幼い少女の手を繋いで夕暮れの道を歩き続けているようだが、その娘は、竹取物語のように、スーッと大人に成長していった。沙織は縁側にいる。猫を抱いたまま微笑んでいる、愛しさに駆られて声をかけようとすると宵闇が忍び込み、少女の白い顔を黒く塗りつぶしていく。
嫌だ。もっとその娘を見させてくれと切望しているというのに深い穴の底に滑落するかのように意識が暗転していった。
コボゴボッ。肺に水が流れ込んでいる。
鈍い痛みと猛烈な吐き気に突き上げられながらも奈落の底に落ちたような感覚になる。奇妙な光景が脳裏を過ぎった。
目の前にあるのは合戦場。
怒号と埃が舞い上がる。足軽達が雄叫びをあげて入り乱れて斬り合い、血しぶきが飛び散っている。目玉を矢で射られた半裸の男が悶絶しながら叫ぶ。
圧倒的な緊迫感と生々しい光景に驚愕して目を見張る。
江戸の大火。維新の大砲。蒸気機関車。空襲警報。フラッシュバックのように映像が迫り、得体の知れない恐怖を覚えるが、それを遮断しようとして全身で踏ん張り訴えていく。
やーめーろーー。
ごぉっーという音と共に戦闘機が近付いてくる。
そんなことしたらいけんのじゃーー。
ヒカーッと頭上で何かが閃光を放っている。ああ、それだけはやめてくれ。あれだけは、絶対にあかんーーー。
ハァハァと息を荒らげたまま目を開くと、目の前にあるのは白い壁と本棚だった。
羽田はキツネにつままれたような気持ちになる。
どうやら、悪夢を見てうなされていたようである。
「えっ……」
頭に手をやると包帯が巻かれていたのだが、交通事故にでも遭ったのだろうか。
小鳥のさえずりや、梢が風にそよぐ音が聞える。窓から射し込む初の朝の光が清らかだ。
ふと、こちらを覗き込む綺麗な目鼻立ちの若者と目が合ったのだが誰だか分からない。
見た事のない若者なのに、とても懐かしいような気もする。
羽田は心細かった。おずおずと、遠慮がちに問いかけた。
「あなたは誰ですか?」
「記憶障害のようですね……」
青年は、羽田の右手を握って脈を測り、熱が下がったことを確認している。
久しぶりに嗅いだ食べ物の香りに羽田の鼻腔が敏感に反応した。半熟の目玉焼きとトーストをのせた皿に顔を寄せると、嬉しそうに青年が微笑んだ。
「ああ、その顔、やっぱり、お腹がすいてるんですね……」
羽田は素直に焼き立てのパンに素直にかぶりつく。夢中で咀嚼しているとと、青年がゆっくりと囁いた。
「心配いりません。じきに慣れますよ」
相手が何を言っているのか分からないが、それでも、羽田は背中をシャンと伸ばしてコーヒーカップを両手で持つと、味噌汁でも味わうかのような面持ちでズズッと啜る。
頭を垂れながら拝むように手を合わせ、ごちそうさまと告げると青年がクスッと微笑んだ。
「コーヒーの御代わりはどうですか?」
「……もういい」
そう言いながらも、ピリピリと警戒しながら、羽田は周囲を見渡していく。見知らぬ場所に戸惑いを覚えていた。
意識の底で、ピーヒャララ、ピーヒャララと小太鼓の音が聞えてきたような気がして懐かしさに胸が弾んだ。
けれども、クシャミをした瞬間、頭の中で響いていた軽妙な音が消失している。
青年が食器を片付けてくれたので、ここに残っているのはコーヒーの香りだけ。
(静かだ……)
満腹になると、またしても眠たくなってきた。
先程の青年がこちらに戻ってきた。そして、まるで、赤子を扱うように優しい声で囁いたのだ。
「疲れたでしょう。もう少し休んだ方がいいですよ」
それもそうだ。羽田は、どっこいしょと言いながら、ゆっくりとベッドに横たわっていく。どうにも身体が重たくて思うようには動けない。自分の身体じゃないみたいに感じられて何だかまどろっこしい。
綺麗な目を細めながら、青年は、ずっとこちらを見守っている。
羽田は、少し落ち着くと、腹部をさすりながら、甘えるような声で小さな不平を漏らしたのだった。
「流星、わし、朝は米と味噌汁がええのう……」
