「深月さん、何かあった?」
優しげな声が聞こえて、はっと顔を上げた。心配そうな顔が、私の目を覗き込んでいる。
「うーん、まぁ」
敵わないなと思いながら、曖昧に笑った。
「ここ一年ぐらい、ずっと整理がついてない感情があって。この前またがっつり考え始めたら、止まらなくなっちゃってさ」
「へぇ、一年も。らしくないって言ったら酷いかもしれないけど、感情に振り回されるイメージあんまりないな、深月さんって」
「だよね。私もびっくりだよ」
『貴方のことだよ』とは、言えない。言いたくない。
そう、これも、私の面倒な性質の一つだ。
恋愛感情らしきものを抱いても、告白から交際というビジョンが面白いくらいに見えてこない。感情に行動が伴わない、といった方が適当だろうか。だから告白したいなんて思わないし、その先なんてものも考えたことがない。どこまでも、自己完結の感情が続く。
これが恋愛感情だと、誰が確信を持って言えるだろうか?
「でも、感情の整理できなくて収拾つかなくなるのは分かるなぁ」
「クラゲ君もあるの? そういう時」
真面目腐ってそう尋ねると、クラゲ君が吹き出した。
「あるよ、僕のことなんだと思ってるの? 僕、割と寝る前に布団の中で1人反省会とかしちゃうタイプだよ」
「そうなんだ、意外」
クラゲ君は尚も愉快そうに笑っている。私も釣られて笑いながら、心の中で彼の言葉を反芻する。
『僕、割と寝る前に布団の中で1人反省会とかしちゃうタイプだよ』
意外だった。本心だ。
クラゲ君はいつも飄々としていて、掴みどころがない。流れに任せて、嫌なことがあってもさらりと受け流して。人と関わるのが好きで、尚且つそれが得意な人。
それぞれに悩みが尽きないのは当たり前だけど、私はどこか屈折した視点で彼を見ていたようだ。
彼は、私が思っているよりも人間だった。
別に苦しかったわけじゃないけど、ふっと呼吸がしやすくなった気がする。
一同級生を、ここまで人間として見たことがあっただろうか。高校生、同輩、元クラスメイト。どうしても肩書きが先行して、視野が狭まっていたのではなかろうか?
彼は飄々とした人だ。
だけどきっと、それだけじゃない。
そう、見せていたり。そう、見えてしまっていたり。

此の人を本当に真っ直ぐ見ている人は、一体どのくらい居るだろう?

「ねぇ、深月さん」
「ん?」
クラゲ君の声がして、私はぱっと顔を上げた。
「深月さんはさ、人に頼るのが苦手でしょう」
当たり前のように言われて、心の中で首を傾げる。つもりだったのに態度にも出て、ちゃんと首を傾げた。
「………そう?」
「自覚なしかぁ。深月さん、自分のことあんまり話さないから。だから苦しそうにしてても、僕は隣で見てることしかできないんだけどね」
申し訳なさそうに言われて、「隣に居てくれるだけでありがたいよ」と笑う。確かに、自分のことを進んで話すことはほとんど無いかもしれない。
「うん。でもさ、せっかく横にいるのに何もできないって悔しいから」
クラゲ君がふわりと笑う。優しい笑顔だった。
「何でも話せ、なんて言わないよ。だけどもう少し頼ってくれても、嬉しいかもしれない」
僕で良ければいつでも話聞くからね、なんて続ける彼に、思わず笑顔が零れる。
「ありがとう」
本当に、ありがたい。でも、申し訳ないなぁ。クラゲ君、ごめんね。
だって、この感情の話をしたところで、貴方はきっと喜ばないでしょう? 私も別に、関係性の変化を求めているわけではない。
話すことに依る、互いのメリットがない。
『恋愛云々関係なく、気兼ねなく喋れる人』で、互いに満足しているのだ。
夏の空気が、肌にまとわりつくように重い。創作物の夏と違って、現実の夏ってどうしてこんなに気が滅入るのだろうか。
「それにしても、あっついねー」
私の心を読んだみたいに、クラゲ君が額の汗を拭って呟いた。前にもこんなことを思った気がする。
「ね。海とか山とか、行きたくなくなる暑さだね」
「ほんとそれ。夏休みが暇になるよ」
実は本当にテレパシーが使えるんじゃなかろうか、なんて思いながら、「大丈夫だよ」と返す。不思議そうな顔をした彼に、ふふっと笑って続けた。
「だってきっと課題どっさり出るもの」
「それ全然嬉しくないよー」
クラゲ君が本当に嬉しくなさそうに顔を歪める。確かに課題は歓迎されたものではないけど、ここまで表情に出るとなると面白いものだ。
もう一度笑って、空を見上げる。
「もう試験1週間前か。娯楽封印しないと」
「毎回言ってるね。でもSNSはともかく、小説まで封印することなくない?」
「小説のストーリーが数学の公式を上書きしていくんだもの、点数下がる」
「真面目だねー」
クラゲ君がそう言って笑った。でも、そんなクラゲ君も試験前はとことん自分を追い込んでいくことを、私は知っている。
もくもくと盛り上がっていく入道雲が、私たちを見下ろしていた。