もう好きって言っていい?

「二宮、最近付き合い悪くな〜い?」

 理科室での授業を受けるための移動中。たらたらと廊下を歩いていたら、中学からの友人である武田にそんなことを言われた。俺はあくびを噛み殺しながら「んー?」とそちらに顔を向ける。

「夏休み明けから、休みの日とかあんま遊んでくれなくなったじゃん? 三回に一回は断るし」
「三回に二回付き合えば十分だろ」

 笑ってそう言うと、「それはそうだけど」と武田が唇を尖らせる。サッカー部でゴールキーパーとして活躍する武田は縦にも横にもがっしりとした体格をしている。つまりそう、唇を尖らせても「わぁかわい〜い」とはならない。決して。

「十分じゃなーい! もっと付き合えよぅ。俺ぁ二宮とサッカーしてぇのに!」

 中学生の頃、武田と俺は同じサッカークラブチームに所属して切磋琢磨していた。今はもうチームにも部にも所属していないが、時折休みの日に誘われて近所のフットサルコートでミニゲームに興じることがある。……が、最近は確かに三回に一回は「あ、悪い。その日用事ある」と断っていた。

「別に俺とじゃなくてもいいだろ」

 やいやいとわめく武田……の側の耳をわざとらしく塞いで見せる。と、その隣を歩く瑞原がくすくすと笑った。

「武田は二宮とがいいんだよな。女の子が寄ってくるし」

 瑞原の言葉に俺は「はーん、なるほどな」と頷き、武田にわざとらしく冷たい視線を送ってやる。

「べ、別にそれだけが目的じゃないけど」
「それ、だけじゃない……な。つまりそれも目的のひとつってことだ」

 ふぅん、と追い打ちをかけてやると、武田は「いや、その、あっはっは」と頭をかく。
 武田はモテないわけではないのだがやたら女子が好きで、クラスの女子であれ他校の女子であれ、平気で声をかけるし、かけられると大喜びする。不特定多数に好かれて何が楽しいのかわからないが、まぁそれが武田の趣味だというのなら仕方ない。
 が、武田は武田。俺は知らない女子に(知っていても、だが)話しかけられても嬉しくない。

「それにしても、二宮マジで遊ぶ回数減ったよな。もしかして彼女でもできた?」

 瑞原のさらに隣を歩く小浦が興味津々という顔で問いかけてくる。俺、武田、瑞原、そして小浦。俺たちは四人で行動することが多い。ちなみに瑞原はバレー部、小浦はバスケ部のエースだ。

「出来てない出来てない」

 軽く否定すると、小浦はつまらなそうに「なーんだ」と頭の後ろで手を組んだ。小浦は四人の中で唯一の彼女持ちで、何かというと「ダブルデートしたい」「お前ら彼女作れよ〜」と言ってくる。実際、俺含めて他のメンバーに彼女ができると即デートの予定を組んでくる。

「え、彼女出来たんじゃないの?」

 武田がつり目がちの目を見開いて、いかにも「驚きました」という顔を向けてくる。

「なんで。違うよ」

 どこ情報だよ、と笑ってみせる。と、武田と小浦は「だってさぁ」「最近まじで付き合い悪くなったし」「スマホよく見てるし」「俺と遊んでくれないし!」と最近の俺の付き合いの悪さについて次々と例をあげてきた。

「は~? だぁから彼女じゃないって……」
「彼女じゃなくても、好きな人ができた……とかはあるんじゃない?」

 笑って否定していると、瑞原がぼそっと、しかしどこか愉快そうに呟いた。その確信めいた言い方に「ん」と瑞原を見ると、ぱちりと目が合う。

「誰か特定の奴と出かけたりしてる、とか」

 俺は瑞原の顔をじっと見つめてから、にこ、と笑ってみせた。

「さぁ、どうかな?」

 ここで「そんなことない!」なんて下手に慌てて否定しようものなら、瑞原は(もちろん武田も小浦も)「怪しいなぁ〜」と余計に絡んでくる。こういう時は、余裕を持ってさらっと流した方がいい。
 案の定武田と小浦は俺たちのやり取りはそう気にも留めず、俺に対する不満を挙げ連ねていた。
 瑞原はその様子を見て諦めたのか、つまらなそうに肩をすくめて「ま、いいけど」と溢す。瑞原は悪い奴ではないのだが、突拍子もないことを言って混乱する周りを眺めて楽しむ……愉快犯的な気質がある。

