六月の雨が激しく降る午後、駅前のカフェ「ブルーム」で一人の女性が窓際の席に座っていた。彼女の名前は桜井美咲、25歳のグラフィックデザイナーだった。手にはスケッチブックを持ち、雨に打たれる街並みを眺めながらペンを走らせている。

「すみません、他に席が空いていないのですが、相席させていただけませんか?」

振り返ると、濡れた髪を手で直している男性が立っていた。背が高く、優しそうな目をした彼の名前は田中悠人、27歳の小学校教師だった。

「あ、はい。どうぞ」
美咲は慌ててスケッチブックを閉じた。

「ありがとうございます。すごい雨ですね」
悠人は向かいの席に座りながら言った。

「そうですね。でも雨の日って、なんだか特別な感じがして好きなんです」

悠人の目が美咲のスケッチブックに向いた。
「絵を描かれるんですね」

「仕事でグラフィックデザインをしているんです。趣味でスケッチもするんですけど」

「素敵ですね。僕は小学校で図工を教えているんですが、絵が得意な人を見ると尊敬します」

そこから二人の会話は自然と弾んだ。雨が止むまでの二時間、まるで昔からの友人のように話し続けた。



それから一週間後、美咲は同じカフェにいた。偶然を装って、実は悠人に会えることを期待していた。

「また会いましたね」

振り返ると、悠人が微笑んでいた。

「あ、田中さん。こんにちは」
美咲の頬が少し赤くなった。

「良かったら、今度の日曜日に美術館に行きませんか?生徒たちの授業の参考にもなりそうですし」

「喜んで!」
美咲の返事は思ったより早く、二人とも笑ってしまった。

日曜日の美術館デートは完璧だった。悠人は美咲の専門的な解説に耳を傾け、美咲は悠人の子どもたちへの愛情深い話に心を温められた。

「美咲さんって、とても優しい眼差しで絵を見るんですね」

「そうでしょうか?」

「きっと優しい心を持っているからだと思います」

その言葉に、美咲の胸がドキドキした。



二ヶ月が過ぎ、二人は週末のデートが恋しくてたまらないほど親しくなっていた。しかし、美咲に東京の大手デザイン会社から転職の話が舞い込んだ。

「チャンスなのは分かってるんです。でも...」
美咲はカフェで悠人に打ち明けた。

「でも?」

「ここを離れたくないんです。あなたと...」

悠人は静かに美咲の手を取った。
「美咲さんの夢を応援したいです。でも、正直に言うと、僕も寂しい」

「私も...どうしたらいいか分からなくて」

二人は数日間、連絡を控えた。それぞれが相手のことを思いながら答えを探していた。


金曜日の夜、悠人は美咲のアパートを訪れた。

「話があります」
悠人は真剣な表情で言った。

「私も話があるんです」
美咲も同じような表情だった。

「僕から先に...美咲さんに東京に行ってほしいです」

美咲は驚いた。
「え?」

「あなたの才能を、もっと多くの人に知ってもらいたいんです。僕のせいで夢を諦めてほしくない」

美咲の目に涙が浮かんだ。
「悠人さん...実は私、お断りしたんです」

今度は悠人が驚く番だった。

「なぜ?」

「あなたがいない東京なんて、意味がないから。それに、ここでも素敵な仕事はできるし、何より...」

「何より?」

「あなたと一緒にいたいから」

悠人は美咲を静かに抱きしめた。

「僕も、あなたと一緒にいたいです。ずっと」


一年後の同じ六月、雨の降る日。悠人は美咲を最初に出会ったカフェ「ブルーム」に誘った。

「なんだか懐かしいですね」
美咲は窓際の同じ席に座りながら言った。

「あの日、雨に降られて良かったです」
悠人は微笑んだ。

「私も。運命だったのかもしれませんね」

悠人はポケットから小さな箱を取り出した。美咲の息が止まった。

「美咲さん、僕と結婚してくれませんか?」

箱を開けると、美咲がデザインした花のモチーフのリングが輝いていた。

「これって...私がスケッチした...」

「あなたの絵を指輪職人さんにお願いして作ってもらいました。世界に一つだけの、あなただけのリングです」

美咲の涙がほほを伝った。

「はい!もちろんです!」

カフェの他の客たちからも温かい拍手が起こった。外では雨が優しく降り続いていた。



悠人と美咲は小さな教会で結婚式を挙げた。美咲は地元のデザイン事務所で充実した仕事を続け、悠人は子どもたちに慕われる先生として日々を過ごしている。

今でも雨の日には、二人は「ブルーム」で待ち合わせをする。そして美咲はスケッチブックに、悠人との幸せな日常を描き続けている。

「また雨ですね」
悠人が言う。

「雨の日が一番好きです」
美咲が答える。

「僕もです。雨の日に君に出会えたから」

窓の外では今日も雨が降り、二人の愛の物語は続いていく。