半年前、山田は、包丁で林檎を剥こうとして指を切って血まみれになって救急車を呼んでいる。見知らぬ場所での食事をする際には、探るように恐々と指を伸ばしているというのに、カウンターに置かれたカクテルをスイッと掴んでいる。
山田がトイレに入った時、バーの店員に聞いてみたところ、山田は先週もこに来たというのである。
「あの人ねぇ、女の子をナンパしてますよ。しかも、美人ばっかり」
その翌日、またしても、羽田はジムの帰り道、山田を見かけたので尾行すると、ゲームセンターでクレーンゲームを始めた。
(あいつは見えている)
障害者手帳が欲しくて、これまで全盲のフリをしていたのだろうか。
そんな疑念が湧きあがったのだが、眼科では網膜の光の反応を機械で測るので、それはどう頑張っても誤魔化せやしない。彼の視力が劇的に回復した理由を知りたい。
「山田さん、少しお話してもいいですか」
その翌日、山田が自宅にいるのを見計らってノックをすると、山田がのっそりとした顔つきで出てきた。
「えっ?」
山田は怪訝そうに目を細めている。
「こんにちは。隣に住んでいる羽田です」
山田は、羽田を見つめ返しながら、あんたはそんな顔だったのかと言いたげな顔をしている。部屋に入れてもらうと羽田は鬼気迫る勢いで問い詰めた。
「いつから見えているんですか」
鋭い追及に対して山田は目を泳がせた。
ゲームセンターでの画像を見せると、観念したのか真相を告白したのである。
「いいか、絶対に内緒だぜ。ニ週間前、村上先生に右目だけ移植してもらったんだ。違法な手術だ。先生が一人で行ったのさ」
「違法な手術?」
その時、ザワッという不穏な感覚が胸に広がった。
「先生の別荘でやったが、実験段階だから期待しないで欲しいと言われた。こっちは全盲だぜ。失うものなんてない。半分、諦めていたよ。でもな、翌朝、眼帯を外すと見えるようになったんだよ。まさか、こんなに上手く行くとは信じられないぜ」
手術した右目は自分の意志で自由に動き、瞳孔も光によって大きさを変わる。
だだし、その目の底は、何となく青白く不気味に光っている。
爬虫類の目玉のような違和感を抱かせる。
「見え過ぎて怖いくらいだぜ。右目の視力は、2.0だ」
山田は小鼻を膨らませて恍惚としたように語る。
「初めて村上先生の顔を見た時、ぶったまげたぜ。女かと思うぐらい綺麗な顔してたぜ。そう言えば、羽田さん、あんた、イメージと違うな」
羽田は大学時代にラグビーをしていたこともあり、見るからに体育会系だ。これまで、何度かアパートの廊下で立ち話をしており、妹の病気のことも詳しく話しているが、声だけの印象だと細身の青白い男のように思っていたという。
「村上先生ってさぁ、教祖様の孫だから不思議な力があるのかもしれないな。入信して正解だったよ。おたくも入信しろよ。沙織ちゃんの病気が治るかもしれないぜ」
そう言いながら、教団が出している小冊子を渡したのだ。
☆
(そういえば、村上先生のおじぃさんは教祖様だよな)
小冊子には、親を大切にしようとか、人への感謝を忘れないようにとか、そんな感じの事が書かれている。
その教団は、怪しい壷や数珠などを買わせたりしない。
聞いたところによると、月に二万円の会費を払えば、教団の施設に住めるらしい。
宗教団体というよりも慈善団体に近いようだ。
教祖は貧しい母子家庭の子供達が学べるように無償の塾を開いており、子供食堂なども手がけている。元気な頃の教祖は、信者達と共に炊き出しや街のゴミ拾いをやってきた。
多くの人に愛されていたが三ヶ月前に他界している。
「惜しい人を亡くしましたね」
先月、教祖の村上政一について、ある患者が羽田に語った。
「いやー、教祖は、面白い人でしたな。私は、日本の中世の歴史を教えていたんですが、私以上に博識なんですよ」
元大学教授で何冊もの著書を出している彼は教祖と仲が良かったらしい。
「あたかも、その時代を生きたかのように知っておられました。遊芸民や陰陽師や海賊について、どんな学者よりも詳しいのです。昔、一緒に山登りしたのですが、わらびの地下茎の皮で編んだ縄は腐りにくいとか、ムクロジの種子を潰して石鹸にするとか語りながら、目の前で草鞋をサササッと編んでみせたんです。あれには舌を巻きましたぞ」
学者気質のせいなのか、語りだすと止まらない。
子供達を連れてキャンプに行った時には、渓谷の脇の岩を金槌で砕き、火花を散らしてホクチに火を灯してみせたという。
『旅人は松明を持って歩いたんや。これは時計代わりにもなるで。一本で半時間。三時間かけて歩くなら六本松明を用意する事になるっちゅうことや』
こんな感じで子供達に昔の人の暮らしについて語っていたというのである。
「とにかく、教祖は人懐っこいんですよ。酒の席では、わしは写楽と呼ばれた男だと冗談を言っておられましたな。わたしは入信はしていませんが、あの方に心酔しております。若い頃、原爆の被害に遭われたようです。苦労なさっているからこそ、あのようなユーモアと慈悲深さが滲み出るのでしょうな」
羽田も、一度だけ、病院の廊下で教祖の姿を見かけた事がある。
あの時、執事のような壮年の男が教祖の車椅子を押していたのだが、初老の女性が、タタッと駆け寄り、とても嬉しそうに教祖に話しかけていた。
