二十二歳のわしは平家側の船を漕いだ。銭さえくれるなら誰の船でも漕ぐ。
その日、あっちこっちから矢がビュンビュン飛んできた。
かなわんわ。たまったもんやないのう。
源氏の奴等は卑怯やった。武士よりも先に操船の舵取りする者を徹底的に狙い撃ちにしよる。義経が、そういうふうに指示したんや。
漕ぎ手が死んだら船は自由に動かんからな。こうなったら、武士もお手上げや。
おがげで、わしの仲間が続々と死んでしもうた。分かりやすく言うと、義経は民間人を狙い撃ちしたんや。今で言うところの立派な戦争犯罪や。
そやから、わしは、今でも義経のことが嫌いじゃ。
当時としては掟破りの卑怯なやり方でな、あいつが兄貴に嫌われるのも無理ないわな。
わしの五歳年下の弟は、わしの目の前で目玉に矢が刺さった状態で海に落ちたぞ。
地獄に引きずりこまれるみたいな悲痛な顔をしとったわ。
一緒に乗ってた武士達は射られて死んだ。それでも、何とか弟の遺体を引き上げようとたら、源氏の放った矢がわしの背中に刺さってな、わしも舳先から転落したんや。
右肩に深い傷を負いながらも、何とか生き延びたわしは無人島に流れ着いたんや。
そこには食うもんが何もない。助けてくれそうな人間もおらん。
夕刻、わしは砂浜に寝転がったまま肩の傷が化膿して熱にうなされた。もう、死ぬと感じた。ふと、奇妙な叫び声が響いてビックリした。
浜辺にカラスが群がっとるのよ。
最初は、鯨の子供が迷い込んで打ち上げられたんかと思ったけど、上半身はオナゴや。多分、オナゴやろな。まぁるい乳があった。でもな、顔は岩に打ち付けてグチャグチャに潰れとる。カラスに喉を突かれてまさしく瀕死の状態じゃ。
わし、おかぁの馴染みの船頭から聞いた事があった。
人魚の肉を食べたら元気になるってな。
弱っとったから何としても精をつけたかった。
こうなったら、これを食うしかないとばかりに、尖った石を探して人魚の尻尾の肉をえぐりとってむしゃぶりついたわ。
火なんか起こされれへんから生で食うたったわ。
鯛によう似た味やったな。淡白で美味しかった。
当たり前やけど肉をえぐられた人魚はこの世のものとは思えんような咆哮を響かせたぞ。
どえらい勢いでバタバタしよったわ。わしは耳を塞ぎながらも尻尾の白身を黙々と食べたんや。そしたら、そのうち、人魚は何も言わんようになった。
わしは、胸焼けがしてきたんで浜辺に仰向けになって倒れた。
横目で見ると、カラスが人魚の喉を潰して肉を引き千切るようにして貪り食うとった。
人魚の血も赤いみたいやな。
翌朝、目が覚めたら、わしの肩の傷は綺麗に治っとった。
人魚の死骸は満潮になった時に沖合いに流されて消えてしもうた。
ここから、わしの運命は大きく変わってしまう。
怪我をしてもすぐに治るようになる。まぁ、それはええ事やけどな、何年たっても歳をとらん。
太郎は気持ちが悪いと囁かれるうになったんで、思い切って岡山の本土に移動して山の民に混じって暮らすようになった。
山の民は家族単位で生活するんや。
川の魚やら鰻やらスッポやらンや鯉といったもの村の一軒一軒をまわって売るんやけど、これは今で言うところの訪問販売やな。いや、飛び込みの営業と言うべきかもしれへんな。
わしは、彼等から毒流しという技法を教えてもらった。
川辺の草の中には毒性のあるものがある。それを石で潰した汁を川に流して一時的に魚を痺させるんやけどなぁ、アユはデリケートやから強い毒性の草は使ったらあかんぞ。
