「和希ちゃん、ありがとう~っ」
「いいえ。楽しんできてくださいね」
「うんっ」
書記の双葉を送り出した和希は、彼が完全に曲がり角に消えたのを確認すると、ドアを閉めた。こちらからは、表情はうかがい知れないが、どうせいまだ笑みを浮かべているのだろう。優美な作り物のそれを。
生徒会長である、遠野秋房は机に頬杖をついて、和希の背を眺めた。
「なんだ、うかねえな」
「そうでしょうか?元気ですよ」
秋房の言葉を笑って流し、和希は、自分の机に戻る。双葉から引き受けた仕事を、てきぱきと片付け始めた。この品行方正な副会長は、彼氏の予定が空いたからと、あからさまにうずうずしている同輩の意図を、汲み取ってやったというわけだ。
「相変わらずの外面だな」
「会長こそ、相変わらず人聞きの悪いことをおっしゃるんですから」
「おーこわ。笑顔の裏に剣が見えるね」
わずかにこわばった目の奥に、俄然、秋房のテンションは上がった。この副会長とは小等部からの腐れ縁だが、笑顔が崩れた時の顔こそ、一番花がある。藤に例えられる美貌の和希だが、どちらかというと、藤に近づく蜂だろうと秋房は思う。押し殺した笑顔でキーボードを叩く様が、こんなにかわいい奴はいない。
「いつもそうしてろよ。そっちのが、いらない虫がつかなくて済むぜ?」
「おっしゃる意味がわかりかねます」
「さっきだって、『ちゃんと仕事しろ』って言ってやりゃいいじゃねーか。和希ちゃん」
「友人の悲しい顔は、見たくありませんよ」
「ははっ、よく言うぜ。『うざかったから消えてほしかった』って心の声が聞こえてるぜ?」
和希の目の奥に、ちりっと怒りの火がともった。遠野はにやにやとその火を眺める。
「図星か。こわいねえ」
「まさか。考えもしないことを言われて驚いたんです」
「嘘くせえ。間地が聞いたらびっくりするだろうな」
和希の規則的に動いていた指先がこわばった。一拍、押し黙り、それから何事もなかったかのように、またキーボードを叩きだす。
「会長、さっきから手がお留守ですよ」
「そらすかよ。それとも間地の反応なんて、どうでもいいか?」
「もう、からからないでください。仕事をしましょう」
「試してみてもいいか?」
スマホをちらつかせると、和希が、はじかれたように顔を上げた。笑顔が外れて、必死のまなざしが向けられる。それに、秋房は途方もなく愉悦を覚えた。しばし視線が絡み合う。和希は、平静を取り戻したのか、笑顔を取り戻した。
「……幸人は、きっと僕を信じてくれます。もういいでしょう?」
「はは。お前の間地信仰はすさまじいなあ」
「信頼です。今日の会長も、意地悪ですね」
そう言って、今度こそ、集中領域に入ったのだろう。もう、秋房が声をかけても、笑顔を揺らすことはなかった。
「いいえ。楽しんできてくださいね」
「うんっ」
書記の双葉を送り出した和希は、彼が完全に曲がり角に消えたのを確認すると、ドアを閉めた。こちらからは、表情はうかがい知れないが、どうせいまだ笑みを浮かべているのだろう。優美な作り物のそれを。
生徒会長である、遠野秋房は机に頬杖をついて、和希の背を眺めた。
「なんだ、うかねえな」
「そうでしょうか?元気ですよ」
秋房の言葉を笑って流し、和希は、自分の机に戻る。双葉から引き受けた仕事を、てきぱきと片付け始めた。この品行方正な副会長は、彼氏の予定が空いたからと、あからさまにうずうずしている同輩の意図を、汲み取ってやったというわけだ。
「相変わらずの外面だな」
「会長こそ、相変わらず人聞きの悪いことをおっしゃるんですから」
「おーこわ。笑顔の裏に剣が見えるね」
わずかにこわばった目の奥に、俄然、秋房のテンションは上がった。この副会長とは小等部からの腐れ縁だが、笑顔が崩れた時の顔こそ、一番花がある。藤に例えられる美貌の和希だが、どちらかというと、藤に近づく蜂だろうと秋房は思う。押し殺した笑顔でキーボードを叩く様が、こんなにかわいい奴はいない。
「いつもそうしてろよ。そっちのが、いらない虫がつかなくて済むぜ?」
「おっしゃる意味がわかりかねます」
「さっきだって、『ちゃんと仕事しろ』って言ってやりゃいいじゃねーか。和希ちゃん」
「友人の悲しい顔は、見たくありませんよ」
「ははっ、よく言うぜ。『うざかったから消えてほしかった』って心の声が聞こえてるぜ?」
和希の目の奥に、ちりっと怒りの火がともった。遠野はにやにやとその火を眺める。
「図星か。こわいねえ」
「まさか。考えもしないことを言われて驚いたんです」
「嘘くせえ。間地が聞いたらびっくりするだろうな」
和希の規則的に動いていた指先がこわばった。一拍、押し黙り、それから何事もなかったかのように、またキーボードを叩きだす。
「会長、さっきから手がお留守ですよ」
「そらすかよ。それとも間地の反応なんて、どうでもいいか?」
「もう、からからないでください。仕事をしましょう」
「試してみてもいいか?」
スマホをちらつかせると、和希が、はじかれたように顔を上げた。笑顔が外れて、必死のまなざしが向けられる。それに、秋房は途方もなく愉悦を覚えた。しばし視線が絡み合う。和希は、平静を取り戻したのか、笑顔を取り戻した。
「……幸人は、きっと僕を信じてくれます。もういいでしょう?」
「はは。お前の間地信仰はすさまじいなあ」
「信頼です。今日の会長も、意地悪ですね」
そう言って、今度こそ、集中領域に入ったのだろう。もう、秋房が声をかけても、笑顔を揺らすことはなかった。



