T地方に来ている九十九たちに、望月編集長から、マヨイガを見つけてくれないかと依頼が入った。

 ミニバンで移動しながら、九十九とサキは話をしていた。

「追加の仕事ができてよかったです。今回の仕事、報酬がなかったですからねー、願ったり叶ったりですよー」

「そうだねー。まあ、八尺様の依頼も終わったことだし、少しゆっくりしながらマヨイガを探しに行こうか」

「先生、私、また温泉に入りたいですー」

「あー、温泉もいいねえ。とりあえず、まずは疲れを癒そうか。近くに有名な温泉街があるから、そこに行ってみよう」

「やったー。それじゃ、早速いきましょー」

「ああ。今回、車で来て本当によかったよ」

 二人を載せたミニバンは、【歓迎 H温泉】と書かれたアーチ看板のゲート下をくぐった。

 H温泉は東北地方でも特に有名な温泉地で、たくさんの旅館が立ち並んでいた。

「いやー本当に温泉街なんですねー。すごい場所ですー」

「本当だねー」

 九十九たちは旅館の中から、日帰りで入浴が可能な場所を選んで車を走らせた。

「ちょうど、日帰りで入れるところがあってよかったね」

「先生、サキ、露天風呂に入りたいです。一緒に入りましょー」

 二人は旅館に着くとすぐに露天風呂へと向かった。

「うわあ、すごい景色ですー」

「大自然を満喫しながら温泉に入れるとは。さすが有名な温泉街だねえ」
 
 二人は温泉につかりながら、今回のマヨイガについて話し始めた。

「そういえば先生、マヨイガって何なんですか?」

「マヨイガは迷い家とも呼ばれていてね。この地区の山奥に突然現れるという立派な家のことなんだ。家の中は無人で誰もいないんだけど、直前まで人がそこにいたような痕跡があるんだ。そして、その家の中の物を何か一つだけ持ち帰れば、その人は幸運に恵まれると言われているよ」

「へえー、そんな家があるんですねー。幸福になれるなら、絶対に見つけたいです。仕事でお金がもらえるのに、幸せにもなれるなんて、最高じゃないですかー」

「本当だねえ。でも、T地方は広いからね。山も多いし、闇雲に探しても見つからないだろうね。とりあえず、SNSで目撃情報がある場所を巡ってみようか?」

「そうですねー。私がダウジングで探してもいいですけどー、それだとマヨイガを探す楽しみが無くなっちゃいますからねー」

「うん。今回、それは最後の手段にしようか。せっかくこんなにいい場所に来たんだから、いろんな所をまわってみたい。ここにはいろんな怪異が生息しているからね」

「わかりましたー。私、先生とこうやって旅行みたいにお出かけするの、久しぶりなので、とっても楽しいですー」

 サキはニコニコしながら九十九の手を握りしめた。

「後で取材費をもらえることだし、今日はこのままこの旅館へ泊まって、マヨイガは明日探索することにしよう。部屋が空いてればだけどね」

「やったー。温泉入り放題だー」

◇◇◇

 次の日、九十九たちはマヨイガがあるという集落を探すため、T地区の北部にある黒見山を探索していた。

「昨日調べた情報によると、この山の奥にマヨイガがあるらしいけど……」

「あ、先生。あそこに変な看板がありますよー」

 サキが、【巨頭オ】と書かれた看板を発見した。

「この看板は……、なるほど、ここは巨頭オの集落なのか。ふふ、こんなところで有名な巨頭オの看板を見つけられるとは思わなかったよ」

 九十九は興奮を抑えきれず、くすくすと笑った。
 
「先生、巨頭オって何なんですか?」

「巨頭、つまり巨大な頭の怪異のことだよ。こいつはインターネット掲示板で話題になった有名な怪異なんだ」

 巨頭オは、インターネット掲示板にとある投稿者が巨頭オと遭遇した体験を書き込んだことから有名になった怪異である。
 
 この書き込みによると、投稿者は数年前に一人旅で訪れた小さな旅館のある村を思い出し、車でその村まで向かった。
 しかし、村の近くには【巨頭オ】と書かれた、謎の看板があった。
 投稿者が村の場所までたどりつくと、その村はすでに廃村になっていた。
 
