芦原の告白をした翌日。
 休み時間に教室の窓側の席でぼんやり頬杖をついていると、女子の黄色い声が聞こえてきた。
「王子がバスケしてるよ」
「やば。かっこよ!」
 女子の集団が、窓にむらがり騒いでいた。
 つられて視線を外に向ける。校庭の脇にあるフェンスに囲まれたバスケットコートで、数人の男子が制服のままバスケをしているのが見えた。
 その中のひとり、背の高い男がパスを受ける。片手でボールを持ったまま、トン、トンと長い脚で踏み込みジャンプをする。
 長身がふわりと浮いたかと思うと、彼が持っていたボールはゴールネットに音もなく吸い込まれた。
 思わず見とれてしまうくらい綺麗なレイアップシュートを決めたのは、芦原だった。
「くそー。また決められた」
「芦原、ほんと運動神経よすぎ」
「運動部でもないくせに、すごいよな」
 一緒にバスケをしていた男子たちからそんな言葉をかけられた芦原は、「たまたま調子がよかっただけだよ」と穏やかに笑う。
 成績もよくて性格もよくて顔もスタイルもよくて、そのうえ運動までできる。芦原は、憎らしいほど完璧な男だ。
 その様子に、窓にむらがっていた女子が「きゃー!」と盛り上がる。
「芦原くんがシュート決めた!」
「さすが王子、かっこいいーっ!」
 そんな声援が聞こえたのか、芦原がこちらを見上げた。
 あ、やば……。と思っているうちに目が合ってしまう。その瞬間、芦原の整った顔がぱぁっと輝いた。
 さっきまでの大人びた表情が嘘のような無邪気な笑顔で手を振られ、心臓が跳ねる。
 慌てて顔をそらすと、その様子を見ていた女子たちがざわつくのがわかった。
「芦原くんのあんなうれしそうな笑顔、はじめて見たんだけど」
「やばいくらいかっこよかったー!」
「でも今のって、誰に手を振ったの?」
 そんな疑問の声に、冷や汗が浮かぶ。
 彼女たちは教室の中を見渡し、俺のほうに視線を向けた。
「……もしかして、光永くん?」
 自分の名前が聞こえ、びくりと肩が跳ねる。
 やばいやばいやばい……。
 俺が焦っていると、「そんなわけないよ」と女子の中のひとりが言った。
「芦原くんと光永くんが話しているところ見たことないもん」
 その言葉に、みんな納得したようにうなずく。
「だよね。芦原くんが光永くんと仲いいわけない」
「芦原くんは、みんなが憧れる王子だもんね。ヤンキーなんかと仲良くしないか」
 その言葉に、ほっとしたような腹立たしいような複雑な気持ちになりながら、自分の髪をくしゃりと掴む。
 太陽の光に透けた俺の髪は、まるで染めているかのように明るい栗色に見えた。
 
 二年A組の芦原蓮は、学校中の女子が憧れる完全無欠の王子様だ。
 さらさらの黒髪と甘く整った顔立ち。百八十センチ近くあるすらりとしたモデル体型。成績優秀で運動神経も抜群。先生からの信頼も厚く友人も多い芦原は生徒会長を務め、毎日のように女子生徒から告白されていた。
 いつも穏やかな笑みを浮かべ不機嫌な表情を人に見せたことがない、聖人君子の完璧超人。
 対して俺、二年D組の光永環の周りからの評価は、おちこぼれのヤンキーだ。
 目つきの悪さとぶっきらぼうな性格のせいで、子どもの頃から友人は少なかった。勉強は嫌いじゃないけど、好きな教科と嫌いな教科で雲泥の差がある成績。
 ダメもとで受けた進学校に奇跡的に合格し迎えた入学式。生徒指導の男性教師から茶色の髪を注意され、地毛だと説明しても信じてもらえなかった。頭ごなしに黒く染めろと怒鳴る教師に従わずにいたら、要注意の問題児認定された。
 周囲からは『光永はヤンキーでやばい奴らしい』と誤解され、距離を置かれてしまった。
 髪が茶色いだけでヤンキーってどんな偏見だよと思ったけど、優秀な生徒が集まるこの進学校じゃ、俺の髪色はあきらかに浮いていた。