逆に、鰻は強い毒性の草を使って掴まえた。川下の魚の為に解毒効果のあるものを置いておく。人間には草の毒は影響ないから心配いらん。
木地屋。たたら師。炭焼き。修験道者。山には色んな奴がおった。
わしは、山の民と共に川魚の漁場を求めて移動した。川から川へと岡山から広島まで行った。
山の民のオナゴが小さい子供を連れて川魚を藁の紐に通して売るんや。
わし、その家族の長女の十七歳ぐらいの娘に惚れとった。
冬は、竹細工やら箒を作る。あの娘は、わしが手に怪我をしたらヨモギを乾燥させたもので止血してくれたわ。
笑うと目が糸みたいに細くなってなぁ、かえらしいねん。
結婚したいけどな、わしは不老不死や。普通と違う。迷いに迷ったけど、七年一緒に過ごしてから黙って余所に行った。その後、播磨に移り住んで皮なめしの仕事を手伝った。明石では留め船の番人をした。
山守、池守、川番人。今でいう派遣社員みたいな感じで暮らしてきた。
主に兵庫県の沿岸部をウロウロしながら過ごした。
それで、室町時代になると、わしは思い切って、天皇のおられる京都に行くことにしたんや。
手に職をつけようと思って蒔絵師の修行をした事もあるけどな職人は向いてなかった。
わし、人と喋りたいねん。
菜種油、松明、竹細工。鳥、野菜。街から街へと売り歩いたけど、応仁の乱でキナ臭くなると嫌気が差して山にこもったで。
戦国時代は、今でいうところの隠密や伝令をやった。
道中、山賊に刺されても死なんから、わしにはピッタリの仕事やったなぁ。
わし、放浪生活が長く続ける間に遊芸民と知り合う機会が増えた。
寺社の祭礼で芸をする人がおるねん。
わし、毛坊主いうてな、辺境地で坊さんみたいなことをしたこともある。
寺関連の仕事はけっこうあったわ。火葬場や墓場を三昧場というんやで。三昧って梵語の音訳や。
その日、あっちこっちから矢がビュンビュン飛んできた。
かなわんわ。たまったもんやないのう。
源氏の奴等は卑怯やった。武士よりも先に操船の舵取りする者を徹底的に狙い撃ちにしよる。義経が、そういうふうに指示したんや。
漕ぎ手が死んだら船は自由に動かんからな。こうなったら、武士もお手上げや。
おがげで、わしの仲間が続々と死んでしもうた。分かりやすく言うと、義経は民間人を狙い撃ちしたんや。今で言うところの立派な戦争犯罪や。
そやから、わしは、今でも義経のことが嫌いじゃ。
当時としては掟破りの卑怯なやり方でな、あいつが兄貴に嫌われるのも無理ないわな。
わしの五歳年下の弟は、わしの目の前で目玉に矢が刺さった状態で海に落ちたぞ。
地獄に引きずりこまれるみたいな悲痛な顔をしとったわ。
一緒に乗ってた武士達は射られて死んだ。それでも、何とか弟の遺体を引き上げようとたら、源氏の放った矢がわしの背中に刺さってな、わしも舳先から転落したんや。
右肩に深い傷を負いながらも、何とか生き延びたわしは無人島に流れ着いたんや。
そこには食うもんが何もない。助けてくれそうな人間もおらん。
夕刻、わしは砂浜に寝転がったまま肩の傷が化膿して熱にうなされた。もう、死ぬと感じた。ふと、奇妙な叫び声が響いてビックリした。
浜辺にカラスが群がっとるのよ。
最初は、鯨の子供が迷い込んで打ち上げられたんかと思ったけど、上半身はオナゴや。多分、オナゴやろな。まぁるい乳があった。でもな、顔は岩に打ち付けてグチャグチャに潰れとる。カラスに喉を突かれてまさしく瀕死の状態じゃ。
わし、おかぁの馴染みの船頭から聞いた事があった。
人魚の肉を食べたら元気になるってな。
