もう好きって言っていい?

「えっと、八重沼……ここって」
「ここ、俺の家」

 端的に答えを告げて、ひと足先に玄関から家の中へと入る。
 木造平屋建ての日本家屋。新しい家ではないが、ばあちゃんと俺で隅々まで手入れしているので綺麗ではあると思う。

「どうぞ」

 あがりかまちにスリッパを出して招き入れると、二宮くんは行儀よく「あ、お邪魔します」と頭を下げてからそれを履いた。身を屈めて自分の靴を揃えるあたり、二宮くんの「ちゃんとしてる」感じが伝わってくる。
 俺はそんな彼を床の間へと案内した。





 アミューズメント施設を出てからすぐ、俺は二宮くんを自身の家へと連れて来た。
 二宮くんは驚いた様子であったが、「嫌だ」とは言わなかった。ただ「休みの日に家に誘われるって初めてかも」と笑っていた。たしかに。小学生ならまだしも、高校生になって休みの日に「俺の家に遊びに来て欲しい」なんてなかなかないかもしれない。

「でも、八重沼がやりたいことがあるんだろ?」

 それでも、二宮くんはどこかいたずらな顔でそんなことを言ってくれて。俺は「うん」と笑って頷くことができた。二宮くんに下手な嘘をついたり、見栄を張ったりするのはもうやめたのだ。
 二宮くんは俺の家に入ってすぐ「なんか懐かしい感じがする」と言ってくれた。

「別にこういう家に住んでたとかじゃないのに、懐かしく感じるの……なんでだろうな」

 畳の上に敷いた座布団に座る二宮くんは、およそいつもの二宮くんらしくないのに。なのになんだか満ち足りたような顔で「い草のいい匂いがする」とか言うから。なんだか俺も嬉しくなって、笑ってしまった。
 二人で並んでほのぼの……としかけたところで、俺は本来の目的を思い出してハッとする。

「あ、ちょっと待ってね、ちょっと」

 そして台所へ走ると、冷蔵庫の中から目的のものを取り出し、小皿に取り分ける。それからお茶を用意して、小皿と共にお盆に載せて運んだ。

「お待たせ」

 襖を開けて床の間に入ると、二宮くんはスマートフォンを触るでもなく、ぼんやりと窓の方を眺めていた。夏の眩しい日差しが燦々と降り注いでいる縁側を。

「ごめん、待たせて。何もないし……つまらないよね」
「え? いや全然。庭も綺麗だし、眺めてた」
「そっか」
「あと、なんか八重沼の匂いがして癒されるな〜って思ってたとこ」
「俺の?」

 思いがけない言葉に驚いて、すん、と空中の匂いを嗅いでみる。が、もちろん自分では「自分の匂い」なんてわからない。

「なんか『人の家の匂い』ってあるじゃん。あれ。八重沼ってなんか癒される匂いだなって思ってたけど、家自体いい匂いだったんだな」
「そう?」

 今度は自分の腕に鼻先をあてて、くんくん、と匂ってみる。が、やっぱりわからない。まぁ、二宮くんにとって嫌な匂いなのでなければいいだろう。

「それ、何持って来てくれたの?」

 俺の抱えたお盆を見て、二宮くんが問うてくる。

「あ、これ。これね……俺のやりたかったこと」
「……ん?」

 お盆を脇に置いて、居間の真ん中に鎮座した机の上に小皿と小鉢、そして氷を浮かべた麦茶を並べる。

「俺の作った糠漬けと、小梅のカリカリ漬け」
「糠漬け?」

 小皿の上には、きゅうりと茗荷の糠漬けが並んでいる。そしてもうひとつの小鉢には、小梅のカリカリ漬けを盛っていた。

「俺ね、糠漬け作るのが好きなんだ」
「あー、ヌカちの由来?」
「そう」

 高校では「ヌカち」と呼ばれることが当たり前なのに、二宮くんは「そんな呼び方もあったな」という感じであだ名を口にしてくれる。そのことが嬉しくて、俺はほくほくと微笑んでしまった。そしてその勢いのまま、自分の気持ちを……やってみたかったことを伝える。

