妖と人は何百年もの間、争いを続けていた。
そして数多の命が失われた。

据えた匂いがした。
糞尿の匂い。死体が放つ独特の匂い。家屋や人体が焼ける匂い。
1つ1つが悪臭なのに全ての匂いが混ざり鼻に入るだけで吐き気を催す。

目の前には死体の山が積まれている。
見渡す限り当たり一面、死体、死体、死体……。
あまりに屍の数が多い。横たわる人々がつい数日前まで生きていたなんてとても信じられない。
まるでよく出来た精巧な人形でも転がっているのではと錯覚する。

「あの、甚哉見ませんでしたか」
声をかけられて振り返ると緩くウェーブのかかったセミロングの薄い茶髪の女性、カルタが不安そうに震えていた。
元々華奢な体をしている彼女が更に小さく見える。
「甚哉、見てないけど」
「分かりました」
カルタは軽く頭を下げると他の人にも「甚哉見ませんでしたか」と声をかけていた。
カルタの他にも何人かが「誰々見ませんでしたか」と周りの人に声をかけている。
自分の家族や友人、大切な人が無事でいてくれているか、生きててくれているのかさえ分からない状態なのだ。
私は何をするでもなくただぼんやりと周りの人たちを見ていた。
するとカルタが急に走り出し死体の顔を次々と覗き込み始めた。
「カルタ」
止めようと思った。汚物や泥に塗れた死体。中には蛆虫が湧いたり手足が壊死している。
「甚哉さんが死んでしまったって」
呼吸すらままならない状態でか細く告げられた。
「せめて亡骸だけでも……」
ボロボロと涙を流しながらも愛しい人を探し続ける。
止められるわけがなかった。
「千夜様」
声だけで誰かわかった。従者の狐、トウカだ。
トウカは千夜の斜め後ろに来ると片膝をついた。
千夜は自分よりも遥かに身長が高い従者を見下ろす。彼の白髪の髪や頭の上に付いている耳が目に入る。
「何」
トウカに用を尋ねると彼は淡々と返した。
「死体を一箇所に集めて早急に燃やしましょう」
「何言ってるの」
カルタは今も必死に甚哉を探している。たとえ死体であっても会いたいのだ。
もう2度と話すことも笑いかけてくれることも抱きしめてくれることもない。
甚哉は死んでしまったのだから。
それでも最後に会いたいと必死になる。
出来るならカルタの元に甚哉の物を残したい。
彼が着けていた装飾品なり、武器なり、髪のひとふさなりなんでもいいからカルタに残したい。
「この状態を放置しておけばやがて病が発生します」
「……」
周りを見ると堪えきれず地面に嘔吐する人もいる。衛生的でないことなど一目瞭然だ。
「貴女は妖の長です。今生きている人たちのことを考えなくてはなりません」
トウカの言うことは何一つ間違っていない。分かっている。彼は正しい。けれど体が動かない。
「感情に流されてはいけません。どうか残された者たちを貴女が纏めて導いて下さい」
「死体を集めよう」
発した声は震えていた。視界も涙で歪む。
「かしこまりました」
トウカは努めて冷静に返事をした。彼の指示を受けて荷車に次々と死体が載せられる。
カルタが悲壮な顔で死体の山を見つめていた。
火が起こされ燃やされていく。あちこちから啜り泣く声が聞こえる。
トシャという音が隣から聞こえた。振り返るとカルタが地面に座り込んでいた。
「ああ……、ああ……、うわわー」
大声をあげて泣き叫ぶ。その声は私の胸を抉る。痛い。苦しい。辛い。
「トウカ」
「何でしょう」
「人と妖の争いに終止符を打とう」
トウカは何も言わない。構わず私は続ける。
「こんな愚かなことは私の代で終わらせる」



「初めまして。千夜と申します」
鬼の妖怪である千夜は覚えたての人間の礼儀を必死に披露する。
姿勢を伸ばし正座をして深々と頭を下げる。相手からの返事があるまで頭は下げ続ける。
「俺と美幸との愛を引き裂く邪悪な女め」
向けられる冷たい視線。吐き捨てるような言葉。憎まれていることが嫌というほど伝わる。
けれどそんな些細な事で傷つくような感性は持ち合わせていない。
「俺がそなたを愛することなどない」
何も言わずに頭を下げ続けた。返す言葉などない。
私は別にこの人から愛情なんて求めていない。
ただ人間とはこんなにも愚かなのかと思った。
「俺は愛する深雪と毎日を過ごす。くれぐれも邪魔はするなよ」
「かしこまりました」
「でしゃばるような真似もするな。なるべく俺の視界に入らぬよう大人しくしておれ」
「かしこまりました」
ふん。と鼻をならすと彼は大きな足音を立てて部屋から出ていった。