 こりゃ俺の高校生活はぼっち確定だなと思っていたら、そんな状況をかわいそうだと思ったのか声をかけてくれた奴がいた。
 それが……。
「光永。お前、昨日の約束やぶっただろ~!」
 後ろから肩を抱かれ振り返る。そこにいたのは、同じクラスの春田。ふわふわのくせ毛でかわいらしい顔をしていて、誰にでも人懐っこく話かけるコミュ力お化けだ。
「罰ゲームで告白するって約束だったから、俺たち隠れて待ってたのに」
 不満顔で言われ、俺は目を瞬かせる。
「は? ちゃんと行ったけど……」
「嘘つけ。中庭で待ってたけど、お前来なかったじゃん」
「中庭? 体育倉庫じゃなくて?」
「中庭って言ったけど?」
 どうやら俺は約束の場所を勘違いしていたらしい。
 だからこいつらネタバラシに出てこなかったのか。
「なに。光永、告白する場所間違ったの?」
 春田の肩越しにこちらをのぞきこんだのは、いつもテンションが低めの西嶋。長めの髪を後ろでハーフアップにして無気力で気だるい雰囲気を漂わせている西嶋は、茶髪の俺同様この学校では少し浮いているけど、顔面の良さで女子たちのひそかな人気を集めている。
「体育倉庫だと思ったんだって」
「マジか」
 春田の言葉を聞いた西嶋は「ふはっ」と息を吐いて笑う。
「それで、光永は本当に告白したのか?」
 低い声でたずねてきたのは、短髪で凛々しい顔立ちの工藤。百八十センチ以上ある長身と鍛えた体のせいでものすごく威圧感があるけど、実はおっとりとした性格のいい奴。
 俺が孤独な高校生活を回避することができたのは、この三人のお陰だ。
「で、光永に告白された芦原の反応はどうだった?」
 春田の追及に「ええと……」と目を泳がせる。
 先週、西嶋の家でスマブラをしていると、なぜか『ビリになったやつは罰ゲームな』という話になった。
『誰かに告白どっきりをしかけるのはどう?』と提案したのは春田で、『本気にされると面倒だから、できれば告白され慣れてる奴がいい』と言ったのは工藤。
 西嶋が『じゃあ、芦原は? 中学一緒だったけど、その頃から毎日のように告白されてたし』と名前を出し、春田と工藤が『いいんじゃね?』とうなずいた。
 悪乗りしすぎだろとは思ったけど、俺が負けるわけないからいいかと聞き流していたら、なぜか共闘した三人に集中攻撃されビリになった。
 そして昨日、芦原を呼び出し罰ゲームを実行したら本気の告白だと勘違いされ、『俺も好きだ』と逆告白された。
 うれしそうな芦原を前に『嘘です』と言い出すこともできず、動転した俺は芦原を残して全速力で逃げ出した。なんて、言えるわけがない。
「こ、告白できなかった……」
 俺が苦しい嘘をつくと、春田が「えぇー!」と不満そうに声を上げる。
「罰ゲームなんだから、ちゃんとやんないとだめじゃーん」
「んなこと言ったって、仕方ないだろっ」
 春田と言い合いをしていると、工藤が「今日もう一回呼び出して告白するか?」とたずねてきた。
「えぇ!?」
 もう一回告白なんて、そんなの絶対嫌だ。
「なんなら今から芦原呼ぶ?」
 西嶋はそう言いながらスマホを取り出し画面に触れる。
 もしこの場に芦原が来たら……。昨日のような熱っぽい視線で俺を見つめ、また『好きだ』と言うんだろうか。
 教室でそんなことをされたら死ぬ。メンタルはもちろん社会的にも。
 その状況を想像して思わず椅子から立ち上がった。
「光永、どこ行くの?」
 背後から声をかけてきた春田に、振り返りもせず「ジュース買ってくる!」と叫んで教室から逃げ出す。
 険しい顔で廊下を歩いていると、すれ違った女子が廊下のはじに逃げ「ヤンキー、こわ……」とつぶやくのが聞こえた。

「あー、もう。どうしよう……!」
 俺が向かったのは自販機ではなく、体育倉庫の裏。ひと気のないその場所にたどりついた俺は、膝をかかえて座り込む。
 嘘に嘘を重ねて、自分の首を絞めてる気がする。
