたいのは、一人で頑張りすぎるな、ってこと。まわりに助けてくれる人いっぱいおるやろ? 俺だって楓花に助け求めたし……』
それは八年前の、音楽室でのことだ。
『俺を頼れ。な?』
楓花はその言葉を聞きたかったのかもしれない。聞いた途端に涙がこぼれて、けれど今度は笑顔になれた。
晴大が〝親の会社に〟と言っていたのは、おそらく楓花が考えていたことだ。彼は楓花に近づこうとする翔琉に圧をかけ、楓花にも故郷の景色を見せた。晴大は特に何も言わなかったけれど、もしかすると楓花を試していたのかもしれない。そしてあの景色を何年先も、何十年先も、一緒に見たいと思ったのかもしれない。
十年後に隣にいてほしい、と晴大は言った。十年経つと三十歳──ただのお付き合いで良い年齢ではない。彼はきっと、楓花と結婚して二人で会社を継ぐことを今から想定している。
晴大のことは好きではあるけれど、信じてはいるけれど、恋人として一緒に過ごした時間がまだ短いので判断材料がない。第一、晴大の親が何の仕事をしているのか楓花は知らないし、晴大に誘われたからといって入れるものでもない。ましてや結婚のことなど、何も知らないうちから考えられるはずがなかった。
──とは言っても、楓花はいまのところ、晴大と別れる未来も予定していない。
もしも違う会社に就職が決まったら?
もしも仕事の誘いにだけ乗って、結婚はしないと言ったら?
もしも、そもそも交際を認められなかったら──?
晴大に元気をもらったはずなのに、また考えすぎて眠れなくなってしまった。