「二宮ってさぁ、面食い?」

 と、なんてことないような口調でそう問われて。俺は瑞原に無言の笑みを返した。

(こいつ、どこまで知ってるんだ?)

 思うことがないではなかったが、ここで反応したら瑞原の思うツボだ。

「いや? そんなことない。中身重視」

 それは紛れもない事実だ。そんなことはない。
 俺は今確かに「特定の誰か」と特別仲良くしている。その自覚は自分でも大いにある。が、別にそれは相手の顔の良し悪しで決めているわけではない。

(そう。そういうことじゃなくて)

 そうじゃなくて、と心の中で繰り返して。俺は尻ポケットに入れているスマートフォン……その中に残っている「特定の誰か」……もとい、八重沼とのやり取りを思い返す。
「ふっ」
 思い出すたび笑みが溢れてしまうのは何故だろう。

(そりゃ、楽しいことばかりだからな)

 ほくほくとした気持ちでこっそり笑っていると、瑞原の視線を感じた。俺は八重沼と一緒に帰ったり、勉強したりもしているし、仲が良いことを特に隠していない。もしかしたらどこかでそれを見かけて、何かしら察しているのかもしれない。
 けど、別に何も構いやしない。俺が八重沼に惹かれているのは、紛れもない事実なのだから。





 長いようで短かった夏休みが終わり、後期が始まってしばらく経った。
 俺はといえば、相変わらず八重沼と仲良くしている。初めて遊んだあの日から、ずっと変わらず。いや、あの日以来さらに仲は深まったように感じる。
 夏休みの間、俺は定期的に……いや、少なくとも一、二週間に一回は八重沼の家に通っていた。なんというかまず、八重沼の家は非常に居心地がいいのだ。
 八重沼の家は、平屋の日本家屋だ。八重沼は「少し古いけど」と言うが、掃除が丁寧に行き届いていて、部屋の中の雰囲気はとても明るい。ほとんどの部屋が和室で、畳の良い匂いが香ってくる。シューズボックス……というより下駄箱の上の置物や、花。固定電話の乗った棚に、分厚い電話帳。足の太い低めのテーブルやふかふかの座布団。ほこりひとつない廊下、ガラス窓のある縁側、庭の小さな家庭菜園。そこかしこに懐かしさと、そして清潔感が漂っている。
 八重沼に「八重沼の家って感じ」と伝えると、彼は嬉しそうに「そう?」と笑っていた。
 そういえば、八重沼のお祖母さんにも会った。たしか二回目にお邪魔した時だ。どことなく八重沼に似た雰囲気を持つ彼女は、しかし八重沼よりシャンとしていた。

