「待ってる。だから約束だよ。いつかここに帰ってきたら……そうしたら……」
──うん。約束だよ。
◆◇◆◇
私の目に映る星の光は、何百年も前のものらしい。
それを知ったのは三年前。私が小学六年生のとき。
親が離婚を決め、生まれ育った街を離れることになったとき。
そして、初めて人を好きになった……あのとき。
◆◇◆◇
電車を降りた途端、寒さに身震いがした。着ていた上着の前をキュッとしめる。
……やっぱりこっちは寒いなあ。もう3月だというのに。
思わずもれたため息も白く凍って空気中を漂っていく。
空は曇天。鈍色の雲が重く広がっていた。
星奈町。北陸地方の小さな町。
私が小学六年生のときまで住んでいた場所だ。
両親の離婚で町を離れて三年。私は再びこの町に帰ってきた。
「久しぶり、だね……」
私はつぶやくと、上着のポケットに手を入れた。
小さい固い感触が指先にあたる。
すると頭の中に優しい少年の声が響いた。
『待ってる。だから約束だよ。もし帰ってきたら……一緒に星を見よう』
あのときの『彼』の笑顔が淡くよみがえる。
すると胸の奥がほんのり温かくなった気がした。
「帰ってきたよ……。約束、覚えているかな」
温かくなった胸が切なく痛む。でもそれはどこか甘い痛みだった。
私は顔をあげ、歩き出した。ほんの少しだけ空が明るくなったように見えた。
「改札は……こっちかな」
ショルダーバッグを肩にかけなおし、記憶の中の景色と答え合わせをするように、駅構内を見回しながら歩いていく。
人の少ない小さな駅。でも三年前より、ところどころ綺麗になっている気もする。改装したのか。こんな田舎の駅なのに。そんな失礼なことを思ったりした。
「……あ、凜音!こっちだ!」
改札をくぐり抜けたところで、父の姿を見つけた。
少し照れくさそうに笑い、私の下へ駆け寄ってくる。
「お父さん…」
「凜音、よく来たな。迷わなかったか?」
「迷うもなにも…改札ひとつだけじゃない」
「はは、それもそうか。…さ、凜音行こう。あっちに車を停めてるんだ。早く家に帰ろう」
「……ん」
父は私が持っていた大きめのショルダーバッグを受け取り、自分の肩にかけた。ほとんどの荷物はすでに宅配で送っているので、バッグに入っているのは電車の中で読んだ雑誌やスマホの充電器なんかだけ。想像していたより軽かったのか、父は一瞬不思議そうな顔をした。
「……母さんは、なにか言ってたか?」
「別に。向こうでも頑張ってね、ってそれだけ。もうすぐ予定日だから大変そう。ヒロシさんもそっちで頭いっぱいだし」
「そう、か……」
父はかすかに寂しそうにほほ笑んだ。
「お父さん……お母さんが再婚してどう思った?嫌だった?」
「そんなことはないよ。お母さんが幸せになってくれるなら父さんも嬉しい」
……本当に?裏切られたような気持ちになってない?
そんなふうに思った。でも、言えやしなかった。
◆◇◆◇
両親が離婚したのは、今から三年前。私が小学六年生のとき。
それまでは家族三人でこの星奈町で暮らしていた。
離婚後、私は母に引き取られ、母の故郷の埼玉に引っ越した。苗字は『神尾』から『織原』になり、慣れるまでかなりかかった。
母は仕事を見つけ、アパートを借りて、近所に住む祖母のサポートを受けながら二人で生活した。余裕があるとは言えなかったが、穏やかな暮らしだったと思う。
父は月に一度埼玉まで来て私と会った。それは離婚するときに両親が決めたことだった。
父と会うときは私だけで、母が来ることはなかった。
それでも私はどこかで期待していた。また昔のように三人家族に戻れる日が来るのではないかと。
でもその期待はやがて裏切られることになった。
中学二年になったばかりの頃。
母が職場で知り合った男性と再婚したいと言い出したのだ。
はじめは嫌だった。でも母が真剣に何度も何度も話してきて、最後には根負けして了承した。母が私を育てるのに苦労しているのは知っていたので、幸せになってほしいと言う気持ちもあった。再婚相手はいい人だったが、新しい父親とは思えなかった。
互いに気を使い合う、ギクシャクした暮らし。それでも表面上はなんとか上手くやっていた。そのバランスが崩れたのは、中学三年生の秋。母の妊娠がわかったときだった。
