芦原に告白をしてから一週間。俺は重い足取りで学校に向かう。
芦原にはまだ、告白は嘘だったと打ち明けられていなかった。
後回しにすればするほど言い出しにくくなる。だからさっさと白状して謝った方がいい。
そうわかっているのに、愛おしそうに俺を見つめる芦原を前にすると、うまく言葉がでなかった。
意気地のなさに自己嫌悪を覚えながら歩いていると、女子たちの会話が聞こえてきた。
「今日もかっこいい~」
「朝からさわやかすぎるんだけど」
そんな彼女たちの視線の先にいるのはもちろん芦原だ。周囲から声をかけられ「おはよう」と挨拶を返しながら歩いている。
九月に入ってもまだ日差しは強く気温も高いのに、芦原の周りだけはまるで避暑地の高原のような涼し気な空気が漂っていた。
「あんなイケメンと付き合いたい~」
「でも芦原くんが誰かを好きになるのって想像できなくない? みんなに平等に優しくて穏やかで、人に執着することなさそう」
ひとりの言葉に、女子たちは「確かに」「わかる」とうなずき合う。
「芦原くんはみんなの王子だもんね」
そう結論が出た途端、芦原がこちらを振り返った。
俺がやばっと思っていると、芦原の顔が輝く。
「光永!」
整った顔に、大好きなご主人様を見つけた大型犬のような無邪気な笑みが浮び、周囲にいる奴らが一気にざわつく。
満面の笑みを浮かべんな! 頼むから、俺に近寄ってくんな!
そんな俺の願いはむなしく、芦原はこちらにやって来る。
「おはよう、光永。朝から会えてうれしい」
甘い声で言われ、俺は動揺を表に出さないよう必死に眉間にしわを寄せた。
「お、俺は別にうれしくない」
話しかけてくんな。という気持ちをこめて威嚇したけど、芦原の笑顔は崩れない。
「なにそれ、ツンデレ?」
「違ぇわ! どこをどう解釈したらツンデレになるんだよ」
「だって俺と目が合った途端、白い頬が赤くなったよ」
「なってない! お前、自意識過剰にもほどがあんだけど!」
怒鳴るようにそう言うと、芦原が「あ」とつぶやき俺の頭を見下ろした。
「光永、寝ぐせついてる」
「え、嘘」
「ほら、ここ」
芦原の長い指が、俺の髪に触れる。
「後頭部、ぴょこって跳ねてる。なおすから、動かないで」
跳ねた髪をなでつけられ、頬が熱くなる。
「おい、まだかよ」
通学の途中で王子に頭をなでられる俺に、周囲からの注目が集まっていた。
この状況、いやすぎるんだけど。
一刻も早く解放されたいのに、芦原は「んー、もうちょっと」と言いながら、俺の頭をなで続ける。
寝ぐせを直してもらうためだとじっと我慢していると、芦原が短く息を吐いた。
「……嘘を簡単に信じちゃってかわいい」
「は? 嘘?」
「ごめん。光永の頭をなでたかったから、寝ぐせついてるって嘘をついた」
その言葉に目を瞬かせ、次の瞬間頬が熱くなった。
「ふ、ふざけんな! くだらない嘘つくなよっ!」
牙をむくようにして怒鳴ると、芦原が「ははっ」と声を上げて笑う。目つきの悪い俺が睨んでるのに、怖がるどころか楽し気だ。
「じゃあ、俺生徒会室に顔出さないといけないから、先行くわ」
「さっさと行け! そして二度と顔見せんな!」
「あ、今日もお昼光永のクラス行くから一緒に食べよう」
「絶対やだ!」
「じゃあ、昼休みに」
「お前、人の話を聞けよ……っ!」
怒る俺を置き去りにして、芦原はご機嫌な足取りで去っていく。
その後ろ姿を見ながら、また告白は嘘だったと言いそびれたことに気付いた。
芦原といるといつもあいつのペースに巻き込まれ、言いたいことを言えなくなる。
