もう好きって言っていい?

「八重沼、おはよう。待った?」

 待ち合わせ場所の駅に現れた二宮くんは、当たり前だけど私服だった。俺は「おはよう。全然待ってないよ」と答えながら、そんな二宮くんを見やる。
 しっかりした厚い生地の白シャツにジーンズ、腕には少しごつめのスポーツウォッチ、足元は派手な色のスニーカー。それでもって、おしゃれな黒い帽子を被っている。

(おしゃれだなぁ)

 俺はファッションに詳しくないが、間違いなく二宮くんは「洒落ている」と断言できた。ひとつひとつはなんてことないアイテムなのに、二宮くんが身につけるとそれだけでパッと華やかに見える。それでもって、とても大人っぽくて……なんだか知らない人みたいだ。
 俺は途端に自分の格好に自信がなくなってしまった。

「なんか、学校の外で会うと新鮮だな」
「……うん」

 ちょっと気後れしてしまった俺に、二宮くんはいつもと変わらないにこやかな顔を向けてくれた。

「じゃ、行こうか」

 待ち合わせた駅前は多くの人が行き交ったり、待ち合わせの様子で立っていたりでごたごたしている。人の間を抜けるのが下手な俺を、二宮くんが自然な動作で「こっち」と促してくれる。

「八重沼、その服似合ってるな」

 ふと俺を見た二宮くんがそんなことを言った。

「あのブランドのシャツだろ、それ」

 二宮くんが横文字のブランド名を口にしてくれた、が、俺にはそれがどんな店なのかもわからなくて困ってしまった。が、ここで「わからない」と言うのがおかしいことくらいはわかる。

「うん、そう」

 他の人になら正直に「知らない」と言えるのに、何故か二宮くんには俺が無知なことを知られたくなくて。恥ずかしくて。俺は少しだけ俯(うつむ)いて視線を逸らしてから、知ったかぶりをして頷いた。

「八重沼も服とか好きなんだ? 今度一緒に買い物行こうか」
「……ん」

 ちゃんと頷くことができなくて、曖昧な返事になってしまう。
 服なんて自分で買ったことは数えるほどしかないし、どこにどんな店があるのかも知らない。嘘をつく罪悪感にギュッと押しつぶされそうになりながら、俺は二宮くんの半歩後ろを歩く。
 ……と、何故か二宮くんが歩く速度を落とした。俺もあわせるようにゆっくりと歩くと、どんどん歩みが遅くなっていって、最後にはのろ、のろ、と亀のような速さになってしまった。
 さすがに周りの迷惑にならないかとちらりと二宮くんを見ると、彼はまっすぐに俺を見ていた。

「わっ」
「わっ、って」

 驚いた俺を二宮くんが笑う。

「眠い?」
「え、眠くない」
「じゃあ緊張してる?」
「緊張は……そんなに」

 質問に正直に答えていくと、二宮くんは「そ?」とどこか余裕のある笑みを浮かべる。

「じゃあ、元気よくいこう」

 そう言われて、そういえばさっきから自分の態度が「元気」とかけ離れていたことに気付く。
 二宮くんの顔を見ると、笑っているけどどこか俺の様子を窺っているようにも見えた。それこそ、寝不足じゃないかとか、緊張してないかとか、嫌そうじゃないかとか。そんなことを逐一確かめるように。
 俺は咄嗟に「ごめん」と謝ってから、それが心配してくれた二宮くんに返すのに適当な言葉じゃなかったと、ぐ、と拳を握った。

「今から元気よくいくから」

 ぐー、の形に握ったそれを見せつけるように顔の前にかざして見せると、一瞬きょとんとした表情を浮かべた二宮くんが「ははっ」と声をあげて笑った。

「やっぱ八重沼だ」

 俺はたしかに八重沼だけど、なにが「やっぱ」なのかわからなくて、「ん?」と首を傾げる。

「私服だと違和感あるっていうか、なんか違う人みたいだけど、やっぱり八重沼は八重沼だなぁって感じたってこと」

 俺の疑問に、二宮くんは丁寧に答えてくれる。なんて親切なんだろう。
 そしてその気持ちは俺も感じていたことなので、「わかる。とってもよくわかるよ」と頷くしかない。……と、二宮くんがまた大笑いした。まるで心の中のもやもやを吹き飛ばすような、爽やかな笑い声だった。





 一緒に遊ぶ、とはいったものの遊ぶ場所に関してはほとんど二宮くん任せになってしまった。

「なんかしたいことある?」

 と聞かれはしたものの、まさか「梅干しを食べさせたい」なんて言えるわけもなく。「やりたいことも、行きたいところもない……かも」なんて言ってしまった。
 二宮くんは俺のそんな言葉にも「そっか」と頷いて、そして「じゃ、体でも動かそうか」と提案してくれた。
 そうして連れて来られたのは、色々なスポーツが楽しめるアミューズメント施設だった。バスケにテニスにサッカー、おまけにボーリングやダーツまで。ありとあらゆるスポーツがその施設内で楽しめるらしい。
 俺はそんな施設があること自体まるで知らなかったので、その話を聞いて「ほー」と感心してしまった。