おめでたいことだと頭でわかっていたが、どうしても受け入れられなかった。ぶっちゃけ気持ち悪かった。再婚相手相手も母も。
生まれてくる子を兄弟なんて思えそうになく、一緒に暮らすのも嫌だと思った。私は受験生だというのに、母の妊娠に伴う体調不良でサポートもおろそかになり、受験のストレスからの八つ当たりも含まれてはいたが、そんな母に心底絶望した。
私は部屋に引きこもり家族と話さなくなった。受験勉強も手につかなくなった。
母は悩み、父に相談した。父はすぐに埼玉に飛んできてくれた。そこからは何度も何度も話し合い、私は中学卒業後、父の元で暮らすことになった。
友達と離れる寂しさや、志望校を調べ選び直す煩わしさもあったが、それ以上に限界だった。
母を、嫌いになりたくなかった。
こうして、私は中学卒業と同時に父の元へ引っ越すことになったのだ。
◆◇◆◇
三年ぶりに帰ってきた家は、記憶よりも小さく、そして殺風景に感じた。
離婚してから父はずっと一人で暮らしてきたらしい。三人のときより家具や荷物が減っているので殺風景なのは当然かもしれない。
「凜音の部屋は前と同じだから。もう荷物も運んでいるよ。荷解きは少しずつゆっくりやればいいから、今日はゆっくり休みなさい」
「わかった。ありがとう、お父さん」
お父さんの言った通り、部屋には勉強机やベッドの他に、数個の段ボールが運び込まれていた。
とりあえず『優先』と書かれた段ボールから開いていく。長袖の服や、学校用品が入っている。今すぐ使う必要のあるものだ。荷造りのとき、母からアドバイスされて段ボールに書いておいたのだ。
お陰で必要なものがわかりやすい。
「……お母さんも、ありがとう」
小さく、つぶやいた。
「……さて」
お父さんはゆっくりしなさいと言ってくれたけど、なかなか気分が落ち着かない。
今は3月の末。あと数日で高校の入学式だ。
通っていた中学はちゃんと卒業したかったのと、友達とちゃんとお別れしたかったので、ギリギリまで埼玉に残っていたらから妙に慌ただしいスケジュールになってしまった。
通う予定の高校は家からは近いけど、実際訪れたのは入学試験の一日だけ。まあ、埼玉の高校に進学しても似た感じだったかもしれないけど、やっぱり三年のブランクに不安がないといえば嘘になる。
要するに、新しい生活に緊張しているのだ。
「うーん……」
……そのとき。
ふと、勉強机のそばにある窓の外に目をやった。
カーテンの隙間から見える曇り空から、陽光がもれだし、光の帯のようになっている。
きれいだな。
そう思ったとき、少し胸が軽くなった気がした。
ちょっと外に出てみようかな。
三年前まで暮らしていた街。車の窓から見た景色は、記憶とそんなに変わっていなかったけど。
……あの場所は変わっていないかな。
私は上着のポケットから『あるもの』を取り出し、目の前にかかげた。
それは小学校の校章。小さいブローチ型になっていて、六角形の星の中心に『星奈』と入っている。
この街にいたころ通っていた小学校のものだ。
ただし、この校章は私のものではない。
これは、初恋の人からもらったもの。
「……うん、やっぱり出かけてみよう」
校章を再びポケットに仕舞うと、私は部屋を出た。
◆◇◆◇
……寒い。
外を数分歩きすぐにでてきた感想がそれだった。
雪こそ降っていなかったが、ひゅーひゅー吹く風の冷たさは痛いくらいだし、もう三月も終わりというのに春の暖かさはまるで感じられない。
埼玉では桜が咲き始めていたけれど、こちらではまだその気配はないようだ。
…三年前もこんなに寒かったかな。
あまり思い出せない。
「こっちが……郵便局、…それから本屋。……あれ、文房具屋があったと思うんだけど。潰れちゃったかな」
記憶と答え合わせをするかのように、近くを散策していく。
私の体感ほど三年は長くないのだろうか。建物や店はほとんどが記憶通りの場所にあり、少し安心することができた。時折、なくなってしまった店や、改装したのか真新しくなっている建物をみることもあり、でもそれすら妙になつかしくて不思議な気分だった。
もしかしたら三年で一番変わったのは私自身なのかもしれない。そんなふうに思った。
「小学校、…は流石に変わってないか」
家から歩いて15分ほどの距離にあるのは、私が通っていた星奈小学校。校門には六角形の星の校章。