「奏のお友達? まぁまぁそれは、いつも奏がお世話になっています」

 と畳に膝をつけて頭を下げられて、俺も同じように向かい合って頭を下げた。

「こちらこそ、奏くんと仲良くさせてもらって毎日とても楽しいです」

 そう言うと、お祖母さんと、そしてその後ろにいた八重沼も嬉しそうに微笑んでいた。目尻がきゅっと細くなるその笑い方は、二人ともとてもよく似ている。
 その上に八重沼は、お祖母さんと並んで何故か指をついて頭を下げてきた。「なんで八重沼まで?」と笑うと、「? 嬉しかったから」と不思議そうな顔をして答えてくれて。その、いつもどおりの飾らない言葉が嬉しかった。
 八重沼の家で何をするのかといえば……まぁ、何ということもない。のんびりしている。
 といっても別に互いにスマートフォンを触って会話もしない……なんてそんなことはしない。
 たとえば、家庭菜園の水やりをしたり。それで湿って抜きやすくなった雑草を取ったり、縁側でのんびりと外を眺めたり。採れたてのきゅうりに味噌をつけて食べたり……そんな感じだ。
 ちなみに、きゅうりに付けたその味噌は八重沼のお祖母さんの手作りだった。重沼も糠漬けを始め料理の腕は確かなものだが、お祖母さんはさらに凄い。
 遊びに行った際に何度か食事をご馳走になった(八重沼の家では、当たり前のように食事や間食を振る舞ってくれる)のだが、出てくる料理が何もかも美味しい。
 失礼な話だが、それは「この世で一番美味しい!」という……衝撃を受けるような味ではない。ただなんというか、しみじみと美味しいのだ。土鍋で炊いたご飯に、頭と腑(はらわた)を取ったいりこの出汁で作る味噌汁。丹精込めて作った糠床で漬けた漬け物。ひとつひとつ、少しずつ手がかかっている。
 別に、母が作ってくれる料理に不満を抱いたことはないが(むしろ、いつも感謝しながら美味しくいただいている方だ)、八重沼家の料理は……その家と同じく、どこか懐かしくて、それでいてホッとするような感覚を覚えるのだ。

(家も、料理も、そして八重沼自身も)

 癒し、というのとはまた違う。なんというか「安心感」のようなものを感じる。八重沼の前にいると、何も取り繕わないそのままの自分でいられるのだ。
 そんな感じで、俺は八重沼家にちょくちょくお邪魔して、ゆっくりと過ごさせてもらっている。
 夏休みが終わる直前には塩漬けにした梅を天日干しにして、梅干し作りの手伝いをしたりもした。八重沼は梅干し作りについて、丁寧に教えてくれた。

「八重沼、教えるのが上手いんだな。先生みたいだ」

 八重沼が、あんまりにも優しく、わかりやすく教えてくれるから。だから俺はそんなことを思って、そしてそれを素直に言葉にして伝えた。
 梅を干し終わって、二人で縁側に並んで麦茶を飲んでいる時だった。
 首に汗拭き用のタオル(近所の銭湯の店名が入っている、なんというか……八重沼の見た目とはかけ離れた代物だ)をかけた八重沼はどこか驚いたような、そして嬉しそうな顔をして「そうかな」と首を傾げた。そしてこっそりと、まるで内緒話をするような小さな声で「あのね、実は」と耳打ちしてくれた。

「俺、先生になりたいんだ」
「先生?」
「うん。学校の先生とか……そうじゃなくても、誰かに何か、自分の知っていることを、優しく、わかりやすく教えられるような人に」

 ばあちゃんに教えてもらったように、といつになく饒舌に語った八重沼はその美しい顔をわずかに伏せた。
 思いがけず八重沼の「夢」を聞いた俺は、少しだけ驚いてしまった。というか、意外だったのだ。八重沼は他人と関わるのが苦手な方だと思っていたし、本人もそれをどことなく自覚している様子だったから。苦手なこととわかっていながら、それでも必ず人と関わることになる仕事を「夢」と言う八重沼に、驚かされた。

(夢とか、あったんだな)

 どことなく、ふわふわと生きていると思っていた八重沼がちゃんと未来を見ていることに驚くとともに、純粋に「すごいな」と思えた。

「いいな。八重沼なら叶えられると思う、絶対」

 だからその言葉も、何か考える前にスッと口から滑り出た。でも実際に、そう思ったのだ。
 八重沼はふわふわしているように見えて……いやまぁ実際ふわふわしたところもあるが、それでも意外と芯が強くて、前向きだ。というか、前しか向いていない。
 だから、そんな八重沼ならきっと見つけた夢に向かってまっすぐ歩いていくのだろうな、と思えた。

「ほんと?」

 ふくふくと幸せそうに笑う八重沼は、冗談ではなく天使のようだった。光に透けた色素の薄い髪は艶々と天使の輪を浮かべて、その目にはきらきらと希望の光が散って。
 人智を超えた美しさに思わず、ほけ、と見(み)惚(と)れていると、八重沼は「ありがとう」と溢した後、俺に顔を向けてきた。

