サキとナージャは、とある洞窟の中に閉じ込められていた。
「うう、頭がぼーっとしてきた。私たち、もうダメなんですかねー。はあ、最後に先生とハグしたかったなー」
サキは、意識が飛びそうになるのを必死にこらえながら、ナージャを見つめていた。
(ごめんねなーちゃん。私についてこなければ、こんなことにはならなかったのに……)
二人の命運はつきようとしていた。
何故、二人はこんな目にあっているのか。
ここで時間を少しさかのぼってみよう。
◇◇◇
ブイチューバーとして活動しているナージャのアドバイスを受けて、サキは動画共有サイトキューチューブに九十九探偵事務所の公式チャンネルを開設した。
彼女は動画再生数を稼ぐために、異世界で動画を撮影することを思いついた。
「なるほど。それで、異世界にいって動画配信をしたいというわけだね?」
サキから相談を受けた九十九が大好物のコーヒーを飲みながら質問した。
「はい。よく、ネット小説なんかだと、異世界から動画を配信している作品があるんですよー」
「でも、異世界ではインターネット使えないから動画配信無理だよね?」
九十九は半分あきれた顔をしながらサキに問いかけた。
「そうなんですー。でも、ビデオカメラやスマホを持ち込めれば、動画撮影出来るじゃないですか。リアルタイム配信にこだわらなければいいんですよー」
サキは自信に満ちた顔で話している。
「いや、そもそも、異世界に行くのが無理なんじゃ?」
コーヒーカップを口につけてから、九十九が今回の計画のそもそもの問題点をサキに投げかけた。
「そこなんですけど、少し前に、エレベーターで異世界に行く方法がネットで流行ったんです。今回はそれで異世界に行きますよー」
「その方法は私も知ってるけど、本当に行けると決まったわけじゃ……」
「ふふ、先輩、私も撮影手伝いますよ」
二人の話を聞いていたナージャが横から口を出した。
「えー、なーちゃん優しい。ありがとー」
「というわけで、私たちはしばらく異世界に撮影に行きますねー」
「えー!?」
突然の申し出に九十九は驚きを隠せなかった。
「ちょうど夏休みなんで、いいですよねー、先生?」
「……わかったよ。二人で楽しんできてね」
九十九は渋々サキたちが異世界に行くことを認めた。
「やったー!」
「やりましたね、先輩。ずっと異世界に行きたいって言ってましたものね」
大喜びしているサキとナージャはハイタッチを交わした。
ナージャが九十九探偵事務所で働きだしてから、ナージャはサキのことを先輩と呼んでいる。
実際の年齢はナージャの方がずっと年上だが、見た目は、背の低い吸血鬼のナージャの方が若干だが若く見える。
サキはサキで、初めて自分の後輩ができたことに、喜びを隠せないでいた。
「ふふ、ありがとうなーちゃん。あそこでさりげなくだめ押ししてくれたのがよかったです」
「先輩を助けられてよかったです。あ、一つ聞きたいんですが、向こうではカメラとか充電できないと思うんですけど、バッテリーは予備も持っていくんですか?」
【いづなまい】という名前でブイチューバーとして活動しているナージャは、動画撮影の知識にも詳しく、サキに色々とアドバイスをしていた。
「あ、そうかー。予備が無いと長い時間撮影できないよねー。うん、持っていこう。あと、前に先生がソーラーパネルのついたモバイルバッテリーを買ってたから、それを借りようと思う。それなら、異世界でも充電できるでしょ。緊急時はそれで充電しよー」
「了解です。準備しておきますね」
ナージャは旅行用のカバンを持ち出してきて、荷物の準備を始めた。
「あ、そういえば先輩、エレベーターで異世界に行くんですよね? あの方法って確か、十階以上の建物のエレベーターじゃないと無理だと思ったんですけど、どこかいい場所、知ってるんですか?」
ナージャは異世界旅行の支度を続けながら、サキに問いかけた。
「心配しないで、なーちゃん。ちゃんとエレベーターのある場所は押さえてあるの」
サキは商店街組合の理事長が高円寺に複数のテナントビルを所有していることを知っていた。
そこで、理事長にお願いして、テナントビルのエレベーターの使用許可をもらっていたのだ。
「さすが先輩。ちゃんと許可もらってたんですね」
「えへへ、準備は入念にするのが九十九探偵事務所の方針だからねー。私たち、こないだここの商店街組合の理事長さんの依頼を解決したんだけど、そのお礼として、理事長さんの所有するテナントビルの使用許可をもらえたの。しかも、このビル、ぴったり十階建てなの。異世界にいくにはこれ以上ない最高の環境でしょー?」
「確かに、最高の場所ですね。それじゃ、先輩の準備が出来たら出発しましょう。あ、エレベーターでも撮影します?」
「そうだねー。理事長さんには九十九探偵事務所のPR動画を作るのに、エレベーターで撮影したいって言って許可をもらってあるから、撮影しても全然大丈夫だよー」
「了解です。先輩がエレベーターに乗るところから撮影しますね」
次の日の早朝、二人は理事長の所有するテナントビルにやってきた。
このテナントビルは高円寺駅北口のすぐ近くにあり、こじんまりとしているが、建築年数が経過している割にはきれいな外観をしていて、多くの企業がオフィスとして利用していた。
まだ出勤には早い時間なので、ビルの中に誰もいなかった。
「あの後、もう一度理事長さんに確認したんだけど、この時間ならここで働いている従業員の人たちもまだ出社してこないから、自由に撮影していいって」
「よかったですね、先輩。それじゃ私、カメラの準備しますよ」
「よろしくねー、なーちゃん」
ナージャはビデオカメラを取り出して、動画を撮影するための設定を始めた。
「そういえば、エレベーターに乗るとき、一人じゃないと駄目でしたよね? 移動は一人ずつやるとして、エレベーターの中の撮影はどうします?」
「あー、一人ずつなの忘れてたー。それじゃあ、エレベーターの中は私が撮影するよー」
「お願いします。あ、異世界に行く方法、もう一度確認しますか?」
「そうだねー。もう一回確認しようか」
「わかりました。じゃあ、説明していきますね」
ナージャはカバンからスマホを取り出すと、エレベーターで異世界に行く方法が書いてあるページを開いた。
「まず、エレベーターには必ず一人で乗ります。そして、エレベーターに乗ったまま、四階、二階、六階、二階、十階と移動します。この時、誰かがエレベーターに乗ってきたら失敗なんですけど、この時間なら誰もいないから大丈夫ですね」
「うん。今は私たちしかこのビルにはいないはずだから、そこは問題ないね」
「十階に着いたら、そのまま五階まで移動します。五階で、異世界の若い女の人がエレベーターに乗ってくるみたいです。でも、絶対に話しかけては駄目です。そのまま一階のボタンを押すと、何故かエレベーターが十階まで上がっていきます」
「確か、その人に話しかけちゃうと失敗しちゃうんだった。気をつけようねー」
「ええ、そして十階でエレベーターから降りると、外が異世界になっています」
「なーちゃん。説明ありがとー。ふふ、そんなに難しくないから一人でも出来そうだねー」
「ええ、途中で乗り込んでくる異世界の女の人が気になりますけどね」
サキは、エレベーターに一人で乗り込むと、ナージャから説明を受けたとおりに異世界に行く方法を試してみた。
サキを乗せたエレベーターは、四階、二階、六階、二階、十階と順番に移動していった。
「十階まできました。問題はここからです。五階にいくんでしたね」
エレベーターが五階に到着すると、エルフのように長い耳をした女性がエレベーターに乗り込んできた。
(わーエルフさんです。サキ、ゲームでしか見たことないですよー。本当に異世界と繋がっているんですねー)
サキはエレベーターの一階のボタンを押す。
しかし、エレベーターは上へと上がっていった。
(上にあがっていったー。成功ですー)
サキがエレベーターを降りると、そこは幻想的な森の中だった。
エレベーターは巨大な木の中の空間とつながっていた。
「へえ、木の中にうまく隠れているんですねえ。これなら異世界の人にはエレベーターがあるってわからないですねー」
この森は木々が生い茂っていて薄暗く、淡く光る謎の物体が浮遊している。
少し時間が経ってから、ナージャもエレベーターが隠れている大樹の中から出てきた。
「あ、なーちゃんも成功したんだねー。よかったー。それにしても、この幻想的な風景、最高ですー。間違いなくここは異世界ですねー」