 こんなことなら最初から芦原に『告白はただの罰ゲームだった』と話せばよかった。
 でも、いつも穏やかな芦原にあんな真剣な表情を見せられたら、嘘だなんて言えないし……。
 抱えた膝に頬をのせそんなことをつぶやいていると、目つきのするどい猫がのっしのっしと歩いていくのが見えた。
 この辺を縄張りにしているトラ猫だ。
「おいで」と声をかけると、猫は仕方ない相手してやるか、と言いたげな態度でこちらにやってきた。
 俺の足元でごろりとお腹を見せて転がる。
「なでさせてやるって言ってんの?」
 猫の不遜な態度に笑みをもらしながら喉の下をなでてやると、気持ちよさそうに目を細めた。
「お前、ほんとなつっこいよな。どっかの飼い猫?」
 問いかけると、余計な話はいいからもっと真剣になでろ、というように尻尾で俺をぱしぱし叩く。
「猫はいいよなぁ。目つきが悪くてもかわいいから」
 みんなから怖がられる俺とは大違いだ。そう思いながらつぶやくと、背後から話しかけられた。
「光永も十分かわいいよ」
 その声が聞こえたとたん、猫は立ち上がりあっという間に去って行った。
「あーぁ、行っちゃった。俺もなでたかったのに」
 残念そうに言う男を、おそるおそる振り返る。
 そこにいたのは芦原だった。驚きのあまり凍り付く俺を見下ろして、にこりと笑う。
「光永のクラスに行ったのにいなかったから、捜しに来たんだ」
「な、なんで俺のクラスに……?」
「なんでって、光永と話したかったから」
 芦原はそう言って俺の隣にしゃがみこむ。
「だめ?」
 首をかしげて見つめられ、こいつの顔面反則だろ……っと唇を噛んだ。
「だ、だめ、じゃないけど」
 ごにょごにょと口ごもりながら言うと、芦原は「よかった」と笑顔になる。
 俺と話せるだけで学校一のモテ男がこんなうれしそうな顔をするなんて、どう考えてもおかしい。なんだこの状況。
 俺が困惑していると、目の前に紙パックのジュースが現れた。
「んあ?」
「飲むかなと思って買ってきた」
 芦原が差し出したのは、俺がいつも飲んでいるレモンティーだった。
 こいつ、俺が好きな飲み物を知っていたのか、それとも偶然なのか……。不思議に思いながらとりあえず受け取る。
「ありがと、金払う。つっても、財布教室だけど」
「いや、いいよ」
「でも」
 そんなやりとりの最中も、芦原はうれしそうに俺を見つめていた。視線がやけに優しくて居心地が悪くなる。
 視線から逃げるように横を向き、ジュースにストローを差す。思い切り吸い込むと、紙パックがぺこりと音をたてた。
 甘酸っぱいレモンティーが口の中に広がる。はぁっと息を吐いた俺の口元を、芦原が見ているのがわかった。
「お前……、その目やめろ」
 たまらずそう言って顔をしかめる。
「その目?」
「視線が甘ったるくて、落ち着かない」
「そう? 俺はいつもどおりにしてるつもりなんだけど」
 どこがいつもどおりだ。
 優等生で学校中の生徒が憧れる王子様の芦原は、いつも穏やかで控えめだった。こんなふうに熱のこもった視線なんて、見せたことないだろ。
 俺の言葉に芦原は小さく首をかしげ、すぐに笑った。
「光永と恋人になれたのがうれしくて、浮かれてるのかも」
 耳もとでささやかれ跳び上がる。
「こ、恋人になってねぇからっ!」
 慌てて否定すると、芦原は驚いたようにこちらを見た。
「俺たち、恋人じゃないの?」
「ちがうに決まってるだろっ」
「光永から好きです付き合ってくださいって告白されて、俺も好きだって答えた。これってもう恋人じゃない?」
「そ、それは……っ」
 芦原の正論にぐっと言葉につまる。
「で、でも。俺と芦原が付き合うなんておかしいだろ!」
「そうかな」
「だって男同士だし、俺はみんなから距離を置かれてるヤンキーだし。優等生の芦原と恋人になるなんて、不釣り合いすぎる」
「そんなことないよ」
