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僕と筒井先生の出会い……。
筒井先生が僕らのクラスにやってきたのは、高校2年生の2学期のことだった。古典の村田先生が産休に入った代わりにやってきたのが筒井先生だった。
筒井先生は「非常勤講師」というポジションの先生だった。
学校の先生には「専任教員」と「非常勤講師」というのがいるそうで、非常勤講師というのは、授業があるときだけ勤務する先生で、授業した分のみ報酬が発生する雇用形態だそうだ。要は、アルバイトの先生ということらしい。
「非常勤講師」は、担任の先生として学級を持つこともなく、学校の行事に関わることもない。「専任教員」と比較して、拘束時間も少なく、業務内容も楽だ。だから、定年退職をした先生や、主婦業なんかをしながら学校にちょっと関わってみたいという人が「非常勤講師」になるのだという。
そして、筒井先生はというと、「大学院生」というものをやっているのだと言った。
大学を卒業したあと、研究したいテーマがあって、大学院に進学した。ただ、大学院というのは研究をするための場所だから、授業時間が少なく、昼間のほとんどが自由時間。自由時間を活用して、学費を稼ぐためにバイトでもしようと考えて、「高校の非常勤講師」というものをすることにしたのだと、筒井先生は自己紹介をした。
「僕は、将来は「先生」になりたいと思ってる。授業時間しか君たちと交流を持つことはないけれど、しっかりと君たちに向き合いたいと思っている。「良い先生」になるための勉強をさせてもらいたい」
筒井先生はそんなふうに自己紹介を締めくくった。無難な自己紹介だったといえる。しかし、クラスには、なんとなく白けた空気が漂い始めていた。というのも、僕たちはみんな「筒井先生」という非常勤講師に異常なまでに期待をしていたのだ。
――23歳の若い大学院生の先生がくる! しかも、白銀大学に通っている!!
そんな前情報によって、僕たちは「筒井先生」に期待していたのだ。まず、「大学院生」という知的な響き! さらに、筒井先生の通っている「白銀大学」という大学は、「とんでもないお金持ちが通う名門私立」として有名だった。
白銀大学は、付属高校・付属中学校・付属小学校、さらには付属幼稚舎までそろっている巨大な私立学院で、私学の雄として評価されている。日本の私学の中でトップの偏差値の高さを誇り、就職率も高い。就職先も華やかで、卒業生の多くが若手社長や実業家として活躍し、メディアに露出していたり芸能界入りしていたりと、とにかく勢いのある学院なのだ。僕らが通っている高校も私学ではあったけれど、とにかく白銀は格が違いすぎる。
「大学院生」と「白銀大学」というワードによって、「スタイリッシュで実家が太くて、知的で、輝いていて、それでいて気取ったところはなく、キラッとした笑顔が美しく、スポーツなんかもやっているような……とにかく凄いオーラを放っている先生が来るに違いない!」と思っていたのだ。
女子たちは「白銀大学の院生とか、絶対にカッコいいよね! お金持ちだよね! どうしよ! 後輩さんとか紹介してもらえるかな?」などと、色めきたっていた。物語がはじまる予感がしていた。
それにも関わらずだ。
とにかく筒井先生というのは、地味だった。オーラなんてありやしなかった。痩せぎすで、瞳には覇気というものを感じることができず、どこかダルそうに見えた。身長はスラっと高かったのだが、着ているスーツがまずかった。ジャケットが長いスーツを着ているせいで、短足で胴が非常に長いように見えた。
「先生! 質問してもいいですか? 先生は大学院でどんな研究をしているんですか?」
女子の一人が質問した。せめて、大学院で研究している内容がカッコイイものであってくれ! そんな期待を込めて、彼女はきいたのであろう。
「あ、能の研究をしてる。お能ね……。世阿弥のね」
「お能ですか……」
これが決定打となった。別にお能は悪くはないが、なんとなく爺むさいイメージがある。なんとなくお堅い趣味という印象がある。そんなものを研究している筒井先生は、面白みに欠ける感じがした。多くの女子が「素敵な物語を始まらせてはくれない存在である」と確信したように見えた。
「白銀大学ってさ、大学からは外部生がほとんどらしいね」
「らしいね! 幼稚舎から通ってきてる『生粋の白銀学院の人』と、大学から入学してきた『外部の学生』だと、住む世界が違いすぎるんだって!」
「筒井先生って、絶対に外部生だよね。一般人のオーラがするからさ」
「うわー。まじ使えん! じゃあ、あいつが親しくしている後輩もどうせ外部生でしょ? 奨学金とかで通ってきてる一般家庭の子でしょ? 紹介してもらっても困るよね」