「いやー、あんな方法で本当に異世界にこれるとは思いませんでした。実は意外と異世界に行ってる人って多くいたりするんですかねえ。あ、先輩、このまま私がカメラで撮影担当しますから、動画の進行は先輩にお任せします」
ビデオカメラを構えたナージャがサキに語りかけた。
「ありがとー。まかせてなーちゃん」
森の中を進むと人が腰を下ろせるくらいの高さの切り株があった。二人はそこに座って、異世界で動画を撮影するための打ち合わせを始めた。
「それで、先輩、一つ質問なのですが?」
「ん? なーにー?」
「異世界、つまり今私たちがいるこの世界の人たちの言葉、わからないと思うんですけど、どうするんですか? 絶対言葉通じませんよね?」
「あーいい質問ですねー。実は、先行して異世界にいった旅行者たちが、こういう本を作ってくれているのですー。この本に書いてある言葉と絵を見せるだけで、かんたんなコミュニケーションはとれるのよー」
サキはナージャに、異世界指差し会話帳と書かれた本を見せた。
本の中には、様々な日常生活の一コマの絵と、見たことのない文字が書かれている。
「おお、これが異世界の人と指差しで会話できる本ですか。こんなものまであるんですね。偉大な先人たちに感謝ですね」
「これがあれば基本的なコミュニケーションは取れるからなんとかなるよー。だから、がんばって撮影しようねー」
「ふふ、そうですね。がんばりましょう、先輩。それで、今回はどんな撮影をする予定なんですか?」
「やっぱり異世界の配信といえば、ダンジョンでしょ? 二人でダンジョン攻略して、そこを動画にしましょー」
「なるほど。ダンジョン配信は定番ですから、私もいいと思います。ダンジョン攻略中は私もこのアクションカメラを装着して撮影すればいいんですね?」
サキはカバンからDoProというアクションカメラを二つ取り出した。
「そうそう。なーちゃんもDoProで撮影に参加してねー。やっぱりダンジョン攻略は二人でやりたいからねー。それになーちゃんも画面に出てくれた方が、再生数も伸びる気がするの」
「了解です。それじゃあ今のうちに準備しておきましょう。今回は首から下げるタイプのアタッチメントを使います」
ナージャはDoProに首から下げるためのネックマウントというアタッチメントを装着して、サキに手渡した。
「これなら、首に下げておくだけで撮影できるので、ダンジョン探索の邪魔にならずにすみます」
「わあ、すごいねこれ。ありがとう、なーちゃん」
『ねえ、サキちゃん、サキちゃん』
『なーに、アマちゃん』
サキの中にいる怪異がサキに話しかけてきた。
『あのエレベーターがある木の場所、わからなくなると、元の世界に帰れなくなるでしょ?』
『あー、確かにそうだねー』
『うん、だから、ボクがマーキングしておいたよ。これで、どこにいてもあの場所を感知できるよ』
『さすがアマちゃん。ありがとうー』
サキの中にはアマビコと呼ばれる怪異がいる。
アマビコには予言の力があるとされていて、彼がサキのダウジングによる占いの精度を高めていた。
「先輩、ダンジョンの攻略なんですけど、そもそも、私たち武器も持ってないし、魔法も使えないですけど、どうやって敵と戦いますか?」
「あー、確かにー。それ、考えてなかった」
「とりあえず、武器とか必要なんで、街に買い出しに行きませんか? 私たち、ほとんど撮影用の機材しか持ってきてないので、もっといろいろアイテムが欲しいところです」
「そうだねー。私は何か食べ物が欲しいよー。よし、なーちゃん、とりあえず街にいこー」
「はいはーい。行きましょう先輩」
はしゃいでいる二人を遠くから二人組の盗賊が眺めていた。
「おい、見ろよ。おかしな格好をしてる女たちが歩いてるぜ」
ひげを生やした中年の男が顎に手を当てながらもう一人の男に話しかけた。
「あれは今流行りの異世界からの旅行者だな。ロクなスキルを持ってないから狩り放題らしい」
白髪混じりの男がひげの男に答えた。
「とりあえず人気の無い所まで跡をつけるぞ。そこで二人とも狩ってやる。どっちもまだ子供みたいだから楽勝だな」
二人の盗賊はニヤニヤしながら二人の跡をつけた。
「先輩、気づいてますか。私たち、つけられてますよー」
ナージャは後方にいる盗賊たちに違和感を与えないように、自然な振る舞いをしながらサキに話しかけた。
「ふふ、私のアマちゃんもちゃんと気づいて教えてくれたよー」
「先輩も気づいてたんですね。さすがです」
「それじゃあ、軽くやっつけちゃいますかー」
「はい!」
二人は気配を消して、素早く後ろの二人組の視界から外れた。
「あれ、あいつらどこいった?」
「確かにいねえな。気配もしねえぞ。まさか、消えたのか?」
「まさか。幽霊じゃねえんだから消えたりしねえよ。そんな遠くにはいないはずだ。よく探そうぜ」
次の瞬間、男たちはサキとナージャに背後から後頭部を重いカバンで思いきり殴られて、気絶した。
「先輩、跡をつけてきたのが大したことない人間たちでよかったですね」
「私たちが気配を消したぐらいで見失うようじゃ、まだまだですねー」
「でも、武器がないので今みたいに不意打ちするしかないのがつらいですけど」
「そーなんだよねー。ま、とりあえずDoProで戦闘シーンをバッチリとれたからおっけーよー」
「ふふ、そうですね。この調子でどんどん撮影していきましょう」
サキとナージャはにっこりと笑いあった。
◇◇◇
森を抜けたサキとナージャは、賑やかな街に着いた。街の広場に椅子とテーブルが設置してあったので、とりあえず二人は休憩することにした。
「ふう、ようやく街についたねー」
「たくさん魔物に追いかけられましたけどね」
「さすがに武器無しで魔物と戦うのは無理があったねー」
森でモンスターに遭遇した二人は、道端に転がっていた手頃な大きさの石をモンスターにぶつけて倒していた。
「弱いモンスターは落ちてる石を拾ってぶつけてなんとか倒せましたけど、さすがに強そうなやつが出てきた時は、逃げるしかなかったですね。魔法でも使えればいいんですけど」
「あ、それだよなーちゃん。魔法使えばいいんだ」
「え、先輩。魔法使えるんですか?」
「ふふ、なーちゃん。この本見てください」
サキはナージャにとある本を見せた。
本の表紙には、異世界冒険ガイドブックと書かれている。
「異世界冒険ガイドブック、こんな本まであるとは……。私が知らなかっただけで、異世界に行ってる人って結構いるんですね」
「そうみたい。びっくりだよねー。それで、この本によるとね、異世界には現実の世界と違って、魔素っていう物質があるみたいなの。私たち異世界の住人でも、その魔素を吸収すると体内で魔力が生成されるんだって。その魔力を使って魔法が使えるようになるみたいだよー」
「なるほど。魔法を使う具体的なやり方も書いてあるんですか?」
「もちろん。なんか魔法の具体的なイメージを頭の中に思い浮かべるといいみたいー」
「へー、それだけでいいんですか?」
「うん、そうみたい。そのイメージが具体的になると、魔力が変化して魔法が具現化するんだってー」
「要するに頭の中でイメージすれば、そのイメージどおりの魔法が使えるんですね?」
「そういうことだよー。まあ、魔法の才能とか知識とかも関係してくるから、なんでもできるわけじゃないみたいだけどねー」
「なるほど。じゃあ、先輩、ダンジョンに行く前に、少し魔法の訓練やってみますか」
「そうだねえ。なーちゃん、私、魔法使えるようになるのが子供の頃の夢だったんだ。だから、それが叶いそうで私、とてもうれしいんだよ」
「ふふ、先輩、うれしそう。とってもステキです」
サキとナージャは、この街の宿屋に行き、指差し会話帳を使って宿泊の予約を取った後、森へ戻って、魔法の訓練を始めた。
二人はしばらく頭の中のイメージを具体化するトレーニングを行った。一時間もしないうちに、二人はそのイメージを発動できるようになった。
「先輩、魔法の才能あるんじゃないですか?」
「ふふ、そうかなあ?」
「だってもう、自在に炎が出せるじゃないですか?」
サキは両手から自由に炎を出して操れるようになっていた。
「えー、なーちゃんの方がすごいよー。だって空、飛べてるじゃん」
ナージャは地面から一メートルほどの高さに浮かんで静止していた。
「ふふ、魔力のコントロールが大事ってことに気が付きましたからね。うまく魔力を下側に放出し続けると空中に浮いたままでいられます」
「ほうほう。こうやればいいのー」
サキも魔力を下に放出し続けることで、身体を空中に浮かべることに成功した。
「おおー。先輩もできるじゃないですかー。さすがですねー」