おわり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
嫌だ。もっとその娘を見させてくれと切望しているというのに深い穴の底に滑落するかのように意識が暗転していった。
コボゴボッ。肺に水が流れ込んでいる。
鈍い痛みと猛烈な吐き気に突き上げられながらも奈落の底に落ちたような感覚になる。奇妙な光景が脳裏を過ぎった。
目の前にあるのは合戦場。
怒号と埃が舞い上がる。足軽達が雄叫びをあげて入り乱れて斬り合い、血しぶきが飛び散っている。目玉を矢で射られた半裸の男が悶絶しながら叫ぶ。
圧倒的な緊迫感と生々しい光景に驚愕して目を見張る。
江戸の大火。維新の大砲。蒸気機関車。空襲警報。フラッシュバックのように映像が迫り、得体の知れない恐怖を覚えるが、それを遮断しようとして全身で踏ん張り訴えていく。
やーめーろーー。
ごぉっーという音と共に戦闘機が近付いてくる。
そんなことしたらいけんのじゃーー。
ヒカーッと頭上で何かが閃光を放っている。ああ、それだけはやめてくれ。あれだけは、絶対にあかんーーー。
ハァハァと息を荒らげたまま目を開くと、目の前にあるのは白い壁と本棚だった。
羽田はキツネにつままれたような気持ちになる。
どうやら、悪夢を見てうなされていたようである。
「えっ……」
頭に手をやると包帯が巻かれていたのだが、交通事故にでも遭ったのだろうか。
小鳥のさえずりや、梢が風にそよぐ音が聞える。窓から射し込む初の朝の光が清らかだ。
ふと、こちらを覗き込む綺麗な目鼻立ちの若者と目が合ったのだが誰だか分からない。
見た事のない若者なのに、とても懐かしいような気もする。
羽田は心細かった。おずおずと、遠慮がちに問いかけた。
「あなたは誰ですか?」
「記憶障害のようですね……」
青年は、羽田の右手を握って脈を測り、熱が下がったことを確認している。
久しぶりに嗅いだ食べ物の香りに羽田の鼻腔が敏感に反応した。半熟の目玉焼きとトーストをのせた皿に顔を寄せると、嬉しそうに青年が微笑んだ。
「ああ、その顔、やっぱり、お腹がすいてるんですね……」
羽田は素直に焼き立てのパンに素直にかぶりつく。夢中で咀嚼しているとと、青年がゆっくりと囁いた。
「心配いりません。じきに慣れますよ」
相手が何を言っているのか分からないが、それでも、羽田は背中をシャンと伸ばしてコーヒーカップを両手で持つと、味噌汁でも味わうかのような面持ちでズズッと啜る。
頭を垂れながら拝むように手を合わせ、ごちそうさまと告げると青年がクスッと微笑んだ。
「コーヒーの御代わりはどうですか?」
「……もういい」
そう言いながらも、ピリピリと警戒しながら、羽田は周囲を見渡していく。見知らぬ場所に戸惑いを覚えていた。
意識の底で、ピーヒャララ、ピーヒャララと小太鼓の音が聞えてきたような気がして懐かしさに胸が弾んだ。
けれども、クシャミをした瞬間、頭の中で響いていた軽妙な音が消失している。
青年が食器を片付けてくれたので、ここに残っているのはコーヒーの香りだけ。
(静かだ……)
満腹になると、またしても眠たくなってきた。
先程の青年がこちらに戻ってきた。そして、まるで、赤子を扱うように優しい声で囁いたのだ。
「疲れたでしょう。もう少し休んだ方がいいですよ」
それもそうだ。羽田は、どっこいしょと言いながら、ゆっくりとベッドに横たわっていく。どうにも身体が重たくて思うようには動けない。自分の身体じゃないみたいに感じられて何だかまどろっこしい。
綺麗な目を細めながら、青年は、ずっとこちらを見守っている。
羽田は、少し落ち着くと、腹部をさすりながら、甘えるような声で小さな不平を漏らしたのだった。
「流星、わし、朝は米と味噌汁がええのう……」
おわり
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