「はー、いい天気だなー!」

 俺は、校庭の隅にあるベンチに座って、ぐーんと伸びをした。木漏れ日が、顔にちらちら降りかかる。手をかざすと、ほんのりあったかい。
 絶好の読書日和だぜ。
 いや、四限の古典が、先生の急な出張で自習になったんだよな。となれば、この素晴らしい陽気に、教室を抜け出さないってテはないじゃん。

「ふんふ~ん」

 俺は鼻歌を歌いつつ、葛城先生に借りた『サルでもわかる魔力コントロールbasic1』を鞄から出した。
 さっそく勉強とか、意欲に満ちてるぜ俺。
 と、かるく悦に入りつつページを開けば、パッと見にも絵や図がいっぱい入ってて、わかりやすそうだ。
 すでにパンも買ってきたし。チャイムが鳴ったら、このままイノリのところに行けるように、準備万端だ。
 俺は、「よしっ」と気合を入れて、本を開いた。




「うーーーーん」

 俺は本にかぶりつき、首を傾げていた。
 理論の部分は、わかりやすい。流石、サルでもわかるだけあって、俺にもわかった。昨日、イノリが説明してくれたのと結構被る部分があって、頭に入りやすかったのもあると思う。
 わかんないのは、練習コーナーになってから。
 ここには、魔力コントロールの体得の為に、実際にどんな訓練をしたらいいのか書いてくれてある。なんつーか、筋力トレーニングの教本と似てるんだけどさ。

『①あぐらをかいて、両腕をだらんとします。②深く呼吸を吸い、自分に肉体があることを末端から実感してください。③血液が全身を巡るのを感じてください』

 ここまではわかる。

『④同じように、魔力の流れを感じてください。集中すれば、風・火・水・土があることを感じられるでしょう』

 これなんだよなぁ!
 ③と④の間、いくつか項目抜けてねえ?! 料理番組の「先に二時間煮込んでおいたもの」くらいのペースで出てきてる気がすんだけど!
 うんうん唸りながら、本をあちこち傾けてみるけども。やっぱ、これで合ってるみたいだし。

「……まあ、いいか」

 とりあえず、一回やって見よう。
 俺は本を開いたまま横に置くと、靴を脱いでベンチに胡坐をかいた。で、まず深呼吸して――って具合に、項目を順番になぞる。
 ついに④まで来て、俺はぎゅっと眉間に力をいれる。
 ええと、魔力の流れを感じるって、どうやんだ? この書きぶり、血とは違うんだよな……。
 あ、ちょっと閃いたぞ。
 俺は思いっきり息を吸い込むと、腹に力入れて叫んだ!

「ハァーーーーーー!!」

……ざわざわ、と頭上で木の葉が揺れる音がする。
 うーん、何も起こんねえな。
 少年漫画とかだとさ、叫んだら大抵「気」とか出んだけど。
 ガッカリして背もたれに凭れたら、拍子に「グーッ」て腹が鳴った。そういや、腹へったぜ。

「ぶっ、くくく」

 ふと、頭上で笑い声がした。バン、と音がしてベンチが揺れる。
 なんだなんだ? 振り返ると、青い髪が背もたれに突っ伏して笑っていた。

「須々木先輩?!」
「ぶぁっはっははは!! あ、あかんわ、もう! あっははははっは!! な、何なんや、きみ!「ハァ~!」であかんのに、腹まで鳴るとか! ぶはははは」
「えーっ? ちょ、いつからいたんすか!?」
「や、もう、待って……ぐひーっ」

 おい、めちゃくちゃ笑ってんだけど。
 先輩は背もたれをバンバン叩きながら、爆笑している。てか、まじでいつからいたんだ? さすがに、ちょっと恥ずかしいんだが……。


「あー、笑った。腹つるかと思ったわ」
「見てたんなら、声かけてくださいよっ」

 しばらくして、ようやく笑いの発作を治めた先輩が顔を上げた。俺は、口をとがらせて抗議する。
 先輩は、あははと笑って手を合わせる。 

「ごめんなあ。勉強してるみたいやったから、声かけんとこうと思ってん。でも堪えられへんかったわ、ふふ」

 先輩は、背もたれにぶらんと腕を下げて、俺の手元を覗き込む。にこにこと本を指さした。

「吉村くん、魔力のコントロールしてたんや。それ、アレクちゃんの書いた本やろ? 『サルでもわかる』シリーズ」
「へっ!?」

 言われて見れば、著者「アレックス・葛城」って書いてある。すげー! 先生、本とか書いてたのか。
 表紙をまじまじと見る俺に、先輩が嬉しそうな顔で言う。

「アレクちゃん、感覚派やから教えるの下手やろ。でも、ええ先生やからな。ついてったら間違いないで」
「はい!」

 力強く頷くと、先輩は笑みを深める。

「先輩も、葛城先生が担任だったんすか?」
「そうそう。アレクちゃんおらんかったら、ぼくも誠之助も、紫なんかなれへんかったわ」
「そうなんすね……」

 須々木先輩は、ちょっと懐かしむような目をした。頷いたものの、誠之助って誰だっけ。どっかで聞いたことがあるんだけど。

「それはそうと。吉村くん、魔力のコントロールはな、コツさえわかったら簡単なんやで?」
「えっ、マジっすか?」
「マジよ。でな、それには自分の四元素がどんな感触持ってんのか、知るのが一番なんやけど。自分で分からへんときは、人に起こしてもらうのもありなんやで!」
「人に起こしてもらう?」

 首を傾げると、須々木先輩はにんまり笑って、人差し指を立てた。

「そこは吉村くん、桜沢に頼んでみたらええと思うよ! 『俺の四元素、触って刺激して♡』とでも言うてみ? 喜ぶから」

 いや、ぜってえ喜ばねえだろ。
 須々木先輩ならともかく、俺がやったらウケが取れるかも怪しいじゃねーか。
 思わず半目になると、先輩はからからと笑う。

「桜沢へのサービスは冗談としても。方法自体はお勧めするで。桜沢やったら、きみも安心やろうしな」
「はあ」
「まあ、先輩からのお節介ですわ」

 先輩は、よっこいしょと体を起こすと、ニコッと笑って俺の顔を見下ろした。
 青い髪が、ふわっと風に揺られ、香水が僅かに薫る。可愛い顔の雰囲気と裏腹に、ピリッと爽やかな匂いがした。
 ふと、逆光になった先輩の顔に、なにか、別の映像が被る。
 先輩なんだけど、髪の色が違う。
 俺は、ぼうっとしたまま口を開いた。

「あれ、須々木先輩って――髪、青でしたっけ?」
「……!」

 須々木先輩の目が、大きく見開かれた。
 そのとき、ピリリリリリと鋭い電子音が響く。
 ハッとした俺に、先輩が苦笑する。ポケットから、水色の端末を取り出した。

「ごめん、呼び出しや」
「あ、お疲れ様です」
「ふふ。ありがとう……ほなね」
「はい、ありがとうございました!」

 先輩はにこっと笑って手を振ると、校舎に向かって駆け出した。ニ、三歩走ったところで、ふっつりと姿が消える。
 うわ、魔法みてえ。いや、魔法なんだろうけど。
 それにしても。先輩、最後ちょっと変じゃなかったか。
 いや、俺が変なのか。
 さっき一瞬見えた、赤い髪の先輩。あれはなんだったんだろう……?