「二宮くんにそう言ってもらえると、嬉しい」

 その笑顔は、数値で表すと一万ルクスくらいあった……と思う。どうかすると目が潰れそうな明るさだ。俺は両手で顔を覆いながら「うわ」と思った。
 この笑顔を間近でくらって、胸をときめかせない人間なんているのだろうか。いや、いまい。
 自分で言うのもなんだが、俺はそれなりに可愛い子だって見てきたし、なんならそんな子と付き合ったりすることもあった。……が、こんな、目が潰れると思うほど眩しい人と出会ったことはない。

「二宮くん? どうしたの? 汗が目に入った?」

 それ、痛いよね。と心配そうに首を傾げる八重沼は多分、自分の笑顔にどれほどの破壊力があるかなんて気付いていないのだろう。

(すごいな……、すごい)

 八重沼がすごいのは見た目だけでない。笑顔がこんなに眩しいのは、きっと体の中からぴかぴかに光っているからだ。

(他の誰かと比べる、とかじゃなくて)

 他の可愛い子がどうとか、元カノがどうとかじゃなくて、八重沼自身に……惹かれてたまらない。
 もっと笑って欲しい。できれば自分が笑わせたい。いつだって楽しい気持ちでいて欲しいし、悲しい時には支えたい。
 他人はあくまで他人。俺が楽しく生きていければそれでよかったはずなのに。そのために、本心なんて晒さずに生きてきたのに。
 なのに、八重沼の前だとなんでも晒してしまいたくなる。というか、晒している。そしてそれが嫌ではないのだ。

(こんな気持ち、初めてだ。それに……)

 ぼんやりと、八重沼の顔を思い浮かべる。八重沼の、その……ん、と引き結ばれた唇。

(柔らかそう)

 俺は先日、見るからに柔らかそうなそこにキスする夢を見た。
 夢、そう、あくまで夢だ。さすがに俺も「なんで?」と思ったし、焦ったし、意味がわからないなんて自分を笑った。
 けど、夢の中の俺はこの上なく幸せそうに八重沼を抱きしめていたし、八重沼も……嬉しそうに俺の口付けを受け入れてくれていた。
 柔い髪をふわふわと揺らして、形のいい唇を「ん」とわずかに尖らせて。俺に微笑んでくれていた。
 ……夢から覚めてすぐ、俺は「いいな」と思ってしまった。「なんだこの夢」とか笑うより、「ありえない」と嫌悪するより、何より。夢の中の俺が、羨ましくて、羨ましくてたまらなかった。八重沼にキスをすることを許されている自分が。
 現実の八重沼には、こんな夢見てごめん、って感じだけど。

(だけど、俺って、多分)

 認めたくない。認めていいのかわからない。けど、そんなことを思ってしまうのは、つまり……。





『二宮くん?』

 八重沼の声を聞き物思いに耽(ふけ)っていた俺は、ふ、と視線を持ち上げる。
 聞こえてきたのは、目の前のスマートフォンからだ。
 八重沼は基本的にスマートフォンで通話はしないタチだったらしいのだが、最近俺が「通話しようよ」とねだるとたまに(本当に、たまに)こうやって付き合ってくれるようになった。

『寝ちゃったかな。電話切ろうか……』
「や、起きてる、大丈夫、ごめん」

 通話終了の危機に、慌ててベッドの上で身を起こし声を挟む。

『あ、起きてた』

 どことなく安心したような八重沼の声が聞こえて、俺は「うん、うん」と何度も頷いた。

「起きてるよ」
『もう遅いから、寝ちゃったかと思った』

 そう言われてスマートフォンの画面を見るも、時刻はまだ二十一時を過ぎたばかりだ。はっきり言って「夜はこれから」という時間なのだが、早寝早起きを心がける八重沼にとってはもういい時間なのだ。