「えへへ。いつも私の中にいるアマビコちゃんのエネルギーを調整してるからねー。それと魔力のコントロールはやり方が同じなのー」
「なるほど。そういうことだったんですね」
「魔法が使えると、戦闘の幅が広がるからいいよねー」
「確かに、魔法が使えれば相手との距離がある程度離れていても攻撃できますからねー。物理攻撃だと弓矢とか以外は敵に近づかないと攻撃できないですから」
「それに、今の私たちは空を飛べるから、空から一方的に敵を攻撃できるよー」
空中に浮かんだサキは、地面に向かって炎の魔法を飛ばした。炎の塊が地面にぶつかると、生えていた草が一瞬で燃え尽きた。
「これは大きなアドバンテージになりますよね。私たち、結構戦えるんじゃないですか」
「ふふ、でも油断禁物だよ、なーちゃん」
そう、油断禁物なのである。
サキたちが魔法を使うデメリットによって、この先起こる致命的な事態を回避することが出来なくなってしまったことを知るのは、もう少し先の話だ。
「わかってます。そろそろダンジョンに挑戦しますか?」
「そうだねー。異世界冒険ガイドブックによると、ダンジョンに挑戦するには、冒険者ギルドっていうところにいって登録が必要みたい」
「え、私たちこの世界の言葉がわからないですけど、登録できるんですか?」
「うん、そこはねー、ギルドの受付の人は翻訳魔法が使えるから大丈夫だって書いてあったよー」
「へー。本当に魔法って便利なんですねー」
「それじゃ、早速ギルドに行こう」
二人は街の中央にある、この街で一番大きな建物に向かった。
「異世界冒険ガイドブックによると、ここが冒険者ギルドみたいだよ。早速入って、冒険者として登録しよう」
冒険者ギルドの中に入ると、受付の女性が話しかけてきた。
「こんにちは。あなた方は異世界からいらっしゃったのですね」
「ええー何でわかったんですかー」
「今、お二人が来ている服は、この世界ではまず見かけない、個性的な服ですからね。ですから、異世界から来た方は、服装を見れば一目でわかるんです」
「そうだったんですね。今、私たちの言葉が通じているのは、翻訳魔法のおかげですか?」
「ええ、ここのギルドを訪れる異世界の方が増えてきたので、翻訳の精度もかなり上がって、今は違和感なく会話が出来るようになりました」
「それはすごいですねー」
「ええ。それだけ異世界の人々がここに来ているってことです。では、冒険者登録……、と言いたいところなんですが、実は最近、規則が厳しくなっていまして……」
それまでにこやかに話しかけていた受付の女性の顔が、急に険しくなった。
「何かあったんですか?」
「最近、異世界から来た方が冒険中にダンジョンで命を落とす事例が多発しているんです。その対策として、ギルドでは冒険者登録時に試験を課すようになったのです」
「ええー。私たち、試験受けないと冒険者になれないんですかー」
「ふふ、いいじゃないですか先輩。私たちの実力を見せつけてやればいいんですから」
「まあ、それはそうだけど……」
「今日はこのあと試験官のイレーナが認定試験を行う予定なんですが、受験されますか?」
「もちろん、受けます」
「わかりました。では、こちらの書類にサインをお願いします」
二人は、受付の女性から書類を受け取ると、自身の名前をサインした。
さすがに翻訳魔法でも文字までは読めないのか、受付の女性はサインを確認した後に、二人の名前の読み方を確認した。
その様子を、離れた場所から試験官のイレーナがのぞいていた。
「また異世界人が試験を受けに来たのか……。受かるわけがないのにねえ」
あきれたイレーナはため息をついた。
冒険者の試験は、冒険者としての基本的なスキルを確認するためのテストだ。
異世界からの来訪者にとって、この試験は鬼門である。
何故なら、異世界からの転移者は、魔法が使えなかったからだ。
そのため、この世界出身の受験者と比べて、かなり不利となってしまう。
……はずだった。
数時間後、冒険者ギルドの訓練施設で冒険者試験が始まった。
今回の受験者はサキとナージャの二人だけだった。
「こんにちは。私が試験官のイレーナです。今回の試験は、実戦形式とします。私はここから動かないので、お二人はがんばって私を攻撃して私をここから動かしてください。私が一歩でも移動したら、あなたたちの合格とします。あ、二人同時にかかってきてもいいですよ」
(まあ、二人がかりでも無理でしょうけどね)
「なにか質問はありますか?」
「いえ、大丈夫でーす」
「ある程度時間がたったら私が終了の合図をしますので、それまでになんとか合格してくださいね。では、始めますよ」
イレーナは二人から十メートルほど離れたところで、剣を構えて立っていた。
「なーちゃん。上から行くよ」
「はい、先輩」
二人は魔法を使って自分たちの身体を浮遊させた。
「は?」
イレーナは驚きを隠せなかった。
「どうなってるの? そんなこと、私だってできないわよ!」
「まだまだ、これからですよー」
「上空からの攻撃なら、移動しないと回避できないですよね?」
サキとナージャは両手から炎を出すと、イレーナに向かって炎の塊を飛ばした。
「ちょっと、あんたたち、なんでそんなに魔法が使えるのよー!」
イレーナは二人の放った炎の魔法の迫力に圧倒されて、思わず身体を動かしてしまった。
「くうう、二人とも、合格よ」
「やったー」
二人はハイタッチをして喜んだ。
『ねえねえ、サキちゃん』
サキの中にいるアマビコが語りかけてきた。
『なーにー、アマちゃん』
『サキちゃんが魔法を使うと、何故かボクの力が弱くなってしまうみたいなんだ』
『えー、そうだったのー?』
『あ、ボクは大丈夫だから心配しないで。でも、いつもみたいにボクの能力でサキちゃんの手助けをできそうにないんだ、ごめんね』
『謝るのはこっちだよアマちゃん。迷惑かけてごめんね』
『うんうん、全然迷惑じゃないよ。魔法を使うのはサキちゃんの夢だったんだし。この世界にいる時は、いっぱい魔法を使ってよ』
『アマちゃん、ありがとうね』
試験に合格した二人はギルドの受付の女性から、ギルドが発行している冒険者の認定証を受け取った。
「おめでとう。その認定証があれば、ほとんどのダンジョンに入ることができるわ」
この世界のダンジョンは、冒険者ギルドが管理をしていて、認定証を持っていないとダンジョンの中に入ることが出来なかった。
「ありがとうございます。どこかおすすめのダンジョンはありますか?」
「それなら、北の洞窟へ行くといいわ。敵もそんなに強くないから、初めての冒険に最適なダンジョンよ」
「ありがとうございますー。早速行ってみます」
二人はギルドの受付の女性から教えてもらった北の洞窟のダンジョンに向かった。
「ここは、敵もあまり強くないみたいなので、撮影に最適みたいだよ」
「それはよかった。ダンジョン攻略中は二人でDoProで撮影でいいんでしたよね?」
「そうそう。DoProで撮るよー」
「確か、DoProって暗いところ撮影するの苦手なんです。設定である程度は撮れるようにしましたけど」
「でも、ライトとかで照らして明るくすると、モンスターさんたちにこちらの居場所を教えてしまうので、あまり明るくはできないよね?」
「そうなんです。だから、私は念のため、ビデオカメラも持ってますね。ここぞという時はこっちで撮影しましょう。このカメラは夜間撮影機能があるので、暗いところでもバッチリ撮影できますからね」
「そうだねー。なーちゃん、お願いしますー。あ、そうだ。私は洞窟の地図を描くよー」
サキはカバンから方眼紙を載せた図版と、鉛筆、消しゴムを取り出した。
「おお、先輩、マッピングできるんですか? さすがですね」
マッピングとはダンジョン内部の地図を描くことである。
ダンジョン探索の基本と言われていて、方眼紙という製図用の紙に、探索しながら地図を描き起こしていくのだ。
「先生はね、地図を描くのが得意で、仕事でこういう場所を探索する時は、必ず地図を描くの。だから、私も描き方を教えてもらったんだよ」
「そうだったんですねー」
「それに私はロールプレイングゲームが大好きだから、ゲームしながらダンジョンの地図作ったりもするんだよ」
「なるほど。それじゃあ、先輩が地図描くところも、動画に撮っていいですか?」
「ちょっと恥ずかしいけど、いいよー」
「ふふ、先輩が描く地図、楽しみです」
◇◇◇
二人は洞窟の中をどんどんと進んでいった。
途中、何度もモンスターに遭遇したが、冒険者ギルドの女性スタッフが言っていたとおり、洞窟内にはそこまで強力なモンスターは生息しておらず、魔法を使える二人は苦戦することもなく撮影を続けることが出来た。
