雨が激しく降る金曜日の夕方、東京駅のコンコースは傘を持たない人々で溢れていた。その中に、ずぶ濡れになりながら困り果てている一人の女性がいた。

「はあ...今日に限って傘を忘れるなんて」

彼女の名前は佐藤愛梨(25歳)。出版社で働く編集者で、いつもは几帳面だが、この日は朝の慌ただしさで傘を忘れてしまっていた。

その時、背後から優しい声が聞こえた。

「あの、もしよろしければ...」

振り返ると、黒い傘を差し出してくれる男性がいた。荒井健太(27歳)、IT企業でシステムエンジニアをしている彼は、偶然美咲の困った様子を見かけていた。

「え、でも...」

「僕は車で来てるので大丈夫です。どうぞ」

健太の優しい笑顔に、愛梨の心は温かくなった。

「ありがとうございます。でも、この傘はどうやってお返しすれば...」

「今度、お時間のある時にでも」

健太は名刺を差し出した。愛梨も慌てて自分の名刺を取り出す。

「佐藤愛梨と申します。本当にありがとうございました」



一週間後、愛梨は健太に連絡を取り、傘を返すために新宿のカフェで待ち合わせをした。

「お忙しい中、ありがとうございます」

愛梨が傘を差し出すと、健太は首を振った。

「せっかくなので、少しお話しませんか?コーヒーでも」

「でも、お時間を取らせてしまって...」

「大丈夫です。実は、あの日からずっと気になっていたんです」

健太の率直な言葉に、愛梨の頬がほんのり赤くなった。

カフェの窓際の席で、二人は自然と会話を始めた。

「お仕事は編集者をされているんですね」

「はい。主に文芸書を担当しています。健太さんはシステムエンジニアでしたよね」

「ええ。最近は人工知能の開発に関わっているんです」

「すごいですね!私には全く分からない世界です」

「僕も本はよく読むんですよ。美咲さんが手がけた本も読んでいるかもしれませんね」

会話は途切れることなく続き、気がつけば3時間が経っていた。

「あ、もうこんな時間...」

「楽しい時間でした。また今度、お会いできませんか?」

健太の真剣な眼差しに、愛梨はゆっくりと頷いた。


それから二人は頻繁に会うようになった。美術館、映画館、公園...様々な場所でデートを重ねた。

ある春の日、桜が満開の上野公園を歩いていた時、健太が立ち止まった。

「愛梨さん、僕と付き合ってください」

桜の花びらが舞い散る中、健太の告白を聞いた愛梨の目には涙が浮かんでいた。

「私も...健太さんのことが好きです」

「本当に?」

「はい」

二人は桜の木の下で、初めて手を繋いだ。



交際を始めて1年が経った頃、愛梨の仕事が忙しくなり、なかなか会えない日が続いた。健太も新しいプロジェクトで残業が続いていた。

「最近、全然会えないね...」

電話越しの健太の声は少し寂しそうだった。

「ごめんなさい。今度の企画が大変で...」

「僕も忙しくて、美咲の支えになれなくて申し訳ない」

お互いを思いやるからこそ、すれ違いが生まれていた。

そんなある日、愛梨が体調を崩して会社を早退した。一人でアパートにいると、インターホンが鳴った。

「美咲?大丈夫?」

ドアの向こうには、心配そうな健太の顔があった。

「どうして...?」

「会社に電話したら、体調が悪いって聞いて。お粥作ったよ」

健太は温かいお粥と薬を持ってきてくれていた。

「ありがとう...」

「無理しちゃダメだよ。僕がついてるから」

健太の優しさに触れて、美咲は改めて彼への愛情を実感した。



交際3年目のクリスマスイブ、健太は美咲を初めて出会った東京駅に誘った。

「なんで東京駅?」

「記念の場所だから」

イルミネーションが輝く駅のコンコースで、健太が突然膝をついた。

「愛梨、僕と結婚してください」

小さな箱から取り出されたのは、美しいダイヤモンドの指輪だった。

「3年前、雨の日にここで君に出会えて、僕の人生が変わりました。君がいない人生なんて考えられない」

美咲の目から涙がこぼれ落ちた。

「健太...はい、喜んで」

周りの人々から拍手が起こる中、二人は固く抱き合った。



翌年の春、桜が咲く頃に結婚式を挙げることになった。

式場は、二人が初めて付き合った上野公園を一望できるホテルを選んだ。

愛梨は純白のウェディングドレスに身を包み、健太はタキシード姿で祭壇の前に立った。

「新郎・荒井健太さん、新婦・佐藤美咲さんを妻として愛し、病める時も健やかなる時も、共に歩んでいくことを誓いますか?」

「はい、誓います」

「新婦・佐藤愛梨さん、新郎・荒井健太さんを夫として愛し、どんな時も支え合うことを誓いますか?」

「はい、誓います」

指輪の交換の後、二人は誓いのキスを交わした。

披露宴で健太がスピーチをした。

「雨の日に傘を貸してくれた優しい人が、こんなに素敵な女性だったなんて、運命を感じました。美咲、これからもずっと一緒に歩んでいこう」

愛梨も涙ながらに答えた。

「健太さんに出会えて、私の人生に光が差しました。これからは二人で幸せな家庭を築いていきましょう」



結婚から3年後、二人には可愛い女の子が生まれた。名前は桜花(おうか)。二人が初めて愛を確かめ合った桜の木のように、美しく成長してほしいという願いを込めて名づけた。

「パパ、ママ、桜きれいね」

3歳になった桜花と一緒に、家族三人で上野公園を歩いている。

「そうだね、桜花ちゃん。ママとパパが初めて手を繋いだ場所なんだよ」

健太が優しく娘に説明する。

「素敵なお話ね」

愛梨が微笑みながら健太の腕に手を回した。

「あの雨の日から、僕たちの物語が始まったんだ」

「これからも続いていくのね、私たちの物語」

桜の花びらが舞い散る中、三人は幸せそうに歩いていく。時には雨の日もあるけれど、お互いがいれば大丈夫。そんな確信を胸に、荒井家の新しい章が始まっていた。