「てか、詐欺じゃん! 一般人が白銀大学の名前とか、名乗らないでほしいんだけど!!」
女子たちは、実に容赦がなかった。
筒井先生の古典の授業が終わるや否や、先生のことを、「あの詐欺師」「一般人」と呼んで、失望させられたことへの不満を口にしていた。しかし、1週間もすると、悪口をいうのも飽きてしまったようで、筒井先生の噂をする人もいなくなった。
ただ、大学院に進むだけのことはあって、筒井先生は国語がかなり好きらしく、授業自体はわかりやすかった。そのため、「筒井先生の授業って面白い! 勉強になる!」と、優等生の子たちが熱っぽく語り合っているのを聞くことはあったが、それくらい。
授業の質なんてものに興味がない大多数の生徒にとっては、筒井先生は、平凡な先生であり、興味の惹かれない先生だった。
しかしだ! 僕らの予測を裏切って、筒井先生は、なかなかに面倒なことをやらかしてくれたのだった。
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波乱が起きたのは、9月の末のことだった。
その日は、3時間目が筒井先生の古典の授業だった。2時間目が体育の授業だったのだが、その日は体育の先生の機嫌がすこぶる悪く、授業が長引いてしまった。僕らは大急ぎで制服に着替え、慌ただしく授業準備をしていたところ、筒井先生が教室に入ってきた。
「先生! すみません! 黒板、すぐに消しますんで!」
日直の宮田が、体操服をバッグに詰め込みながら声をあげた。バタバタしていて、1時間目の「現代文」の板書が黒板に残ったままになっていた。
宮田とその友人たちが慌てて、黒板に近寄ろうとしたときだ。
「ちょっと待って! 消さないでほしい!!」
筒井先生の凛とした声が教室中に響いた。ざわざわしていた教室がたちまちシンとした。筒井先生の声が叫ぶように大きかったからだ。筒井先生が大声を出すのを僕らは初めて聞いて、驚いたのだ。
「これは飯田先生の現代文の授業だよね?」
筒井先生は僕らに問いかけた。授業準備をしようと、カバンや机の中に向けていた僕らの視線が、教壇の前にいる筒井先生へと移動していく。教室の前のほうにいる何人かは、肯定を示すかのようにコクコクと頷いている。
「間違ってるな。ここの解釈がひどく間違っている。なんで、こんなふうに書いてしまったんだろう……?」
そんなことを言いながら、筒井先生はスーツのポケットからスマホを取り出して、黒板を撮影し始めた。教室に、無機質なシャッター音が響いた。
「ちょっと武井さん。悪いけど、現代文のノートを見せてもらってもいいかな」
筒井先生は黒板を撮影しただけでは満足しなかった。
教壇に近い席に座っている武井に声をかけた。武井は困ったような表情をして、教室中を見回したのちに、曖昧な笑みを浮かべながら、筒井に現代文のノートを差し出した。
「なるほどね……。飯田先生は、主観の入りすぎた解釈をしているし、平成29年バージョンの学習指導要領しか読んでいないようだ。ここは令和3年から大きく変わって注意しないといけないところなのに」
ブツブツと独り言を言いながら、筒井先生はノートをめくっていく。そして、黒板同様にパシャパシャと撮影もしていく。
僕らはというと、そんな筒井先生を不気味なものを見るような目で見ていた。
何人かのクラスメートは互いに目配せをしている。「こいつ、ヤバくね?」と確認し合うような視線だ。
僕も「この先生、ヤバいな」と思った。確かに大学院にまで行っているくらいなのだから、筒井先生は飯田先生よりも知識があるのだろう。
でも、他の先生が間違ったことを教えていたからといって、その間違いを生徒の前で言う必要はあるだろうか? 飯田先生のプライドを傷つけることになるではないか。
しかも、飯田先生は僕らのクラスの担任の先生だ。
筒井先生のやり方は「きみたちの担任の先生は指導力ないよ! 古い指導をしているよ!!」と主張するようなものだ。もう少しやり方があるのではないか。僕は、担任の飯田先生のことは嫌いだが、ちょっとした同情心も芽生えた。
「うわー! 飯田ちゃんってば、俺らに嘘を教えてたのかよ!! ひどいなー!!」
クラスのムードメーカーの辻がおどけた声をあげた。それに同調するかのようにクラスメートの何人かがクスクスと大げさに笑った。辻の発言が面白かったからではなくて、クラスに漂う不快な空気を塗り替えるために笑っておいたのだろう。
筒井先生はというと、そんな笑いを無視した。
涼しげな顔で「ああ、宮田さん。黒板は消してくれてもいいよ。黒板の撮影は終わったから」と、淡々と指示するだけだった。居心地の悪い空気が、またもや教室を満たしていった。
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――筒井先生の空気の読めなさといったらない!!