「だいぶ奥まで進んできましたね」
「意外とサクサク魔物も倒せたねー」
「やっぱり、魔法を使えるようになったのが大きかったです。遠くから敵の弱点の属性の魔法をぶつけていけば、勝てますからね」
「弱点を見つけるまでは大変だけどねー。見つけてからはサクサク倒せるからねー」
『ねえねえ、サキちゃん。聞いて』
『どーしたの。アマちゃん?』
アマビコが深刻そうにサキに話しかけてきた。
『ボクの能力、今、ほとんど効力がないんだけど、それでも嫌な予感がするの。何かとんでもなく悪いことが起きると思う』
『えー、そうなの?』
『気がつくのが遅れてごめんね。でも、今すぐここから離れた方がいいと思う。とてつもなく大変なことが起こりそうだよ』
『わかった。ありがとうね』
「なーちゃん、ごめん。私の中のアマちゃんがとても嫌なことが起きるかもって言ってるの。悪いんだけど、ここから今すぐ離れたいの。いいかな?」
「いいですよ。先輩の中にいるアマビコって、必ず予言を的中させるっていうじゃないですか。悪いことが起きないうちにここを出ましょう」
「ありがとー。じゃ、視聴者のみなさん、私たちはここで入口へと戻りまーす」
どーん。
その時、大きな地鳴りとともに、地面が激しく揺れ始めた。
「地震だ。なーちゃん、伏せて! 頭を手で守るの!」
「はい! うう、大きい。伏せていても耐えられそうにないくらい」
洞窟の内部で地面が砕けそうなほどの揺れが一分ほど続いる。二人は、まるで、洞窟全体が崩壊してしまうほどの衝撃を感じていた。
「うう、先輩、大丈夫ですか?」
「なんとかね。なーちゃんは大丈夫?」
「私もなんとか大丈夫です」
「異世界でこんなに大きな地震が起こるなんて、思ってなかったよー」
「うかつでした。こういう洞窟では致命的になるかもしれません。落盤や落石で、出口が塞がれてないといいですけど」
ナージャの心配は現実となっていた。
その日、二人のいる異世界で千年に一度の地震が起きた。巨大地震の激しい振動で洞窟の内部落盤が発生し、通路が一部崩壊していた。
「あー、通路が潰れています。これじゃあ外に出られないよー」
「やっぱり落盤してましたね。別な通路を探すしかないです」
二人は別な道を探したが、通れる場所は全て塞がれてしまっていた。
「先輩、これは詰んだかもしれません。これでは私たち、ここから出られませんよ……。冒険者ギルドの人たちが救助を要請してくれることを祈るしかないです」
「そうだ。魔法でこの石をどかせれば……」
二人は魔法で通路を塞いでいる石をどかそうとしたが、塞いでる石の量が多いようで、たくさんの石を取り除いても道は塞がったままだった。
「これでは無理です。むしろ魔法を使うと余計な体力を消耗して危険です」
「助けが来るのを待つしかないね」
どれだけの時間が経ったのだろう。
二人には、永遠に時間が流れているように感じた。
しばらくすると、徐々に洞窟内の酸素が足りなくなってきたのか、二人の頭がぼーっとしてきた。
「うう、頭がクラクラするー」
「洞窟内の酸素が少なくなってきてるのかも。通気口になっていたところが塞がれてしまったのかもしれませんね」
二人は余計な酸素を使わないように、身体を寄せ合ってじっと耐えていた。
体調に異変を感じたことで、二人は自分たちに残された時間が少なくなっていることを実感した。
「大丈夫だよ、なーちゃん。必ず助けがくるから。諦めちゃダメだよ」
「わかっています。必ずここから出ましょうね」
二人はお互いの手を握りながら励まし合う。
しかし、その間にも、洞窟内の酸素はどんどん失われていった。
「なーちゃん、私の血、吸っていいですよ。そしたら、なーちゃんはもう少しだけ、助けを待ってられますからね」
「優しいんですね、先輩。でも、酸素欠乏になってる先輩の血を吸っても、あんまり長く持ちませんよ。なので大丈夫です。それに、くたばる時は先輩と一緒がいいですから」
しかし、すぐにナージャは意識がもうろうとしてしまい、ぐったりとしてしまった。
「なーちゃん、なーちゃん。しっかりして。今、私の酸素をあげるからね」
サキはナージャに人口呼吸をして、肺の中に残っている酸素を送り込んだ。
(なーちゃんは吸血鬼だから、私より血液の中の酸素をたくさん消費しちゃうのかもしれない。本当にごめんね、なーちゃん)
肺から空気を搾り出すようにして、ナージャに酸素を送り続けたサキも限界になっていた。
(先生ごめんなさい。私が異世界に行くなんて言わなかったら、私もなーちゃんも死なずにすみました。本当にごめんなさい。アマちゃんも、本当にごめん。私が魔法を使ってなかったら、あなたの能力を使って、危険を回避できたのに。本当にごめんね。先生、今までありがとうございました。サキは先生が好きでした。先生と助手以上の関係になりたかったです。でも、もう手遅れですけど。先生。先生……せんせ……)
サキは頭がクラクラとして、身体が動かせなくなっていた。
(あり……がと……ご……)
サキの意識が遠のいたその時。
ガラガラガラ……。
大きな石が転がり落ちるような音が聞こえてきた。
(ん……なんの……音? でも……もう私には……関係ないわ。私は……もうすぐ……)
不思議なことに、通路を塞いでいた石が動き出して、人が通れるだけの穴が出来た。
「ああ、ようやく到達できた。大丈夫か、サキ君、ナージャ君。今、そこから助けるよ」
なんと、二人の前に九十九が現れた。
「マズいな。二人とも、意識がもうろうとしている」
『この世界におわします神よ、我が身体に宿り、二人の命を救いたまえ』
九十九は自分にこの世界の神を憑依させて、二人に回復魔法をかけてもらった。
しばらくして、二人は意識を取り戻した。
「先生、どうして?」
「君たちが心配でね、後を追ってこの世界にきたんだ。洞窟の外で待っているつもりだったんだけど、とんでもない地震が起きたからね。いそいで助けに来たのさ」
九十九は、異世界に来たあと、二人に気づかれないように気をつけながら、ずっと二人を見守っていたのだ。
「先生、本当にありがとうございます」
サキは大粒の涙を浮かべながら、九十九に抱きついた。九十九もサキを優しく抱きしめてあげた。
「しかし、落盤で埋まった通路を進むのは苦労したよ。道を塞いでいる石たちを付喪神にして、なんとか通り道を作ってもらったんだ。それでも、ここに来るまで大分時間がかかってしまった。すまないね」
「わーん、先生、ありがとー。大好きですー」
「九十九先生、本当にありがとうございます。先生がいなければ、二人とも命を落としていました」
「二人とも、あまり話している時間はなさそうだよ。今、余震が来たら、今度はこの洞窟ごと潰れてしまうかもしれないからね。早くこの場所から離脱しよう」
三人は急いで洞窟の外まで避難した。
「サキ君もナージャ君も、無事でよかった。二人に何かあったら、私は生きていけないよ」
「私も先生がいなかったら、生きていけませんよー」
「本当に九十九先生にはお世話になりっぱなしで感謝してもしきれません。いつか必ず先生に恩返しさせていただきます」
ナージャは九十九に深々と頭を下げた。
「いや、ナージャ君、すでに君のおかげで私はかなり助かっているよ。君が配信動画で九十九探偵事務所の公式チャンネルを紹介してくれたおかげで、チャンネル登録者がかなり増えていてね。これはいい宣伝になるよ」
「わー、やりましたねー、先生。なーちゃんもありがとー」
「これからも、よろしく頼むよ、ナージャ君」
「こちらこそ、よろしくお願いします。九十九先生、そしてサキちゃん」
「あ、ようやくサキちゃんって呼んでくれたー。正直先輩って言われるとちょっと照れくさかったので、すごくうれしいですー」
「私も、サキちゃんって呼んだ方がしっくりくるわ。改めてよろしくね、サキちゃん。それはそうと、エレベーターのある木の場所、地震で壊れてないといいんですけど……」
「そうだね。無事に帰れるといいんだが……」
三人は森に行き、エレベーターがある木の場所へと向かった。
「木の場所は私の中のアマビコちゃんが記憶してくれているから、すぐに行けますよ。こっちですー」
三人はアマビコの案内ですぐに大樹のある場所へと到達することが出来た。幸いなことに、大樹の中のエレベーターは無傷だった。
「よかった。無事ですー」
「それじゃあ、元の世界へ帰ろう」
「もう、異世界はこりごりですー」
「まあ、異世界じゃなくても動画は撮れますから。また一緒に動画撮りましょうね。サキちゃん」
