そういう動詞を述語にしたい


「ぬるい! しょうもない! こんな動画じゃ駄目だ!! きみさ、いじめられる才能が欠如してるんじゃないかな?」

 筒井先生は、僕が撮影してきた動画をそんなふうに批判した。今日も今日とて、デザートを食べながら、である。筒井先生の今日のデザートは、フルーツロールだ。ギッシリとフルーツがつまった高級そうなロールケーキを、1本そのまま皿に出して、フォークで次々と食べていく。

 先生はデザート以外を食べない。

 筒井先生は『快楽主義』という変わった主義を持っていて、その主義を大切にしているから、デザート以外のものは食べないそうだ。主食や副菜は見た目に面白みがなく、快楽主義者的には許せないから食べてやらないのだと語っていた。
 いつぞやも『パンがあっても、お菓子を食べればいいだろ?』などというワケノワカラナイ主張をしていた。世が世なら革命が起きてギロチンにかけられそう……。そんな感想を洩らしたら、先生は非常に嬉しそうな表情で、突拍子もないことを言ってのけた。

『いいね! 僕、そういう死に方してみたいよ。“殺したくなるほどお前の人生が羨ましいんだ!”とかって理由で命を奪われるって最高にキモチイイだろうね! 優越感に浸れそう! 民衆もスカッとしてキモチイイだろうし、革命って、快楽主義の観点からみると、すっごくコスパがいい!』

 当然のことながら、フランス革命時の民衆たちは「あいつらの人生が羨ましいぜ!」などという、しょうもない理由で国王たちをギロチンにかけたわけではない。政治である。政治のやり方に不満があったから、革命を起こしたのだ。僕は、世界史の教科書を取り出して、筒井先生の誤りを懇切丁寧に指摘してやった。

『うるさい! きみは細かいんだよ! 政治も人生だよ! 言葉の綾だよ!』

 そんな綾があってたまるか。しかし、筒井先生は、手近にあったクッションを僕に投げつけて、僕のことをそれはもう堂々と罵倒したのだった。理論もなにもあったものではない。とにかく幼稚でいい加減なことを平気でする先生なのである。

「僕が欲しい動画については説明しただろ? もっと激しいヤツだよ! きみがね、殴られたり蹴られたりしている動画が欲しいんだよ!」

「それはわかってますよ。でも、殴るなんてするのは小学生までです。フツーの人間は苛立ったとしても、殴ったり蹴ったりクッションを投げつけたりはしないんですよ」

 僕は反論した。筒井先生は、フォークに新たなロールケーキの一切れを刺した状態で、一拍の間を置いて首をかしげながら答える。

「そうかな? きみの努力不足だろ? 僕なんて、今日もバッチリ飯田先生からパワハラを受けたんだからな。すごいもんだろ。この真っすぐでひねりのない暴言を聞いてみろよ」

 筒井先生は、机に置かれているICレコーダーを再生してみせた。ICレコーダーからは、飯田先生の生き生きとした暴言の数々が流れてくる。僕は、こんな暴言を吐くやつが自分の担任であることにゲンナリとする。

 続いて、筒井先生の猫かぶり(、、、、)具合に関心してしまう。ICレコーダーからは、飯田先生の暴言に交じって、筒井先生の弱弱しい抗議の声が混ざるのだが、その声はヘドモドしていて、涙にぬれたようにふるえている。本当にパワハラに参っているような声だった。

 僕は、ICレコーダーの声を聴きながら、筒井先生の様子をそっと窺う。パワハラに参っているような表情はしていない。飯田先生の暴言を聞いて、「国語の先生のくせに語彙力ないなぁ」などと愉快そうに笑っている。

 筒井先生は「お能」を昔からしていて、そのおかげで、演技力があるのだと言っていた。それにしてもすごい。僕は、時々、筒井先生という人がわからなくなる。どれが素顔で、どれが仮面なのか……。ちょっと怖くもなるのだが、それ以上に、わくわくしている。僕は筒井先生のことを少し好きになり始めている。ストックホルム症候群というものかもしれない。