聞いたところによると、月に五千円の会費を払えば、教団の施設に住めるというのでホームレスや身寄りのない老人の多くが入信しているという。
 宗教団体というよりも慈善団体に近いようである。
 教祖は貧しい母子家庭の子供達が学べるように無償の塾を開いており、子供食堂なども手がけている。元気な頃の教祖は、信者達と共に炊き出しや街のゴミ拾いをやってきた。
 多くの人に愛されていたが三ヶ月前に他界している。
 孫で眼科医の村上流星が見守る中、静かに息を引き取ったというのである。
「惜しい人を亡くしましたね」
 先月、教祖の村上政一について教授の患者がこんなふうに語っていたのである。
「いやー、教祖は、面白い人でしたな。私は、日本の中世の歴史を教えているんですが、私以上に博識なんですよ」
 教授の話を聞いているのは教授と同年代の老人である。
「あたかも、その時代を生きたかのように知っておられた。舌を巻きますぞ。遊芸民や陰陽師や海賊について、どんな学者よりも詳しいのです。昔、一緒に山登りしたのですが、わらびの地下茎の皮で編んだ縄は腐りにくいとか、ムクロジの種子を潰して石鹸にするとか語りながら、目の前で草鞋をサササッと編んでみせたんです。あれには驚きましたよ」
 学者気質のせいなのか、この人も語りだすと止まらない。
「マコモタケの菌の胞子を油と混ぜて化粧の眉墨にするとか、そんな事まで知っておられましてね……」
 子供達を連れてキャンプに行った時には、渓谷の脇の岩を金槌で砕き、火花を散らしてホクチに火を灯してみせたという。
『旅人は松明を持って歩いたんや。これは時計代わりにもなるで。一本で半時間。三時間かけて歩くなら六本松明を用意する事になるっちゅうことや』
 こんな感じで子供達に昔の人の暮らしについて語っていたというのである。