いつもと変わらぬ、何気ない朝。


天気の良い日で朝日が眩しく、少しばかり冷えきった廊下が暖かく感じた。今日も、いつもと同じ朝が始まる。


そう思いながら、いつも通り朝餉の準備をしそれをこの屋敷の主へと運ぶ。



「……失礼します。朝餉の用意が出来ました」



高級な襖の外で正座し、中から声が聞こえるまで決して中へ入ってはいけない。それは主とその他の下女との暗黙の了解。


わたしはしばらく頭を下げ、返事が来るのを待った。だけどどれだけ待っても中から返事は返ってこない。


……今日も、か……。


わたしはせっかく作った朝餉が冷めてしまうと思いながらもう一度声を出した。


もうすぐ春だというのに廊下はまだまだ寒い。料理が冷めてしまうのは時間の問題だろう。


そっとため息をつきながらその後も数分ほど外で待った。



「……入れ」


「失礼します」



ようやく中から返事があり、わたしはすっかり冷えきった朝餉を運んだ。


襖の奥にはくすくすと笑いを堪える姉と、まるで下品なものを見るような目でわたしを見る両親がいた。



「あら。今日も朝餉の時間が遅くなくて?」


「……申し訳ありません。すぐにお作りしたのですが……」



そんな中、お姉様の咲良(さくら)が嫌味たっぷりにそう聞いてくる。わたしはいつも通りに支度をし朝餉を持ってきた。


だけどそれを言っても意味が無い。わたしが意見を言ったところで現状は何も変わらない。


むしろ暴力を振るわれ、最悪な出来事が待っているだろう。



「まぁいいわ。さっさと配膳しなさいな」


「かしこまりました」



お姉様から話を降ってきたのに、不機嫌そうに顔を背ける。ため息がこぼれそうになったけど何とかそれを飲み込んだ。


両親は黙りこくったままこちらを見ようとしない。母親は興味無さそうに目を閉じ、父親は顔を下に向かせ、項垂れている。


わたしはそんな3人の手元にお膳を並べ、部屋の隅で待機した。


わたしが朝餉を準備した時はすぐに帰ってはならない。3人が食べ終わるまで待機していなければいけないのだ。


……でも、自分の食事は用意されていない。……いや、用意してはいけないと言われていた。


わたしは、3人の家族でもなければ、親戚でもない。ただの、住み込みの下女だから。



「それではいただこう」



配膳が終わり、父親が箸を持ったところで初めて声を出した。それに合わせて2人もいただきますと頭を下げる。


料理はすっかり冷えきっている。温め直す時間も無かった。3人はどう反応するのだろうか。



「……なによこれ!お味噌汁が冷えてる!ご飯も、おかずも全て冷たいじゃないの!!」



顔を俯かせながら待っていると味噌汁をすすったお姉様がヒステリックにそう叫んだ。それと同時に朝餉が床に散らばる。


ガシャン!という激しい音と共に見るも無残な姿になった朝餉たち。


わたしはああ……とやるせない気持ちになった。



「本当にね。なんでこんな美味しくない、不味い朝餉が出せるのかしら。あなたもそう思わなくて?」



お姉様の言葉に母親も便乗する。


更には父親にまで同意を求めるように返事を促した。



「……申し訳、ありません。すぐに作り直し……」


「もう朝餉は結構。お膳を下げてくれ。お前たち、外に食べに行かないか?」



これ以上怒りがヒートアップしないように謝ろうと頭を下げたけど。父親はそんなわたしを制して2人にそう提案した。


その瞬間、心臓がひゅっと何かに鷲掴みされたように痛み出す。こんなの、何回もあるのに。


まだ父親に情があるのだろうか。


