もう好きって言っていい?

「二宮くんは夏休みなんか予定あんの?」
「んー? まぁぼちぼち」

 終業式も大掃除もホームルームも終わった放課後。
 わざわざ隣のクラスからやって来た女子の集団に話しかけられる。自分に自信を持っている彼女たちは、隣のクラスにやって来ることにも、いわゆるクラスの一軍男子たちに話しかけることにもためらいがない。というより、それにそこはかとない優越感さえ滲ませている。
 現に彼女たちは俺や友達に話しかけながらちらちらと周りを見ている。俺たちと話すことがステータスであるかのように。

(くっだらね)

 うんざりするも、もちろんそんなことは一切表に出さない。その代わり、こうやって胸の内でしれっと相手を軽蔑している。

(やな奴だよなぁ)

 自分で自分をそう評する。そう、俺は「優しい」だの「マメ」だの言われるが、実際のところそういい奴ではない。
 俺は自分の見た目の良さを自覚している。それが要らぬ妬みを買ったり、諍いの種にならないよう、程よく調整しながら生きてる。だって、その方が生活していく上で都合がいいからだ。
 俺は何気ない顔をしたまま、手元のスマートフォンに視線を落とした。
 メッセージアプリを開いて、一番上にピン留めしている相手とのメッセージボックスを開く。が、朝に送った「今日一緒に帰らない?」という自分のメッセージは既読になっていない。

(学校でほとんどスマホ見ないんだよなぁ)

 今時、そんな高校生いるだろうか。……いや、いるのだ。しかもとても身近に。その「相手」のことを想像して、俺は思わず「ふ」と笑ってしまった。
 と、俺の微笑みをめざとく見つけたらしい女子がきらきらとした目を向けて来る。俺はわざとらしくない程度に視線を逸らす。

「二宮くんさ、夏休み予定ないなら遊びに行かない?」

 ほら来た、と心の中で溜め息を吐く。が、もちろんそれを態度に出すことはない。他の女子の視線や、友達の「おい誘われてるぞ」と急かすような空気を察して、その上で「えー?」と明るい声を出す。

「ここにいるみんなで行けるようなとこってどこ?」
「え? あ……」
「暑いし、プールでも行く?」

 にこ、と笑って提案すると、誘ってくれた女子は「あーうん、そうだね」と恥ずかしそうに顎を引く。周りの女子は「あちゃ〜」という顔をしていた。
 友達には「またそうやってかわして」「あの子絶対二宮狙いだろ」と後で小言のように言われるかもしれないが、別にいい。面倒なことを避けて何が悪いというのだ。
 グループの中で、俺は爽やかイケメン枠。積極的に喋る方じゃないけど、冗談も言うし、空気は読むし、遊びにも乗る。けど、特別な人は作らず、誰とでも満遍なくつるんでる。ここにおける「俺」はそんな人間だ。俺はちゃんと、そういう自分の役割を把握している。
 波風立てずに学校生活を送るには、それが一番なのだ。

(時々、楽しくないけど)

 俺の発言から「じゃあみんなでプール行こうよ」「いつ行く?」と予定決めが始まってしまった。俺はそれを笑顔で聞き流しながら、もう一度スマートフォンを手に取る。……と、タイミングよくそれがヴヴッと震えた。

「八重沼:一緒に帰る件、了解です」

 画面に映し出された学生らしくない堅苦しい文面に、俺は耐えきれず「ふっ」と大きく吹き出してしまう。

「なに、二宮どしたん?」
「吹き出すとか珍しいね〜」

 途端、周りが珍しげに問うて来るが、俺は「いーや、なにも」と答えをはぐらかして微笑みだけ向けておく。
 八重沼からメッセージが来て、その内容が可愛くて、思わず笑ってしまったなんて……誰にも教えたくなかったからだ。





 八重沼奏、という人物を知らない者はこの学校にいないと思う。いや、名前と顔が一致しているかどうかは抜きにして、彼の顔を一度見て忘れることができる人がいたら教えてもらいたい。彼は、『八重沼奏』はそれほどに美しい顔をしていた。

(浮世離れした、ってああいう奴のことを言うんだろうな)

