視界の端に映る窓の外側で、熊蝉が狂ったように鳴いている。メッセージの受信を告げる通知音が突然耳元で響いて、びくりと身を竦ませた。
《やっほー深月、生きてる?》
確認すると、彩芽からの連絡だった。彼女の明るく軽い口調が聞こえてきそうで、思わず笑ってしまう。ここ数日で冷房に当てられ、喉がガラガラになった私は、声に出さずに「どうしたの彩芽」と呟いた。誰もいない部屋で、口を動かすだけ。
一日中部屋でごろごろしているのは、やはり健康に良くない。かと言ってこの猛暑の中出かけるのは文字通り自殺行為だ。早々に課題が終わってしまった夏休みでも健康に過ごす方法を、誰かが教えてくれたりしないだろうか。
《生きてるよ。どしたの?》
《いやぁ、深月寂しがってるんじゃないかと思って。長期休みだと会えないでしょ?》
《よく分かったね、寂しがってるって》
《クラゲくんとは会ってるの?》
何故ここで彼の名前が出てくるのかと疑問が浮かぶ。疑問をそのまま文章にすると、すぐに返信が返ってきた。
《仲良いからてっきり夏休み中も遊んだりしてるのかと…そうでもない?》
《生憎そんな間柄ではないよ》
《ふーん。じゃ、あたしとどっか遊びに行こうよ》
このまま引きこもっていても思考の沼に嵌っていくだけなので、彩芽のこの誘いには有り難みを感じた。
《良いね、どこ行く?》
《カラオケ?》
《また?(笑)私、喉死んでてほぼ歌えないけど良い?》
《それは大丈夫なの? だって外暑いんだもん、屋外なんて以ての外でしょ》
《大丈夫、確かにね。じゃあカラオケ行こっか、今回は彩芽が歌唱担当ね》
試験後にそこへ行った時には言い出しっぺの彩芽が想像以上に疲れていて、私ばかり歌っていたことを思い出しながら、そう送る。
《うっ、頑張る…! いつ空いてる?》
《いつでも暇だよ》
《じゃあいっそのこと今日行っちゃう? フッ軽すぎ?》
「フッ軽って何だ」
思わず呟いて、検索をかける。『〝フットワークが軽い〟の略語』。へぇ。
《いや、大丈夫。行こっか》
《わーい! じゃあ、11:00に学校の最寄駅集合で良い? どっかで適当にご飯食べよ〜》
《おっけー》
『よろしく』と書かれた可愛らしいスタンプが送られてきて、ふふっと笑う。彩芽と話しているうちに、あれだけ沈んでいた気分が上向いているのも嬉しかった。
現在時刻、9:35。1時間後に家を出れば、急がずとも間に合う時間だ。
「予定に向けて動くの、久しぶりだな」
掠れた声でそう呟いて、勢い付けて立ち上がった。
「深月! やっほー!」
改札の前で待っていると、彩芽が手を振りながら駆け寄ってきて、思わず笑みが零れた。
「ぉはよ、彩芽」
「本当に喉ガラッガラじゃん。何したの」
「冷房に当てられた」
「ずっと引きこもってるからだよ」
「その通りだけど、言い方酷くない? それに、今時冷房なかったら死ぬじゃん」
「うーん。まー、そーなんだけどさー」
伸ばし棒が多いな、なんて思いながら、彼女と並んであてもなく歩き出す。駅舎内は直射日光が遮られているにも関わらず熱気が籠っていて、私は額の汗を拭った。とりあえず、空調が生きている場所に避難したい。
「深月、何食べたい?」
「んー……冷たいもの」
「アイスか冷やし中華じゃん」
「うどんとか冷麺とかもあるよ」
「冷麺と冷やし中華って違うの?」
「……分かんない」
話しながらも足が無意識のうちに向かっていたらしく、気がつくと行き慣れたフードコートに出ていた。クラゲ君とも、空腹に負けた放課後に訪れたことがある。
「何かいつも通りだけど……良い? もうあたしお蕎麦食べたくなってる」
可笑しそうに笑いながら、彩芽がそう問うてきた。同意見だと言って、2人並んで蕎麦屋の列に並ぶ。しばらくして、注文したそれがお盆に載せられると、夏らしい爽やかな柑橘の香りが鼻を擽った。
「おなかすいた」
「あたしも。早いとこ食べちゃお」
「うん」
カウンター席に着いた彩芽の左隣に座った。思えば、私は人の左隣に陣取ることが多いかもしれない。何故なのかと一瞬首を傾げたけど、そんな小さな疑問は食欲に負けてあっという間に居なくなってしまう。
「深月、お昼ご飯それだけ?」
「彩芽こそ、天麩羅そんなに食べるの?」
「流石に頼み過ぎた。よし、夏バテ中の深月に優しい彩芽ちゃんが分けてあげよう」
