北山恭平、25歳、会社員。
死後は異世界転生したいなと、なんとなく思っていた。
だって、アニメで見たような剣や魔法の世界に行けたら楽しそうじゃないか。平凡で冴えない俺が、世界を救う勇者になれるかもしれない。
死ぬのは嫌だけど、どうせ人間はいつか死ぬのだ。それならその先に楽しみが待っていると思いたい。


ところで、ここはどこだ。
 
いつも通りの帰り道。コンビニで適当に弁当を買って、鼻歌を歌いながら歩いていたはずだ。
それがなぜか今、真っ白な空間にいる。
知らない男3人と。
どこ、そして誰。聞こうにもそういう雰囲気じゃない。だって全員「??」という表情をしているから。俺の表情とお揃いだ。
 
「あの、すみません」
 
困惑の空気が満ちる中、最初に声をあげたのは人の良さそうなおじさんだった。
 
「ここどこですか? というかみなさん、どちらさまで……?」
 
とりあえず聞きたかったことを聞いてくれる。だが、それに答えられる人間はいない。俺とおじさん以外の2人のうち、片方はイライラした様子で、もう片方は少し泣きそうな様子で顔を横に振った。

「俺もここがどこか分からないんです。普通に歩いてたはずなのに急にこんな」
「そうですか。私も会社にいたはずが気がつけばここにいて何がなにやら」
 
質問の答えにはなっていないが返事をした俺に、おじさんは少し安堵したような顔をした。少なくとも言葉が通じる相手であることに安心したのだろう。会社にいたという言葉のとおり、彼はスーツを着ていた。もしかしたらどこかのお偉いさんなのかもしれない。腕にしている時計は高級そうなものだ。他の2人のことも改めて見てみる。1人は俺と同じくらいの男。ジーパンにTシャツというラフな格好をしている。先ほどから無言を貫いているが、イライラしているのが滲み出ていた。もう1人は高校生だろうか。制服にリュックサックを背負っている。小柄でどちらかといえば中性的な顔立ちだ。
 
「このまま何もしないのもあれですし、みなさんで自己紹介でもしませんか」
 
おじさんのその言葉で、観察するのに夢中になっていた意識が引き戻される。何が起こっているのか全く分からないこの状況では、確かに自己紹介くらいしかできることはない。周りを歩いて調べようにも、真っ白過ぎて何をどう調べていいのか分からないし、安全は保証されていないのだ。
 
「私は海堂といいます。都内の会社に勤務しています。先ほども言ったんですが、さっきまで会社にいて、仕事をしてました」
「俺は北山です。同じく都内の会社勤務で、帰る途中でした。何が起こってるかさっぱりですが、とりあえず安全のためにも協力できると助かります」
「……竹内です。フリーランスで、今日は家で仕事を。俺も気がついたらここにいたんですけど、なんなんですかねここ」
「あっ、えと、岩下です。高校1年生です。部活終わって帰ろうとしたところでした。僕も何がなにやらで、携帯も繋がらないし」
 
一通り自己紹介をしたが、結局分かったのは何も分からないということだった。とはいえ、周りにいるのが全くの知らない人ではなくなった分、まだ先ほどまでよりはマシだ。逆に知ってしまった以上、ここがデスゲームの会場でないことを祈る。
 
岩下くんが言った通り、スマホは使えなかった。電波が入らないという以前に、電源すら入らない。これが会社に行く途中じゃなくてよかった、と思うのは労働に毒されすぎている証拠だろうか。
 
「みなさん」
 
自己紹介を経て、心なしか空気が緩みつつある中、急に天から声が降ってきた。反射的に顔を上げるが、特に何も見えない。全員揃って顔を上げたので幻聴の線はなさそうである。
 