ナージャはサキににっこりと微笑んだ。
「うう、頭がぼーっとしてきた。私たち、もうダメなんですかねー。はあ、最後に先生とハグしたかったなー」
サキは、意識が飛びそうになるのを必死にこらえながら、ナージャを見つめていた。
(ごめんねなーちゃん。私についてこなければ、こんなことにはならなかったのに……)
二人の命運はつきようとしていた。
何故、二人はこんな目にあっているのか。
ここで時間を少しさかのぼってみよう。
◇◇◇
ブイチューバーとして活動しているナージャのアドバイスを受けて、サキは動画共有サイトキューチューブに九十九探偵事務所の公式チャンネルを開設した。
彼女は動画再生数を稼ぐために、異世界で動画を撮影することを思いついた。
「なるほど。それで、異世界にいって動画配信をしたいというわけだね?」
サキから相談を受けた九十九が大好物のコーヒーを飲みながら質問した。
「はい。よく、ネット小説なんかだと、異世界から動画を配信している作品があるんですよー」
「でも、異世界ではインターネット使えないから動画配信無理だよね?」
九十九は半分あきれた顔をしながらサキに問いかけた。
「そうなんですー。でも、ビデオカメラやスマホを持ち込めれば、動画撮影出来るじゃないですか。リアルタイム配信にこだわらなければいいんですよー」
サキは自信に満ちた顔で話している。
「いや、そもそも、異世界に行くのが無理なんじゃ?」
コーヒーカップを口につけてから、九十九が今回の計画のそもそもの問題点をサキに投げかけた。
「そこなんですけど、少し前に、エレベーターで異世界に行く方法がネットで流行ったんです。今回はそれで異世界に行きますよー」
「その方法は私も知ってるけど、本当に行けると決まったわけじゃ……」
「ふふ、先輩、私も撮影手伝いますよ」
二人の話を聞いていたナージャが横から口を出した。
「えー、なーちゃん優しい。ありがとー」
「というわけで、私たちはしばらく異世界に撮影に行きますねー」
「えー!?」
突然の申し出に九十九は驚きを隠せなかった。
「ちょうど夏休みなんで、いいですよねー、先生?」
「……わかったよ。二人で楽しんできてね」
九十九は渋々サキたちが異世界に行くことを認めた。
「やったー!」
「やりましたね、先輩。ずっと異世界に行きたいって言ってましたものね」
大喜びしているサキとナージャはハイタッチを交わした。
ナージャが九十九探偵事務所で働きだしてから、ナージャはサキのことを先輩と呼んでいる。
実際の年齢はナージャの方がずっと年上だが、見た目は、背の低い吸血鬼のナージャの方が若干だが若く見える。
サキはサキで、初めて自分の後輩ができたことに、喜びを隠せないでいた。
「ふふ、ありがとうなーちゃん。あそこでさりげなくだめ押ししてくれたのがよかったです」
「先輩を助けられてよかったです。あ、一つ聞きたいんですが、向こうではカメラとか充電できないと思うんですけど、バッテリーは予備も持っていくんですか?」
【いづなまい】という名前でブイチューバーとして活動しているナージャは、動画撮影の知識にも詳しく、サキに色々とアドバイスをしていた。
「あ、そうかー。予備が無いと長い時間撮影できないよねー。うん、持っていこう。あと、前に先生がソーラーパネルのついたモバイルバッテリーを買ってたから、それを借りようと思う。それなら、異世界でも充電できるでしょ。緊急時はそれで充電しよー」
「了解です。準備しておきますね」
ナージャは旅行用のカバンを持ち出してきて、荷物の準備を始めた。
「あ、そういえば先輩、エレベーターで異世界に行くんですよね? あの方法って確か、十階以上の建物のエレベーターじゃないと無理だと思ったんですけど、どこかいい場所、知ってるんですか?」
ナージャは異世界旅行の支度を続けながら、サキに問いかけた。
「心配しないで、なーちゃん。ちゃんとエレベーターのある場所は押さえてあるの」
サキは商店街組合の理事長が高円寺に複数のテナントビルを所有していることを知っていた。
そこで、理事長にお願いして、テナントビルのエレベーターの使用許可をもらっていたのだ。
「さすが先輩。ちゃんと許可もらってたんですね」
「えへへ、準備は入念にするのが九十九探偵事務所の方針だからねー。私たち、こないだここの商店街組合の理事長さんの依頼を解決したんだけど、そのお礼として、理事長さんの所有するテナントビルの使用許可をもらえたの。しかも、このビル、ぴったり十階建てなの。異世界にいくにはこれ以上ない最高の環境でしょー?」
「確かに、最高の場所ですね。それじゃ、先輩の準備が出来たら出発しましょう。あ、エレベーターでも撮影します?」
「そうだねー。理事長さんには九十九探偵事務所のPR動画を作るのに、エレベーターで撮影したいって言って許可をもらってあるから、撮影しても全然大丈夫だよー」
「了解です。先輩がエレベーターに乗るところから撮影しますね」
次の日の早朝、二人は理事長の所有するテナントビルにやってきた。
このテナントビルは高円寺駅北口のすぐ近くにあり、こじんまりとしているが、建築年数が経過している割にはきれいな外観をしていて、多くの企業がオフィスとして利用していた。
まだ出勤には早い時間なので、ビルの中に誰もいなかった。
「あの後、もう一度理事長さんに確認したんだけど、この時間ならここで働いている従業員の人たちもまだ出社してこないから、自由に撮影していいって」
「よかったですね、先輩。それじゃ私、カメラの準備しますよ」
「よろしくねー、なーちゃん」
ナージャはビデオカメラを取り出して、動画を撮影するための設定を始めた。
「そういえば、エレベーターに乗るとき、一人じゃないと駄目でしたよね? 移動は一人ずつやるとして、エレベーターの中の撮影はどうします?」
「あー、一人ずつなの忘れてたー。それじゃあ、エレベーターの中は私が撮影するよー」
「お願いします。あ、異世界に行く方法、もう一度確認しますか?」
「そうだねー。もう一回確認しようか」
「わかりました。じゃあ、説明していきますね」
ナージャはカバンからスマホを取り出すと、エレベーターで異世界に行く方法が書いてあるページを開いた。
「まず、エレベーターには必ず一人で乗ります。そして、エレベーターに乗ったまま、四階、二階、六階、二階、十階と移動します。この時、誰かがエレベーターに乗ってきたら失敗なんですけど、この時間なら誰もいないから大丈夫ですね」
「うん。今は私たちしかこのビルにはいないはずだから、そこは問題ないね」
「十階に着いたら、そのまま五階まで移動します。五階で、異世界の若い女の人がエレベーターに乗ってくるみたいです。でも、絶対に話しかけては駄目です。そのまま一階のボタンを押すと、何故かエレベーターが十階まで上がっていきます」
「確か、その人に話しかけちゃうと失敗しちゃうんだった。気をつけようねー」
「ええ、そして十階でエレベーターから降りると、外が異世界になっています」
「なーちゃん。説明ありがとー。ふふ、そんなに難しくないから一人でも出来そうだねー」
「ええ、途中で乗り込んでくる異世界の女の人が気になりますけどね」
サキは、エレベーターに一人で乗り込むと、ナージャから説明を受けたとおりに異世界に行く方法を試してみた。
サキを乗せたエレベーターは、四階、二階、六階、二階、十階と順番に移動していった。
「十階まできました。問題はここからです。五階にいくんでしたね」
エレベーターが五階に到着すると、エルフのように長い耳をした女性がエレベーターに乗り込んできた。
(わーエルフさんです。サキ、ゲームでしか見たことないですよー。本当に異世界と繋がっているんですねー)
サキはエレベーターの一階のボタンを押す。
しかし、エレベーターは上へと上がっていった。
(上にあがっていったー。成功ですー)
サキがエレベーターを降りると、そこは幻想的な森の中だった。
エレベーターは巨大な木の中の空間とつながっていた。
「へえ、木の中にうまく隠れているんですねえ。これなら異世界の人にはエレベーターがあるってわからないですねー」
この森は木々が生い茂っていて薄暗く、淡く光る謎の物体が浮遊している。
少し時間が経ってから、ナージャもエレベーターが隠れている大樹の中から出てきた。
「あ、なーちゃんも成功したんだねー。よかったー。それにしても、この幻想的な風景、最高ですー。間違いなくここは異世界ですねー」