『あらあら、村上さんやないですか。どないしはったん?』
『あんたこそ、どないしてん?』
山田がトイレに入った時、バーの店員に聞いてみたところ、山田は先週もこに来たというのである。
「あの人ねぇ、女の子をナンパしてますよ。しかも、美人ばっかり」
その翌日、またしても、羽田はジムの帰り道、山田を見かけたので尾行すると、ゲームセンターでクレーンゲームを始めた。
(あいつは見えている)
障害者手帳が欲しくて、これまで全盲のフリをしていたのだろうか。
そんな疑念が湧きあがったのだが、眼科では網膜の光の反応を機械で測るので、それはどう頑張っても誤魔化せやしない。彼の視力が劇的に回復した理由を知りたい。
「山田さん、少しお話してもいいですか」
その翌日、山田が自宅にいるのを見計らってノックをすると、山田がのっそりとした顔つきで出てきた。
「えっ?」
山田は怪訝そうに目を細めている。
「こんにちは。隣に住んでいる羽田です」
山田は、羽田を見つめ返しながら、あんたはそんな顔だったのかと言いたげな顔をしている。部屋に入れてもらうと羽田は鬼気迫る勢いで問い詰めた。
「いつから見えているんですか」
鋭い追及に対して山田は目を泳がせた。
ゲームセンターでの画像を見せると、観念したのか真相を告白したのである。
「いいか、絶対に内緒だぜ。ニ週間前、村上先生に右目だけ移植してもらったんだ。違法な手術だ。先生が一人で行ったのさ」
「違法な手術?」
その時、ザワッという不穏な感覚が胸に広がった。
「先生の別荘でやったが、実験段階だから期待しないで欲しいと言われた。こっちは全盲だぜ。失うものなんてない。半分、諦めていたよ。でもな、翌朝、眼帯を外すと見えるようになったんだよ。まさか、こんなに上手く行くとは信じられないぜ」
手術した右目は自分の意志で自由に動き、瞳孔も光によって大きさを変わる。
だだし、その目の底は、何となく青白く不気味に光っている。
爬虫類の目玉のような違和感を抱かせる。
「見え過ぎて怖いくらいだぜ。右目の視力は、2.0だ」
山田は小鼻を膨らませて恍惚としたように語る。
「初めて村上先生の顔を見た時、ぶったまげたぜ。女かと思うぐらい綺麗な顔してたぜ。そう言えば、羽田さん、あんた、イメージと違うな」
羽田は大学時代にラグビーをしていたこともあり、見るからに体育会系だ。これまで、何度かアパートの廊下で立ち話をしており、妹の病気のことも詳しく話しているが、声だけの印象だと細身の青白い男のように思っていたという。
「村上先生ってさぁ、教祖様の孫だから不思議な力があるのかもしれないな。入信して正解だったよ。おたくも入信しろよ。沙織ちゃんの病気が治るかもしれないぜ」
そう言いながら、教団が出している小冊子を渡したのだ。
☆
(そういえば、村上先生のおじぃさんは教祖様だよな)
小冊子には、親を大切にしようとか、人への感謝を忘れないようにとか、そんな感じの事が書かれている。
その教団は、怪しい壷や数珠などを買わせたりしない。
聞いたところによると、月に二万円の会費を払えば、教団の施設に住めるらしい。
宗教団体というよりも慈善団体に近いようだ。
教祖は貧しい母子家庭の子供達が学べるように無償の塾を開いており、子供食堂なども手がけている。元気な頃の教祖は、信者達と共に炊き出しや街のゴミ拾いをやってきた。
多くの人に愛されていたが三ヶ月前に他界している。
「惜しい人を亡くしましたね」
先月、教祖の村上政一について、ある患者が羽田に語った。
「いやー、教祖は、面白い人でしたな。私は、日本の中世の歴史を教えていたんですが、私以上に博識なんですよ」
元大学教授で何冊もの著書を出している彼は教祖と仲が良かったらしい。
「あたかも、その時代を生きたかのように知っておられました。遊芸民や陰陽師や海賊について、どんな学者よりも詳しいのです。昔、一緒に山登りしたのですが、わらびの地下茎の皮で編んだ縄は腐りにくいとか、ムクロジの種子を潰して石鹸にするとか語りながら、目の前で草鞋をサササッと編んでみせたんです。あれには舌を巻きましたぞ」
学者気質のせいなのか、語りだすと止まらない。
子供達を連れてキャンプに行った時には、渓谷の脇の岩を金槌で砕き、火花を散らしてホクチに火を灯してみせたという。
『旅人は松明を持って歩いたんや。これは時計代わりにもなるで。一本で半時間。三時間かけて歩くなら六本松明を用意する事になるっちゅうことや』
こんな感じで子供達に昔の人の暮らしについて語っていたというのである。
「とにかく、教祖は人懐っこいんですよ。酒の席では、わしは写楽と呼ばれた男だと冗談を言っておられましたな。わたしは入信はしていませんが、あの方に心酔しております。若い頃、原爆の被害に遭われたようです。苦労なさっているからこそ、あのようなユーモアと慈悲深さが滲み出るのでしょうな」
羽田も、一度だけ、病院の廊下で教祖の姿を見かけた事がある。
あの時、執事のような壮年の男が教祖の車椅子を押していたのだが、初老の女性が、タタッと駆け寄り、とても嬉しそうに教祖に話しかけていた。
『あらあら、村上さんやないですか。どないしはったん?』
『あんたこそ、どないしてん?』