「俺、運動も苦手だし、会話も得意じゃないし、面白くない人間だけど……でも、糠漬け作ったり、梅干し作ったりするのは、得意なんだ」
「面白くないってことはないけど……まぁ、うん」

 二宮くんは小さな声で否定してくれたが、俺の話を遮らないように、軽く同意して続きを促してくれる。その優しさに背中を押されるように、俺はお盆を膝に乗せたまま「それで」と続けた。

「だから、二宮くんにも食べさせたいなってずっと思ってたんだ。こういうのが好きなんだ、俺がしたんだ、って俺のこと知って欲しくて」

 二宮くんは二、三度まばたきをした後、ちらりと小皿を見下ろして、そして俺の顔を見て「うん」と頷いてくれた。

「こんなの高校生らしくないし、多分変なんだろうなってのはわかってる。けど、二宮くんには言ってもいいかなって……」

 二宮くんは、自分の好きなことをちゃんと教えてくれて、そして俺に合わなかったら『ごめんね』と謝ってくれた。
 俺だってそうすればいいのだ。思ったことを話して、提案して、それで相手に合わなかったら謝ればいい。黙っている必要なんてないのだ。

「あの……だからその、こういうのが二宮くんに合わなかったらごめん」

 気持ちを言葉にするのはなんて大変なんだろう。およそ伝わっている気はしないが、それでも俺は先ほど感じた気持ちを懸命に言葉にして紡ぐ。

「でも、これが俺の好きなことなんだ。そして、できたら二宮くんにも食べてみて欲しい。その……俺の好きなものを……」

 尻すぼみにどんどん言葉を小さくしながら、俺は顔を下げる。

「八重沼?」

 急にしょぼしょぼとしだした俺に驚いたのだろう。二宮くんが不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。真っ黒な目が、きょと、と俺を見上げている。俺はその目を見返してから「う」と口角を下げた。

「いや、今更ながら、二宮くんが漬け物とか嫌いっていう可能性に気付いて……」

 そもそも嫌いだったら「食べて」もへったくれもない。突然家に連れてこられて嫌いなものを差し出された二宮くんの気持ちを思い、胸が苦しくなる。

「……っふ、っ、はははっ」

 ……と、何故か二宮くんが吹き出すよう笑い出した。それはもう、本当に楽しそうに。畳の上にひっくり返りそうになりながら。お腹に手を当てて笑っている。

「え、どうしたの?」

 何か笑えることでもあっただろうか、と問いかけると、二宮くんは「はっ、いや、ふふっ」といまだ治らない笑いの合間に首を振った。

「八重沼って、ほんと、予想外っていうか。思い切りがいいかと思えば急に引っ込むし……ふっ」
「ん?」

 はて、と首を傾げてから、まぁ予想外といえば予想外なのかもしれない。

「ごめ、いや、全然、嫌とかじゃないんだ。むしろ逆」

 俺の不審な表情を見たからだろう、二宮くんが「笑ってごめん」と口元を隠すように笑いながら「えー、っと」と何かを頭の中で整理するように腕を組む。

「俺はさ、結構他人の気持ちを考えて、話すこととか決めてて」
「うん」
「顔色うかがってる、ってわけじゃないけど。でも、自分の気持ちを素直に話して拗(こじ)れるくらいなら黙ってる方がいいって思ってる」

 どういう意味だろう、と思ったが、まぁ言葉通りに受け取れば相手を慮っているということじゃないだろうか。それはとてもいいことだと思うので、「そうなんだ」と返す。と、こちらを見た二宮くんはやはり楽しそうに片眉を持ち上げていた。

「素直ってさ、なろうと思ってなれるものじゃないと思うんだ。多分俺は、一生素直になんてなれない」
「そう、なのかな」

 素直、についてそう考えてきたことがない人生なので、少し返事に困ってしまう。しかし二宮くんは俺の戸惑いを承知の上のような様子でにこにこと笑っていた。

「俺、素直な八重沼が好きだよ。一緒にいて心地いい。なんか、自分の気持ちを飾ることなく話せる」
「す……?」

 急に出て来た「好き」という単語に、何故か妙に動揺してしまって。その後に続く言葉の意味を深く考えることができない。
 俺の動揺を知ってか知らずか、二宮くんは楽しげに話を続ける。

「八重沼の前なら、本当の自分を出せる。出してもいいって思えるんだ」

 端正なその顔をくしゃりと少し歪めるようにして、二宮くんが笑う。窓の外に広がる、夏の澄み切った青空よりも清々しいその笑顔は、俺の胸のあたりをすとんと貫いた。

(ん?)

