もう好きって言っていい?

「いらっしゃい」
「お邪魔します」

 玄関先でぺこりと頭を下げ合って、俺は二宮くんを部屋の中に案内する。

「お祖母さんは?」
「お友達とお出かけ。パフェ食べに行くんだって」
「え、いいな。帰ってきたら感想聞こう」

 くすくすと笑い合いながら二人で廊下を歩く。床からひやりとした冷気が伝わってくる。季節はもうすっかり冬だ。

「二宮くん、冬休みとか、年末年始の予定は?」
「ん? 特にないよ。たまに友達と遊んで……あとは、冬期講習に通うくらいかな」
「そっか。もう三年生になるもんね」

 来年は俺たちも三年生だ。いよいよ受験の年、俺も冬期講習の受講を考えた方がいいだろうか。

「八重沼は?」
「ん? あ、俺も、クラスのみんなでボーリング行こうって」
「お、まじか」

 よかったな、と微笑んでくれる二宮くんの笑顔が眩しい。俺は照れてしまって「うん」とだけ短く頷いた。
 文化祭以降、クラスメイトとの距離が少し近付いた……と思う。クラスでも山本くん以外に気軽に声をかけてくれる人も増えたし、俺も「うん」だけじゃなくてちゃんと話せるようになってきた。ボーリングはもちろん下手だろうけど、「ヌカちもいこ」と気軽に誘ってくれたのが嬉しかった。

「でも、俺とも遊んでな」

 二宮くんに報告できたことが嬉しくてにこにこ笑っていると、俺の顔を覗き込んだ二宮くんがそんなことを言った。ちら、と視線を向けると、少し拗ねたように唇を尖らせている。

「もちろん」
「んー……なんか俺すんごい焼きもち妬きみたいじゃない? ……あ、こたつ!」

 部屋に通すと、ぶつぶつと何事か呟いていた二宮くんが嬉しそうな声をあげた。
 俺の部屋は畳の和室で、真ん中には小さなこたつが設置してある。つい先週出したばかりで、二宮くんに披露するのは初めてだ。

「うわ~、え、入っていい?」
「いいよ、もちろん」

 どうぞどうぞと勧めると、二宮くんは家に入る時と同様に「お邪魔します」と律儀に、しかし嬉しそうに座ってこたつの中に脚を入れる。

「っはぁ〜……あったかぁ」
「よかった」

 ばあちゃんの家は昔ながらの日本家屋で、風通しがいい代わりに冬はどこからか外の冷気が入り込んでくる。暖房もあるにはあるが、俺はこたつのじんわりとした暖かさが好きだ。二宮くんもまるで猫のように背を丸めてぬくぬくと顔をとろけさせている。どうやら気持ちがいいらしい。

「八重沼は? 年末年始はご両親も帰ってくるの?」
「いや……俺が両親のところへ行くはずだったんだけど」

 去年はそうやって、俺が両親のいる海外へと向かった。けど、父は仕事の仲間と、母は現地の婦人会で、それぞれ集まりに出かけたり夫婦でイベントに参加したりと忙しそうで、俺は見知らぬ国のだだっ広い家にぽつんと一人きりだった。両親は、俺がどんな学生生活を送っているかもあまり興味がないようで(まぁ、語れるような賑やかで楽しい生活は送っていなかったが)、ただ、どの大学に進学するかだけはやたらと確認された。

「でも、今年は断っちゃった」

 両親に「来なさい」と言われて断ることは、今まで一度もなかった。けど、俺は先日初めて両親に「年末年始は日本で過ごしたいから、そっちには行きたくない」と伝えた。
 両親は「あらそう」と軽い返事を寄越しただけで、怒られも、残念がられもしなかった。なんだか拍子抜けした気分だったけど、同時に、少しだけすっきりした。

