「な。夏休みに入ったらどっか遊びに行かない?」
そんなことを言われたのは、ちょうど期末試験の真っ只中だった。
二宮くんに誘われて、校内の自習室で一緒に勉強していた時だ。
「遊び?」
「そう」
二宮の机の上には、飴やら個包装のチョコやら紙パックジュースが並んでいる。これはみんな「あ、二宮じゃん」「二宮くん勉強中?」なんて話しかけてきた二宮くんの「友達」が彼に渡してきたものだ。二宮くんは慣れた様子で「ありがと」とそのすべてを断ることなくさらりと受け取っていた。
「八重沼もいる?」と聞かれたが、俺はそれを丁重に断った。
「それは二宮くんに食べて欲しくて渡してくれたんだと思うから」
そう言うと二宮くんは少し目を丸くしてから、何故か嬉しそうに「そうだな」と頷いていた。ちなみにその後「なんか、ちょっとした祭壇みたいだね。二宮くん、神様みたい」と言ったら、彼は盛大に吹き出した。近くの席にいた女生徒が一瞬迷惑そうな視線を向けてきたが、二宮くんが「ごめん」と笑顔を向けると、どことなく嬉しそうに首を振っていた。なんでもそつなくこなす二宮くんは、本当に神様みたいだ。
そんなみんなに慕われる神様(仮)な二宮くんに勉強に誘われて、俺は最初「?」と首を傾げてしまった。
「クラスの友達とはしないの?」
素直な気持ちでそう尋ねると、二宮くんはあっさりと肩をすくめた。
「クラスのやつらとやると絶対大人数になるから。途中で遊びに走って勉強しなくなる」
なるほどというかなんというか。これまで友達と一緒に勉強をしたことがなかった俺には未知の世界だ。
二宮くんは基本的に、クラスの友達と行動を共にしている……らしい。結構がっしりとした体付きなので何か部活に入っているのかと思ったが、一年からずっと帰宅部とのことだった。ただ中学まではサッカーのクラブチームに所属していた、と聞いて「やっぱり」と納得した。
ほー、と感心して頷いていると、二宮くんは「八重沼は静かに勉強しそう」と言ってくれた。まぁたしかに勉強中に独り言を言ったりしないけど、と肯定すると、二宮くんはまた笑っていた。理由はよくわからないけど、二宮くんは会話の最中によく笑ってくれる。馬鹿にしたような笑いじゃなく、本当に心の底から「おもしろい」という感じの笑い方だから、嫌な気持ちにならない。
「あとで話そうな」
二宮くんが俺の方に顔を寄せて、こそ、と呟いてくれる。俺は声を出さないまま「うん」と頷いた。
勉強を終えて、夕暮れの帰り道。
バス通学の二宮くんと、電車通学の俺は、本当は一緒に帰る必要なんてない。高校の最寄りのバス停は、学校の目の前にあるからだ。
しかし二宮くんは必ず俺を駅まで送ってくれる。それからわざわざバス停まで歩いて引き返すのだ。
「送ってくれてありがとう。いつもごめんね」
「いや? 俺が八重沼と一緒にいたいからついてってるだけ」
二宮くんはまるで冗談を言うようにおどけてそんなことを言う。俺は笑って返して、そして「あのさ、さっきの」と話を切り出した。
「夏休みになったら遊ぼうってやつ」
「うん。大丈夫そう?」
けろ、と明るい調子で問われて、俺は少しだけ言葉に詰まる。
「大丈夫だけど……」
だけど、俺と遊んでも楽しくないかも。……と口にしようか迷って、黙り込む。
「まじ? よかった。一回学校じゃないとこで遊んでみたかったんだよな」
二宮くんは俺の葛藤に気付いていない様子で、楽しそうに「どこ行こっか」なんて笑っている。思わずつられるように笑ってしまって、俺は「うん」と頷いた。
俺は二宮くんの言うような「おもしろい」奴じゃないと思うけど、こうやって誘ってもらえるのは嬉しい。どこに行こうかなんて考えてもらえるのも嬉しい。なんだか自分が特別な人間になったような気持ちになる。
(そんなわけないのに)
なんて卑屈なことを一瞬考えて、俺はぶるるるっと首を振った。そんなことを考えるなんて、楽しみにしてくれている二宮くんに失礼な気がしたからだ。
「なに突然。風呂上がりの犬の真似?」
俺の挙動不審を見て、二宮くんが笑いを堪えたような震え声で問うてきた。なんだか独特なたとえだが、乗っからせてもらおう。
「うん。そう、犬」
俺がきっぱりと言い切ると、二宮くんはまたも大笑いしてくれた。何がそんなに面白いのかわからないが、二宮くんは本当によく笑う。
「二宮くんって、よく笑うよね」
笑いの沸点が低い、というやつなのだろうか。そう思って問いかけると、二宮くんは「いや」と首を振った。
「普段はこんなに笑わないから」
目尻の涙を拭いながら言うその言葉はかなり信用がないが、俺は「そうなんだ」と頷いておいた。多分、二宮くんには自覚がないのだろう。下手に否定するとショックを受けるかもしれない。
余計なことを言わないようにと、もに、と口元を引き締めておく。と、まだ笑いの残滓を残したような微笑みを浮かべた二宮くんが「ほんとほんと」と溢した。
「八重沼の前だけだよ、こんなの」
その言葉を聞いた瞬間、何故か胸の奥がキュッと引き絞られたような感覚を覚えた。驚いて胸元をパタパタと叩くと、それはあっという間に落ち着いた。一体なんだったのだろう。
「今度はなに?」
二宮くんは、目尻の涙を拭いながら笑っている。どうやらまた「ツボ」に入ったらしい。
「なんだろう……急な息切れ、動悸?」
俺にもよくわからなかったので素直に首を傾げる。
二宮くんは体を折り曲げるように腹を抱えて「なんだそれ」と爆笑した。
*
期末試験も無事に終わり、そわそわと落ち着かない雰囲気の数日があっという間に駆け抜けて、もうすぐ夏休みがやって来る。
長期休みといえば家で過ごしたり図書館に出かけたり散歩したり……というルーティンを繰り返すだけなのだが、高校二年生の夏休みはちょっと違う。なんと友達と遊びに出かけるのだ。
何を着ていったらいいかよくわからなかったので、以前母さんに買ってもらった服の中から「まぁ似合ってるんじゃない?」と言われたものを選ぶことにした。
母さんはよく俺に服を買ってくれた。
「奏が良いのは見てくれだけなんだから。せめて良い服着て着飾りなさいよ」
なんて言って。
そう。俺は特に面白みもない、顔だけ(は、いいらしい。自分ではよくわからないが)の人間だ。友達との遊び方も知らない。知っているのは糠床のより良い保存法とか、梅干しの漬け方とか、美味しいかき氷の作り方とか、墨汁汚れの落とし方とか、そんなことばっかりだ。
(こんな感じで、二宮くんと遊んで楽しめるかな?)
そんな不安が付き纏っていたが、今更この性格をどうこうするなんてできなくて。
そんなことをぐるぐる悩んでいる間にも時は過ぎ日にちが経って、あっという間に修業式がやって来た。