 俺は自分の胸に手を当てて、パタパタと叩いてみる。
 いま確かに、何かが貫いていったような気がしたのだ。鋭い矢のような何かが。

「したいこと、言ってくれてありがとう」
「ん?」
「俺……、や、俺らくらいの歳って、自分の本音とかしたいこととか、ちゃんと言うの難しいじゃん」

 恥ずかしいし、変だなって思われたら嫌だし、と、まさに先ほど俺が考えていたようなことを言われて、俺は「うん」と頷く。

「それでも、ちゃんと伝えてくれてありがとう。八重沼のこと知れて、嬉しい」
「え……、っあ、ううん」

 軽い調子で告げられたその言葉に、どうしてだか急に涙が出そうになって。俺は首を振りながら、さりげなく何度もまばたきする。
 突然、ぐっ、と熱いものが込み上げてきたのだ。

「じゃー、そのおすすめの漬け物をいただこうかなぁ」

 ぱ、と切り替えるようにそう言った二宮くんは、きゅうりの漬け物に刺さった爪楊枝を摘んだ。

「いただいていい?」
「あぁ、うん……もちろん!」

 俺は何度も頷いて、手のひらを上にして差し出す。

「じゃ、遠慮なくいただきます」

 二宮くんは軽く手を合わせると、ぱくっと思い切りよくきゅうりを口に含んだ。パリッといい音がして、次いでパリ、ポリ、と歯切れのいい音が続く。

「……ん、美味しい」
「本当に?」

 ドキドキしながら見守っていると、二宮くんはどこか驚いたような声で「いや本当に」と続けた。

「美味しい。しょっぱすぎず、……っていうかちょっと甘い?」
「あ、少し甘酒も入れてるから」
「甘酒って、あの正月とかに飲む甘酒?」
「うん、そう」

 この漬け物を漬けた糠床には、作る時に甘酒を入れている。そうすると噛むたびにほんのり甘さが出る漬け物が出来るのだ。

「へぇ、すごいな。本当に自分で作ってるんだな」

 どうやら「美味しい」という言葉は嘘ではなかったらしい。二宮くんはひょいひょいと漬け物を食べ進めている。そして「味が良い」「店で買ったやつと違うな」「俺は八重沼の作るやつが好みかも」と柔らかい言葉で褒めてくれる。

「うん、ありがとう」

 言葉を惜しまず褒めてくれる二宮くんに、俺は嬉しくなってにこにこと笑ってしまう。

「こっちも、酸っぱいけど美味い」

 小梅を摘んで食べた二宮くんが、顔をくしゃくしゃにする。どうやら酸っぱかったらしい。

「それは小梅だけど、普通の梅干しもあるよ。本当に酸っぱいやつだけど」
「まじ? 俺、甘い梅より塩っぽい梅が好きだから、そういうのも多分好き」
「あ、じゃあ持ってこようか」

 去年漬けた梅はまだ大量に残っている。俺が提案すると、二宮くんは「いいの?」と嬉しそうに笑ってくれた。
 その笑顔が嬉しくて、俺は「あの」と続けた。

「今度、今年の梅干し作りの……えっと、梅を天日干しするんだけど。二宮くんも一緒にしてみる?」
「俺が?」

 きょと、とする二宮くんの顔を見て咄嗟に「あ、言わない方がよかったかな」と思ったが、二宮くんはあっさりと「楽しそう」と目を輝かせてくれた。

「梅干し作るとか初めてなんだけど。なに、俺でもできそうなの?」
「うん。できる……と思う」

 絶対に、と言い切ることはできないが、まぁ梅を天日干しするだけだし、できないことはないだろう。
 二宮くんは「と思うってなんだよ」と顎を持ち上げるようにして笑っていた。しっかりと開いた大口から覗く白い歯は綺麗に整列していて、まるで芸能人のようだ。
 ひとしきり笑った二宮くんは、麦茶を飲んで、そしてまた梅干しを摘む。そして「あぁー」と唸った。