「そうなんだ」
「うん」

 二宮くんには、ちょっとずつ両親のことを話している。俺にあまり興味がないこと。小さい頃からばあちゃんといる時間の方が多かったこと。俺が、少しだけ両親が苦手なこと。
 俺のそんな話を、二宮くんは「そっか」と聞いてくれる。否定することなく、熱心にアドバイスをくれることもなく。ただ、ちゃんと聞いてくれる。

(二宮くんがいたから)

 多分だけど、俺は二宮くんがいてくれたから、両親の誘いを断ることができたと思う。
 二宮くんは俺のことを否定しない。だから俺は「このままの俺でいいんだ」って思える。
 変な話だけど、二宮くんのことを少しだけ「ばあちゃんに似てるな」なんて思ってしまうこともある。生命力に溢れていて、太陽みたいで、ただありのままに受け止めてくれる。そんなところがそっくりだ。いや……もちろん、二宮くんに「二宮くんて、ばあちゃんに似てる」なんてことは言えないけど。

「だから今年はばあちゃんとおせち作るんだ。よかったら食べに来てね」

 そう言うと、二宮くんは「まじ? やった。嬉しい」と本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

「もしかして餅つきとかもする?」

 どこかわくわくとした表情で問われて、俺は「うん」と頷く。

「杵じゃなくて機械でするけど、餅つきするよ。一緒にする?」
「お、いいの? やった!」

 予想以上にいい返事が返ってきて、思わず笑ってしまう。どうやら二宮くんはお餅が好きらしい。

「あんことか持ってきてもいい?」
「いいよ。きなこは手作りするし、納豆と……海苔もあるといいよね」
「俺毎年ハムとチーズ挟んで焼いて食べるんだよ。家族には『邪道』って言われるんだけどさ。八重沼、一緒に食べようよ」
「いいね、美味しそう」

 二人で、あれを挟もう、これをしよう、この味はどうだ、なんて話をしてひとしきり盛り上がる。
 ……と、こたつの中に入れた足の先に、つん、と何かが触れた。何かというか、二宮くんの足だ。
 狭かったかな、と足先を逃す。と、さらに追いかけるようにするりと脚に脚が絡まった。

「……もしかして、わざと?」
「もしかしなくてもわざとなんですけど」

 こたつの天板に顎をのせて、二宮くんが笑っている。
 少年のようなあどけない笑顔、けどどこか熱を孕んだ大人っぽい視線。俺は少しだけ困って、恥ずかしくなって、視線を逸らしながら「うん、そっか」とまばたきを増やした。

「隣、行っていい?」
「いい……いいけど」

 言い終える前に、二宮くんがするりと俺の隣に滑り込んできた。そしてぴとりと肩に肩を寄せてくる。こたつの熱とは種類の違う熱が伝わってきて、じわ、と首筋が熱くなる。

「やーえぬま」

 機嫌良く名前を呼ばれる。声の振動が体から伝わってきて、俺はまたドキドキとしてしまう。もう付き合って三ヶ月も経つのに、いまだに慣れない。

「こないだ、体大丈夫だった?」

 低く艶っぽい声で問われて、びくっと面白いほどに体が跳ねてしまう。二宮くんが「わ」と驚いたような声を出した後、楽しそうに笑って、俺の後ろに回って脚で挟みこんで、その体でもってぎゅっと俺を包み込む。

「や、大丈夫、大丈夫だった」
「そ? よかった」

 ずるずると下に下がると、頭の上に二宮くんの顎がのる。まるでぬいぐるみのように抱きしめられて、どんどん、どんどん顔が熱くなる。

 ――先週。俺は二宮くんと初めて体を繋げた。多分そう、一般的にいう性行為的なあれだ。
 それまでにキスをしたり、体に触れ合ったりを繰り返して。順番に色々こなして、徐々に、徐々に……。
 はっきり言って俺は性的な知識が乏しい。上に、多分性欲的なものが少ない(自慰をほとんどしたことがない、と二宮くんに言ったら、すごく驚いていた)ので、そういう行為のやり方はまったく知らなくて。ほとんど二宮くんに教わる形になってしまった。
 二宮くんは、とても丁寧に俺に触れてくれた。キスをすること、体に触れること、服を脱がすこと、肌を合わせること。そのすべてを言葉で教えてくれて、そして全部に許可を取ってくれた。俺が少しでも「いや」と言えば身を引いてくれて。大丈夫になるまでどのくらいでも待ってくれた。