 そして、投稿者の車の周囲を巨大な頭をした怪異たちが取り囲んだ。
 怪異たちは、頭を左右に振るという気味の悪い動きで車に向かってきた。
 驚いた投稿者は、車を急発進して、なんとか怪異たちから逃れることができた。

 その投稿からしばらくたって、とあるSNSに巨頭オの看板の写真が投稿されたことで、巨頭オは再び話題となった。
 
 投稿者はこの看板の場所を最後まで明かさなかったが、実際に看板が実在する可能性が高まったことで、都市伝説マニアは、今でもこの画像から巨頭オの集落を特定しようとしているという。

「いやあああああ、助けて誰かー!」

 突然、女性の悲鳴が聞こえてきた。

「女の人の悲鳴ですー」

「向こうからだ。サキ君、助けに行くよ!」

「はい!」
 
 二人は女性の声が聞こえた方へと向かった。
 廃村の近くにある林の中で、若い女性が巨頭オと思われる巨大な頭部をした怪異たちに襲われていた。

「先生、あの女の人、でっかい頭の怪異に囲まれてますよー」
 
「やはり巨頭オの集落だったか。サキくん、彼女を助けるよ!」

 巨頭オたちは九十九たちに気づくと、頭を左右に揺らしながら二人に近づいてきた。

「私が巨頭オたちの相手をする。サキ君は彼女を守ってくれ!」

「はい、先生!」

『ゼロ、力を借りるよ』

『ああ。こんな気持ち悪い奴ら、さっさと追い払おうぜ』
 
 九十九は身体を怪異化させると、狼化した腕で巨頭オたちを弾き飛ばしていった。
 九十九に弾き飛ばされた巨頭オたちは奇声をあげながら逃げていった。
 
 九十九は巨頭オを全て追い払うと、悲鳴をあげていた女性に近づいた。
 しかし、九十九は助けたはずの女性にも、鋭い爪を突きつけた。

「さて、君も怪異のようだな。この女性に取り憑いているんだろ?」

 爪を突きつけられた女性は急に笑い出した。

「ははは、バレたかあ。俺の演技、完璧だと思ったんだけどなあ。どうして気づいたんだ?」
 
「私は鼻が良くてね。臭いで怪異がわかるのさ」

「ははは、そーいうことかー。それじゃーしょーがねーなー」

 この女性はヤマノケという怪異に取り憑かれていた。
 
 ヤマノケもまた、インターネット掲示板の投稿によって有名になった怪異である。
 ヤマノケはその名のとおり、山に住む怪異で、女性を見かけると「テン……ソウ……メツ……」という謎の言葉を繰り返しつぶやきながら、ニタニタと不気味な笑顔で近づいてくる。
 
 そして、ヤマノケは女性にとり憑く力を持っており、取り憑かれてしまった女性は「はいれたはいれたはいれたはいれたあー」とつぶやいたあと、気味の悪い笑みを浮かべながら、「テン……ソウ……メツ……」の言葉を繰り返すようになるという。

「女性に取り憑いているところをみると、お前はヤマノケだな? なんでこんなことをしたんだ?」

「ふふ、そうだよ。俺はヤマノケさ。あんたのツレのサキって子、マジでかわいいだろ? こないだ見かけた時からずっと気になってたんだよ。だから、あんたらがここに来る前に巨頭オたちと一芝居打ったってわけさ」

 ヤマノケはサキを気に入って、後をつけていたのだ。

「なるほど、それで巨頭オに襲われているフリをして、隙をみてサキ君をさらうつもりだったんだな。サキ君は何故か怪異にモテるからなあ」

「……なんか複雑ですー」

 サキは困った顔をしながら、髪をくるくるといじっている。

「だが、彼女は私の助手だ。君に渡すわけにはいかないな」

 九十九はヤマノケを睨んだ。

「はいはい。わかった、わかったよ。さっきの戦いを見てたが、あんたは俺よりずっと強い。それくらい、俺にもわかるよ。ところで、あんたたちは何しにこの山に入ったんだ?」