「や、まだ寝ないよ。八重沼はもう眠い?」

 他の友達になら「は? この時間に寝るわけないだろ」と冷たく言うのだが、八重沼相手だとやたら優しい言葉が出てくる。八重沼といると、不思議と優しくなれる。気持ちも、言葉も、行動も。

『うん、少し』

 正直な八重沼の言葉に、じゃあそろそろ……と切り出そうとしたところで、八重沼が「でも」と続ける。

『あとちょっとだけ話したいな』

 八重沼がアイコンにしている虹の写真を指先で優しく撫でて、俺は唇を噛み締めた。思わず「可愛いなぁ」と言いたくなったのをどうにか我慢するためだ。
 こういうふとした瞬間のやり取りが、たまらなく好きだと思う。
 八重沼も「ほとんど毎日会ってるのに、電話で何を話すの?」なんて不思議そうな顔をしていたが、今では多少慣れた様子で会話を楽しんでくれている。
「この通話って、会話をするためじゃなくて、離れていても時間を共有しているのを楽しむものなのかな」
 なんてことも言っていて、思わず笑ってしまった。けど、俺もそうだと思う。ただそこにいる、繋がることを許してくれる、そんな相手がいることが純粋に嬉しい。

「八重沼は、俺とこうやって通話するの好き?」

 スマートフォンに向かって問いかけると、八重沼は数秒とおかず「うん」と返してくれた。

『好きだよ、二宮くんと通話してるこの時間』

 迷うことなく断言してくれる八重沼に、思わず笑みが溢れてしまう。照れもためらいもなく「好き」と言ってくれる八重沼が可愛いと同時に、続けて問いたくなる。

「じゃあさ……」
(じゃあ、俺のこと好き?)

 ぽろりと口から漏れかけた言葉を、ぐ、と喉奥に押し込む。

『なに?』

 唇を変に開いたまま固まっている俺のことなんてもちろん見えていない八重沼の、不思議そうな声が耳をくすぐる。

「いや……、んー、じゃあまた明日も電話しよ?」
『あ……ごめん。明後日英語の小テストがあるから、明日は勉強に集中したいんだ』

 八重沼は基本的にとても優しいが、自分のしたいことややらなければならないことはちゃんと優先する。
 すっぱりと断られても特に腹が立ったりしないのは、それがきちんと伝わってくるからだ。むしろ尊敬すらしてしまう。
 じゃあ残念だけどまた今度……、と言いかけたところで、八重沼が「だから」と言葉を続けた。

『明後日ならまた電話できるんだけど、どうかな? 二宮くんの都合が良ければ』

 思いがけない誘いに、少しだけしゅんと落ち込みかけていた俺のテンションが一気に上がる。

「あー、んん、もちろん」

 少しだけ声が上擦ってしまったが、八重沼はそれに気付いていない様子で「よかった」とこれまた正直に喜びを伝えてくれる。俺も「嬉しい」くらい言えばいいのだが、なんとなく言葉が出てこない。

(嬉しい)
(俺も八重沼と電話するの好き)
(ってかさ、俺は、八重沼自身を……)

 心の中にぽんぽんとそんな言葉が浮かんで、俺は慌てて首を振る。何度かためらってから、俺はゆっくりと口を開いた。

「八重沼、さ」
『ん?』

 心の中に浮かんだ思いの、その切れ端を言葉にしかけて……やめる。

「いや、あー……八重沼っていい声だよな」
『声?』
「うん、落ち着く。いい声。……好き」

 少し早口で伝えると、八重沼の「えぇ、ふふ。そうかな?」という柔らかな笑い声が聞こえてきた。耳をくすぐるその声が心地よく「イヤホンにしててよかった」と思いながら、俺は「うん」と続けた。
「顔もいいし、声もいいし。八重沼ってほんといいよな」
 もちろんそれだけじゃなくて、八重沼本人が丸ごといいと思っているのだが。照れと、それを言ってしまうとまずいのでは、という思いからブレーキがかかってしまう。……と、八重沼の柔らかな笑い声が不自然に途切れた。