いらないよ、と言ったけど彼女は聞く耳を持たない。諦めて、好物の海老天を頂くことにする。
「これ、幾ら?」
「良いよ良いよ、あたしの奢り」
「え、……ありがとう」
彩芽が嬉しそうに頷いて(嬉しそうにする要素が私には見当たらなかったが)、「食べよー」と明るい声を上げる。
「「いただきます」」
彩芽と揃って、手を合わせた。
カラオケ店を出ると、日没後にも関わらず蒸し暑い空気が肺に流れ込んできた。
「楽しかった〜!!」
彩芽が跳ねるように歩いていくその後ろを、私もにこにこしながら歩く。
「良かった、私も楽しかったよ」
「深月、ずっとあたしの歌聴いているだけで退屈しないの?」
「しないよ。彩芽、歌上手いから聴いてて飽きない」
「えー本当? 嬉しいなぁ」
「ほんとほんと」
彩芽がはしゃいだようにくるりと回って、私の横に戻ってくる。
「深月、今後の夏休みの予定は?」
うーんと唸って、記憶を辿りながらゆっくりと答える。
「オーキャン以外は特に、何も」
誤魔化しじゃない。本当に無いのだ。
「じゃあ課題終わらなくて苦しむことはなさそうだね」
「そうだね、実はもう終わってたりするけど」
「マジで⁉︎」
さすが彩芽ナイスリアクション、なんて思いながら、私は自慢気に笑って見せる。困ったように笑うのと自慢気に笑うのと、どちらの方が人の神経を逆撫でしないで済むか一瞬考えた結果だった。
「じゃあ暇じゃん、夏休み」
「うん、暇なんだよね。本読んで、久しぶりにゲームでもしてようかな」
本当は課題を終えても勉強しないといけないのだけど、そんな現実にはそっと目を瞑る。いつでも優等生を演じるのは、流石に無理だ。
「そんなに暇なら、クラゲ君あたりと遊べば良いじゃん」
「彩芽、最近妙にクラゲ君推すね。どうしたの?」
「深月もクラゲ君も、お互い一緒に居ると楽しそうだし。見てるこっちも何か楽しいんだよね」
それは素直に褒め言葉と受け取って良いんだろうか、と思いながら、「ふぅん」と相槌を打つ。
「あー、信じてないでしょ」
「……素直に受け取って良いのか分からないだけ」
「受け取れ受け取れ、褒めてるんだよ」
彩芽が戯けたようにそう言って、楽しそうに笑った。
《やっほー深月、生きてる?》
確認すると、彩芽からの連絡だった。彼女の明るく軽い口調が聞こえてきそうで、思わず笑ってしまう。ここ数日で冷房に当てられ、喉がガラガラになった私は、声に出さずに「どうしたの彩芽」と呟いた。誰もいない部屋で、口を動かすだけ。
一日中部屋でごろごろしているのは、やはり健康に良くない。かと言ってこの猛暑の中出かけるのは文字通り自殺行為だ。早々に課題が終わってしまった夏休みでも健康に過ごす方法を、誰かが教えてくれたりしないだろうか。
《生きてるよ。どしたの?》
《いやぁ、深月寂しがってるんじゃないかと思って。長期休みだと会えないでしょ?》
《よく分かったね、寂しがってるって》
《クラゲくんとは会ってるの?》
何故ここで彼の名前が出てくるのかと疑問が浮かぶ。疑問をそのまま文章にすると、すぐに返信が返ってきた。
《仲良いからてっきり夏休み中も遊んだりしてるのかと…そうでもない?》
《生憎そんな間柄ではないよ》
《ふーん。じゃ、あたしとどっか遊びに行こうよ》
このまま引きこもっていても思考の沼に嵌っていくだけなので、彩芽のこの誘いには有り難みを感じた。
《良いね、どこ行く?》
《カラオケ?》
《また?(笑)私、喉死んでてほぼ歌えないけど良い?》
《それは大丈夫なの? だって外暑いんだもん、屋外なんて以ての外でしょ》
《大丈夫、確かにね。じゃあカラオケ行こっか、今回は彩芽が歌唱担当ね》
試験後にそこへ行った時には言い出しっぺの彩芽が想像以上に疲れていて、私ばかり歌っていたことを思い出しながら、そう送る。
《うっ、頑張る…! いつ空いてる?》
《いつでも暇だよ》
《じゃあいっそのこと今日行っちゃう? フッ軽すぎ?》
「フッ軽って何だ」
思わず呟いて、検索をかける。『〝フットワークが軽い〟の略語』。へぇ。
《いや、大丈夫。行こっか》
《わーい! じゃあ、11:00に学校の最寄駅集合で良い? どっかで適当にご飯食べよ〜》
《おっけー》
