「ねぇ、クラゲ君。私おかしいかもしれない」
そう切り出すと、彼が不思議そうに首を傾げた。夏の夕方の太陽は、未だ傾く気配を見せない。
「何が?」
「この前試験終わったじゃん」
「そうだね」
私は盛大に溜息を吐いた。
だってこんなの、絶対におかしい。
私の認知能力が著しく下がったとしか考えられない。
「もう明日から夏休みってマジ?」
大真面目に言った私の顔をちょっと見て、クラゲ君が吹き出した。
「ちょっと、真面目に聞いてよ」
声を上げて笑い出したクラゲ君に抗議の意味を込めて、大袈裟に声を尖らせる。
「いやぁ、ごめんごめん。深月さん可愛いこと言うなと思って。あ、別に変な意味じゃないからね」
「それは分かってるけどさ……」
「確かに、早いね。もう夏休みか」
クラゲ君がちらと空を見上げて、独り言のように呟く。その横顔を眺めながら、何とかテンションを通常運転に戻した私は口を開いた。
「クラゲ君、夏休みの予定は?」
「前にもこんな話しなかったっけ? 夏期講習行って課題終わらせたら、もう暇だよ」
「私もだな。暇になったら連絡入れて良い?」
私たちは2人とも部活動に所属していない。文化祭準備に本気で熱を上げられるような性格でもないから、夏休みに学校に行く用事は最初1週間の夏期講習くらいだ。
「良いけど、僕寝てるかもよ」
「大丈夫、メッセージ連投で叩き起こすから」
「ひっど、僕のスマホの通知やばいことになるじゃん」と返して、彼が楽しそうに笑った。

「あぁ、あった夏休みの予定」
思い出したように呟くクラゲ君に、「なに?」と訊いてみる。
「読書。読みたい本溜まってるからさ、図書館で借りまくっていっぱい読む」
リクエストしとかないと、と嬉しそうに続ける彼に、私も読みたい本の存在を思い出した。
「私も読みたい本あったな。古本屋にあったら買うよ」
「深月さん、図書館使わないの?」
「そっちこそ、買わないの? 借りるだけ?」
「僕はバイトしてない民だから。欲しい本全部買ってたら破産しちゃう」
「それを言ったら私もバイトしてないけどさ。私は図書館に行く習慣もないし、何より読みたい本は私物化したくならない?」
「あー、気持ちは分かる」
僕も借りて気に入った本は買うよ、と続けるクラゲ君に相槌を打ちながら、顔を上げて空を見上げる。痛いほどの天色が眩しかった。
「本といえばさ」
彼が再び声を発して、私は其方に顔を向ける。
「今ちょっと題名が思い出せないんだけど、前に読んで感心した小説があってね」
「うん」
クラゲ君が話してくれたあらすじを基にタイトルを当ててみると、「それだ」と言って彼が嬉しそうに笑った。
「深月さんも読んだことあるの?」
「ううん、あらすじを読んだことがある程度かな。ちゃんと読みたいと思ってはいるんだけどね」
「そうなんだ。僕あの小説の主人公2人の関係性がすごく好きでね。何て言うんだろう、すごく人と人なんだ。仲良いんだけど、ただの友人とも恋人とも、なんか違う感じで」
「確かに良いね、その関係性。見ててほっこりするだろうな」
「だよね。『恋人?』って訊かれて、『仲良し』って返すのも面白かった」
小説の中の話であるはずのそれが、いつの間にかはっきりとした輪郭を持って、私の横に立っているような錯覚に陥る。
恋人でも友人でもなく、仲良し。
クラゲ君と私の関係を定義付けるなら、もしかしたらそれではないだろうか?