「俺、八重沼に嫌われたくないよ。嫌なことはしたくない、絶対」

 そう言って、二宮くんはまるで宝物みたいに俺を扱って……だから俺も安心してちょっとずつ身を任せて……。そして先週、自分の体の中に二宮くんを受け入れるということを果たした。
 二宮くんが懇切丁寧に準備してくれたから痛みはなかったのだが、なんというか……多分、気持ちよくて。多分初めての時にそういう風になるのは、あまりないんじゃないだろうか。あんなに気持ちいいこと初めてで、俺は何度も「怖い」と言ってしまった。「気持ちよすぎて、怖いよ」と、泣きながら。でもそれを聞いた二宮くんは、なんというかとびきり嬉しそうに笑って、頬を赤くして、それでぎらついた目を向けてきて。怖いけど、なんだか背中はぞくぞくするし、恥ずかしいし、でも気持ちいいし。なんだかもう、嵐の海に浮かぶ小舟のような気持ちだった。つまり、もみくちゃのめちゃくちゃだ。
 二宮くんの「きもちいい? ほんと? ねぇ八重沼、きもちいいの?」という熱い吐息まじりの問いに、「うん」と答えるので精一杯だった。二宮くんは俺が頷くたびに嬉しそうにして、なんだか動きが激しくなるというか……いや、まぁ、とにかく嬉しそうだった。
 何にしても、受け入れる側(タチとか、ネコという役割名でいうと、ネコ……らしい。動物の猫じゃない)が俺でよかった、とは思った。どちらが挿れて、どちらが受け入れるかは行為の前に決めたのだが、俺は自分から受け入れる側を志願した。初心者の俺が、二宮くんをどうこうできるイメージがまったく湧かなかったから、という理由が大きい。
 でも、俺と触れ合う二宮くんは嬉しそうで、とても嬉しそうで。俺はなんだか本当に素直に「よかった」と思えた。これから付き合っていく上で、どのくらいこういうことをしていくのかわからないけど、この先もずっと二宮くんを受け入れていけたらいいな、なんて……。なんだか恥ずかしくて、二宮くんには言えていないけど。

「い、痛くないし、もう、大丈夫」

 というわけで、体は大丈夫だ。むしろ行為のことを思い出して……二宮くんの汗ばんだ顔とか、逞しい背中とか、俺の脚を抱え上げた力強さとか、肌を触れ合わせてキスをする心地よさとか、腰を掴まれて揺さぶられる気持ちよさとか……そういうのを思い出して、その……珍しく自慰なんてしてしまったくらいだ。健康そのものだろう。

「八重沼、先週のこと思い出したりした?」
「えっ」

 思考を読まれたのかと思って背中に冷や汗が浮く。が、二宮くんは別にエスパーでもない(たぶん、きっと)ので、俺の答えを待つでもなく「俺はさ」と続けた。

「何回も思い出したよ」

 鼻先を髪の中に埋められたまま、すん、と匂いを嗅ぐように鳴らされて。俺は「う、ん」と曖昧に返事をする。だって、もう、それ以外になんと答えたらいいのかわからない。
 心臓がドッ、ドッとすごい速さで鳴っている。密着している体越しに聞こえてるんじゃないだろうかというほどに、激しく。

