週明け、隼人は学校に向かっていた。校門をくぐるとき、ほんの少し、いつもよりお腹に力が入る。内に入り込みそうになる肩を反らし、丸くなりそうな背を伸ばし、隼人は歩いた。
 怯えるな。前をむくんだ。なにも大したことじゃない。
 隼人は自分の心の中に、大きなヒーローを抱き、てくてくと歩いていた。
 ハヤト、俺を励ましてくれ。
 自分の心の中にあるハヤトを自分に重ねる。強くなるんだ。
 校舎に向かい歩いていく生徒たちの中で、自分だけが浮き上がっているような気がする。溶け込むように、まっすく進めるように、隼人は心を静かにした。
 教室の扉を開ける。
 何人かの生徒が、丁度こちらを振り返った気がして、隼人は怯む。ケンやマオ、ヒロイさんが、じろりと隼人を見たのがわかった。
 気にするな。隼人は平静をよそおって、席へ向かう。大丈夫。何も変わらない。椅子に座ると、隼人は鞄を開いた。机の中に置いておいた教科書を取り、さりげなく中を確認する。大丈夫そうだった。
 隼人は安堵して、鞄の中にそれを詰める。今日から教科書はすべて持って帰るつもりだった。少しかさばるけれど仕方ない。
 ひとまず安心して、隼人は机の中を探った。それは何気ない行動だった。ぱたぱたと手を広げて、隼人は身をこわばらせる。
 なにか入っている。
 手で探ると、チクッと痛みが走った。隼人は恐る恐るそれを手に掴み、そっと取り出した。そして思わず息を飲む。
 カッターナイフだ。しかも、刃がでている。その瞬間、隼人の精神が、胸の内にぎゅっとすくみあがった。どっと嫌な汗がわく。
 落ち着け――落ち着け。
 何度も心のなかで唱えて、隼人は心臓を落ち着ける。隼人はカッターの刃をしまい、それを机の隅に寄せた。落ち着け、再度唱えた。
 指先がぬるついてきた。確認すると、指先が赤く染まっていた。さっき、切ってしまったのだ。隼人は拳を握り、傷を隠した。本能的に、そうしなければならない気がしていた。
 この中に、自分が傷つくことを望んでいる人がいる。そうである以上は。

◇◇

 隼人は校舎裏で息をついた。

「はあ」

 昼休み、ようやく訪れた休息の時間だ。鞄の中をひらく。ぎっしりとノートや教科書が詰まっている。
 もう一つ鞄を持ってこないといけないかもしれない。独白さえ、どこかぼんやりと遠い。隼人は鞄を閉じた。
 これからどうしたらいいだろう。
 考えて、「いつも通りに」と思う。しかし実際、それでは支障が出ている以上、そうはいかないこともわかっていた。
 いったい誰がこんなことを? ユーヤたちだろうか? でも、最近ユーヤは自分に構わなくなったし、ケン達もこういうことをするタイプに思えない。
 なら、別に誰かだろうか。考えて、途方に暮れる。クラス三十五人から、どう割り出すというのだ。
 思った以上にきつい。
 顔の見えない悪意は、対処ができない。もちろん、リンチのような悪意よりはましなのかもしれないが……それもいつ始まるかわからない。
 そんな宙ぶらりんの心もとなさが、より隼人を不安にさせていた。指先の絆創膏を見つめる。
 本当に、いったい誰なんだろう。こんな、人を怖がらせて、ひどいじゃないか。
 自分のことが嫌いなら、はっきり言ってくれたらいいのに。たしかにだからといって、どうしようも出来ないけど、それでは満足できないのだ。それが怖い。

「はあ」

 大きく息をついた。それから、「えい」とかぶりを振る。

「考えても仕方ないや。とりあえずご飯にしよう」

 お弁当をとりだして、蓋を開けた。

「え、」

 隼人は息を飲んだ。お弁当に、たっぷりの粉がかかっている。匂いから、チョークだとわかった。思わず口元をおさえる。
 嫌な予感がした。隼人はマイボトルの蓋を取り、中をのぞいた。

「うっ……」

 ボトルの底には、消しゴムのカスがびっしりと沈んでいた。いつから? 気持ちが悪くなり、隼人は身を丸くした。
 涙が滲んでくる。何だこれ。あんまり陰湿すぎる。隼人はお弁当を見下ろした。
 お母さんごめん。隼人は沈痛の思いで蓋を閉じた。
 これからは、お弁当も持ち歩かなくては……そう思うと余計に悲しくなった。

 今まで隼人は、ぼっちとかブタとか言われ、バカにされることはあっても、こんな目にあったことはなかった。
 恵まれていたと思う。
 今自分は、本当にいじめの瀬戸際にあるのだ。