 ヤマノケは、戦う意志がないことを示すように、両腕を横に広げながら九十九に話しかけた。

「私たちはマヨイガを探しにここに来たんだ」

「ああ、マヨイガを探しに来たのか。それなら俺が知ってるから、案内してやるよ」

「本当か?」

「ああ。その代わり、その、サキくんに……、ハグしてもらいたいんだけど……」

 ヤマノケは顔を恥ずかしそうに横に背けながら、もじもじし始めた。

「なんだー。ハグぐらいなら、全然してあげますよー」

「え、いいのか?」

 ヤマノケは驚いた顔でサキを見つめた。

「サキに変な気を起こしたり、取り憑こうとするんじゃないよ。そしたら、ただじゃおかないからね」

 九十九は再びヤマノケを睨みながら話しかけた。

「わかってるって」

「それじゃあ、いきますよー」

 ぎゅうう。

 サキは後ろからヤマノケが憑依している女性をハグしてあげた。

「うわあー。やわらかくてあったかいー」

「ふう、これで満足した?」

「ああ、どうもありがとう」

「ふふ、それじゃあ、マヨイガの場所まで案内してくださいねー」

「わかってるよ。それじゃあ、俺についてきなー」
 
 上機嫌になったヤマノケは二人をマヨイガがある場所まで案内した。
 そこには大きな一軒の古民家があった。

「立派なお屋敷ですねー」

 お屋敷の入口には立派な黒い門があった。
 
「マヨイガの入口には黒い門があると言われているんだ。ここは間違いなくマヨイガだね」

「へへ、よく知ってるなあんた。そう、ここが正真正銘本物のマヨイガだよ。さあ、中に入ろうぜ」

 三人が黒い門をくぐって中に入ると、大きな庭に紅白の花が一面に咲き乱れていた。
 九十九たちが玄関から家の中に入ると、中央に並べられた食膳の上に、赤と黒のお椀が準備してあった。
 その奥の座敷の間には火を起こした火鉢があって、鉄瓶のお湯が沸騰していた。

「本当に直前まで人がいたみたいになっているんですね」

「うん、これも伝承のとおりだ。とりあえず少し休憩してから、家の中を探索しよう」

「はい、私も少し疲れましたー」

 そう言うと、サキはその場に座り込んだ。

「そういえば、この家の中のもの、一つだけ持ち出せるんだよ。何にするんだ?」

 置いてあったお椀を手に取りながら、ヤマノケが話しかけてきた。

「……いや、私は何も取らずに帰るよ」
 
 何かを言いそうになったサキに目で合図してから、九十九が答えた。

「そうなのか? 何か一つ持ち帰ると幸せになれるのに。欲がねえやつだなー」

「私たちはマヨイガの取材に来ただけなんだ。中の様子が確認できればそれで十分だよ」

「……」

 サキは九十九に何か持ち帰りましょうよと言いたかったが、我慢した。
 
 しばらく休憩した後、九十九はマヨイガから外に出られなくなっていることに気づいた。

「なんだこれは? 戸が動かない。これでは外に出られないぞ」

 この家にある全ての出入口が閉じられていた。
 まるで家の内部が異次元の空間となっているように、外の様子もわからなくなっていた。

「サキ君。どうやら私たちはマヨイガの中に閉じ込められてしまったようだ。まるで、この家が私たちを外に出すのを拒んでいるみたいだ。まるで、マヨイガ自体に意思があるみたいにね」

「そんなー。なんとかして、脱出しないとマズいですー」

「マヨイガはあなたたちを外に出したくないようです」

 突然、屋敷の奥の部屋から赤い着物を着たおかっぱ頭の男の子が現れた。

「君は?」

「申し遅れました。私は座敷童子です。今、マヨイガであるこのお屋敷に居候させてもらっています」

 座敷童子は九十九たちに頭を下げてから自己紹介した。

「なるほど。座敷童子くん、私たちはなんとかここから出たいんだが、君からうまくマヨイガに交渉してくれないかな?」

「……いいでしょう。私がマヨイガと話し合ってみます」
 
 そう話すと、座敷童子は屋敷の奥の部屋へと戻っていった。

 「先生、交渉、上手くいくでしょうか?」

 「それは、マヨイガが私たちをここから出したくない理由が何なのかにもよるだろう。ヤマノケくん、君を面倒なことに巻き込んでしまった。すまないね」

 「なあに、気にするなよ。俺はこういうのには慣れてるからな」

 ヤマノケはケラケラと笑いながら答えた。

 しばらくして、座敷童子が戻ってきた。

「何故かはわかりませんが、どうやら、この屋敷の周囲を猿の怪異たちが取り囲んでいるみたいです。それで、マヨイガはあなた達を怪異から守るために、屋敷の出入口を閉じたようです」