「白米が食べたくなる」

 くぅ、と唸る二宮くんに、俺は「あ、ご飯あるよ?」と提案してみた。そういえばもう正午もだいぶ過ぎている。昼食も食べないままだったが、移動でどたばたしていたので気付かなかった。それもこれも、俺が自宅に誘ったせいだ。

「朝炊いたご飯があるから、それでおにぎりでも握ろうか? あとは……漬け物と、卵焼きとかならすぐ焼けるし。あ、鮭……鮭好き?」

 冷蔵庫の中の物を思い出しながら問うてみると、ぽかん、とした顔をしていた二宮くんが首を傾げた。

「え、なに、八重沼が作ってくれるってこと?」
「うん。俺が作る」

 高校生になってから、食事はばあちゃんと協力しながら作るようにしている。基本的には朝ご飯は俺、夕ご飯はばあちゃん。自分の弁当は自分で作るし、休みの日も時間があれば作る。二人暮らしなのだから、協力するのは当然だ。
 とはいえ、今日は俺もばあちゃんも外出の予定だったので、冷蔵庫には常備菜くらいしか残っていない。

「もしかして、どこか行きたい店とか、食べたい物あった?」

 そりゃそうだよな、せっかくの外出だもんな。そもそも高校生にもなると外で食べるのが当たり前なのかな。と思いながら問うてみると、二宮くんは「や、いやいや」と首を振った。

「単純にすごいな……って感心してただけ。っていうか、俺は嬉しいけど、いいの?」

 どこか遠慮がちに二宮くんが問うてくる。俺は「うん、もちろん」と二回頷いた。

「あんまり……若者向けの料理は作れないけど」

 そう言うと、二宮くんが「若者って」と笑った。そしてふと、表情を引き締めるようにして「あの」と呼びかけてくる。

「八重沼の家族の人は?」
「あぁ、家族は出かけてる。って言っても一人しかいないけど」
「一人?」

 特に隠していることでもなんでもないので、俺は「一人」と繰り返す。

「ここ、ばあちゃんの家なんだ。両親はいるんだけど海外にいて……だからここに居(い)候(そうろう)させてもらってる」

 俺の簡単な説明に、二宮くんは「へぇ」と少し驚いたような顔を見せる。

(あ……)

 そこで、話しすぎたかもしれない、とちょっと後悔する。
 俺の家の事情を知る担任の教師は「八重沼くん、大変ねぇ」「お祖母さんと二人暮らしで苦労していない?」と時折声をかけてくれる。
 俺は両親といるよりばあちゃんといる時の方が心が落ち着く……というか、とても気が楽だ。だから「苦労」なんて感じたことも、考えたこともなかった。が、周りからしてみればそうでもないらしい。

(二宮くんにも、「苦労してそう」とか思わせちゃったかな)

 どうかな、と二宮くんを見るが、彼の目に同情の色は乗っていないように見えた。

「な、八重沼」
「え?」

 考え事の最中に名前を呼ばれて、びくっと肩を跳ねさせてしまう。が、そんな俺の反応を気に留めた様子もなく、二宮くんは笑った。

「もしよかったら、作るとこ見てたりしてもいい? ってか手伝えることあれば手伝いたい。あ、もちろん台所に入ってもいいならだけど」

 はい、はい、と立候補するように手を挙げる二宮くんに、やっぱりこちらを気遣ったり同情したりする様子は見えない。いや、心の中でどう思っているかなんてことはわからないが(鈍い俺には、特に)。けれど、でも、二宮くんの言葉はどこまでも柔らかい。

「……うん。じゃあ、お願いします」

 俺は心の中で小さな感動を噛み締めながら、できるだけそれを表に出さないように短く答えて頭を下げる。

「こちらこそよろしくお願いします」

 二宮くんもまた、畳の上に正座して深々と頭を下げてきた。妙にかしこまった態度が面白くて、自然と口端が持ち上がってしまう。
 俺たちは顔を見合わせると、へら、と笑い合った。