「いやー、あんな方法で本当に異世界にこれるとは思いませんでした。実は意外と異世界に行ってる人って多くいたりするんですかねえ。あ、先輩、このまま私がカメラで撮影担当しますから、動画の進行は先輩にお任せします」
ビデオカメラを構えたナージャがサキに語りかけた。
「ありがとー。まかせてなーちゃん」
森の中を進むと人が腰を下ろせるくらいの高さの切り株があった。二人はそこに座って、異世界で動画を撮影するための打ち合わせを始めた。
「それで、先輩、一つ質問なのですが?」
「ん? なーにー?」
「異世界、つまり今私たちがいるこの世界の人たちの言葉、わからないと思うんですけど、どうするんですか? 絶対言葉通じませんよね?」
「あーいい質問ですねー。実は、先行して異世界にいった旅行者たちが、こういう本を作ってくれているのですー。この本に書いてある言葉と絵を見せるだけで、かんたんなコミュニケーションはとれるのよー」
サキはナージャに、異世界指差し会話帳と書かれた本を見せた。
本の中には、様々な日常生活の一コマの絵と、見たことのない文字が書かれている。
「おお、これが異世界の人と指差しで会話できる本ですか。こんなものまであるんですね。偉大な先人たちに感謝ですね」
「これがあれば基本的なコミュニケーションは取れるからなんとかなるよー。だから、がんばって撮影しようねー」
「ふふ、そうですね。がんばりましょう、先輩。それで、今回はどんな撮影をする予定なんですか?」
「やっぱり異世界の配信といえば、ダンジョンでしょ? 二人でダンジョン攻略して、そこを動画にしましょー」
「なるほど。ダンジョン配信は定番ですから、私もいいと思います。ダンジョン攻略中は私もこのアクションカメラを装着して撮影すればいいんですね?」
サキはカバンからDoProというアクションカメラを二つ取り出した。
「そうそう。なーちゃんもDoProで撮影に参加してねー。やっぱりダンジョン攻略は二人でやりたいからねー。それになーちゃんも画面に出てくれた方が、再生数も伸びる気がするの」
「了解です。それじゃあ今のうちに準備しておきましょう。今回は首から下げるタイプのアタッチメントを使います」
ナージャはDoProに首から下げるためのネックマウントというアタッチメントを装着して、サキに手渡した。
「これなら、首に下げておくだけで撮影できるので、ダンジョン探索の邪魔にならずにすみます」
「わあ、すごいねこれ。ありがとう、なーちゃん」
『ねえ、サキちゃん、サキちゃん』
『なーに、アマちゃん』
サキの中にいる怪異がサキに話しかけてきた。
『あのエレベーターがある木の場所、わからなくなると、元の世界に帰れなくなるでしょ?』
『あー、確かにそうだねー』
『うん、だから、ボクがマーキングしておいたよ。これで、どこにいてもあの場所を感知できるよ』
『さすがアマちゃん。ありがとうー』
サキの中にはアマビコと呼ばれる怪異がいる。
アマビコには予言の力があるとされていて、彼がサキのダウジングによる占いの精度を高めていた。
「先輩、ダンジョンの攻略なんですけど、そもそも、私たち武器も持ってないし、魔法も使えないですけど、どうやって敵と戦いますか?」
「あー、確かにー。それ、考えてなかった」
「とりあえず、武器とか必要なんで、街に買い出しに行きませんか? 私たち、ほとんど撮影用の機材しか持ってきてないので、もっといろいろアイテムが欲しいところです」
「そうだねー。私は何か食べ物が欲しいよー。よし、なーちゃん、とりあえず街にいこー」
「はいはーい。行きましょう先輩」
はしゃいでいる二人を遠くから二人組の盗賊が眺めていた。
「おい、見ろよ。おかしな格好をしてる女たちが歩いてるぜ」
ひげを生やした中年の男が顎に手を当てながらもう一人の男に話しかけた。
「あれは今流行りの異世界からの旅行者だな。ロクなスキルを持ってないから狩り放題らしい」
白髪混じりの男がひげの男に答えた。
「とりあえず人気の無い所まで跡をつけるぞ。そこで二人とも狩ってやる。どっちもまだ子供みたいだから楽勝だな」
二人の盗賊はニヤニヤしながら二人の跡をつけた。
「先輩、気づいてますか。私たち、つけられてますよー」
ナージャは後方にいる盗賊たちに違和感を与えないように、自然な振る舞いをしながらサキに話しかけた。
「ふふ、私のアマちゃんもちゃんと気づいて教えてくれたよー」
「先輩も気づいてたんですね。さすがです」
「それじゃあ、軽くやっつけちゃいますかー」
「はい!」
二人は気配を消して、素早く後ろの二人組の視界から外れた。
「あれ、あいつらどこいった?」
「確かにいねえな。気配もしねえぞ。まさか、消えたのか?」
「まさか。幽霊じゃねえんだから消えたりしねえよ。そんな遠くにはいないはずだ。よく探そうぜ」
次の瞬間、男たちはサキとナージャに背後から後頭部を重いカバンで思いきり殴られて、気絶した。
「先輩、跡をつけてきたのが大したことない人間たちでよかったですね」
「私たちが気配を消したぐらいで見失うようじゃ、まだまだですねー」
「でも、武器がないので今みたいに不意打ちするしかないのがつらいですけど」
「そーなんだよねー。ま、とりあえずDoProで戦闘シーンをバッチリとれたからおっけーよー」
「ふふ、そうですね。この調子でどんどん撮影していきましょう」
サキとナージャはにっこりと笑いあった。
◇◇◇
森を抜けたサキとナージャは、賑やかな街に着いた。街の広場に椅子とテーブルが設置してあったので、とりあえず二人は休憩することにした。
「ふう、ようやく街についたねー」
「たくさん魔物に追いかけられましたけどね」
「さすがに武器無しで魔物と戦うのは無理があったねー」
森でモンスターに遭遇した二人は、道端に転がっていた手頃な大きさの石をモンスターにぶつけて倒していた。
「弱いモンスターは落ちてる石を拾ってぶつけてなんとか倒せましたけど、さすがに強そうなやつが出てきた時は、逃げるしかなかったですね。魔法でも使えればいいんですけど」
「あ、それだよなーちゃん。魔法使えばいいんだ」
「え、先輩。魔法使えるんですか?」
「ふふ、なーちゃん。この本見てください」
サキはナージャにとある本を見せた。
本の表紙には、異世界冒険ガイドブックと書かれている。
「異世界冒険ガイドブック、こんな本まであるとは……。私が知らなかっただけで、異世界に行ってる人って結構いるんですね」
「そうみたい。びっくりだよねー。それで、この本によるとね、異世界には現実の世界と違って、魔素っていう物質があるみたいなの。私たち異世界の住人でも、その魔素を吸収すると体内で魔力が生成されるんだって。その魔力を使って魔法が使えるようになるみたいだよー」
「なるほど。魔法を使う具体的なやり方も書いてあるんですか?」
「もちろん。なんか魔法の具体的なイメージを頭の中に思い浮かべるといいみたいー」
「へー、それだけでいいんですか?」
「うん、そうみたい。そのイメージが具体的になると、魔力が変化して魔法が具現化するんだってー」
「要するに頭の中でイメージすれば、そのイメージどおりの魔法が使えるんですね?」
「そういうことだよー。まあ、魔法の才能とか知識とかも関係してくるから、なんでもできるわけじゃないみたいだけどねー」
「なるほど。じゃあ、先輩、ダンジョンに行く前に、少し魔法の訓練やってみますか」
「そうだねえ。なーちゃん、私、魔法使えるようになるのが子供の頃の夢だったんだ。だから、それが叶いそうで私、とてもうれしいんだよ」
「ふふ、先輩、うれしそう。とってもステキです」
サキとナージャは、この街の宿屋に行き、指差し会話帳を使って宿泊の予約を取った後、森へ戻って、魔法の訓練を始めた。
二人はしばらく頭の中のイメージを具体化するトレーニングを行った。一時間もしないうちに、二人はそのイメージを発動できるようになった。
「先輩、魔法の才能あるんじゃないですか?」
「ふふ、そうかなあ?」
「だってもう、自在に炎が出せるじゃないですか?」
サキは両手から自由に炎を出して操れるようになっていた。
「えー、なーちゃんの方がすごいよー。だって空、飛べてるじゃん」
ナージャは地面から一メートルほどの高さに浮かんで静止していた。
「ふふ、魔力のコントロールが大事ってことに気が付きましたからね。うまく魔力を下側に放出し続けると空中に浮いたままでいられます」
「ほうほう。こうやればいいのー」
サキも魔力を下に放出し続けることで、身体を空中に浮かべることに成功した。
「おおー。先輩もできるじゃないですかー。さすがですねー」