「なるほど。マヨイガは怪異から私達を守ってくれているということなんだね」

 マヨイガとなっている屋敷の周囲を、無数の猿の怪異が取り囲んでいた。
 その中には、猿の経立(ふったち)と呼ばれる怪異がいた。
 経立とは、寿命をはるかに超えて生きた動物が、強力な力を持った特別な怪異へと変化したものである。
 猿の経立は他の猿の怪異とは異なり、何故か猿ではなくワイルドな人間の姿をしていた。

 マヨイガが出入口を閉じたのはこの猿の経立が原因だった。
 マヨイガは強力な力を持つ猿の経立から九十九たちを守るために、あえて外に出せないようにしていたのだ。

「猿の怪異に取り囲まれているのか。それは厄介だな。私たちは彼らに目をつけられるようなことをした覚えはないんだが?」

「もしかして、私たちが巨頭オたちを追い払ったのが面白くなかったんですかねえ?」

「マヨイガによると、猿たちの中に経立という強力な怪異がいるので危険だということです。とりあえず、三人はここにいてください。私が外に出て怪異たちと話をしてきましょう。マヨイガ、聞いていたでしょう? 玄関の戸を開けてください」

 マヨイガは座敷童子の呼びかけに答えるように、玄関の戸を開いた。
 
 座敷童子が玄関から外に出ると、マヨイガの話していたとおり、猿の怪異たちが屋敷を取り囲んでいた。
 その中にいた、人間の姿をした怪異が、座敷童子に話しかけてきた。

「お前は、座敷童子だな。この家の中に女がいるだろう。気に入ったんだ。一目惚れってやつさ。連れて帰って俺の嫁にするから出してもらおうか」

「それは出来ませんね。マヨイガも私と同じようです」

 座敷童子は毅然とした態度で猿の経立に返答した。

「そうか。俺の邪魔をするなら、力づくで行かせてもらう。後悔するなよ」

 猿の経立は玄関前に立っている座敷童子に体当たりをして、突き飛ばした。

「させませんよ!」
 
 しかし、突き飛ばされた座敷童子も自身の髪を伸ばして猿の経立の全身に絡みつけることで、彼の動きを封じた。

「へえ、中々やるじゃねえの。だが、この程度で俺は止まらねえよ!」

「ぐうう、すごい力だ」

 無理矢理座敷童子の髪を強引に振り解いた猿の経立はそのまま強引にマヨイガの玄関の戸をこじ開けて中に入った。

「よう、お嬢さん。俺は猿の経立っていうんだ。俺はお前を気に入ってな。今日から俺の嫁になってもらうぜ」

 猿の経立はサキの目の前に立つと、顔を近づけて挨拶した。
 彼もサキを気に入って後をつけてきたらしい。

「まったく、サキ君は怪異に好かれやすい体質なのは知ってたけど、これほどまでとはねえ」

「ううー、突然プロポーズされて、なんか複雑な気分ですー」

「猿の経立といったな。彼女は私の大切な助手だから、君に渡すわけにはいかないな」

 九十九が、サキと猿の経立の間に身体を入れて、サキを守りながら話しかけた。

「なら、力づくでも認めさせてやるよ」

 猿の経立はプロポーズを邪魔をした九十九に対して、腕を振り上げて威嚇するポーズを取った。

「お前は元々は猿そのものだったはずだ。その見た目も人間から奪ったんだろう?」

 猿の経立は九十九の問いかけを無視して突き飛ばし、サキに壁ドンをした。

「ふふ、かっこいいだろう? この顔と身体、結構気に入ってるんだぜ」

「うー、ノーコメントですー」

 サキは苦笑いしながら答えた。

『九十九、俺にこいつと戦わせてくれ』

『ゼロ、君はまだ完全じゃないが……』

『猿に負けるようじゃ、狼失格なんだよ。ま、ここは俺に任せてくれ』

「随分と調子に乗ってるじゃねーか、サル野郎。悪いが、俺も彼女を気に入っていてね。猿ごときには渡せねえな」

 突然、九十九の雰囲気と口調が変化したことに、猿の経立は驚きを隠せなかった。
 
「なるほど、こっちの女は犬と融合していたのか。それで、犬の方が表に出てきたようだな。ははっ、それじゃあ俺とは仲良くなれねーわな。犬猿の仲って言うしな。まあいい、大人しく嬢ちゃんを渡しな」

「俺が猿の言うことを聞くとでも?」

 九十九と入れ替わったゼロが猿の経立を睨みつける。
 
「ははは、それもそうだ。それじゃあ、力づくで奪わせてもらうぜ」

 猿の経立は仲間の猿の怪異から木製の棍棒を受け取ると、ゼロに襲いかかってきた。

「はは、お前ら四足歩行の犬と違って、俺たちは武器を自由に使えるんだよ!」

 猿の経立は棍棒をゼロに激しく叩きつけてきた。
 ゼロはその攻撃をスレスレのところで回避していくが、周りにいる猿の怪異たちがゼロに石を投げつけて追撃してきた。

「ちっ、厄介な猿どもだぜ。それなら……」

 ゼロは猿の怪異たちを睨みつけながら、雄叫びをあげた。

「わおおおおおおおおん」
 
 その声を聞いたとたん、猿の怪異たちは身体が金縛りにかかったように動かなくなった。

「ほう、雄叫びで俺の子分たちを全て気絶させるとは、犬にしてはやるじゃねえか。はは、面白え。ここからは俺とお前のタイマン勝負だ。どっちかがぶっ倒れるまでやり合おうぜ」