古典の授業が終わったあとの休み時間は、その話題で持ちきりだった。クラスメイトたちは、筒井先生のことをサイボーグみたいと形容したり、キモイと端的な暴言を浴びせてみたり、ネットで聞きかじった病名を持ち出して精神科医を気取ってみたり……さまざまな方向から彼のことを批評してみせた。
さらに、筒井先生のやらかしは続いた。授業で余計なことをした、その翌日のことだ。
「ヤバい! ヤバい! めっちゃキレてたから!!」
クラスの女子の一人が、そんな一言とともに、教室に駆け込んできた。彼女が、用事があって職員室に行ったところ、飯田先生が筒井先生を怒鳴っている最中だったのだという。
彼女がさりげなく様子を伺っていたところ、筒井先生は、“飯田先生の現代文の授業のどこが間違っていて、何がいけないのか”ということをレポートにまとめてきて、飯田先生に助言をしていたのだという。「バカかな?」と僕は思った。
プライドを傷つけられた飯田先生は「別にそんな専門的なことは受験には必要ないから! 間違ってないから!!」などといって、筒井先生を罵倒していたのだという。職員室内は、筒井先生のせいで、ピリピリとした雰囲気だったそうだ。
「一応さ、飯田先生は、筒井先生の上司みたいな感じなんだからさ……。空気を読んだらいいのに」
「アホだねぇ……。筒井先生って、ちょっと真面目すぎるのかも。頭はいいけどバカってやつ?」
クラスメイトたちは、筒井先生のことをけなした。「たぶん、あいつ教師むいてねーわ」「研究者にでもなればいいんだよ、特性をいかして」というふうに、筒井先生の進路にダメ出しをして、この日は終わったのだ。筒井先生は間抜けだなぁ、ダメな奴だなぁ。そんなふうに僕も思った。
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しかし。ダメなやつは筒井先生だけではなかった! 翌日以降、僕たちは、非常に嫌な場面にやたら遭遇するはめになったのだ。
「あいつのことさ、先生とか呼ばなくていいんだよ。バイトなんだから。非常勤講師はさ、備品みたいなもんだから。事務員呼ぶみたいに「さん」でいいんだよ。ちょっと立場が違うから」
筒井先生に輪をかけて、我らが担任の飯田先生もダメなやつだった。
飯田先生は、先生にあるまじきことに、筒井先生へのパワハラを始めた。授業の誤りを指摘されたことが、よっぽどムカついたらしい。
まず、筒井先生のことを「先生」と呼ばない。筒井先生の話し方や歩き方……そんな些細なことに難癖をつける。廊下ですれ違うごとに、近くにいた生徒などに、ひそひそと筒井先生の悪口を言う。
「今日は、小テストをやるっていってたんだけど……。データの出力がうまくいかなくてね。悪いけれど、次回に回させてもらうよ」
さらには、筒井先生が小テストやプリント、さらにはパワポを用意できていないことが何度か続いた。原因を僕らは知っている。飯田先生である。飯田先生が、非常勤講師の先生が使うノートパソコンをいじっている姿を、僕たちは放課後の職員室でたびたび目撃していた。
そして、飯田先生が何かをやっていた翌日は、筒井先生の授業で何らかの不備が発生したのだ。ちなみに、クラスの意見は、「生徒に迷惑がかかるようないじめをするのは、ちょっと違う」という方向でおおむね一致していた。
『俺さ、筒井さん見てて思ったよ! 将来は、絶対に正社員になろうって』
『わかるー。あの人ってさ、月収7マンくらいしかもらえてないんだってさ。飯田ちゃんがいってたもん。あんなに馬鹿にされてさ、俺らにも軽く見られて10マンも稼げないなんて終わってるよね』
『てかさ、めっちゃ笑える話してもいい? あいつ、親の扶養に入ってるんだって! 23歳にもなってやばくね? 年収100万円の壁ってやつ?』
担任の飯田先生が筒井先生を軽んじたものだから、自然と生徒も筒井先生を軽んじるようになっていた。特に、うちのクラスのスクールカースト最上位の三人組は、わかりやすく筒井先生をバカにして見せた。
これが本当に僕にとっては迷惑だった。
「てかさ、脇も、筒井さんみたいになりそうじゃね? 脇って、筒井さん予備軍だろ!!」
3人組は、筒井先生の悪口を言いながら、チラッと僕のほうを見て、聞えよがしにそんなことをいうのだ。
「あーね。なりそう。同じ系統のキモさがあるから」
「おい! そんなこといってやるなよ。聞こえるだろ」
「え、キモ! あいつ、いま、ビクッてなったよね! うちらの話、聞いてんじゃん。キモ。無理。フツーに死んでほしい!」
僕は、3人組に日々いじめられ、クラスで孤立をしていた。僕は、クラスで誰かと話すことがない。とにかく生きづらい学校生活を送っている。周囲のクラスメイトは、僕がいじめに遭っていることに当然気が付いているが、親しくないやつのために、わざわざスクールカースト最上位の三人組を相手にしたくないのだろう。
みんな僕のことを見て見ぬふりをしている。そして、僕も彼らに話しかけにくく、教室内で息を殺して日々をやり過ごしている。
だから、筒井先生の存在は迷惑だ。僕は、クラスメイトを刺激しないように生きているのに、筒井先生が何かをやらかすごとに、その流れ弾を受けて、侮辱を受けるはめになるからだ。
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