 俺ももちろんそんな八重沼のことは一年生の頃から知っていた。なにしろ入学式の時点で、彼は目立っていた。まるで彼の上にだけスポットライトの光が降り注いでいるかのように……いや、自ら光を発しているように輝いていて。少し動くだけで何かこう……天国で流れていそうな荘厳なメロディが聴こえてきそうな、そんな感じだ。まぁ天国でどんな曲が流れているかなんて知りもしないけど。
 俺も世間一般的に「顔が良い」と言われる部類だが、そういうのとはまたちょっと違う。純然たる「美」だ。たとえば俺がアイドル的な顔の良さ(自画自賛が過ぎるが、あくまでたとえだ)だとしたら、八重沼の顔の良さは美術品。しかもとんでもなく大きな美術館にメインで飾られて、誰も触れないようにガラスケースで包まれて警備までついているような……そんなレベルだ。
 とはいえその時の俺は、そんな八重沼に対して「ふーん」という感想しか抱いていなかった。何の感情もないただの「ふーん」だ。なにしろ、クラスが離れていて会話をしたこともなかったし、彼と繋がりのある友達もいなかったからだ。
 顔は綺麗だなとは思いはしたけど、それだけだ。
 流れてくる噂によると「孤高の存在」「違う世界線で生きてる」「なんか近寄りがたいし会話できない」ということらしかったので、中身もちょっと普通じゃないのかもしれない。そんな人柄も何もわからない状況じゃ、顔以外になんの感想も抱きようがないだろう。
 文理で分かれる二年生になって、その時もまた校舎が離れたので、これから卒業まで関わることはないと思っていた。……のだが、その八重沼奏と思わぬ形で知り合うことになった。選択授業だ。
 選択授業なんてほとんど遊びのようなもので、真面目に「よし、頑張って良い作品を作るぞ」なんて意気込んでいる者はほとんどいない。授業中は大体だらついた雰囲気が漂っている。
 そんなだらけた雰囲気の中、八重沼は黙々と書道に励んでいた。
 八重沼は、その派手な見た目に反して寡黙な人物だった。そしてそんな八重沼に、あえて誰も話しかけたりはしない。まるで暗黙のルールのように。
八重沼奏はいつも一人だった。
 八重沼が「そう」であることは何もおかしくないように見えた。間近で見る八重沼はやっぱりどこか浮世離れしていたし、背筋をピンと伸ばし黙々と墨を磨る仕草は教室の中で一人ぽっかりと浮いていた。
 
 そんな八重沼と話すことになったきっかけは、一緒に授業を受けていた友人が八重沼の服に墨汁を飛ばしたことだった。
 白い制服に黒いシミを作られた八重沼は無表情でそれを見下ろしていて……静謐な怒りを湛えているように見えた。友人はすっかり萎縮して、その萎縮を誤魔化すように「そんなに怒るなよ」と悪態を吐いた。
 さすがにそれは良くないだろ、と助け舟を出して八重沼を教室の外へ連れ出して。そしてそこで初めて直接言葉を交わして……八重沼が、見た目にそぐわず純朴な性格の青年であることを知った。いわゆる「天然」とも違う……うん、やっぱり純朴って感じだ。
 八重沼は、墨汁汚れに対して怒るでもなく「歯磨き粉で落ちる」なんて言いだした。美術品のような顔をしながら、歯磨き粉で墨汁を落とすなんて……。そのアンバランスさがあまりにも面白くて、俺は久しぶりに心の底から笑ってしまった。いつも、「ここで笑った方がいいかな」とか「笑っとけば相手がいいように解釈してくれるだろ」とか、そんなことばっかり考えて笑顔を浮かべている俺が。自然と。
 それで、俺は「おもしろいな」という、単純な好奇心から八重沼に「友達になろう」と提案した。
 その時は本当に、そういう軽い気持ちだったのだ。だって天使みたいな見た目に素っ頓狂な中身なんて、面白い以外のなにものでもないじゃないか。
 そう。俺は知らなかったのだ。その後、まさか自分が八重沼に……彼の名にある通りまさに「沼る」ことになるなんて。