「いいだろう。狼と猿の格の違いを見せつけてやる。さあこい。俺の爪で切り刻んでやるよ」

 ゼロと猿の経立は睨み合いながら、次の攻撃の予備動作に入った。

「二人とも待ってください!」

 二人が飛び掛かろうとした次の瞬間、二人の間に背の高い女性が割って入った。

「あなたは、八尺様ー!?」

 なんと、八尺様が二人の戦いを止めに来たのだ。

「なんだお前。男同士の真剣勝負に水を差すんじゃねえよ!」

 怒った猿の経立が八尺様を睨みつける。

「二人とも、聞いて。森が大変なことになっているの。退魔師たちが、森に火を放ったのよ!」

「なんだって? 本当なのか?」

「確かに、何かが焦げたような臭いを感じる……」

 ゼロは鼻をひくつかせながら臭いを嗅いでいた。
 
「私に仲間を倒された報復のつもりなのかもしれません。とにかく森に火が燃え広がっていて危険なんです。お願いです。あなたたちも森の消火を手伝ってください」

 八尺様は丁寧にお辞儀をしながら、二人に頼み込んだ。

「確かに、この森を燃やされては困る。仕方ない、犬よ、一時休戦だ。いいな?」

「もちろん、緊急事態だからな。この森の火を消すのが最優先だ」

 ゼロたちは、八尺様に誘導してもらいながら森の奥へと進んでいった。

 森の奥からはたくさんの黒煙が立ち上がっていて、焦げ臭い臭いが漂ってきた。

「マズいな。そこら中で黒煙があがっているぞ。こりゃあ、森の奥深くまで火が入っているぜ」

「遠くの炎もはっきりと見える。お前たち、近くの湖にいって水を汲んでこい。少しでも炎を食い止めるぞ」

「キキー」

 猿の経立は仲間の猿の怪異に命令して森の消火にあたらせた。
 
『ゼロ、火が燃え移りそうな木をどんどん倒してくれ。少しでも森への延焼を阻止するんだ』

『わかったぜ九十九。燃えそうな木を倒せばいいんだな?』

 ゼロは火が燃え移りそうな木を爪で切り裂いて倒していった。

 ゼロたちは懸命に消火していったが、森の火の勢いはどんどんと増していって、炎が燃え広がっていった。

「火の勢いが強すぎる。これじゃあ俺たちがいくら火を消していってもキリがないぜ。どうしたらいいんだ」

「……龍神様なら、なんとかしてくださるかもしれないな」

 猿の経立がつぶやいた。

「龍神様だって? そいつなら火を消せそうなんだな?」

「ああ。水の神様だからな。あの方なら空から水を降らせることも可能なはずだ」

「それはすごいな。それで、その龍神様はどこにいるんだ?」

「あの方はこの先にある水鏡湖のほとりにいらっしゃる。だが、今は祠に施された結界に封印されてしまっているんだ。だから、身動きが取れないはずだ」

「なるほど、なら、その結界を解けばいいんだな?」

「そう簡単に結界が解ければ苦労はしねえよ。ものすごく強力な結界なんだ。昔、この土地は水害が多発していてな。当時、ここに来た名の知れた僧侶に封印されてしまったらしいぜ。どうやら、龍神様がその水害の元凶だと勘違いされてしまったようでな」

「とばっちりもいいとこだな。だが、俺の相方なら龍神様を解放できるかもしれないぞ」

「なんだって?」

「俺の相方は神様を物に宿す能力を持ってるんだよ。それで結界から解放できるはずだ」