全校生徒合わせて200人ほどのあまり大きくはない学校だが、ちょっとした名物があった。
大きく立派な天体望遠鏡があり、六年生になると天体観測合宿を行うのだ。
この望遠鏡は、著名な天文学者である卒業生が寄付したものらしい。
もともとこの星奈町は星が綺麗に見えることでも知られていた。そこでこの町で暮らす子供たちに星に興味を持ってくれるようにと、卒業生は望遠鏡を寄付したとのことだ。
そんなわけで、六年生は夏休みに学校に泊まり、天体観測をするのが恒例行事。星奈小学校の生徒はみんなそれを楽しみにしていた。
それは私もそうで、もともと星は好きだったので、大きな望遠鏡を使えるのをずっと心待ちにしていた。
……だが、夏休み前に両親が離婚して、その望みが叶うことはなかったのだけれど。
「……さて、と。あの場所は変わってないかな」
私は小学校校門の脇道をぬけ、奥まった通りを真っ直ぐ歩いていく。
この通りを抜けた先は小学校の校区外になり、基本的に子供だけでは行ってはいけないと言われていたのだが、守っている子はほとんどいなかった。
なぜなら通りを抜けてしばらく歩いた先に大きな自然公園があり、そこの遊び広場が子供たちにとって公園代わりになっていたからだ。
もちろん他にも公園はあるのだが、自然公園の広さは段違いで学年があがればあがるほど、子供たちは自然公園に流れていった。
「……お、あったあった。自然公園。変わってないね」
記憶のままの自然公園に入って、奥へ進んでいく。
一歩一歩進むたび、心が三年前に戻っていく気がした。
あの頃……
私も例外でなく自然公園によく行っていたけれど、気に入っていたのは遊び広場ではなかった。広場から更に奥に歩いていき、公園内の小川を渡り、丘になっている場所をこえ、長い階段を上った先。
そこに展望台がある。
かくれんぼしていて見つけたのだが、私はこれを友達にも教えなかった。別に友達が嫌いだったとか、意地悪な気持ちからではない。
誰にも教えなかったのは……そこに、先客がいたからだ。
そう、あれは……
「よーし、到着!ただいま…三年ぶり」
はあはあ。階段を登ってきたので少し息が切れる。
記憶通りの場所に、記憶通りの展望台。そこには誰もいなく貸し切り状態だった。
それほど大きなものではなく、四・五人いれば埋まってしまいそうな広さのスペースが古い木の柵で囲まれている。
広さはないが、高さはそこそこあり、見晴らしはとても良い。空も開けて見えるので、夜は星が綺麗だろう。
「はー…、寒い。でもちょっと気持ちいいな!」
高所なので風が強く吹き付ける。吐く息が白く漂う。
さっきまではあれほどつらかった寒さなのに、この場所では少し清々しく感じた。
「……綺麗」
展望台からは回り一面の景色が見渡せた。
公園の木々。常緑樹の硬い緑の葉が周りを囲むようにしげり、葉を落とした樹とのグラデーションを描く。遠くには町の家々が見え、それらを鈍色の空が包みこんでいた。
どこか儚く、でも美しい、私のふるさと。
「帰ってきたよ……」
私はポケットから校章を取り出した。
星奈小学校の……星の形の校章。
「私、帰ってきたよ。……夜白くん」
てのひらの校章を見つめながらつぶやいたとき。
カサッと背後で音がなった。
「え……?」
振り返ると、一人の少年が立っていた。
歳は私と同じくらいだろうか。
黒い髪に、深く綺麗な黒い目。スラッとした背の高い男の子だった。
そして特徴的なのは左目の下にふたつ並んだ泣きぼくろ。
それには見覚えがあった。
「夜白くん……!?」
私が声をあげると、少年は驚いたように目を見開いた。
「夜白くん……だよね!?わたし、覚えていない?織原……えと、神尾凜音!小6のときここで遊んだよね」
「………」
彼は興味なさげに私から目をそらした。
「夜白くん……?あ、そうだ。これみて」
私はてのひらの校章を彼に差し出す。
「これ、三年前わたしにくれたよね。転校することになって、泣いてたわたしに、帰ってきたらまた会おうって約束してくれたよね。だから……」
「………やっぱり」
少年はため息混じりにつぶやいた。
「や、夜白くん?」
「それ、俺じゃないよ」
「え?」
「君のいう『夜白くん』は……死んだよ」
「っ!?」
ザアッ……
彼の言葉に悲鳴をあげるように
