まだ、半分ほどしか読んでいないが、太郎の人生が心の中で躍動しているのを感じる。
『ピーヒャララ、ピーヒャララ』
これを読むと生きる勇気が湧いてくると沙織は言っていた。
そんな事を思い返していると電車は無人駅に辿り着いた。
駅前だというのにタクシーは一台も止まっていない。
公衆電話に貼られているタクシー会社に連絡すると、すぐに来てくれた。
老いたタクシーの運転手は饒舌だった。この町の住人の殆どが老人だという。
村上の別荘は辺鄙な山の中にあるのだが、その別荘の周囲には何もないという。
『去年、ハイキングの途中で心臓発作を起こした男性がいましてね。冬の間、雪の下に埋まっていました。冬は、まだいい。熊も冬眠していますからね。冬眠前の秋に森で動けなくなったりしたら、熊の餌になっちゃいます。お客さんも気を付けて下さいね』
森の中にポツンと一軒建っていた。
村上の別荘は煉瓦造りの平屋で暖炉があるようである。大きな煙突が突き出ている。全体的に欧風の頑健な造りで、脇を流れる小川のせせらぎも風情があり、グリム童話の世界に迷い込んだような気持ちにさせられる。
村上はドイツ製の高級車に乗ってここまで来たようである。
別荘の呼び鈴を鳴らすと、すぐさま重厚な玄関の扉が開いた。
「ああ、ようこそ。ここに泊まる用意もして下さったんですね」
ハイカラな外観なので土足のままで入るのかと思いきや、上がり框があり、村上が室内用のスリッパを差し出した。
「お、お邪魔します」
広々としたリビングに通されてソファに座る。
いよいよ、山田の視力回復の秘密を知る事になるのだと思うと緊張してきた。
羽田は、山田が言うように、眼球の移植手術で劇的に治るなんて信じていない。
例えば、白内障の場合は、他に糖尿などの病気がなければ水晶体を人工レンズに変えることで視力は改善されるけれども、角膜の移植に関しては、多少は前よりもマシになる程度の回復しか期待できない。
ましてや、網膜の治療となるとどうしようもない。仮に、眼球の移植手術なんてしたところで沙織の病気に対しては効果はない。
しかし、まだ認可されていない最先端技術を村上が使ったとしたらどうだろう。
そう、きっとそうなのだ。
村上は秘密裏に、ips細胞を使って網膜を再生して治したに違いない。
それが実用化されるのは、もっと先になると言われているが村上は無許可で実験を行なったのではないだろうか。
沙織は山田と同じ病である。なぜ、先に山田にチャンスを与えるのか。これには納得がいかない。もしかしたら、信者特権というやつなのだろうか。
「村上先生、どうか妹に光を与えて下さい! でないと、山田さんにした事を世間にバラしますよ!」
沙織を救いたい一心で叫ぶ。
また、はぐらかされるのは御免だ。興奮している羽田に対して苦笑しながら諌めている。
「分かっていますよ。お昼もまだでしょう。僕の手料理で良ければ食べて下さい」
「いえ。結構です。菓子パンを食べましたから」
「そうですか……。では、お茶をどうぞ」
村上は立ち上がると、ピーターラビットの絵が描かれた可愛い陶器のティーポットとカップを持ってきた。
お菓子を載せた皿もピーターラットである。村上の趣味なのか? それとも教祖の趣味なのか?
いずれにしても、ちょっと意外な気がする。
ちなみに、羽田の実家のティーセットは不思議の国のアリスである。
それは、沙織が母の誕生日に買ってきたものだった。
(そういえば、沙織の寝室にピーターラビットの絵本があったな)
そんな事を考えていると、村上がフッと微笑んでケーキ皿を置いた。銀のスプーンの柄は猫の顔の形をしている。
「この茶器やスプーンは僕の恋人がプレゼントしてくれたんです。ねぇ、とても可愛いでしょう? 彼女は猫が大好きだから、僕のお茶碗の絵もトラ猫なんですよ」
対面のソファに深々と腰掛けると、なごやかな顔つきで、バームクーヘンを勧めてきたのだが、羽田の顔は強張っている。
「この前みたいに人魚の肉だとか、そういうのは無しですよ」
「うーん。どう言えば、信じてもらえるのかなぁ。僕は嘘はついてませんよ。とにかく、最期まで聞いて下さい。祖父の数奇な運命を……」
ゆったりと微笑みながら、とんでもない事を語り出したのだ。
☆
流星……。わしは、もうすぐ老衰で死ぬ。めでたいのう。お前だけに打ち明けるわな。
わし、ほんまの名前は太郎いうねん。わしは、瀬戸内海の小さな島で生まれたんやで。
当時、朝廷の官米を運ぶ船は沿岸伝いに航行して、津に停泊しながら少しずつ進んどったんや。
警護にかこつけて船主から銭を徴収する水夫もおったわ。
世間は、金をくれという奴を海賊と言うたり水軍と呼んだりしとった。
関銭というのはな、今で言うところの高速道路の料金所みたいなもんやな。
港の管理者と船乗りが港の使用料で揉めた時なんかは、無理やり、積み荷を奪う事もある。それも船主からすれば、それも海賊行為っちゅうことになる。
藤原純友の乱で政府の備蓄米を略奪した奴等の子孫がわしの島には大勢おったのう。
瀬戸内の方では、『寄船』というてな、事故で船の積み荷が漂着すると拾った人のもんになるんや。米俵を見つけたら儲けもんじゃ。
わしのおかぁは女郎でな、風待ちや潮待ちする船員の相手をしとった。誰が、わしのおとうなのかは知らん。おかぁが亡くなった後、ちょうど源平合戦が起きた。