「ここで遊ぶってこと?」
「そ。結構長いこと楽しめるよ」

 そう言われて、俺は少しだけ悩んでから「ん」と頷いた。きっと二宮くんと一緒なら、楽しめるだろう。きっと……。

「二宮くんは、ここ、来たことあるの?」

 施設のエントランスで、建物を見上げながら問うてみる。すると、二宮くんは「んー」と首を傾げるように頷いた。

「クラスの奴とかと、たまに」
「へぇ」
「カラオケとかもあるから、色々時間潰せるし」

 そういえば俺はカラオケも行ったことがない。家族とも友達とも、一度も。
 別に、自分の人生を卑下しているわけではない。ばあちゃんと庭の小さな畑に野菜を植えたり、その世話をするのは楽しいし、糠漬けだって同じだ。本を読むのも勉強するのも、ごく普通に楽しい。

(けど)

 だけど、こんな風に知らなかった世界を見ると、なんだか自分が「おかしい」ような、そんな気持ちになってしまう。

(変なの)

 今まで、そんなことを考えたこともなかったのに。
 さっきの、服のことだって、梅干しのことだってそうだ。嘘をつく必要なんてこれっぽっちもなかったのに、俺は嘘をついた。
 どうして二宮くんといると、自分のことを恥ずかしく思ったり、偽ったりしたくなるんだろう。
 自分の胸のあたりをちょっと押さえてみた。が、もちろん答えなんて湧き出てくるはずもなく。俺は不思議な気持ちを抱えたまま、二宮くんに促されるまま施設へと足を踏み入れた。





「八重沼、本当にいいのか?」
「いい、大丈夫」
「別に無理しなくても……」
「む、無理してない。大丈夫。いいから早く……!」
「……まぁ、いいならいいけど……それ!」

 カコンッ!と良い音がして、テーブルの上をピンポン玉が跳ねる。俺はそれに追いすがろうとしたものの、途中で脚をもつれさせてしまった。ベシャッ、とテーブルに突っ伏してしまった俺に、二宮くんの「あーあー、大丈夫か?」という声がかかる。

「大丈夫……ごめん、結局一回も打ち返せてないね」

 しょぼしょぼとした気持ちのまま起き上がると、遠くに飛んでいっていたピンポン玉を拾ってきてくれたらしい二宮くんが肩をすくめた。

「いや。俺こそもっと打ち返しやすいように打てばよかったな、ごめん」

 なんて良い人だろうか。俺は感動の眼差しで二宮くんを見上げる。……と、二宮くんはそこで一度言葉を切ってから、俺と視線を合わせるように身を屈めた。

「っていうか。八重沼ってもしかして、運動苦手?」

 やはりばれてしまったか。俺は情けない気持ちで俯いて「う、ん」と返事を濁した。
 そう。俺は運動が苦手だ。サッカーだろうとテニスだろうと、跳び箱、体操、かけっこだって。体を動かす才能がなさすぎるのだ。右手左手右足左足を同時に思うとおりに動かすことのなんと難しいことか。

「よくわかったね」

 頬をかきながら苦笑うと、二宮くんは「いやいや」と首を振った。

「わかるよ。どう見ても……あー、得意な感じではないじゃん」

 ほら、とピンポン玉を投げられる。キャッチしようと伸ばした俺の両手は、すかっ、と宙をかいてしまった。「あ、あ」と言ううちに床に落ちて、追いかけるように座り込む。……と、バランスを崩して尻餅をついてしまった。

「うん……、うん」

 ぐぅの音もでないというのは、まさにこのことなのだろう。俺は尻餅をついた格好のまま、「はは」と情けなく笑った。
 この施設に入ってからというもの、俺はありとあらゆる失態を見せる羽目になった。
 サッカーをすればボールを蹴れないまま転んで。テニスは見事な空振り、ダーツは的にすら刺さらず。ロデオマシンでは思いきり空中に吹っ飛ばされた。
 走れば脚が絡み、絡めば転び、とにかくもう傍から見たら散々なことこの上ないだろう。
 そう、なんというか俺は……運動音痴だ。それも筋金入りの。
 それに関しては、これはもう子どもの頃からだから仕方ない。各々スポーツをたしなむ両親には「誰に似たのかしら」と呆れられていたし、小学生の頃は休み時間のドッジボールにもサッカーにも混ぜてもらえなかった(これは元々友達がいなかったせいかもしれないけど)。中学、高校と、体育の時間になると「なんかイメージと違う」「なんでも優雅にこなしそうなのに」と言われることが増えた。どうやら知らないうちに期待を裏切っていたらしい。
 二宮くんも、俺と楽しくスポーツをやることを期待してくれていたのかもしれない。となると、俺はまた期待を裏切ったのだろう。