「えへへ。いつも私の中にいるアマビコちゃんのエネルギーを調整してるからねー。それと魔力のコントロールはやり方が同じなのー」
「なるほど。そういうことだったんですね」
「魔法が使えると、戦闘の幅が広がるからいいよねー」
「確かに、魔法が使えれば相手との距離がある程度離れていても攻撃できますからねー。物理攻撃だと弓矢とか以外は敵に近づかないと攻撃できないですから」
「それに、今の私たちは空を飛べるから、空から一方的に敵を攻撃できるよー」
空中に浮かんだサキは、地面に向かって炎の魔法を飛ばした。炎の塊が地面にぶつかると、生えていた草が一瞬で燃え尽きた。
「これは大きなアドバンテージになりますよね。私たち、結構戦えるんじゃないですか」
「ふふ、でも油断禁物だよ、なーちゃん」
そう、油断禁物なのである。
サキたちが魔法を使うデメリットによって、この先起こる致命的な事態を回避することが出来なくなってしまったことを知るのは、もう少し先の話だ。
「わかってます。そろそろダンジョンに挑戦しますか?」
「そうだねー。異世界冒険ガイドブックによると、ダンジョンに挑戦するには、冒険者ギルドっていうところにいって登録が必要みたい」
「え、私たちこの世界の言葉がわからないですけど、登録できるんですか?」
「うん、そこはねー、ギルドの受付の人は翻訳魔法が使えるから大丈夫だって書いてあったよー」
「へー。本当に魔法って便利なんですねー」
「それじゃ、早速ギルドに行こう」
二人は街の中央にある、この街で一番大きな建物に向かった。
「異世界冒険ガイドブックによると、ここが冒険者ギルドみたいだよ。早速入って、冒険者として登録しよう」
冒険者ギルドの中に入ると、受付の女性が話しかけてきた。
「こんにちは。あなた方は異世界からいらっしゃったのですね」
「ええー何でわかったんですかー」
「今、お二人が来ている服は、この世界ではまず見かけない、個性的な服ですからね。ですから、異世界から来た方は、服装を見れば一目でわかるんです」
「そうだったんですね。今、私たちの言葉が通じているのは、翻訳魔法のおかげですか?」
「ええ、ここのギルドを訪れる異世界の方が増えてきたので、翻訳の精度もかなり上がって、今は違和感なく会話が出来るようになりました」
「それはすごいですねー」
「ええ。それだけ異世界の人々がここに来ているってことです。では、冒険者登録……、と言いたいところなんですが、実は最近、規則が厳しくなっていまして……」
それまでにこやかに話しかけていた受付の女性の顔が、急に険しくなった。
「何かあったんですか?」
「最近、異世界から来た方が冒険中にダンジョンで命を落とす事例が多発しているんです。その対策として、ギルドでは冒険者登録時に試験を課すようになったのです」
「ええー。私たち、試験受けないと冒険者になれないんですかー」
「ふふ、いいじゃないですか先輩。私たちの実力を見せつけてやればいいんですから」
「まあ、それはそうだけど……」
「今日はこのあと試験官のイレーナが認定試験を行う予定なんですが、受験されますか?」
「もちろん、受けます」
「わかりました。では、こちらの書類にサインをお願いします」
二人は、受付の女性から書類を受け取ると、自身の名前をサインした。
さすがに翻訳魔法でも文字までは読めないのか、受付の女性はサインを確認した後に、二人の名前の読み方を確認した。
その様子を、離れた場所から試験官のイレーナがのぞいていた。
「また異世界人が試験を受けに来たのか……。受かるわけがないのにねえ」
あきれたイレーナはため息をついた。
冒険者の試験は、冒険者としての基本的なスキルを確認するためのテストだ。
異世界からの来訪者にとって、この試験は鬼門である。
何故なら、異世界からの転移者は、魔法が使えなかったからだ。
そのため、この世界出身の受験者と比べて、かなり不利となってしまう。
……はずだった。
数時間後、冒険者ギルドの訓練施設で冒険者試験が始まった。
今回の受験者はサキとナージャの二人だけだった。
「こんにちは。私が試験官のイレーナです。今回の試験は、実戦形式とします。私はここから動かないので、お二人はがんばって私を攻撃して私をここから動かしてください。私が一歩でも移動したら、あなたたちの合格とします。あ、二人同時にかかってきてもいいですよ」
(まあ、二人がかりでも無理でしょうけどね)
「なにか質問はありますか?」
「いえ、大丈夫でーす」
「ある程度時間がたったら私が終了の合図をしますので、それまでになんとか合格してくださいね。では、始めますよ」
イレーナは二人から十メートルほど離れたところで、剣を構えて立っていた。
「なーちゃん。上から行くよ」
「はい、先輩」
二人は魔法を使って自分たちの身体を浮遊させた。
「は?」
イレーナは驚きを隠せなかった。
「どうなってるの? そんなこと、私だってできないわよ!」
「まだまだ、これからですよー」
「上空からの攻撃なら、移動しないと回避できないですよね?」
サキとナージャは両手から炎を出すと、イレーナに向かって炎の塊を飛ばした。
「ちょっと、あんたたち、なんでそんなに魔法が使えるのよー!」
イレーナは二人の放った炎の魔法の迫力に圧倒されて、思わず身体を動かしてしまった。
「くうう、二人とも、合格よ」
「やったー」
二人はハイタッチをして喜んだ。
『ねえねえ、サキちゃん』
サキの中にいるアマビコが語りかけてきた。
『なーにー、アマちゃん』
『サキちゃんが魔法を使うと、何故かボクの力が弱くなってしまうみたいなんだ』
『えー、そうだったのー?』
『あ、ボクは大丈夫だから心配しないで。でも、いつもみたいにボクの能力でサキちゃんの手助けをできそうにないんだ、ごめんね』
『謝るのはこっちだよアマちゃん。迷惑かけてごめんね』
『うんうん、全然迷惑じゃないよ。魔法を使うのはサキちゃんの夢だったんだし。この世界にいる時は、いっぱい魔法を使ってよ』
『アマちゃん、ありがとうね』
試験に合格した二人はギルドの受付の女性から、ギルドが発行している冒険者の認定証を受け取った。
「おめでとう。その認定証があれば、ほとんどのダンジョンに入ることができるわ」
この世界のダンジョンは、冒険者ギルドが管理をしていて、認定証を持っていないとダンジョンの中に入ることが出来なかった。
「ありがとうございます。どこかおすすめのダンジョンはありますか?」
「それなら、北の洞窟へ行くといいわ。敵もそんなに強くないから、初めての冒険に最適なダンジョンよ」
「ありがとうございますー。早速行ってみます」
二人はギルドの受付の女性から教えてもらった北の洞窟のダンジョンに向かった。
「ここは、敵もあまり強くないみたいなので、撮影に最適みたいだよ」
「それはよかった。ダンジョン攻略中は二人でDoProで撮影でいいんでしたよね?」
「そうそう。DoProで撮るよー」
「確か、DoProって暗いところ撮影するの苦手なんです。設定である程度は撮れるようにしましたけど」
「でも、ライトとかで照らして明るくすると、モンスターさんたちにこちらの居場所を教えてしまうので、あまり明るくはできないよね?」
「そうなんです。だから、私は念のため、ビデオカメラも持ってますね。ここぞという時はこっちで撮影しましょう。このカメラは夜間撮影機能があるので、暗いところでもバッチリ撮影できますからね」
「そうだねー。なーちゃん、お願いしますー。あ、そうだ。私は洞窟の地図を描くよー」
サキはカバンから方眼紙を載せた図版と、鉛筆、消しゴムを取り出した。
「おお、先輩、マッピングできるんですか? さすがですね」
マッピングとはダンジョン内部の地図を描くことである。
ダンジョン探索の基本と言われていて、方眼紙という製図用の紙に、探索しながら地図を描き起こしていくのだ。
「先生はね、地図を描くのが得意で、仕事でこういう場所を探索する時は、必ず地図を描くの。だから、私も描き方を教えてもらったんだよ」
「そうだったんですねー」
「それに私はロールプレイングゲームが大好きだから、ゲームしながらダンジョンの地図作ったりもするんだよ」
「なるほど。それじゃあ、先輩が地図描くところも、動画に撮っていいですか?」
「ちょっと恥ずかしいけど、いいよー」
「ふふ、先輩が描く地図、楽しみです」
◇◇◇
二人は洞窟の中をどんどんと進んでいった。
途中、何度もモンスターに遭遇したが、冒険者ギルドの女性スタッフが言っていたとおり、洞窟内にはそこまで強力なモンスターは生息しておらず、魔法を使える二人は苦戦することもなく撮影を続けることが出来た。