「八重沼?」

 どうかしたのかと名前を呼ぶと、八重沼は「あ、うん」と歯切れの悪い返事を寄越した。

『うん……顔は、小さい頃から、よく褒められた』

 まぁあの顔なら、そりゃあ子どもの頃から褒められただろう。

(でも俺は、八重沼の顔が良くて声かけたわけじゃないけど)

 心の中で、幼少期に八重沼の顔を褒めた面々に対抗する。何に張り合っているのか自分でもよくわからない。

『あの……そろそろ寝ようかな』
「あ、そうだよな」

 そろそろ八重沼の就寝タイムリミットだ。

「じゃ、また明後日。明日学校で会えたらまた明日」
『うん。明日か、また明後日に』

 俺たちは校舎が分かれているのでなかなか顔を合わせる機会がない。勉強を一緒にしたり、帰る約束をしている時は別だが、そうじゃない時はすれ違うことすら珍しい。でも、特別「ここで会おう」と約束することはない。

(その方が、偶然会えた時嬉しいもんな)

 約束するより、偶然出会えた時の方がなんだか特別感があってわくわくする。そんなほんの少しの楽しみを明日に用意して、俺は「おやすみ」と八重沼に伝える。

『おやすみなさい』

 八重沼は結構ためらいなく通話終了ボタンを押す。俺は自分では押さず、八重沼が終わらせてくれるのを待つだけだ。
 案の定あっさりと「通話終了」になってしまった画面を眺めてから、俺はベッドの上にごろんと寝そべる。

「はー……」

 俺と八重沼は「友達」だ。友達に「俺のこと好き?」と聞くのはおかしいだろう。いや、おかしいはずだ。少なくとも俺はこれまでどの友人に対してもそんな質問をしたことはない。
 なのに何故、八重沼には聞きたくなるのか。そして、何度も聞こうとするのに、結局勇気が出なくて聞けないままなのか。その上、キスする夢なんて見るのか。

(それって……それってさぁ)

 ひとつの答えに行きつきそうになって、俺は「ふー……」と細く長い息を吐く。

「それって」

 声に出して確認しかけて、やめる。それを言葉にしたら、いよいよ戻れなくなりそうだったからだ。

(八重沼が好きってことだよな? 多分、そういう意味で)

 言葉にしない代わりに、心の中で問いかけてみる。が、もちろんその問いに答えてくれる人はいない。

(いや、違う……かもしれないし。まだわからん。わからんだろ)

 そう自分に言い聞かせながら、ごろ、と寝返りを打ってスマートフォンを手に持つ。ぱ、と光った画面に映し出された写真は……いつか気まぐれに撮った虹の写真だ。撮って、八重沼に送った写真。そして八重沼がホーム画面に設定している写真。
 つまりそう、俺のホーム画面と八重沼のそれは、現在お揃いということである。

『彼女じゃなくても、好きな人ができた……とかはあるんじゃない?』

 不意に、瑞原の言葉が頭に浮かぶ。
 それに対して、違う、違わない、やっぱり違う、でも違わない。と、相反する答えがふわふわと浮かんで、俺は溜め息を吐いた。

(違う……と思いたい。けど、けどさぁ)

 閉じた目の上に腕を乗せる。出来上がった簡易的な暗闇の中に浮かぶのは、八重沼のふわふわとした笑みだ。
 八重沼に対する気持ちはよくわからない。けど、明日もまたあの笑顔に会えたら嬉しい。それが偶然なら、もっと嬉しい。

「……違わないじゃん」

 だからもう、八重沼のことが好きなんだって。
 いい加減認めろ、と心の中の俺が呆れたように腕組みしている。それに対して俺は「あぁ、あぁはいはいそうですよ」と逆ギレのような独り言を漏らした。

(俺は八重沼が好き。めちゃくちゃ好き。……多分)

 多分もへったくれもないのだが、最後の抵抗のようにひと言くっつけて……俺はベッドに突っ伏した。まだ寝るには早過ぎるのはわかってるけど、今この瞬間に寝てしまえば、八重沼の夢を見られるような気がした。