「えっ……?」

 一瞬、何を言われたのかわかんなかった。
 「いいんじゃないか」って、どういうことだ? 聞き返そうとして、うまく言葉にならなくて。
 何も言えないでいるうちに、イノリはしゃべり続けてた。

「葛城先生って――まえ、亜世パパに聞いたことあるんだけど。魔力コントロールの権威らしいよ。本もいっぱい書いてるし、すげぇ賞もたくさん貰ってるって」
「……そうなん?」

 葛城先生って、そんなすごい人だったのか。確かに『サルでもわかるシリーズ』、すげえわかりやすかったもんな。
 でも、それが俺のことと、何の関係があるんだろう。

「だからさ、トキちゃん。あの人に頼むのが、いいんじゃないかな」
「――!」

 俺は、ひどい衝撃を受けた。
 ガーン! って、頭に隕石がぶつかったみたいだった。
 一瞬こっちを見たイノリは、また窓の外に視線を戻す。
 俺は、なんとか声を絞り出した。

「俺、そんなつもりねえよ」
「でも、トキちゃんあの人のこと好きだよね。「いい先生だ」って、よく話してた」
「違っ! ――いや、そりゃ先生のことは、尊敬してるよ! けど、それとこれとは違うじゃん」
「ううん」

 イノリは、おっとりと首を振る。
 いちおう返事はしてるけど、俺の言ってることが届いてないみたいだった。
 もどかしくて、足を何度も踏みしめる。

「だからっ、違うんだって!」
「どうして。――トキちゃんも、あの人なら安心できるだろ?」
「えっ」

 静かな声に言われて、息を飲んだ。
 イノリは、頑なに俺の方を見ない。さっきから、窓の外ばかり見てて、どんな顔してるのかわからない。
 けど、窓枠を掴む手が、真っ白になるほど強張っている。

「……なんで?」
「わかるよ。トキちゃん、ずっと俺に怯えてたもん。ああ、俺に触られんの、嫌になっちゃったんだなぁ、って思った」
「っ違う!」

 激しくかぶりを振って否定する。イノリの、寂しそうな声が辛かった。

『お前じゃない、全部俺が悪かったんだよ!』

 そう言おうとして、ぐっと喉がつっかえる。
 怖くて。
 この期に及んで、イノリに気持ち悪いって思われたくなくて――ただ「違う」って、馬鹿の一つ覚えみたいに言うしかできない。
 向けられたでっかい背中に、胸が苦しくなる。どうしよう……。
 イノリは大きく息を吐いた。

「トキちゃん、あのさ。俺に遠慮なんか、しなくていいんだよ。これは本当に本当だけど、俺、トキちゃんのちからになりたいんだ」
「イノリ、」
「困らせて……ずっと悩ませて、ごめんね。――魔力は、葛城先生に起こしてもらって。俺は――俺はもう、絶対にトキちゃんには触らないから」

 その瞬間、頭が真っ白になった。

「嫌だっ!!」

 整然と並んだ机にぶつかって、ガタガタッ、と派手な音が立つ。
 イノリの背中に飛びついて、力一杯しがみついた。

「……!」

 イノリが、鋭く息を飲む。
 俺は、腰に回した腕にぎゅっと力を込める。

「嫌だ! そんなの、絶対やだ!」

 首を振って、バカみたいに叫んだ。
 イノリが身じろいで、それが怖くて、ますます腕に力を込める。
 いやだ。
 俺を突き放さないで。

「いやだよ、イノリ! 俺、お前じゃないと無理っ――葛城先生と、あんなん出来ねえよ!」

 何言ってんだ、俺。
 もう無茶苦茶じゃんか。
 イノリに触らせたら、悪いって。イノリとはできないって、あんなに怖がって。
 さんざん逃げ回って、イノリのこと傷つけたくせに。
 イノリとじゃなきゃ、嫌だなんて。
 勝手すぎる。
 こんなんじゃ、世界中にそっぽ向かれるぞ。
 でも、――どうしても嫌だ。

「嫌な態度とって、ごめん。俺……俺が、お前に触られると、変になっちゃうから、バレたくなくて――イノリは全然悪くないんだ。ごめんな」
「――トキちゃん」

 イノリの反応が怖い。
 その分、必死にしがみついた。カーディガンを、潰れるほど握りしめる。

「イノリじゃないとやだっ! か、勝手なのはわかってる! けどっ、俺、――お前以外に、触られたくないよ!」

 そう、叫んだとき。
 イノリが、俺の腕を捕らえた。
――あ、引き剥がされる。
 俺は、腕に力を込めて、その動きに抵抗した。
 けど。
 なんでか、イノリがきゅっと俺の手首を掴んだとき、へなりと力が抜けてしまう。

「……ゃっ……!」

 あっけなく、俺の腕はイノリによってほどかれた。
 目の前が真っ暗になる。
 もう、だめなんだ……。
 鼻がツンと痛くなる。
 「ひぐ」って、喉の奥で声が潰れた。

「!」

 突然、強い力で腕を引かれる。
 俺は、正面からイノリの胸に飛び込んだ。
 そのまま、背が折れそうなほど思い切り抱きしめられる。
 かふっ、と喉で息が弾けて。
 俺は、イノリの背に必死ですがりつく。

「イノリ……!」