ひときわ強い、風が吹いた。
──うん。約束だよ。
◆◇◆◇
私の目に映る星の光は、何百年も前のものらしい。
それを知ったのは三年前。私が小学六年生のとき。
親が離婚を決め、生まれ育った街を離れることになったとき。
そして、初めて人を好きになった……あのとき。
◆◇◆◇
電車を降りた途端、寒さに身震いがした。着ていた上着の前をキュッとしめる。
……やっぱりこっちは寒いなあ。もう3月だというのに。
思わずもれたため息も白く凍って空気中を漂っていく。
空は曇天。鈍色の雲が重く広がっていた。
星奈町。北陸地方の小さな町。
私が小学六年生のときまで住んでいた場所だ。
両親の離婚で町を離れて三年。私は再びこの町に帰ってきた。
「久しぶり、だね……」
私はつぶやくと、上着のポケットに手を入れた。
小さい固い感触が指先にあたる。
すると頭の中に優しい少年の声が響いた。
『待ってる。だから約束だよ。もし帰ってきたら……一緒に星を見よう』
あのときの『彼』の笑顔が淡くよみがえる。
すると胸の奥がほんのり温かくなった気がした。
「帰ってきたよ……。約束、覚えているかな」
温かくなった胸が切なく痛む。でもそれはどこか甘い痛みだった。
私は顔をあげ、歩き出した。ほんの少しだけ空が明るくなったように見えた。
「改札は……こっちかな」
ショルダーバッグを肩にかけなおし、記憶の中の景色と答え合わせをするように、駅構内を見回しながら歩いていく。
人の少ない小さな駅。でも三年前より、ところどころ綺麗になっている気もする。改装したのか。こんな田舎の駅なのに。そんな失礼なことを思ったりした。
「……あ、凜音!こっちだ!」
改札をくぐり抜けたところで、父の姿を見つけた。
少し照れくさそうに笑い、私の下へ駆け寄ってくる。
「お父さん…」
「凜音、よく来たな。迷わなかったか?」
「迷うもなにも…改札ひとつだけじゃない」
「はは、それもそうか。…さ、凜音行こう。あっちに車を停めてるんだ。早く家に帰ろう」
「……ん」
父は私が持っていた大きめのショルダーバッグを受け取り、自分の肩にかけた。ほとんどの荷物はすでに宅配で送っているので、バッグに入っているのは電車の中で読んだ雑誌やスマホの充電器なんかだけ。想像していたより軽かったのか、父は一瞬不思議そうな顔をした。
「……母さんは、なにか言ってたか?」
「別に。向こうでも頑張ってね、ってそれだけ。もうすぐ予定日だから大変そう。ヒロシさんもそっちで頭いっぱいだし」
「そう、か……」
父はかすかに寂しそうにほほ笑んだ。
「お父さん……お母さんが再婚してどう思った?嫌だった?」
「そんなことはないよ。お母さんが幸せになってくれるなら父さんも嬉しい」
……本当に?裏切られたような気持ちになってない?
そんなふうに思った。でも、言えやしなかった。
◆◇◆◇
両親が離婚したのは、今から三年前。私が小学六年生のとき。
それまでは家族三人でこの星奈町で暮らしていた。
離婚後、私は母に引き取られ、母の故郷の埼玉に引っ越した。苗字は『神尾』から『織原』になり、慣れるまでかなりかかった。
母は仕事を見つけ、アパートを借りて、近所に住む祖母のサポートを受けながら二人で生活した。余裕があるとは言えなかったが、穏やかな暮らしだったと思う。
父は月に一度埼玉まで来て私と会った。それは離婚するときに両親が決めたことだった。
父と会うときは私だけで、母が来ることはなかった。
それでも私はどこかで期待していた。また昔のように三人家族に戻れる日が来るのではないかと。
でもその期待はやがて裏切られることになった。
中学二年になったばかりの頃。
母が職場で知り合った男性と再婚したいと言い出したのだ。
はじめは嫌だった。でも母が真剣に何度も何度も話してきて、最後には根負けして了承した。母が私を育てるのに苦労しているのは知っていたので、幸せになってほしいと言う気持ちもあった。再婚相手はいい人だったが、新しい父親とは思えなかった。
互いに気を使い合う、ギクシャクした暮らし。それでも表面上はなんとか上手くやっていた。そのバランスが崩れたのは、中学三年生の秋。母の妊娠がわかったときだった。
おめでたいことだと頭でわかっていたが、どうしても受け入れられなかった。ぶっちゃけ気持ち悪かった。再婚相手相手も母も。
