「うーん……どうしようかな。鈴中先生に相談してみようっと」

 少し悩んだ挙句、エクセルが表示された画面はそのままにして、デスクチェアを回して立ち上がった。
 今日みたいな日は喉がよく乾くから、こまめに水分を取らなくては。たぶん興奮からくるものなんだろうけど、ここまでの高揚感を覚えたのは半年以上ぶりだから、勝手が思い出せない。思い出さなきゃ。
 冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出す。最高の気分で一杯ができる奇跡に、倉永伽耶は頬を緩ませた。
 普段生徒たちに見せる柔らかな微笑みとも、同僚たちに敵意がないことを見せるための笑顔とも違う。伽耶が心から笑えるのは、今日みたいな日だけだ。
 教師になってよかった。天職だと思う。
 精神的に未熟で愚かで視野が狭くて──そういうところが何よりも可哀想で愛おしい生徒()と出会えることがあるのだから。
 ああいった生徒()たちの精神を優しく優しく、真綿を絞めるようにゆっくりと、だけど確実に、ぐちゃぐちゃに掻き乱してあげる。あの生徒()たちが羞恥に燃え上がりプライドが折れていく姿を想像するだけで、私は絶頂しそうになる。
 教師となって数年。最終形態をこの目にしたことは、まだ七回しかない。
 初めての時は、授業中に突然声をあげて殴りかかってきた。あれは男の子だった。血が滲むまで唇を噛み締めて泣いてしまった男の子もいたな。「何が言いたいんですか。あたしのことですか」と涙目で睨んできた女の子もいた。授業のあとに呼び止めて、「何を知ってるんですか」って真っ赤な顔で謝ってきた女の子も。去年の男の子は、授業中思い切り机を蹴飛ばしてきた。あとはそうね……ふふ、私だけの秘密にしておこうかな。
 あぁ、みんななんて素敵なの。
 けどまだ足りない。全然足りない。ねえ、ひとりで思い悩まないで。今日の生徒()みたいにこっそり憤慨するなんてことはしないで、直接私に見せてほしい。こっそりタイプが多すぎて、ちょっと辟易(へきえき)していたの。

「冬見さん。なんていい顔をするの……あなたはきっと、見せてくれるよね。ふふっ。ふふふっ」

 柔らかなソプラノで笑いながらデスクチェアに戻り、ぷしゅりと幸せが流れ出した音を耳に届ける。
 倉永伽耶は、教師が天職だと自認している。
 担当科目は国語。そして何より愛している授業は、LHR。
 













『LHRをはじめましょう』了.