俺は小さなころから要領がよかった。相手が自分に何を求めているのかわかったし、勉強も運動も大抵のことは人よりうまくできた。
 気付けば優等生と呼ばれ、まわりから憧れと信頼を集めるようになった。
 欲しいものは簡単に手に入ったからなにかに執着することはなく、誰かを好きになったり腹を立てたりすることもない。穏やかな生活はとても快適で少し退屈だった。
 そんな俺が光永と出会ったのは、高校の入学式。
 真新しい制服に身を包んだ新入生が並ぶ中、ひとりだけ目立つ小柄な男子がいた。
 生まれつき色素が薄いのか、白い肌に茶色の髪。真面目で優秀な生徒が集まるこの進学校で、茶髪の彼はとても目立っていた。
 あれは先生たちになにか言われるだろうなと思っていたら、案の定ひとりの男性教師がみんなの前で彼を注意する。
『そんな髪色この学校には相応しくない。ちゃらちゃら髪を染めるなんてけしからん』
 頭ごなしに怒鳴る教師をまっすぐに見上げ、彼は口を開いた。
『これ地毛なんで、怒鳴られる筋合いないです』
 そのぶっきらぼうな言葉に、教師の頬が赤くなる。
『なんだその生意気な目つきは。お前、明日黒く染めてこい!』
 感情的にそう言われ、彼はさらに眼を鋭くして反論した。
『目つきの悪さと髪の色は関係ねぇだろ』
『口答えするな。反抗的な生徒を指導するのは当然だ!』
『俺は本当のことしか言ってねぇ!』
 たしかに彼は正しい。彼の地毛を染めていると思いこみ、ほかの生徒の前で叱責した教師のほうに非がある。
 だけど、要領わるすぎだろ、と心の中でつぶやく。
 もっとうまく立ち回れば、あんな面倒な状況にならずにすむのに。
『うわ、ヤンキーこわ』
『ガラわる……』
 そのやり取りを遠巻きに見る生徒たちからは、そんな言葉がもれる。
 でも俺は彼から目が離せなくなった。太陽の光に透けた茶色の髪が、とても綺麗だと思った。
 それ以来彼は俺にとって気になる存在になったけれど、接点はまったくなかった。
 学校にいる彼はいつも不機嫌でぶっきらぼう。自分がまわりから浮いていると自覚しているのか、ほかの生徒と関わらないようにしているように見えた。
 そんな彼が体育倉庫の裏で、ひそかに野良猫を愛でていると気付いたのは二年になってすぐのこと。
『お前は目つきが悪くてもかわいがられていいよなぁ』
『俺なんてヤンキーだって誤解されて怖がられてんのによぉ』
 そんな愚痴をもらしながら野良猫をなでる彼の表情は、とても無邪気でかわいかった。
 彼が笑う顔をもっと見たい。驚く顔を、照れる顔を、怒る顔を、たくさんの表情を見てみたい。そんな欲望がこみ上げ戸惑う。
 誰かに執着するのは初めての経験だった。
 何度か偶然を装って話しかけようとしたけれど、『んぁ?』と警戒心むき出しの野生動物のような視線を向けられ、無理に近づいても逆効果だと諦めた。
 悩んだ末に俺はある作戦を思い付き、光永と距離を縮めることができた。
 そして今、クラスメートから疑いをかけられ、傷つき涙ぐむ光永を見下ろす。
「犯人の心当たりはある。俺がちゃんと話をする」
 俺がそう言うと、光永の目にまた涙が浮かんだ。
 光永のいろんな表情を見てみたい。そう願っていたけれど、彼が俺以外の誰かのせいで泣いている顔なんて見たくないんだよ。
 心の中でそうつぶやきながら彼を陥れた相手への苛立ちを押し殺し、光永を安心させるために笑顔を作った。

 その日の放課後、ほかの生徒が帰ったのを見計らい光永のクラスに入る。
 そこには眼鏡をかけた真面目そうな女子がひとりで席についていた。今朝、光永が破れたメイド服を見つけた時、最初に教室に入って来た生徒だ。
「残ってもらってごめんね」