はぁーっと大きくため息をつくと、周りにいた生徒たちが困惑したようにこちらを見ていた。
「あんな楽しそうな芦原くん、初めて見た」
「芦原くんも、冗談言ったりするんだね」
「っていうか、光永くんと仲いいんだ」
「あんな口の悪いヤンキーと仲がいいなんて意外過ぎる」
ひそひそと交わされる会話に唇を噛み、聞こえないふりをして歩き出した。
昼休み。落ち着かねぇ……と心の中でつぶやきながらパンをかじる。
その原因は、目の前でにこにこしながら俺を見つめるこの男だ。
ここ最近、俺と一緒にお昼を食べるようになった芦原に、周囲から疑問と興味でいっぱいの視線が集まっていた。
「光永。そんなふうに一気にほおばったら、喉を詰まらすよ。ほら」
ものすごく居心地が悪いのに、芦原本人はまったく気にしていないようで、俺に向かってレモンティーを差し出す。
「ん」とうなずいてストローを咥えると、芦原はうれしそうに微笑んだ。
「もぐもぐ食べる光永を見てると、野性の小動物を観察してるみたいで楽しい」
「勝手に人を観察するな。あと、小動物とかバカにしてんのか」
「え、ほめてるんだけど」
「どこがだよ」
そんな話をしていると、俺たちの様子を見ていた春田が不思議そうに首をかしげた。
「芦原と光永って、急に仲良くなったよな。今まで接点なかったのに」
今までお昼は生徒会室で静かに食べていた芦原が、突然うちのクラスで食べるようになり、この調子で俺を構い倒しているんだ。春田が疑問に思うのも無理はない。
「それは、その……」
なんて説明しようか必死に考える俺の隣で、芦原が愛想よく笑い口を開いた。
「先週、光永と話すきっかけがあって、俺から友達になろうって言ったんだ」
説明を聞いた春田が「あぁ」と納得したように手を打つ。
「光永が罰ゲームに失敗したときな」
「罰ゲーム?」
「そう。スマブラで負けた罰ゲームで、光永が芦原を呼び出して……」
こんな形で俺の告白がただの罰ゲームだったと知らされたら、芦原はきっと傷つく。せめて自分の口から伝えたて謝りたい。そう思い、春田に飛びつき口をふさいだ。
「な、なんでもねぇからっ!」
必死に誤魔化そうとする俺を、春田が笑いながら振り返る。
「光永、急に抱きついてくんなよ。そんなに俺のこと好きなの?」
「ちがうわ、バカ!」
「真っ赤になってかわい~」
「うるせぇ、いいからちょっと黙れ!」
そんな小競り合いをしていると、芦原が「へぇ……」とつぶやく。
「光永と春田は仲がいいんだね」
穏やかな口調で言い、綺麗に口端を上げて微笑んだ。
だけどその表情には妙な迫力がある気がして、背筋がぞくりと冷たくなる。
「芦原。目が笑ってなくて怖い」
そう指摘したのは、西嶋だった。
「そう? 仲良くて微笑ましいなと思って見てただけだよ」
「そんなこと微塵も思ってないくせに」
そんなやりとりをするふたりは、同じ中学に通っていたらしい。
愛想がいい王子様のような芦原と、クールで気だるげな西嶋との絡みに、見ていた女子たちが「きゃー!」と声を上げるのがわかった。
スマホのシャッター音があちこちから聞こえる。
「にぎやかだな」
ぽつりと感想を漏らしたのは、寡黙な工藤。
「にぎやかなのいいじゃん。俺、女の子に注目されるの好き~」
春田がにこにこ笑いながら女子のグループに手を振ると、また「きゃー!」うれしそうな声とともにシャッターの音が響いた。
俺は自分の周りにいる四人を眺め、女子たちが過剰に騒ぐ理由に気付く。