「この度は急にお呼びしてしまいすみません。案内役のライラと申します」
 
優しい耳馴染みのよい声だ。だがやはり姿は見えない。
 
「おい、なんなんだよここ」
「そうですね、みなさんにとって分かりやすい言葉で言うなら、異世界……でしょうか」
 
竹内さんの怒りを含んだ質問に、ライラは真面目にそう答える。内容は到底真面目とは思えない。もしここが本当に異世界だというのなら、あまりにも殺風景だし、そもそも異世界なんてものが存在することも信じられない。異世界転生を夢見ておいてなんだが、現実的でないにもほどがある。
 
「この真っ白な空間が異世界なんですか?」
「ああ、すみません。言葉足らずでしたね。ここは異世界に行く前に、説明をするための場所なんです」
 
今度は岩下くんが尋ねた。引き続きライラは真剣なトーンで答えるが、やはり意味が分からない。要は異世界転生なのか? 死んだ覚えもないのに?
 
「いや、待ってください。いわゆる異世界転生ってことですか? 唐突すぎてついていけないんですけど」
「きっとイメージされている異世界転生に近いです。ただ、みなさんはまだ亡くなっていないので、転生ではないのですが」
「召喚みたいなことですか?」
 
馬鹿みたいな質問だなという自覚はあるが、勝手に口が動いていた。記憶がないまま気がつくと真っ白な空間にいる、なんて非日常的な状況のせいで、信じてしまいやすくなっているのかもしれない。危ない人たちに薬を盛られて幽閉されている、と考えるよりは、異世界転生の方がまだ安心できる気がする。いや、状況的にはほぼ変わらないか。
 
「召喚とも少し違うかもしれません。これからみなさんには、とある世界で暮らしてもらいます。みなさんの体のままではなく、そこで生まれ育った人の体に入る形で」
「は? 意味わかんねえんだけど。死んでるわけじゃないなら早く帰せよ」
「それはできません。みなさんにその世界を救っていただくまでは、帰せないことになっています」
「ふざけんな、俺らとその世界が何の関係があんだよ」
「あなたがたは選ばれたのです。世界を救うためのイケニ……勇者として」
 
今、生贄って言おうとしなかったかこいつ。というのは、置いておいて。つまり、異世界転生ではないが、異世界にいる人物の体を乗っ取り、どうにかしてその世界を救うということのようだ。こういう類のアニメやゲームはゴマンと見た。自分に起こっていることとしての実感はないが、何となくシナリオは見えてきた気がする。
 
「厳密には乗っ取るわけでもないんですけどね。さて、みなさんが選ばれた理由ですが、みなさんが多少なりとも知っている世界だからです。リリア・ヴェスターという名前に聞き覚えは?」
 
俺が頭の中で考えていたことに、しれっと答えつつ、尋ねてくるライラ。気のせいか最初よりも話し方が軽くなっている。
 
リリア・ヴェスター、たしかにどこかで聞いたような名ではある。だが、俺には外国人の知り合いはいない。となると、テレビやネットで見たのだろうか。どうにか記憶を辿ろうと頭を悩ませていると、岩下くんがリュックを漁り始めた。急な行動に全員の顔が彼を向く。彼が取り出したのはゲーム機だった。
 
「やっぱり!」

無言で数分操作した後、岩下くんは大きな声を出した。考え込み始めていた全員の顔が、再び彼の方を向く。
 
「乙女ゲームです。愛と魔法と夢の学園3。リリアは、これのヒロインの名前ですよ!」
「……ああ!」

告げられた答えに、他3人の声が重なった。それから互いに顔を見合わせる。揃いも揃って、乙女ゲームのヒロインの名前を知っているのはなんなんだ。別に男がプレイしてはいけないわけではないが、全員が知っているのも若干気持ち悪い状態だ。
 
「正解です。ちゃんとみなさん覚えがあったようで何より。みなさんには、その愛と魔法と夢の学園3の世界に入ってもらいます」
「ゲームの世界ってこと? なんでそんなの救わなきゃなんねえんだよ。たかがゲームだろ」
「神様からしたら、あなたたちの世界も所詮ゲームですよ」
 