「お待たせ〜」
「二宮くん」

 待ち合わせの場所である昇降口に現れた俺に、八重沼はパッと嬉しそうな笑顔を向けてくれた。
 途端、八重沼を見ていたらしい女子の軍団から「きゃっ」と悲鳴のような声が上がったが、八重沼はそれに気付いた様子もなく「暑いね」なんて微笑んでいる。ほとんど真夏といっても差し支えない気候なのにやたら涼しげに見えるのは、やはりその風貌のせいだろう。

「なんか冷たいもの食べたくなるな」
「かき氷とか?」
「アイスじゃないんだ」

 冷たいもの、といってすぐに「かき氷」が出てくるのがなんだかおかしくて笑うと、八重沼は「うん」と頷いた。

「夏は、自分でよく作るんだ」
「かき氷を?」
「そう。牛乳を凍らせて、それを氷にして作るととっても美味しいよ」

 しゃりしゃりとかき氷機で牛乳氷を削る八重沼を思い浮かべながら、俺は「へぇ」と頷く。

「美味しそう」
「うん。だから……」

 と、何か言いかけた八重沼が不自然に言葉を切った。足元に目を向けていた俺は、その時の八重沼の表情を見逃してしまう。顔を上げると、八重沼は控えめに微笑んでいた。

「ん?」
「ううん。……蜜も、手作りで作るんだ。黒糖で作るのが美味しいんだよ」
「へぇ、すごいじゃん」

 話しているうちに、なんだか本当にかき氷が食べたくなってきた。帰りがけにコンビニで買って食べるのもありかもしれない。
 そういえば八重沼は『帰り道に買い食い』というのをしたことがなかったらしい。この間の帰り道、「ちょっと寄っていい?」とコンビニに寄って、付き合わせた礼にとグミをあげたら「これ、ここで食べてもいいの?」ときょとんとした顔をしていた。俺は「当たり前じゃん」と笑ったのだが、八重沼は真剣な顔で「道端で何か食べるの、初めてかもしれない」と呟いていた。なんとまぁ、今時珍しいくらいの箱入りだ。
 真剣な顔でグミと向き合う八重沼がおかしくて、可愛くて、俺はまたも彼に笑わされてしまった。
 そう。ただ「おもしろい」と思って友達になった八重沼なのだが、彼の人となりを知れば知るほど、彼が……やたら「可愛い」ということに気付かされる。

「八重沼、電車までまだ時間ある?」
「え? ちょっと待ってね」

 俺の問いかけに、八重沼は鞄の中からいそいそとスマートフォンを取り出すと、画面に表示された時間を確認する。
 そのホーム画面は虹の写真が登録されていて。その写真を送ったのは、何を隠そう俺だ。ただ話のネタにと送ったその写真をホーム画面に設定しているのを見た時は、さすがにひっくり返るかと思った。

「二宮くんが撮った虹だと思うと、ますます綺麗に見えるんだ。写真でも、二宮くんと同じ虹を見れて嬉しい」

 なんて真面目な顔して言うから、なおさらだ。
 芸術品のような顔をくしゃりと崩して笑って、そんなことを言われて。八重沼が女だったら確実に「え、絶対俺のこと好きじゃん」って勘違いしてると思う。これを策略じゃなく本音で言っているのだからすごい。
 俺は思わず「うーわ、可愛い」と言いかけて、やめて。ただ、キュンとなった心臓を服の上から押さえるだけで我慢した。八重沼はそう、何かと俺の心臓をキュンとさせる。
 これまで友達に対して「おもしろい」とか「良いやつ」くらいは思ったこともあるが、可愛い、なんて初めての感情だ。
 ありえないだろ、男だぞ。と思うものの、飴をあげた時の笑顔とか、待ち合わせ場所に現れた時にちょっとだけ上げる手とか、美術品のような無表情がふわりと笑顔に変わる瞬間とか。そういうのを見るたびに「あ――! 可愛いなぁもう」とでれでれの笑顔になりそうになるのをどうにか耐えているのだ。

(なんでこんなに惹かれるんだろう)

 八重沼とのやり取りは、とても新鮮で面白かった。
 八重沼は何というか、物の見方が真っ直ぐなのだ。俺が言うことにいちいち「そうなんだ」と驚いて、喜んで。わからないことには「それってどういう意味?」と聞いてくる。人にものを尋ねる恥ずかしさより、知らないことを知りたいというその素直さが、羨ましくさえある。
 八重沼は一事が万事そんな感じなのだ。お高くとまっている様子なんて欠片もなかった。まぁ多少浮世離れしているところがあるのは事実だが。