自分の存在はまるでないかのように扱われるこの空間は。


……まるで、氷のように冷たく感じた。



「それはいいわね!今日は女学校はお休みだしゆっくり買い物もしたいわ!」


「そうね。そうしましょう。あなた、ありがとう」



父親の提案に目を輝かせる母親とお姉様。


その反応に満足したのか微笑む父親がいた。



「そういうことだ。お前はここの後始末と仕事をしてろ」


「……かしこまりました」



わたしも父親の子供なのに。もう、家族としては見られていないのか。


頭を下げ続けていると3人はこの部屋から意気揚々と出ていく。静まり返るこの部屋に取り残されたわたしは。


静かに朝餉の後始末をしていた。


***


飛鳥馬家(あずま)の次女として生まれた飛鳥馬和咲(かずさ)は今年で15になる名家の娘。


和咲の姉は今年で17になる飛鳥馬家の長女。昔は姉妹仲良く、両親も平等に娘達に愛を与えていた。


飛鳥馬家は代々異能を受け継ぐ家系として有名。異能の中で主に『読心能力』となんでも自分の良い方向へと物事を持っていく力『超強運』に長けていた。


その異能を活かし、かつてのご先祖さまは国の偉い方に使えながら各国を回っていたらしい。


時には軍事のトップにたち、その仕切りを任されていたとか。


その実績もあり、飛鳥馬家はこの国の中でも重宝されていた。だがしかし、飛鳥馬家の異能の力が近年弱くなっている。


異能持ちの子供は生まれるがどれもあまり役に立たないほど弱かったらしい。原因は分からないがそのような出来事が何年か続いた。


しかし父親はこの血をより濃く受け都合と今の母親と政略結婚し、咲良と和咲が生まれた。


母親もまた強力な異能の持ち主で、娘達にも異能を期待したそう。異能が開花される歳が7歳頃と言われていた。


姉はその年になると人の心を読んだり、少しだが未来が見えたという。咲良は両親の期待通り異能を受け継いだのだ。


そうなると妹の和咲にも期待の眼差しが向けられる。両親はめいいっぱい和咲をあいし、育てていた。だが……和咲は7歳になっても異能は開花しない。


そんな和咲に両親は愛想を塚し、いつからか家族として扱わなくなった。ここで働く下女と同じように扱い、時には暴力を振るう。


そんな和咲は、毎日機械のように働いた。


そうしないと、また両親の愛を欲しがってしまうから。


わたしはみんなの役に立っていればいい。それだけで、幸せなのだから。


***


「……ふぅ。これで今日の仕事は終わりかな」



ようやく本日最後のひと仕事が終わった夜。日はとっくに暮れ、星が瞬いていた。


月明かりに照らされている、まもなく花がさこうとする桜の木がとても美しい。わたしは深呼吸しながら見入ってしまった。


飛鳥馬家にあるこの大きな桜の木は、お姉様が生まれた時に植えたそう。


桜の木のように美しく、綺麗に育つように名前にも花と同じものをつけたと両親が言っていたっけ。


少し桜の木を眺めたあとわたしは寝るために自分の部屋へと戻る。わたしの部屋は家の角にある薄暗い小さな部屋。


ここは夏は暑いし冬は寒い。あまり環境は良くないがひとりになれるこの空間はお気に入りだ。何も考えないで過ごしていられる。



「……はぁー。疲れた」



薄いお布団に包まれながらごろん、と横になる。春が近いとはいえまだまだ寒い夜。天井を見ながらぼんやりと考える。


……わたしって、生きている意味あるのかな……。


毎日毎日同じ事の繰り返し。


こんな変わらない毎日を過ごして、いったい何になるのだろうか。わたしにも異能があったら何か違ったのかな。