ライラに苛立ちをぶつける竹内さんに、彼女は強いパンチを返した。竹内さんはそれをモロに食らったようで、何も答えられなくなる。口調は優しくない人だが、声を荒らげることはないし、意外にも彼は繊細なのかもしれない。ちなみに、先ほどからほとんど声を発していないおじさん、改め海堂さんは、話にあまりついていけていないようで、呆然とした表情のまま天を仰いでいる。
 
「納得はできませんが、話は少しだけ分かってきました。でも、あのゲームは乙女ゲームですし、何からどうやって世界を救うっていうんですか」
「あのゲームのラストを知っていますか」
「さあ。元カノがやってるのを見てたくらいなので詳しくは」
「僕、昨日やったばかりなので知ってます。ラストは魔王が出てくるんですけど、それをヒロインが倒すんです」
 
黙り込んだ竹内さんと、置いてけぼりの海堂さんは放置して、ライラと俺と岩下くんの3人で話を進める。ゲームを持っていたこともあり、岩下くんが一番詳しそうだし、頼りにもなりそうだ。
 
「じゃあその魔王を俺らで倒すってことですか」
「いえ、魔王はリリアにしか倒せません。彼女は聖女ですから」
「ん? じゃあ俺らは何を」
「リリアが力を手に入れるための手助けをしてほしいのです」

てっきり勇者として戦うのかと思ったらそうでもないらしい。憧れはあったが、急に戦うのは怖さもあったので、心の中で胸を撫で下ろす。だが、手助けというのは具体的にはどういうことなのだろうか。わざわざ異世界の人間を呼んでまで必要な手助けなんて、見当もつかない。

「聖女の力を手に入れるためには何が必要でしたか」
「愛する思い、です」

ライラの質問に、岩下くんが真っ直ぐに答えた。そんな恥ずかしいワードよく言えるな。これが若さの力だろうか。なんて考えている場合ではなく。これはつまりどういうことか。
 
「そう。あなたがたには、リリアが愛する思いを持てるよう尽力していただきたいのです。このゲームの攻略対象者の体に入り、リリアに愛されてください」
 
元カノが以前熱く語っていた。愛と魔法と夢の学園シリーズの最新作には、4人の攻略対象キャラが出てくると。つまり俺ら4人は、その攻略対象キャラとして、密かに世界を救うべくヒロインにアプローチしなくてはならないということだ。自分で言ってて意味が分からない。
 
「元々の攻略対象キャラは!? 彼らが愛されれば済む話でしょう!」
「愛と魔法と夢の学園シリーズは、なまじ1と2のできがよかったせいで、プレイヤーの見る目が上がっちゃって。なかなか普通のキャラだと、ヒロインがなびいてくれなくなっちゃったんですよね」
「なんか発言が急にメタくないですか!? ゲームの開発者かなんかですか!」
 
意味が分からなすぎて、声を張ってしまう。さっきまで頑張っていた岩下くんもキャパ超えしたようで、何も言わなくなってしまった。

「とりあえず現段階での説明はこれくらいにしましょうか。他のことは向こうの世界に行ってから改めてお話しますね。それでは頑張ってください」

ライラは俺の叫びを無視して、勝手に話を締めた。周りを見回すと、全員の顔から生気が失われている。きっと俺の顔とお揃いだ。

世界を救うためには、見る目の肥えたヒロイン相手に、自分を愛してもらわなくてはならない。俺なんてただの平凡で冴えない人間なのに。言っちゃ悪いが、他の3人も恋愛に慣れていそうには見えない。

要となる攻略対象者は、
人は良さそうだが話に全くついていけてないおじさんと、
イライラを隠せないわりに繊細そうなお兄さんと、
ゲームには詳しそうだが恋愛経験の浅そうな高校生と、
歴代彼女1人(交際半年で破局)の俺。

こんなのさすがに無理ゲーじゃないか。


北山恭平、25歳、乙女ゲームの攻略対象者。
楽しみだった異世界に来たけど、既にもう帰りたいです。