『やれるだろ、九十九? 時間が無い、先を急ぐからな』

『ああ、私に任せてくれ』

 猿の経立に案内されたゼロたちが森を進んでいくと、目の前に大きな湖が現れた。

「ここが水鏡湖だ。そして、龍神様はそこの祠にいらっしゃる」

 猿の経立が指差す先には、お経のような文字が書かれた短冊が無数に貼り付けられた小さな石の祠があった。
 
 ゼロはその祠の前に到着すると、九十九に身体を返した。

『よし、あとは任せてくれ、ゼロ』

 九十九は、持っていたカバンから、黒檀という特殊な木で出来た小さな人形を取り出した。

『結界に捕らわれし水の神よ。我が依代に宿り、その力を解放したまえ』

 龍神様は九十九の用意した木の依代に移動して自由の身となった。

『我が依代に宿りし水の神よ。水の力を得て、本来の姿へと戻りたまえ』

 龍神様が宿った依代は湖に潜ると、水をたくさん体内に蓄えて上空へと舞い上がった。

 湖から出てきた龍神様は、本来の大きな白い龍の姿へと戻っていた。

 そして、上空から何度も水を森を焼く炎へ向かってかけ続けた。
 T地区の怪異たちも協力して森の火を消火していった。

 怪異たちによって、森の火災はほとんど消し止められて、鎮圧状態となった。

「八尺様。ここまで火が消えれば、後は森にいる怪異たちで対処できるはずです。龍神様を祠へお戻ししても構わないですね?」

「ええ、もう大丈夫でしょう。九十九さん。本当にありがとうございました」

 八尺様はにっこりと九十九に微笑んだ。

 その様子を見ていた猿の経立が、八尺様に声をかけた。

「すいません八尺様、挨拶が遅れました。俺は猿の経立です。あなたを一目見た瞬間、あなたに心を奪われました。よかったら、俺と付き合ってもらえませんか?」

「ええー!」

 驚いた九十九たちは思わず声を上げた。
 
 猿の経立は八尺様に惚れたようだ。

「ふふ、まさか経立様に告白されるとは思いませんでしたわ」

 八尺様もまんざらではないようだ。

「よかった。どうやら猿の経立は君から八尺様に気が移ったみたいだよ」

「うーん、なんか複雑ですー。まあ、どっちにしろ、浮気性な男は私、大嫌いですー」

「はは、私もだよ」

 九十九とサキはお互いの顔を見つめ合ってから、静かに笑い出した。

◇◇◇

 その日の夜、T地区の怪異たちが集まり、今後の対応について話し合っていた。

 そして、怪異たちは火を放った退魔師たちに報復することを決めた。

「九十九さん。私たちは百鬼夜行をすることに決めました」

 八尺様が猿の経立とともに九十九たちの前に現れて報告した。
 二人はかなり仲良くなったようで、お互いの手を握り合っていた。

「退魔師たちに報復することにしたんですね」

「ええ。このT地区のすべての怪異が参加して、退魔師たちに報復しに向かいます」

 百鬼夜行とは、大勢の怪異たちが行列を作って、目的の場所まで行進していくことをいう。

 だが、今回の百鬼夜行は、報復のために行われる。
 怪異たちが報復という目標を達成するまで、決して止まることが無い。
 これは、この地区の怪異と退魔師の全面戦争といってもいい事態になることを意味していた。