 柔らかい口調で話しかけると、彼女は緊張した様子でこちらを見る。
「な、なんの用ですか……?」
「今朝のことを聞かせてもらおうと思って」
「私はなにも。登校したら光永くんがメイド服を破いていたのを見ただけです」
「嘘をつかなくていいよ。メイド服を破いて光永に罪を着せたのはきみでしょう?」
 俺の問いかけに、彼女は驚いたように息をのんだ。
「て、てきとうなことを言わないでください! なんの証拠があってそんなこと……」
「俺はみんなの信頼を集める生徒会長だから、校内に設置された防犯カメラを見ることができるんだよね」
 にこやかな笑みを浮かべたまま言うと、女子生徒の表情が青ざめるのがわかった。
「で、でも、教室内にはカメラはないし……っ」
「そうだね。実際に服を破るところは撮影されていないけど、きみが光永が登校する二十分も前に校舎に入った記録は残ってる。そんなに早く登校して、ひとりでなにをしていたの?」
 俺の追及に、彼女は唇を噛んで黙り込む。
「それから、光永の私物を盗んでいたのもきみだろ?」
「……っ」
 彼女は答えなかったけれど、動揺で肩が跳ねるのがわかった。
「光永の消しゴムやペンが頻繁になくなるって聞いた時、最初は俺に好意を寄せる女子からの嫌がらせかもしれないと思った。だけど、あのクラスの中でひとりだけ、俺に悪意がこもった視線を向ける奴がいた。光永に近づく俺が邪魔で苛立ってるような視線」
 そう言って一度言葉を区切り、息を吐き出す。
「きみは光永が好きで、自分に意識を向けてほしくて嫌がらせをしていたんだろ」
 それまで浮かべていた笑みを消し、冷たい表情で女子生徒を見下ろした。
「そ、それは……」
「好きな相手を傷つけるなんて、とても理解できない」
 俺の言葉を聞いた途端、彼女の顔がかっと赤くなる。
「あ、あなたみたいになんでも持ってる人に、私の気持ちなんてわからないですっ! ずっと光永くんが好きだった。だけど、告白して拒絶されるのが怖くて、見守るだけで我慢してたの! それなのにあんたみたいな男が慣れ慣れしく近づいて、光永くんが誰かのものになるなんて許せなくて……!」
 声を荒らげた彼女を、まっすぐに見つめ口を開いた。
「好きになってもらう努力もせず、相手を陥れて孤立させることで満足するきみの気持ちなんて、わかりたくもない」
 低い声で切り捨てると、彼女はぐっと唇を噛む。そんな彼女の前にスマホを差し出し画面を見せた。
「今のやりとりは記録してる。この動画をみんなに公開するか、メイド服を破いたのは自分だと名乗り出て謝罪するか、どちらがいいか選んで」
 俺の言葉に女子生徒は唇を噛んでから、「……謝るから、その動画をほかの人に見せるのはやめてください」と悔しそうに頭を下げる。
 その姿までしっかり映っているのを確認して、録画を止めた。
 息を吐き出し「それから」と付け加える。
「俺の光永への気持ちは、きみみたいに見守るだけで満足するようなぬるい好意じゃないから。この先きみがまた光永を傷つけるようなことがあったら、容赦しない。覚えておいて」
 静かに告げると彼女は息をのみ、何度も首を縦に振った。

 翌朝。暗い表情の光永と一緒に登校する。
 光永は昨日みんなから疑われたことがショックで、教室に入るのが怖いようだ。
 そんな彼の背中に手を添え「大丈夫だよ」と優しく笑いかける。
「犯人はちゃんとわかって、話はつけてあるから」
「話って……?」
「心配しなくて大丈夫」
 そんな会話をしながら光永のクラスに入る。教室にはすでにあの女子生徒がいて、俺と目が合うと「ひっ」と肩をはねさせた。