なんて、考えてもしょうがないことを思う。別に死にたいとは思わない。だけどこのまま生きていてもしょうがないとは思っていた。


わたしはいつだって優柔不断で自分出は何も決めることができない。


この先、どうなるのだろうか……。


布団を頭まで被り、その日の夜はいつの間にか眠りについていた。いつもならこんなことは考えないのに。


なぜかその日は未来のことで不安でいっぱいだった。


翌日。


わたしはいつも通り下女の仲間と仕事をしていると突然お父様に呼ばれた。



「和咲。大事な話があるから今から居間に来なさい」


「か、かしこまりました」



お父様に名前を呼ばれ、無意識に緊張してしまう。強ばる体で返事をした。だけどそれ以上は何も言わずに去っていく。


……珍しい。お父様自らわたしを呼びに来るなんて。いつもなら他の仲間から言伝を聞くのに。


余程大事な話なのだろうか。


わたしは仕事を切り上げ、お父様の後を追うようにして居間に向かった。



「失礼します。和咲です」



なんの話だろう、とドキドキしながら襖の前に正座する。しばらく返事は来ないだろうなと思い声をかけたのだが。



「入れ」



意外にも中から聞こえた返事は早かった。そのことに驚きながらもわたしは襖を開け、中に入る。


居間には両親といつも以上に上等な着物を身にまとったお姉様が座っていた。お姉様は派手な桃色の着物を着ており、美人何顔がさらに目立っている。


その様子を見て固まってしまった。



「和咲。何をぼけっとしているのかしら。さっさと中に入りなさいな」



お姉様を見ていると痺れを切らしたお母様がイライラしたようにそう言った。はっと意識を取り戻したわたしは慌てて頭を下げ、隅っこに身を寄せる。



「揃ったな。それでは今から大事な話をする。1度しか言わんから、よく聞いとけよ」



お父様はわたしが座ったのを確認した後、話を始めた。その瞬間、妙に空気が張り詰め、息苦しくなる。



「今日の話は咲良の婚約……すなわち、この家の縁談について。あとは和咲の今後についての話だ」



静かな居間に響くお父様の声。わたしはそっと顔を上げ、お父様を見る。


わたしの今後について……?


お姉様の縁談の話についてなら何となくわかる。だけどそれとわたしの今後についてはどういう繋がりがあるのだろうか。


不審な言葉に思わず首を傾げる。



「咲良。お前はこの家の異能を受け継ぐために御子柴(みこしば)家の息子を婿として迎える。ちょうど御子柴家の次男坊が花嫁を探していてな。今回の縁談となった」


「承知しました」



お父様が話すとお姉様は嬉しそうに頭を下げる。御子柴家といったらかなり上位の名家だ。異能も強く、帝の付き人もやっているという。


そんな名家の次男がお姉様の婿養子だなんて。長男の話はよく聞くが、次男の人相や姿はあまりよく分からないことが多い。


だが、お父様とお姉様をこんなにも嬉しそうにするのは結納金が多額になるからだろう。あとは、両家が結ばれれば飛鳥馬家の名も上がる。


おそらくそれを見越した政略結婚。


それでもお姉様は幸せなのだろう。



「そして、和咲。お前はこの家から出て行ってもらうことになった」


「……え?」



頭の中を整理しているととんでもない言葉が聞こえた。反射的に聞き返したけどお父様はそれも無視。


わたしのことは一切見ることなく話を続ける。



「お前の存在は御子柴家に話していない。異能を受け継がなかった娘は話す価値ないと思ってな。和咲には新しい場所で下女として働きに行ってもらう。かなり位の高い家だから粗相のないようにしろよ」