「だいぶ奥まで進んできましたね」
「意外とサクサク魔物も倒せたねー」
「やっぱり、魔法を使えるようになったのが大きかったです。遠くから敵の弱点の属性の魔法をぶつけていけば、勝てますからね」
「弱点を見つけるまでは大変だけどねー。見つけてからはサクサク倒せるからねー」
『ねえねえ、サキちゃん。聞いて』
『どーしたの。アマちゃん?』
アマビコが深刻そうにサキに話しかけてきた。
『ボクの能力、今、ほとんど効力がないんだけど、それでも嫌な予感がするの。何かとんでもなく悪いことが起きると思う』
『えー、そうなの?』
『気がつくのが遅れてごめんね。でも、今すぐここから離れた方がいいと思う。とてつもなく大変なことが起こりそうだよ』
『わかった。ありがとうね』
「なーちゃん、ごめん。私の中のアマちゃんがとても嫌なことが起きるかもって言ってるの。悪いんだけど、ここから今すぐ離れたいの。いいかな?」
「いいですよ。先輩の中にいるアマビコって、必ず予言を的中させるっていうじゃないですか。悪いことが起きないうちにここを出ましょう」
「ありがとー。じゃ、視聴者のみなさん、私たちはここで入口へと戻りまーす」
どーん。
その時、大きな地鳴りとともに、地面が激しく揺れ始めた。
「地震だ。なーちゃん、伏せて! 頭を手で守るの!」
「はい! うう、大きい。伏せていても耐えられそうにないくらい」
洞窟の内部で地面が砕けそうなほどの揺れが一分ほど続いる。二人は、まるで、洞窟全体が崩壊してしまうほどの衝撃を感じていた。
「うう、先輩、大丈夫ですか?」
「なんとかね。なーちゃんは大丈夫?」
「私もなんとか大丈夫です」
「異世界でこんなに大きな地震が起こるなんて、思ってなかったよー」
「うかつでした。こういう洞窟では致命的になるかもしれません。落盤や落石で、出口が塞がれてないといいですけど」
ナージャの心配は現実となっていた。
その日、二人のいる異世界で千年に一度の地震が起きた。巨大地震の激しい振動で洞窟の内部落盤が発生し、通路が一部崩壊していた。
「あー、通路が潰れています。これじゃあ外に出られないよー」
「やっぱり落盤してましたね。別な通路を探すしかないです」
二人は別な道を探したが、通れる場所は全て塞がれてしまっていた。
「先輩、これは詰んだかもしれません。これでは私たち、ここから出られませんよ……。冒険者ギルドの人たちが救助を要請してくれることを祈るしかないです」
「そうだ。魔法でこの石をどかせれば……」
二人は魔法で通路を塞いでいる石をどかそうとしたが、塞いでる石の量が多いようで、たくさんの石を取り除いても道は塞がったままだった。
「これでは無理です。むしろ魔法を使うと余計な体力を消耗して危険です」
「助けが来るのを待つしかないね」
どれだけの時間が経ったのだろう。
二人には、永遠に時間が流れているように感じた。
しばらくすると、徐々に洞窟内の酸素が足りなくなってきたのか、二人の頭がぼーっとしてきた。
「うう、頭がクラクラするー」
「洞窟内の酸素が少なくなってきてるのかも。通気口になっていたところが塞がれてしまったのかもしれませんね」
二人は余計な酸素を使わないように、身体を寄せ合ってじっと耐えていた。
体調に異変を感じたことで、二人は自分たちに残された時間が少なくなっていることを実感した。
「大丈夫だよ、なーちゃん。必ず助けがくるから。諦めちゃダメだよ」
「わかっています。必ずここから出ましょうね」
二人はお互いの手を握りながら励まし合う。
しかし、その間にも、洞窟内の酸素はどんどん失われていった。
「なーちゃん、私の血、吸っていいですよ。そしたら、なーちゃんはもう少しだけ、助けを待ってられますからね」
「優しいんですね、先輩。でも、酸素欠乏になってる先輩の血を吸っても、あんまり長く持ちませんよ。なので大丈夫です。それに、くたばる時は先輩と一緒がいいですから」
しかし、すぐにナージャは意識がもうろうとしてしまい、ぐったりとしてしまった。
「なーちゃん、なーちゃん。しっかりして。今、私の酸素をあげるからね」
サキはナージャに人口呼吸をして、肺の中に残っている酸素を送り込んだ。
(なーちゃんは吸血鬼だから、私より血液の中の酸素をたくさん消費しちゃうのかもしれない。本当にごめんね、なーちゃん)
肺から空気を搾り出すようにして、ナージャに酸素を送り続けたサキも限界になっていた。
(先生ごめんなさい。私が異世界に行くなんて言わなかったら、私もなーちゃんも死なずにすみました。本当にごめんなさい。アマちゃんも、本当にごめん。私が魔法を使ってなかったら、あなたの能力を使って、危険を回避できたのに。本当にごめんね。先生、今までありがとうございました。サキは先生が好きでした。先生と助手以上の関係になりたかったです。でも、もう手遅れですけど。先生。先生……せんせ……)
サキは頭がクラクラとして、身体が動かせなくなっていた。
(あり……がと……ご……)
サキの意識が遠のいたその時。
ガラガラガラ……。
大きな石が転がり落ちるような音が聞こえてきた。
(ん……なんの……音? でも……もう私には……関係ないわ。私は……もうすぐ……)
不思議なことに、通路を塞いでいた石が動き出して、人が通れるだけの穴が出来た。
「ああ、ようやく到達できた。大丈夫か、サキ君、ナージャ君。今、そこから助けるよ」
なんと、二人の前に九十九が現れた。
「マズいな。二人とも、意識がもうろうとしている」
『この世界におわします神よ、我が身体に宿り、二人の命を救いたまえ』
九十九は自分にこの世界の神を憑依させて、二人に回復魔法をかけてもらった。
しばらくして、二人は意識を取り戻した。
「先生、どうして?」
「君たちが心配でね、後を追ってこの世界にきたんだ。洞窟の外で待っているつもりだったんだけど、とんでもない地震が起きたからね。いそいで助けに来たのさ」
九十九は、異世界に来たあと、二人に気づかれないように気をつけながら、ずっと二人を見守っていたのだ。
「先生、本当にありがとうございます」
サキは大粒の涙を浮かべながら、九十九に抱きついた。九十九もサキを優しく抱きしめてあげた。
「しかし、落盤で埋まった通路を進むのは苦労したよ。道を塞いでいる石たちを付喪神にして、なんとか通り道を作ってもらったんだ。それでも、ここに来るまで大分時間がかかってしまった。すまないね」
「わーん、先生、ありがとー。大好きですー」
「九十九先生、本当にありがとうございます。先生がいなければ、二人とも命を落としていました」
「二人とも、あまり話している時間はなさそうだよ。今、余震が来たら、今度はこの洞窟ごと潰れてしまうかもしれないからね。早くこの場所から離脱しよう」
三人は急いで洞窟の外まで避難した。
「サキ君もナージャ君も、無事でよかった。二人に何かあったら、私は生きていけないよ」
「私も先生がいなかったら、生きていけませんよー」
「本当に九十九先生にはお世話になりっぱなしで感謝してもしきれません。いつか必ず先生に恩返しさせていただきます」
ナージャは九十九に深々と頭を下げた。
「いや、ナージャ君、すでに君のおかげで私はかなり助かっているよ。君が配信動画で九十九探偵事務所の公式チャンネルを紹介してくれたおかげで、チャンネル登録者がかなり増えていてね。これはいい宣伝になるよ」
「わー、やりましたねー、先生。なーちゃんもありがとー」
「これからも、よろしく頼むよ、ナージャ君」
「こちらこそ、よろしくお願いします。九十九先生、そしてサキちゃん」
「あ、ようやくサキちゃんって呼んでくれたー。正直先輩って言われるとちょっと照れくさかったので、すごくうれしいですー」
「私も、サキちゃんって呼んだ方がしっくりくるわ。改めてよろしくね、サキちゃん。それはそうと、エレベーターのある木の場所、地震で壊れてないといいんですけど……」
「そうだね。無事に帰れるといいんだが……」
三人は森に行き、エレベーターがある木の場所へと向かった。
「木の場所は私の中のアマビコちゃんが記憶してくれているから、すぐに行けますよ。こっちですー」
三人はアマビコの案内ですぐに大樹のある場所へと到達することが出来た。幸いなことに、大樹の中のエレベーターは無傷だった。
「よかった。無事ですー」
「それじゃあ、元の世界へ帰ろう」
「もう、異世界はこりごりですー」
「まあ、異世界じゃなくても動画は撮れますから。また一緒に動画撮りましょうね。サキちゃん」
ナージャはサキににっこりと微笑んだ。