 そのおびえた視線に、わかっているよね?というようににっこりと笑い返す。彼女は覚悟を決めたように立ち上がり口を開いた。
「あの、みんなに話をしないといけないことがあって……」
 その言葉に、視線が彼女に集まる。
「昨日、メイド服を破いたの、私なんです」
 小さな声で告白すると、クラス中にどよめきがおこった。
「え、昨日あんなに光永くんを責めてたくせに」
 ひとりの言葉をきっかけに、みんな彼女を非難しはじめる。
「自分で破いて人のせいにするって最低じゃない?」
「意味わかんない」
「どうしてそんなことわけ?」
「ちゃんと謝んなよ」
 口々に責められた彼女は、青ざめながら頭を下げる。
「ごめんなさい、私――」
 彼女の声は震えていた。
 その言葉を遮るように、「わざとじゃないよな?」と大きな声が響いた。
「たまたま破いちゃって、驚いてその場にいた俺のせいにしちゃったんだろ?」
 そう言って彼女をかばったのは、光永だった。
 お人よしな光永は、みんなから責められる女子生徒を見ていられなくて、咄嗟に口を挟んでしまったんだろう。
 眼鏡の女子生徒は「光永くん……」と戸惑いながら彼を見つめる。
「俺も動揺して、ちゃんと説明できなくて悪かった。せっかくみんなで文化祭の準備頑張ってたのに、俺が昨日教室から逃げ出したせいで空気悪くしてごめん」
 光永の言葉に、クラスの空気がふわっとゆるんだ。
「なんだ、そうだったんだ」
「わざとじゃないなら素直に言ってくれればいいのに」
「俺たちも、光永から事情を聞かずに責めて悪かった」
 みんなからそう言われ、女子生徒の肩から力が抜けた。
「光永くん……、本当にごめんなさい」
 涙をこらえながら謝られた光永は、「別に」と首を横に振る。
「俺、目つきも口も悪いし、嫌われてるのは慣れてるから」
「き、嫌ってなんていないよ。むしろ好きだし、今もかばってもらえてさらに惚れたっていうか……っ」
 頬を赤く染めた彼女を見て、俺は光永の前に割り込み口を開いた。
「光永に感謝する気持ちはわかるけど、そのくらいにしておこうか」
 にこやかに笑いながら見下ろすと、彼女は「ひ……っ」とつぶやき青ざめる。
 昨日しっかり釘をさしたつもりが、お人よしな光永のせいで彼女の恋心がよけい大きくなってしまったようだ。彼女が光永に近づかないように、気を付けておく必要があるな。
 なんて冷静に考えていると、委員長の女子が「でも」と困ったようにつぶやいた。
「結局メイド服はダメになっちゃったよね。どうしようか」
「もう一着買う予算はないし……」
 その言葉を聞いて「そういえば」と笑顔で口を開く。
「何年か前の文化祭で使ったやつだと思うんだけど、生徒会室にメイド服があったんだよね」
 そう言って、メイド服を取り出す。
 もともと光永が着る予定だったミニ丈のものではなく、ロングスカートのクラシカルなデザインのメイド服。首元までしっかりボタンがあり、袖も手首まで、スカートは足首まで隠れ、肌の露出もない。
「どうかな」と光永の体に当ててみせると、教室中が盛り上がった。
「え、めっちゃ似合う!」
「美人でかっこいいメイドさんって感じ!」
「よかった~。これで光永くんにもメイドになってもらえるね」
 よろこぶクラスメートをよそに、光永本人は「結局女装することになるのかよ」とふくれっ面をしていた。
 でもその頬は少しだけ赤らんでいて、無事文化祭に参加できることをよろこんでいるのが伝わってきた。
 あー、本当にかわいい。
 心の中でつぶやいていると、西嶋があきれたように俺を見る。
「芦原。お前、用意周到すぎてこえぇわ」
 そのつぶやきに「なんのこと?」と笑顔で返すと「なんでもない」と西嶋が首を横に振った。