「あの、き……」

 期待を裏切ってごめん。
 そう言おうと思ったのに、言葉が喉の奥に貼り付いて出てこない。二宮くんをがっかりさせてしまうのは、何故だかとても胸が苦しい。

「ごめん」

 唐突に謝られて、俺は「え?」と顔を上げた。俺が謝るべきなのに、どうして二宮くんが謝るのだろうか。

「運動、得意かどうか、入る前に聞くべきだった」

 そりゃそうだよな、と反省するように二宮くんが頭をかく。

「俺の周り、体動かすのが好きなやつばっかりだから油断してた。みんなが好きだから〜とかじゃなくて、ちゃんと八重沼はどうかって考えるべきだったわ」

 俺ははくはくと口を開いては閉じて、最後にキュッと引き結んだ。思わず出てきそうになった言葉を飲み込むように。

(それは)

 二宮くんのその言葉は、なんて……。

(なんて、誠実なんだろう)

 飲み込んだ言葉は、驚きと、喜びと、そしてちょっとの恥ずかしさが混じったものだった。
 自分や、自分の周りを基準にするべきじゃなく、ちゃんと「俺」のことを考えるべきだったな。と言葉にして伝えてくれる二宮くん。
 俺は何も言えないまま、きゅ、と眉尻を下げる。

「二宮くん……」

 ほろりと溢すように名前だけ呼ぶと、二宮くんは申し訳なさそうに眉を下げたまま「ん?」と首を傾げてくれた。
 二宮くんは、俺にがっかりなんてしていなかった。それどころか、自分が悪いから、と言ってくれた。俺のことを考えるべきだった、と。「みんな」じゃなくて、俺のことを。
 俺は、す、は、と何度か息を吸って吐いて。そして顔を上げた。

「俺の方こそ、運動が苦手だって言ってなくて、ごめん」
「いや、そんな……」
「運動は得意じゃないけど、嫌いじゃないんだ。下手でも、二宮くんとなら楽しめると思って。だから言わなかった」

 俺は正直に気持ちを口にして、そして座り込んだまま自分の靴の先を見つめる。と、視界の中におしゃれなスニーカーが割り込んできた。二宮くんの靴だ。俺の爪先と二宮くんの爪先が、こつ、とぶつかる。

「そっかそっか」

 柔らかい言葉にそろそろと首をもたげる。と、俺と同じように屈み込んだ二宮くんが、膝に顎をあて、楽しそうにこちらを見ていた。

「ならよかった」

 嫌だったんじゃないならさ、と笑う二宮くんの顔は、外でもないのに、太陽の光がパッと差し込んだように明るい。
 その眩しさに目を細めてから、俺は唇を引き結ぶ。それからピンポン玉すら掴めなかった自分の手を見下ろし……ぐっ、と握りしめた。

「あの」
「ん?」
「言わなかったこと、他にもあるんだ」

 冷たい北風にコートを羽織り、暖かい日差しにそれを脱いだ旅人のように。日差しに似た笑顔の前に、するすると言葉が出てくる。

「この服、自分で買ったやつじゃないんだ。俺、本当は、全然おしゃれじゃない」
「服?」

 きょと、とした顔の二宮くんに、俺は「うん、服」と肯定する。

「さっき、自分で買ったみたいに嘘ついてごめん」

 謝りながら、ぺこ、と頭を下げた。そうなると二宮くんの顔が見えなくなる。そのまま心の中で、いち、に、さん、ときっちり三秒数えてから、ゆっくりと顔を上げた。

「それから、俺……特にやりたいことも行きたい場所もないっていったけど、本当はあるんだ」

 心の中で張っていた見栄をぺりぺりと剥いで、素直な自分になる。
 少しだけ吸いやすくなった息を胸いっぱい吸い込んで。そして、二宮くんの目をしっかりと見つめた。

「本当にやりたいこと?」

 しっかりと黒い二宮くんの目は、まるで星のない夜空のようだ。吸い込まれそうなほどに深い黒、でもただ黒いだけじゃなくては艶々と輝いている。

「うん」

 頷いてから、じっ……と見つめていると、二宮くんの目尻がどうしてだかじわじわと赤く染まっていく。

(どうしたんだろう)

 なんで赤くなるのかわからず、その理由を聞くべきかどうか悩んだところで、二宮くんがパッと顔を逸らした。

「それって、……なに?」

 顔を逸らしたままの二宮くんに問われて、俺はハッとまばたきする。そして、持ち上げた自分の手で、二宮くんの体の脇に垂らされた腕を掴む。

「な……っ」
「連れて行きたいところがあるんだ」

 腰を上げて、二宮くんの腕を引いて同じく立たせる。驚いた様子で目を丸くした二宮くんに笑いかけると、彼はまたなんとも言えないような顔をした後で「ん」と頷いてくれた。