芦原と西嶋の顔のよさはわかっていたけど、工藤もたくましい男前で、春田はかわいくて愛嬌がある。
そっか。みんな、女子から人気があるんだ。
そんな四人の中に目つきも態度も口も悪いヤンキーの俺が混じってるって、浮いてるどころか公開処刑では。
居心地の悪さに追い打ちをかけるように、ひとりの女子がつぶやくのが聞こえた。
「あー、もう。邪魔くさくて撮れないんだけど……。どっか行ってくれないかな」
その言葉に顔をあげると、眼鏡をかけた女子がこちらにスマホを向けていた。彼女は俺と目が合うと、「やば」とつぶやき顔をそらす。
自分が人から好かれない容姿をしているのはわかってるし、今までだって意気だとか怖そうとか、さんざん陰口を言われてきた。
だけど、こんなあからさまに邪魔者扱いされるとさすがにへこむ。
思わずうつむくと、「光永?」と名前を呼ばれた。芦原が心配そうに俺を見ていた。
「ごめん。俺のせいで騒がしくなって、落ち着かない?」
ご主人の機嫌を伺う犬のような顔で見つめられ、慌てて首を横に振る。
「べ、別に。平気だし」
ぶっきらぼうにそう言って、「そっちこそ」と聞き返した。
「芦原こそ、落ち着かなくね? つねにこうやって注目されて、勝手に写真撮られたりして」
「まぁ、俺は慣れてるから」
芦原の表情はどこか投げやりに見えた。注目されることを、よろこんではいない。そんな気持ちが伝わってくる。
「芦原は、中学の頃からずっとこんなだったもんな」
「さすがイケメン王子。モテモテでうらやまし~」
西嶋と春田の言葉に愛想よく笑う芦原を見て、「でも」と口を開いた。
「芦原だって人間なんだから、疲れる時も注目されたくない時もあるだろ」
不機嫌な声でそう言うと、芦原はまじまじと俺を見る。
「光永、かわいい……」
意味のわからない発言に「はぁっ?」と眉をひそめる。芦原は口もとに手を当てつぶやいた。
「俺の事を思って怒ってくれる光永、めちゃくちゃかわいい」
動揺のあまり一瞬言葉を失い、頬を熱くしながら怒鳴る。
「ば、かじゃねぇの! 俺のどこがかわいいんだよっ!」
「かわいいよ、全部」
「それ本気で言ってるなら、今すぐ眼科に行け!」
「悪態ついて照れ隠しするのもかわいい」
「たのむからもう黙ってくれ!」
歯をむき出しにして怒鳴っても、芦原はにこにことうれしそうに俺を見る。
「なにそのやり取り。お前たちもうつき合っちゃえば?」
春田にそんな冗談を言われた芦原は「俺もそう思う」とにこやかに微笑んだ。
もうなにを言っても無駄だと思い、口を閉ざして次の授業の準備をする。そしてペンケースを開き、「あれ」とつぶやいた。
「どうした?」
「消しゴムがない」
俺の言葉を聞いた西嶋が「また?」と首をかしげる。
「昨日もシャーペンがなくなったって言ってなかった?」
「その前も、赤ペンがないって言ってたな」
工藤にも言われ、戸惑いながらペンケースを見下ろす。
「光永、それ誰かに盗られてるんじゃ……」
声を低くした芦原の言葉に、手が冷たくなる。
もしかして、誰かの嫌がらせ?
ヤンキーの俺なんかがみんなが憧れる芦原と仲良くしているから、それをおもしろくないと思う生徒がいてもおかしくない。
最近よくものがなくなるのは、偶然ではなく誰かの悪意かもしれない……。
そんな不安を振り払うように首を横に振った。
「た、たまたまだよ。どっかで落としただけだと思う」
「でも」
「ほら、そろそろ予鈴なるから、さっさと自分のクラスに帰れよ」
気にしないふりをしてそう言ったけど、疑念がわき上がり胸のあたりが苦しくなった。