『ピーヒャララ、ピーヒャララ』
これを読むと生きる勇気が湧いてくると沙織は言っていた。
そんな事を思い返していると電車は無人駅に辿り着いた。
駅前だというのにタクシーは一台も止まっていない。
公衆電話に貼られているタクシー会社に連絡すると、すぐに来てくれた。
老いたタクシーの運転手は饒舌だった。この町の住人の殆どが老人だという。
村上の別荘は辺鄙な山の中にあるのだが、その別荘の周囲には何もないという。
『去年、ハイキングの途中で心臓発作を起こした男性がいましてね。冬の間、雪の下に埋まっていました。冬は、まだいい。熊も冬眠していますからね。冬眠前の秋に森で動けなくなったりしたら、熊の餌になっちゃいます。お客さんも気を付けて下さいね』
森の中にポツンと一軒建っていた。
村上の別荘は煉瓦造りの平屋で暖炉があるようである。大きな煙突が突き出ている。全体的に欧風の頑健な造りで、脇を流れる小川のせせらぎも風情があり、グリム童話の世界に迷い込んだような気持ちにさせられる。
村上はドイツ製の高級車に乗ってここまで来たようである。
別荘の呼び鈴を鳴らすと、すぐさま重厚な玄関の扉が開いた。
「ああ、ようこそ。ここに泊まる用意もして下さったんですね」
ハイカラな外観なので土足のままで入るのかと思いきや、上がり框があり、村上が室内用のスリッパを差し出した。
「お、お邪魔します」
広々としたリビングに通されてソファに座る。
いよいよ、山田の視力回復の秘密を知る事になるのだと思うと緊張してきた。
羽田は、山田が言うように、眼球の移植手術で劇的に治るなんて信じていない。
例えば、白内障の場合は、他に糖尿などの病気がなければ水晶体を人工レンズに変えることで視力は改善されるけれども、角膜の移植に関しては、多少は前よりもマシになる程度の回復しか期待できない。
ましてや、網膜の治療となるとどうしようもない。仮に、眼球の移植手術なんてしたところで沙織の病気に対しては効果はない。
しかし、まだ認可されていない最先端技術を村上が使ったとしたらどうだろう。
そう、きっとそうなのだ。
村上は秘密裏に、ips細胞を使って網膜を再生して治したに違いない。
それが実用化されるのは、もっと先になると言われているが村上は無許可で実験を行なったのではないだろうか。
沙織は山田と同じ病である。なぜ、先に山田にチャンスを与えるのか。これには納得がいかない。もしかしたら、信者特権というやつなのだろうか。
「村上先生、どうか妹に光を与えて下さい! でないと、山田さんにした事を世間にバラしますよ!」
沙織を救いたい一心で叫ぶ。
また、はぐらかされるのは御免だ。興奮している羽田に対して苦笑しながら諌めている。
「分かっていますよ。お昼もまだでしょう。僕の手料理で良ければ食べて下さい」
「いえ。結構です。菓子パンを食べましたから」
「そうですか……。では、お茶をどうぞ」
村上は立ち上がると、ピーターラビットの絵が描かれた可愛い陶器のティーポットとカップを持ってきた。
お菓子を載せた皿もピーターラットである。村上の趣味なのか? それとも教祖の趣味なのか?
いずれにしても、ちょっと意外な気がする。
ちなみに、羽田の実家のティーセットは不思議の国のアリスである。
それは、沙織が母の誕生日に買ってきたものだった。
(そういえば、沙織の寝室にピーターラビットの絵本があったな)
そんな事を考えていると、村上がフッと微笑んでケーキ皿を置いた。銀のスプーンの柄は猫の顔の形をしている。
「この茶器やスプーンは僕の恋人がプレゼントしてくれたんです。ねぇ、とても可愛いでしょう? 彼女は猫が大好きだから、僕のお茶碗の絵もトラ猫なんですよ」
対面のソファに深々と腰掛けると、なごやかな顔つきで、バームクーヘンを勧めてきたのだが、羽田の顔は強張っている。
「この前みたいに人魚の肉だとか、そういうのは無しですよ」
「うーん。どう言えば、信じてもらえるのかなぁ。僕は嘘はついてませんよ。とにかく、最期まで聞いて下さい。祖父の数奇な運命を……」
ゆったりと微笑みながら、とんでもない事を語り出したのだ。
☆
流星……。わしは、もうすぐ老衰で死ぬ。めでたいのう。お前だけに打ち明けるわな。
わし、ほんまの名前は太郎いうねん。わしは、瀬戸内海の小さな島で生まれたんやで。
当時、朝廷の官米を運ぶ船は沿岸伝いに航行して、津に停泊しながら少しずつ進んどったんや。
警護にかこつけて船主から銭を徴収する水夫もおったわ。
世間は、金をくれという奴を海賊と言うたり水軍と呼んだりしとった。
関銭というのはな、今で言うところの高速道路の料金所みたいなもんやな。
港の管理者と船乗りが港の使用料で揉めた時なんかは、無理やり、積み荷を奪う事もある。それも船主からすれば、それも海賊行為っちゅうことになる。
藤原純友の乱で政府の備蓄米を略奪した奴等の子孫がわしの島には大勢おったのう。
瀬戸内の方では、『寄船』というてな、事故で船の積み荷が漂着すると拾った人のもんになるんや。米俵を見つけたら儲けもんじゃ。
わしのおかぁは女郎でな、風待ちや潮待ちする船員の相手をしとった。誰が、わしのおとうなのかは知らん。おかぁが亡くなった後、ちょうど源平合戦が起きた。