生まれてくる子を兄弟なんて思えそうになく、一緒に暮らすのも嫌だと思った。私は受験生だというのに、母の妊娠に伴う体調不良でサポートもおろそかになり、受験のストレスからの八つ当たりも含まれてはいたが、そんな母に心底絶望した。
私は部屋に引きこもり家族と話さなくなった。受験勉強も手につかなくなった。
母は悩み、父に相談した。父はすぐに埼玉に飛んできてくれた。そこからは何度も何度も話し合い、私は中学卒業後、父の元で暮らすことになった。
友達と離れる寂しさや、志望校を調べ選び直す煩わしさもあったが、それ以上に限界だった。
母を、嫌いになりたくなかった。
こうして、私は中学卒業と同時に父の元へ引っ越すことになったのだ。
◆◇◆◇
三年ぶりに帰ってきた家は、記憶よりも小さく、そして殺風景に感じた。
離婚してから父はずっと一人で暮らしてきたらしい。三人のときより家具や荷物が減っているので殺風景なのは当然かもしれない。
「凜音の部屋は前と同じだから。もう荷物も運んでいるよ。荷解きは少しずつゆっくりやればいいから、今日はゆっくり休みなさい」
「わかった。ありがとう、お父さん」
お父さんの言った通り、部屋には勉強机やベッドの他に、数個の段ボールが運び込まれていた。
とりあえず『優先』と書かれた段ボールから開いていく。長袖の服や、学校用品が入っている。今すぐ使う必要のあるものだ。荷造りのとき、母からアドバイスされて段ボールに書いておいたのだ。
お陰で必要なものがわかりやすい。
「……お母さんも、ありがとう」
小さく、つぶやいた。
「……さて」
お父さんはゆっくりしなさいと言ってくれたけど、なかなか気分が落ち着かない。
今は3月の末。あと数日で高校の入学式だ。
通っていた中学はちゃんと卒業したかったのと、友達とちゃんとお別れしたかったので、ギリギリまで埼玉に残っていたらから妙に慌ただしいスケジュールになってしまった。
通う予定の高校は家からは近いけど、実際訪れたのは入学試験の一日だけ。まあ、埼玉の高校に進学しても似た感じだったかもしれないけど、やっぱり三年のブランクに不安がないといえば嘘になる。
要するに、新しい生活に緊張しているのだ。
「うーん……」
……そのとき。
ふと、勉強机のそばにある窓の外に目をやった。
カーテンの隙間から見える曇り空から、陽光がもれだし、光の帯のようになっている。
きれいだな。
そう思ったとき、少し胸が軽くなった気がした。
ちょっと外に出てみようかな。
三年前まで暮らしていた街。車の窓から見た景色は、記憶とそんなに変わっていなかったけど。
……あの場所は変わっていないかな。
私は上着のポケットから『あるもの』を取り出し、目の前にかかげた。
それは小学校の校章。小さいブローチ型になっていて、六角形の星の中心に『星奈』と入っている。
この街にいたころ通っていた小学校のものだ。
ただし、この校章は私のものではない。
これは、初恋の人からもらったもの。
「……うん、やっぱり出かけてみよう」
校章を再びポケットに仕舞うと、私は部屋を出た。
◆◇◆◇
……寒い。
外を数分歩きすぐにでてきた感想がそれだった。
雪こそ降っていなかったが、ひゅーひゅー吹く風の冷たさは痛いくらいだし、もう三月も終わりというのに春の暖かさはまるで感じられない。
埼玉では桜が咲き始めていたけれど、こちらではまだその気配はないようだ。
…三年前もこんなに寒かったかな。
あまり思い出せない。
「こっちが……郵便局、…それから本屋。……あれ、文房具屋があったと思うんだけど。潰れちゃったかな」
記憶と答え合わせをするかのように、近くを散策していく。
私の体感ほど三年は長くないのだろうか。建物や店はほとんどが記憶通りの場所にあり、少し安心することができた。時折、なくなってしまった店や、改装したのか真新しくなっている建物をみることもあり、でもそれすら妙になつかしくて不思議な気分だった。
もしかしたら三年で一番変わったのは私自身なのかもしれない。そんなふうに思った。
「小学校、…は流石に変わってないか」
家から歩いて15分ほどの距離にあるのは、私が通っていた星奈小学校。校門には六角形の星の校章。