(まぁ、八重沼が「そう」見えるのは、外見の要因が大きいよな)

 俺は隣を歩く八重沼を、ちら、と見やる。光の加減によってはアッシュグレーにも見える色素の薄い髪が、歩くたびにほわほわと揺れて美しい。わずかに伏せられた長いまつ毛が、その美しい顔をさらに繊細に彩っていた。
 見た目、イメージの先行。八重沼の場合その美貌のせいで、それに拍車がかかっていた。一応「ヌカち」なんてあだ名はあるっぽいし、八重沼自身はクラスに馴染みたいと思っている様子だったが……どうも上手くいってないようだ。
 八重沼は多分、友達という存在が欲しいのだろう。
 一緒にいる時、俺が友達に話しかけられると「いいな」と羨ましそうな目で見ていることが多い。八重沼は俺の友達にも話しかけたい様子だったが、話しかけられる方が八重沼の美貌にビビってしまって……無理だった。
 俺と違って八重沼は、自分が周りにどう見えているか、なんて気にしている様子はない。自己プロデュース能力が皆無なのだ。だからなんの衒(てら)いもなく話しかけようとして、そして撃沈する。八重沼に「普通」に話しかけられても、相手は「お、俺? 俺に話しかけてる?」となる。多分、話の内容なんて頭に入ってこない。
 腰が引けて、その目にジッと見つめられることに慣れなくて、そして「あ、うん、じゃあ」という感じでそそくさと逃げるしかない。俺からしてみれば「だろうな」という感じだが、八重沼にはそれがわからない。ただ自分が避けられている、話しかけても良い顔をされない、という認識だけ残る。
 気の毒だし、時々は助け舟を出す。けど、本気で八重沼に友達を作ってやらなきゃ……なんてならないのは、なんとなく「自分が八重沼の唯一でありたい」という気持ちがあるからかもしれない。

(なーんか……)

 こんなつもりはなかったのだが、気がつけば俺はせっせと八重沼にメッセージを送り、一緒に帰ろうと誘い、ついには夏休みに遊ぼうなんて言って。

(沼ってるよなぁ)

 こんなに特定の人物が気になるなんて初めてだ。
 誰かと深い関係になるとか、自分から積極的にアプローチするとか、今までの俺からは考えられない。
 もうちょっと余裕を持って、程よい距離感で友達関係を築いていった方が都合が……。

「二宮くん?」
「ん?」

 考え事の途中に名前を呼ばれて、俺は八重沼に顔を向ける。

「電車。何本か遅らせていいから、時間あるけど」

 そういえば時間があるか聞いていたんだ、と思い出し、俺は「あー」と曖昧に頷いた。そうだったそうだった。
「じゃあさ、コンビニでかき氷買って食べてかない?」
 な、と首を傾けて問うと、八重沼はしぱしぱと長いまつ毛に縁取られた目を瞬かせた後「うん」と力強く同意してくれた。

「実はさっき、二宮くんとかき氷食べたいなって思ってたんだ」
「あ、そうなん……」

 そういえばさっき、八重沼が何かを言い淀んでいたのを思い出す。あれは、俺とかき氷が食べたい、と言いたかったのだ。

「願いが叶って嬉しい。ありがとう。二宮くんはなんでも願いを叶えてくれる、魔法使いみたいだ」

 端正な顔をふにゃりと緩めてそんなことを言われて、俺は「ぐ、可愛い」と奥歯を噛み締めるはめになってしまった。

(だぁから、可愛いってなんだよ、可愛いって)

 顔には出さないまま、自分で自分に突っ込む。
 適切な距離を取りたいのに、八重沼が異常な吸引力で俺を引き寄せる。
 一体全体何がどうなっているのか。俺にも自分の気持ちが全然わからない。
 可愛い、一緒にいたい、連絡したいし声も聞きたい。なんなら顔も見て、その笑顔に癒されたい。けど誰にでも見せたくない、独り占めしたい。もう、ぐちゃぐちゃだ。
 こんな気持ち、生まれて初めてだった。