……つまり、わたしはほとんど勘当されたも同然ということ。話からするとお父様は追い出したあと、この家に帰らせるつもりは無いのだろう。


心のどこかで覚悟はしていた。


だけどいざそのことを突きつけられると心がひりひりと痛む。もう、お父様はわたしのことを愛していない。


お姉様だけが自分の娘として相応しいのだろう。



「……かしこまりました」



心は痛むのに頭の中はやけに冷静で。絞り出すようにして返事をした。



「和咲が行くのは堂上家。くれぐれも飛鳥馬家の娘だということは言わぬように。名前だけ名乗りなさい。わかったな?」


「かしこまりました」



もう、わたしには逃げ場がない。ここまで言われてしまったらいっそ清々しい。



「可哀想に」



頭を下げ続けるわたしに向かってお姉様がつぶやく。だけどそれは同情の言葉ではないということは痛いほどわかった。


お姉様のほくそ笑む顔が用意に浮かぶ。



「明日、荷物をまとめ堂上家に出発しろ。お前とはもうこれきりだ。以上で話は終わりだ」



なんの感情もなくばっさりとわたしを切り捨てるお父様は。とても恐ろしく、わたしのことを見ることは無かった。


音を立てずに立ち上がり、荷物をまとめるため自分の部屋へと戻る。あっという間の出来事すぎて理解が追いつかないけど。


体は無意識に動いていた。



「……ふっ、くっ……なん、でわたしなの……なんで、愛してくれないの……」



ひとりになった部屋の中で。自然と零れた涙は冷たくて。寂しいのか愛されたいのか分からない涙が止まらなかった。


泣いたのなんていつぶりだろうか。


いつもなら泣いてもすぐに収まるのに。今日だけは違った。泣いても泣いても涙が止まらない。


わたしは本当にいらない子だった。


胸が苦しいほどに泣いた。だけど涙は枯れることなく、ただひたすらに流れ落ちるだけだった……。


翌朝。


わたしはいつもの仕事をすることなく、自分の荷物を持ち家の玄関に立ち尽くす。見送るものなど当然誰もいなかった。



「……行ってまいります」



誰もいない玄関の先に向かって頭を下げる。……ああ、本当にわたしはもうこの家に帰ってこられない。


そう思うとなかなか顔をあげられなかった。でも、行くしかないのだ。わたしにはもう堂上家以外に行くとこはないのだから。


深呼吸してからわたしは家を去った。


たくさんの不安を抱えながら、堂上家に向かう。


お父様に渡された地図通りに歩くと街が見え、その奥に立派な建物があった。あれが、堂上家。洋風な作りの家に圧倒される。


足がすくんだけど一歩一歩、歩き出す。


今日からここがわたしの職場兼住む家。いったいどんな方がいるのだろう。


そう思いながら家の呼び鈴を鳴らした。



「はーい」



すぐに返事があり、ドアが開く。すると中から若い女の人が出てくる。つり目で少し怖い印象を持つ女性は、わたしを見るなり警戒していた。



「こ、こんにちは。私、今日から堂上様の下女として働くことになりました和咲と申します」


「……和咲……ああ、旦那様が仰っていた新しい子ね。いらっしゃい。さぁ、入りなさいな」


「お、お邪魔します」



一瞬首を傾げたけどすぐに思い出したようにわたしを家の中へ案内してくれた。その暖かい雰囲気に戸惑ってしまう。


堂上家といえば“冷徹な家系”として有名だったから。当主はもちろん、その家族の人もみんな他人に冷たい。使用人や下女も冷たいという噂を聞いてきた。


だから、こんなに暖かい雰囲気には、戸惑ってしまった。



「和咲さんのお部屋に案内します。荷物を置いたら、御当主様に挨拶いきますよ」



戸惑うわたしを他所に、女性は淡々と説明しながら軽く堂上家を案内してくれる。


その対応に戸惑いつつも、部屋に荷物を置き、御当主様のいる部屋へと通された。無事に挨拶も済ませ、今後の仕事について話を聞いていると。



「……なんだ、その女は」



後ろから低く、冷たい声が聞こえた。その声にビクッとしながら振り向く。そこには淡い着物を身にまとった若い男の人がいた。


男の人は、肩まで伸びた金色の髪を無造作におろし、鋭い目付きでわたしを見ている。一瞬、とても美しい方だなと思ったがそれはすぐに怖いという気持ちで埋まった。


……この方、もしかして堂上家の方かしら。


「若旦那様。そのようなことを言ってはなりませんと何度話したらわかるのです。この方は和咲さんといって新しく入った方ですよ」



恐怖を感じていると、わたしのことを紹介してくれた。若旦那様。ということは、この方は御当主様の息子様。


……絶対に粗相のないようにしないと。


心の中で無意識に思う。



「は、はじめまして。和咲と申します。よ、よろしく……」


「私には関係ない。いいな?くれぐれも仕事の邪魔はするなよ」



頭を下げたけどはぁ、とため息をつかれ、吐き捨てるようにそう言うとわたしの前を通り過ぎた。



「申し訳ありません。若旦那様は誰にでもああでして……。困ったものですよ」



固まるわたしとは違って苦笑いする女性の方。だけどわたしは全然笑えなかった。


……わたし、ここの家でやって行けるのかしら。


そんなふうにして始まった堂上家での生活。来る前よりも大きな不安を抱え、どうなるのだろうとずっと考えてしまった。


若旦那様。


最初の印象はあまり良くなかったけど。



『和咲を地の果てまで愛してやる』



後に愛されることになるなんて。


いったい、誰が想像したことでしょうか……。

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