「八重沼」

 ちゅう、と首筋を吸うようなキスを落とされて、そわ……と腰が動いてしまう。

「なぁ、八重沼。俺おかしいかな。八重沼のことばっか考えちゃうよ」
「お……」

 俺も、と返しかけて、咄嗟に唇を引き結ぶ。それを答えると、なんだか腹に回った手が、腰のあたりを優しく撫でるその手が、服の中に入ってきそうな気がしたからだ。

「お?」

 ちゅ、ちゅ、と何度も首にキスをされながら先を促されて。俺は「お、お」と何度も繰り返してから……。

「お、餅は、何個くらい食べる人、ですか? 二宮くんは……」

 と、この上なくとんちんかんなことを言ってしまった。さすがにこれは……と思ったのと同時に、頭の上で「ぶふっ」と破裂音のような笑い声があがる。

「お餅は大きさにもよりますが、四つほど食べます」
「な、なるほど」

 かーっ、と顔を赤くしながらもにょもにょと答えて頷いて。そして俺は腹に回った二宮くんの腕を、ぺし、と力なく叩いた。

「……じゃなくて、その、俺も一緒」
「ん?」
「俺も二宮くんのこと、考えてる、よく……いつも」
 消え入るような声で伝えると、二宮くんが……ぎゅうっと力いっぱい俺を抱きしめた。
「うぐ、に、二宮くん」
「八重沼〜、も〜〜、沼すぎる」

 もう、もう、もう、と何回も言われて、すりすり、ぐりぐり、と頭に頬を擦り付けられて。

「大好きだよ、八重沼。本当に」

 シュートを決めるように真っ直ぐな言葉が飛んできて、俺は運動音痴ながらどうにかそれを受け止める。手の中で何回も跳ねさせて、落としかけて、それでもわたわたと拾って抱きしめて。

「俺も、俺も大好きだ」

 最近、元気がない時に思い浮かべるのは、漬物でも糠床でもなく、二宮くんの笑顔だ。
 二宮くんは「俺、そんな立派なものじゃないよ」とよく言うが、俺にとってはなにより勇気と元気をくれるものなのだ。ぴかぴかの笑顔を思うだけで、俺も笑顔になれる。

「あ」

 と、そこまで考えてから俺は「そうだ」と身を起こす。

「この間漬物石を運んでもらった白菜の漬け物、あれ出来上がったから一緒に食べよう」

 そう。先日遊びに来てくれた時に、漬け物作りを手伝ってもらったのだ。漬物器を使えば楽なのだが、うちではいまだに石を使って漬けている。二宮くんは重たいその石の上げ下げを手伝ってくれた。手伝ってもらったからには、出来上がったそれを食べてもらわなければ申し訳ない。
 ね、と二宮くんを振り返る。と、二宮くんは……なんともいえない顔をしていた。困ったような、呆れたような、けどどこか楽しそうな、そんな顔。

「二宮くん?」

 どうかした、と首を傾げると、二宮くんは「んー……」と口を閉じたまま微笑んだ。

「いや、好きだな〜って思っただけ」
「白菜漬けが?」

 そんなに嬉しかったのだろうかと首を傾げると、二宮くんが思い切り口を開けて「はははっ」と笑った。そして、ガバッと腕を広げて……。

「漬け物も、それを漬ける八重沼も、……どっちも!」

 どっちも、の声に被さるように、二宮くんが再び俺を抱きしめる。
 がっつりと首のあたりに回ってきた腕に「うぐ」と濁った声を漏らしながら、俺もまた笑ってしまった。二人して笑って、転げて、こたつの脚にぶつかって「いてっ!」なんて言いながら。狭いこたつのなかに男二人でぎゅうぎゅうと重なって。
 二宮くんの、その腕のぬくぬくとした温もりが本当に気持ちよくて、「暖房よりこたつ、こたつより二宮くんの温もりが好き、かも」なんて考えて。そんな自分の思考が面白くて笑ってしまう。

「なに、八重沼。猫みたいに笑って」

 ふくふくと笑っていると、二宮くんがそれこそ猫をあやすように俺の顎をするりと撫でる。

「んー……うん」

 俺はこたつに懐く猫のように二宮くんの指に頬を擦り寄せて、ゆったりと目を閉じた。