全校生徒合わせて200人ほどのあまり大きくはない学校だが、ちょっとした名物があった。
大きく立派な天体望遠鏡があり、六年生になると天体観測合宿を行うのだ。
この望遠鏡は、著名な天文学者である卒業生が寄付したものらしい。
もともとこの星奈町は星が綺麗に見えることでも知られていた。そこでこの町で暮らす子供たちに星に興味を持ってくれるようにと、卒業生は望遠鏡を寄付したとのことだ。
そんなわけで、六年生は夏休みに学校に泊まり、天体観測をするのが恒例行事。星奈小学校の生徒はみんなそれを楽しみにしていた。
それは私もそうで、もともと星は好きだったので、大きな望遠鏡を使えるのをずっと心待ちにしていた。
……だが、夏休み前に両親が離婚して、その望みが叶うことはなかったのだけれど。
「……さて、と。あの場所は変わってないかな」
私は小学校校門の脇道をぬけ、奥まった通りを真っ直ぐ歩いていく。
この通りを抜けた先は小学校の校区外になり、基本的に子供だけでは行ってはいけないと言われていたのだが、守っている子はほとんどいなかった。
なぜなら通りを抜けてしばらく歩いた先に大きな自然公園があり、そこの遊び広場が子供たちにとって公園代わりになっていたからだ。
もちろん他にも公園はあるのだが、自然公園の広さは段違いで学年があがればあがるほど、子供たちは自然公園に流れていった。
「……お、あったあった。自然公園。変わってないね」
記憶のままの自然公園に入って、奥へ進んでいく。
一歩一歩進むたび、心が三年前に戻っていく気がした。
あの頃……
私も例外でなく自然公園によく行っていたけれど、気に入っていたのは遊び広場ではなかった。広場から更に奥に歩いていき、公園内の小川を渡り、丘になっている場所をこえ、長い階段を上った先。
そこに展望台がある。
かくれんぼしていて見つけたのだが、私はこれを友達にも教えなかった。別に友達が嫌いだったとか、意地悪な気持ちからではない。
誰にも教えなかったのは……そこに、先客がいたからだ。
そう、あれは……
「よーし、到着!ただいま…三年ぶり」
はあはあ。階段を登ってきたので少し息が切れる。
記憶通りの場所に、記憶通りの展望台。そこには誰もいなく貸し切り状態だった。
それほど大きなものではなく、四・五人いれば埋まってしまいそうな広さのスペースが古い木の柵で囲まれている。
広さはないが、高さはそこそこあり、見晴らしはとても良い。空も開けて見えるので、夜は星が綺麗だろう。
「はー…、寒い。でもちょっと気持ちいいな!」
高所なので風が強く吹き付ける。吐く息が白く漂う。
さっきまではあれほどつらかった寒さなのに、この場所では少し清々しく感じた。
「……綺麗」
展望台からは回り一面の景色が見渡せた。
公園の木々。常緑樹の硬い緑の葉が周りを囲むようにしげり、葉を落とした樹とのグラデーションを描く。遠くには町の家々が見え、それらを鈍色の空が包みこんでいた。
どこか儚く、でも美しい、私のふるさと。
「帰ってきたよ……」
私はポケットから校章を取り出した。
星奈小学校の……星の形の校章。
「私、帰ってきたよ。……夜白くん」
てのひらの校章を見つめながらつぶやいたとき。
カサッと背後で音がなった。
「え……?」
振り返ると、一人の少年が立っていた。
歳は私と同じくらいだろうか。
黒い髪に、深く綺麗な黒い目。スラッとした背の高い男の子だった。
そして特徴的なのは左目の下にふたつ並んだ泣きぼくろ。
それには見覚えがあった。
「夜白くん……!?」
私が声をあげると、少年は驚いたように目を見開いた。
「夜白くん……だよね!?わたし、覚えていない?織原……えと、神尾凜音!小6のときここで遊んだよね」
「………」
彼は興味なさげに私から目をそらした。
「夜白くん……?あ、そうだ。これみて」
私はてのひらの校章を彼に差し出す。
「これ、三年前わたしにくれたよね。転校することになって、泣いてたわたしに、帰ってきたらまた会おうって約束してくれたよね。だから……」
「………やっぱり」
少年はため息混じりにつぶやいた。
「や、夜白くん?」
「それ、俺じゃないよ」
「え?」
「君のいう『夜白くん』は……死んだよ」
「っ!?」
ザアッ……
彼の言葉に悲鳴をあげるように
ひときわ強い、風が吹いた。