弱っとったから何としても精をつけたかった。
こうなったら、これを食うしかないとばかりに、尖った石を探して人魚の尻尾の肉をえぐりとってむしゃぶりついたわ。
火なんか起こされれへんから生で食うたったわ。
鯛によう似た味やったな。淡白で美味しかった。
当たり前やけど肉をえぐられた人魚はこの世のものとは思えんような咆哮を響かせたぞ。
どえらい勢いでバタバタしよったわ。わしは耳を塞ぎながらも尻尾の白身を黙々と食べたんや。そしたら、そのうち、人魚は何も言わんようになった。
わしは、胸焼けがしてきたんで浜辺に仰向けになって倒れた。
横目で見ると、カラスが人魚の喉を潰して肉を引き千切るようにして貪り食うとった。
人魚の血も赤いみたいやな。
翌朝、目が覚めたら、わしの肩の傷は綺麗に治っとった。
人魚の死骸は満潮になった時に沖合いに流されて消えてしもうた。
ここから、わしの運命は大きく変わってしまう。
怪我をしてもすぐに治るようになる。まぁ、それはええ事やけどな、何年たっても歳をとらん。
太郎は気持ちが悪いと囁かれるうになったんで、思い切って岡山の本土に移動して山の民に混じって暮らすようになった。
山の民は家族単位で生活するんや。
川の魚やら鰻やらスッポやらンや鯉といったもの村の一軒一軒をまわって売るんやけど、これは今で言うところの訪問販売やな。いや、飛び込みの営業と言うべきかもしれへんな。
わしは、彼等から毒流しという技法を教えてもらった。
川辺の草の中には毒性のあるものがある。それを石で潰した汁を川に流して一時的に魚を痺させるんやけどなぁ、アユはデリケートやから強い毒性の草は使ったらあかんぞ。
逆に、鰻は強い毒性の草を使って掴まえた。川下の魚の為に解毒効果のあるものを置いておく。人間には草の毒は影響ないから心配いらん。
木地屋。たたら師。炭焼き。修験道者。山には色んな奴がおった。
わしは、山の民と共に川魚の漁場を求めて移動した。川から川へと岡山から広島まで行った。
山の民のオナゴが小さい子供を連れて川魚を藁の紐に通して売るんや。
わし、その家族の長女の十七歳ぐらいの娘に惚れとった。
冬は、竹細工やら箒を作る。あの娘は、わしが手に怪我をしたらヨモギを乾燥させたもので止血してくれたわ。
笑うと目が糸みたいに細くなってなぁ、かえらしいねん。
結婚したいけどな、わしは不老不死や。普通と違う。迷いに迷ったけど、七年一緒に過ごしてから黙って余所に行った。その後、播磨に移り住んで皮なめしの仕事を手伝った。明石では留め船の番人をした。
山守、池守、川番人。今でいう派遣社員みたいな感じで暮らしてきた。
主に兵庫県の沿岸部をウロウロしながら過ごした。
それで、室町時代になると、わしは思い切って、天皇のおられる京都に行くことにしたんや。
手に職をつけようと思って蒔絵師の修行をした事もあるけどな職人は向いてなかった。
わし、人と喋りたいねん。
菜種油、松明、竹細工。鳥、野菜。街から街へと売り歩いたけど、応仁の乱でキナ臭くなると嫌気が差して山にこもったで。
戦国時代は、今でいうところの隠密や伝令をやった。
道中、山賊に刺されても死なんから、わしにはピッタリの仕事やったなぁ。
わし、放浪生活が長く続ける間に遊芸民と知り合う機会が増えた。
寺社の祭礼で芸をする人がおるねん。
わし、毛坊主いうてな、辺境地で坊さんみたいなことをしたこともある。
寺関連の仕事はけっこうあったわ。火葬場や墓場を三昧場というんやで。三昧って梵語の音訳や。