『よろしく』と書かれた可愛らしいスタンプが送られてきて、ふふっと笑う。彩芽と話しているうちに、あれだけ沈んでいた気分が上向いているのも嬉しかった。
現在時刻、9:35。1時間後に家を出れば、急がずとも間に合う時間だ。
「予定に向けて動くの、久しぶりだな」
掠れた声でそう呟いて、勢い付けて立ち上がった。
「深月! やっほー!」
改札の前で待っていると、彩芽が手を振りながら駆け寄ってきて、思わず笑みが零れた。
「ぉはよ、彩芽」
「本当に喉ガラッガラじゃん。何したの」
「冷房に当てられた」
「ずっと引きこもってるからだよ」
「その通りだけど、言い方酷くない? それに、今時冷房なかったら死ぬじゃん」
「うーん。まー、そーなんだけどさー」
伸ばし棒が多いな、なんて思いながら、彼女と並んであてもなく歩き出す。駅舎内は直射日光が遮られているにも関わらず熱気が籠っていて、私は額の汗を拭った。とりあえず、空調が生きている場所に避難したい。
「深月、何食べたい?」
「んー……冷たいもの」
「アイスか冷やし中華じゃん」
「うどんとか冷麺とかもあるよ」
「冷麺と冷やし中華って違うの?」
「……分かんない」
話しながらも足が無意識のうちに向かっていたらしく、気がつくと行き慣れたフードコートに出ていた。クラゲ君とも、空腹に負けた放課後に訪れたことがある。
「何かいつも通りだけど……良い? もうあたしお蕎麦食べたくなってる」
可笑しそうに笑いながら、彩芽がそう問うてきた。同意見だと言って、2人並んで蕎麦屋の列に並ぶ。しばらくして、注文したそれがお盆に載せられると、夏らしい爽やかな柑橘の香りが鼻を擽った。
「おなかすいた」
「あたしも。早いとこ食べちゃお」
「うん」
カウンター席に着いた彩芽の左隣に座った。思えば、私は人の左隣に陣取ることが多いかもしれない。何故なのかと一瞬首を傾げたけど、そんな小さな疑問は食欲に負けてあっという間に居なくなってしまう。
「深月、お昼ご飯それだけ?」
「彩芽こそ、天麩羅そんなに食べるの?」
「流石に頼み過ぎた。よし、夏バテ中の深月に優しい彩芽ちゃんが分けてあげよう」
いらないよ、と言ったけど彼女は聞く耳を持たない。諦めて、好物の海老天を頂くことにする。
「これ、幾ら?」
「良いよ良いよ、あたしの奢り」
「え、……ありがとう」
彩芽が嬉しそうに頷いて(嬉しそうにする要素が私には見当たらなかったが)、「食べよー」と明るい声を上げる。
「「いただきます」」
彩芽と揃って、手を合わせた。
カラオケ店を出ると、日没後にも関わらず蒸し暑い空気が肺に流れ込んできた。
「楽しかった〜!!」
彩芽が跳ねるように歩いていくその後ろを、私もにこにこしながら歩く。
「良かった、私も楽しかったよ」
「深月、ずっとあたしの歌聴いているだけで退屈しないの?」
「しないよ。彩芽、歌上手いから聴いてて飽きない」
「えー本当? 嬉しいなぁ」
「ほんとほんと」
彩芽がはしゃいだようにくるりと回って、私の横に戻ってくる。
「深月、今後の夏休みの予定は?」
うーんと唸って、記憶を辿りながらゆっくりと答える。
「オーキャン以外は特に、何も」
誤魔化しじゃない。本当に無いのだ。
「じゃあ課題終わらなくて苦しむことはなさそうだね」
「そうだね、実はもう終わってたりするけど」
「マジで⁉︎」
さすが彩芽ナイスリアクション、なんて思いながら、私は自慢気に笑って見せる。困ったように笑うのと自慢気に笑うのと、どちらの方が人の神経を逆撫でしないで済むか一瞬考えた結果だった。
「じゃあ暇じゃん、夏休み」
「うん、暇なんだよね。本読んで、久しぶりにゲームでもしてようかな」
本当は課題を終えても勉強しないといけないのだけど、そんな現実にはそっと目を瞑る。いつでも優等生を演じるのは、流石に無理だ。
「そんなに暇なら、クラゲ君あたりと遊べば良いじゃん」
「彩芽、最近妙にクラゲ君推すね。どうしたの?」
「深月もクラゲ君も、お互い一緒に居ると楽しそうだし。見てるこっちも何か楽しいんだよね」
それは素直に褒め言葉と受け取って良いんだろうか、と思いながら、「ふぅん」と相槌を打つ。
「あー、信じてないでしょ」
「……素直に受け取って良いのか分からないだけ」
「受け取れ受け取れ、褒めてるんだよ」
彩芽が戯けたようにそう言って、楽しそうに笑った。