 怪異たちは、東北地方の退魔師たちの拠点である退魔協会の施設を目指して行進を始めた。

『これが本物の百鬼夜行か。俺も初めてみるよ』

『退魔師たちは一線を超えた。この地区の怪異たちを本気で怒らせてしまったんだ。彼らはもう、おしまいだね』

 しばらくの間、九十九とゼロは行進する怪異たちを見つめていた。

「ぷー」

 その横で、サキが頬を膨らませながら不満そうにしていた。

「どうした、サキ君?」

「マヨイガから、何か持ってくればよかったなって、今でも後悔してるんですー」

「まだ根に持ってたのか」

「だって、せっかく幸せになれるチャンスだったんですよー! それをみすみす逃すことになるなんてー」

 サキはマヨイガから何も持ち出せなかったことを怒っていた。

「ふふ、大丈夫だよ、サキ君」

「なんでですか?」

「マヨイガの伝承では、何も持たずに帰った女性のところに、後日、お米が絶対に無くならないお椀が届いたんだ。だから、私たちのところにも、後で幸運が訪れるはずだよ」

「そうだったんですねー。あー、先生、あの時、それ知ってて黙ってましたねー。ヒドイですー」

「ごめんごめん。だから、これからきっといいことが起こるよ。きっとね」

 そう言うと、九十九はサキの頭を優しくなでた。

◇◇◇

 組織のアジトに戻ったダンタリオンとウェパルは、部下からT地区で怪異たちが百鬼夜行を起こしたという報告を受けたあと、二人で話し合っていた。
 
「まさか、T地区の怪異たちが百鬼夜行を引き起こすとはねえ。まあ、これで東北地区の退魔協会も終わりでしょう。彼らでは、本気になったT地区の怪異たちには勝てないでしょうから」

「うーん、タイミングが悪かったねえダンタリオン。ボク、百鬼夜行をこの目で見たかったなあ。引き上げるのがもう少し遅かったら見れたのになあ」

 ウェパルは子供のように頬を膨らませながら悔しがっていた。
 
「悔やんでも仕方ないです、ウェパル。私たちは一度選んだ選択をやり直すことはできないんですから。人はみんな、運命ってやつには逆らえないんですよ」

 ダンタリオンはウェパルをなだめるように、落ち着いた口調で話しかけた。

「そうだよねえ。あ、でも、ささぎ駅にいた怪異、あいつは確か、時間をループすることができたんだよね? 彼ならやり直すことができたのかな?」

「どうでしょうねえ。ただ、あの怪異自身も自分の作った時間のループから抜け出せなくなっていましたよ。まあ、彼はそれを承知でその能力を使ったようですが。そういった意味では、彼は失敗作でしたねえ」

「なるほど。そういう感じになってしまうのか。強力な能力っていうのも、使うのが難しいんだねえ」

「ええ。だから能力のコントロールが必要になってくるんですよ、ウェパル。あなたの能力も素晴らしいんですから、その能力をコントロールできるように訓練しておいた方がいいと私は思います」

「そうだね、もっとコントロールできるように努力するよ」

 ダンタリオンに能力を褒められたウェパルは、ようやく機嫌を直した。
 
「組織の目標は、この日本をより優れた国家へと変えることです。そのためには、私たちのように特別な特異能力を持つ者が必要となります。だから、組織は新たな特異能力を持つ怪異や人間を作り出す研究をしているんです」

「ふふ、その研究で都市伝説のもととなる怪異たちが生まれているんだから、恐ろしいね」

「まあ、彼らは私たちが使いものにならないと判断して廃棄した怪異たちなんですけどね。しかし、その廃棄した怪異たちの中にも、特異能力を磨いて都市伝説となるほど力をつける者がいる。それが面白いところですねえ」