「そんなことある!」
 芦原の言葉に、むきになって言い返す。
「お前、俺から告白されたとか、俺のことを好きだとか、人前で絶対言うなよ!」
「どうして?」
「そんなこと言ったら、お前が偏見の目で見られるだろうがっ!」
 なんでわからないかな! と苛立ちながら言うと、芦原がくしゃりと笑顔になった。
「なんだ。光永に迷惑がかかるからかと思ったら、俺の心配をしてくれるんだ?」
「俺はおちこぼれのヤンキーだから今さら何を言われても関係ねぇけど、お前はみんなから憧れられてる優等生だろ。そんなふうにまわりから信頼されるようになるまで、努力してきたんじゃねぇの? それなのに、俺のせいでへんな噂がたったらもったいないじゃん」
 俺の言葉を聞いて、芦原は驚いたように黙り込んだ。
「あー……、もう。やばい」
 そうつぶやきながら手を伸ばし、俺の頭をなでた。急な接触に驚いて手を振り払い、背中を丸めて芦原を睨む。
「なに頭なでてんだよっ」
「さっきの猫をなでられなかったから」
「猫の代わりかよ!」
 俺が睨みつけても、芦原はまったく動じなかった。また手を伸ばし、俺の髪に触れる。
「光永の髪好き。さらさらで、すごく綺麗」
 優しい表情で見つめられ、耐え切れず顔をそらした。
「だ、だから、その目やめろ。甘ったるくて、落ち着かない」
「仕方ないよ。好きなんだから」
「お前、いったい俺のどこが好きなわけ? 芦原みたいにモテる男が、俺みたいなヤンキーを好きになるなんておかしいだろ」
「じゃあ、俺が光永に惚れた理由をじっくり説明しようか」
 にっこりと笑いかけられ、思わず腰が引ける。
「あ、やっぱいい」
 なんとなく、聞かない方がいい気がする。
 本能でそう察知して首を横に振ったけど、芦原は構わず口を開いた。
「光永の好きなところはいっぱいあるよ。綺麗な茶色の髪も、白い肌も好き。動揺するとすぐ頬が赤く染まるのも、つんとした目もとがくしゃって笑顔になるのも」
 歯の浮くような誉め言葉を並べられ、たまらず俺は耳をふさぐ。
「いい! 聞きたくねぇ!」
「態度と口調はぶっきらぼうだけど、本当は情に厚くて優しいところも好きだよ。あと、ぼんやり外をながめる横顔とか机につっぷして眠る無防備な表情がかわいいし……」
「だから、もう言わなくていいって!」
 必死に耳をふさぐ手の甲を、髪に埋まった指先を、熱く火照った首筋を。俺の肌の上を芦原の視線が愛おしそうになぞる。
 そんな目で見られると、自分がひどく無防備で弱い生き物になってしまった気分になる。
 ただ見つめられているだけなのに、落ち着かなくて仕方ない。
 背中を丸め警戒心むき出しにする俺に、芦原は「じゃあ、光永は?」とたずねた。
「え?」
「光永は、俺のどこが好き?」
「お、俺は……っ」
 どこが好きかなんて、答えられるはずがない。
 罰ゲームで告白しただけで、芦原のことなんてなんとも思っていないから。
 罪悪感に襲われ、喉がぎゅうっと苦しくなった。
 ちゃんと本当のことを言わなきゃ。そして謝らなきゃ。
「ごめん、あの告白は――」
 言いかけた時、チャイムが響いた。
「残念。予鈴が鳴っちゃったね」
 そう言って芦原が立ち上がる。
「芦原、俺……っ」
 必死に言葉を続けようとする俺を見て、芦原は柔らかく笑った。
「無理しなくていいよ。光永が俺と恋人になる心の準備ができてないのはわかった。だから、友達になろう?」
「と、友達?」
「うん。くだらないことを話したり、一緒に昼飯食べたり、たまに放課後遊んだり。それだけで俺はうれしいから」
 その言葉には、俺への好意がにじんでいた。こいつ、本当に俺のことが好きなんだ。そう思うとまた呼吸が苦しくなった。
「ほら、授業始まるから戻ろう」
 芦原の言葉にうなずいて立ち上がる。
 そんな俺たちのうしろで、小さな靴音が聞こえた気がした。