今朝の失態は人生最大の汚点。
いろんな意味で汚点。
あの笑顔に逆らえず、俺はあの後、彼と一緒にそれぞれの担任に対して遅刻の原因を説明することになる。理由が理由なだけに、もちろんお咎めはなかったし、なんなら彼はすごく褒められていた。
七瀬 湊斗。
彼のことは知っていた。
だってあんな目立つひと、知らないわけがない。
見た目は誰もが羨む爽やかイケメン。性格も清々しいくらい素直で優しい。まっすぐに見つめてくるその瞳は、眩しすぎて直視できない。太陽みたいな。ヒカリそのもの。俺みたいな闇属性の日陰の人間が関わったらいけないひとだ。
でもあの時、彼しか見えなかった。
その光に手を思わず伸ばした。
そして気付いたらあんなことに····。
「あ、み~つけたっ」
昼休み。机にうつ伏せになっていた俺はびくりと肩を揺らす。お願いだから俺のことは放っておいて欲しい。君にはたくさん友だちがいるでしょ? そのひとたちだけでじゅうぶんじゃない? っていうか、なんで教室までくる必要が?
「あれ、七瀬くんじゃない? ほら、二組のっ」
「噓でしょ⁉ なんで三組に?」
ざわざわ。
女子たちの声が嫌でも耳に入ってくる。
「え? ちょっと、なんで瀬戸くん? え? 知り合いとか?」
「ほら、朝遅れてきてたじゃん? 駅で体調悪くなったって。その時一緒にいたのが七瀬くんらしいよ? 二組の友だち情報だから間違いなし」
「じゃあたまたま助けてあげて、心配で様子見に来てくれたとか? けど、さ。瀬戸くんでしょ? あんなん光と闇くらい属性違うじゃん」
ぐさぐさ。
ぜんぶ聞こえてるんだからね。そんなの俺が一番知ってるし、なんならさっきまさにそう思ったし。俺はもう寝たふりを決めて、反応するのを止める。けれども彼はまるで犬の如く駆け寄ってきて、とうとう俺の目の前に。
「まだ体調悪い? 保健室行く?」
耳元で声がする。
しゃがんで覗き込んでくる彼を完全無視して、俺はなるべく動かないように努力する。というか、顔を上げたら最後、教室中の視線を浴びることになるだろう。本当に無理。早く諦めて教室に戻って欲しいのに。
「七瀬くん、だよね? 瀬戸くんはいっつも休み時間は寝てるから邪魔しちゃ悪いよ。それより、良かったら一緒にお弁当食べない?」
そうそう。陽キャは陽キャ同士、仲良くすればいいよ。声からしてクラスでも目立つ女子、新川さんだろう。それにしても積極的すぎでは? 彼が学年の中でも屈指の有名人だとしても、彼女自身は初対面だろうに。
「ありがとう。でも俺、もう昼飯食べちゃったんだよね。ごめんね? せっかく誘ってくれたのに」
「い、いいの、いいの! そっか残念。じゃあまた今度ね!」
「うん、楽しみにしてるよ」
きゃー、と女子たちの小さな悲鳴が遠くで聞こえてくる。
なにその慣れた感じ。
断るのうますぎでしょ。
勇気を出して誘った新川さんに恥をかかせることもなく、誰も嫌な思いをせずにかわしたその台詞に、俺は呆れかえる。
(····って、いつまでここにいるつもり? めちゃくちゃ正面から視線を感じる。もしかして俺のことじっと見てるの? なんで?)
変な緊張感が俺の中を駆け巡る。そんな中、そっと髪の毛に触れようとしてきた指先の気配に気づいた俺は、身体中にぞわりと蟲が這いまわるような感覚に襲われ思わず勢いよく立ち上がってしまう。
「やめ·····っ」
そして同時に取り返しのつかないことをしていた。パン! と響いた音は乾いていて。無意識だったとしても、自分に伸ばされていた手を拒否してしまった事実。
俺の印象は教室中の生徒も含め、彼自身にも最悪に映ったはずだ。けれども俺はどんどん呼吸が荒くなっていき、苦しくて、涙目になってしまう。
「あぶないっ」
急に立ち上がったことも要因だろう。過呼吸と眩暈に襲われ、俺はそのまま倒れかける。床に転がらなかったのは彼のおかげだろうか。薄れていく意識の中で、あの時と同じぬくもりを感じていた。
次に目を開けた時、俺は保健室のベッドの上だった。白いカーテンで囲まれていて、周りに見えないようにされているのは幸いだった。
きっと酷い顔をしているだろう。
いったいどのくらい眠っていたのか。
「失礼しま~す」
ガラッとという教室の扉が開く音とともに、彼の声が耳に届く。
「あら、来たわね。ちょうどよかったわ。これから会議があるからどうしようかと思っていたのよ。七瀬くん、瀬戸くんのこと頼める? 自宅までとはいわないけど、途中まででもいいからついててあげて欲しくて。彼のお母さんに連絡してみたけど、仕事が抜けれらないんですって」
先生、俺の意思は? 絶対に気まずいのに、なんでそんなこと彼に頼むの⁉
「もちろん、よろこんで。奥でまだ寝てます? 後は俺に任せてください」
「助かるわ~。じゃあお願いね」
そう言って、先生は早々に保健室から出て行ってしまった。
つまり、もしかしなくてもふたりきり?
足音がこちらに近づいてくる。
俺は慌てて布団を被って寝たふりを決め込む。これじゃさっきと同じだよ····っていうか、なんであんなことされても俺につきまとうの⁉ そんなに俺が可哀想に見えるのだろうか。
それとも彼は庇護欲でもあるの?
誰彼かまわずそんな風に優しくするの?
カーテンが開く音がしたかと思えば、そのまま閉じられる。俺はそこになんの疑問も持っていなかったが、その意味をこの後知ることになる。
「瀬戸茉李」
こんなことなら、関わらなければよかった。
きっと、彼は俺にひと言いいたいはずだ。この恩知らずって。助けてあげたのにみんなの前で恥をかかせたって。どんなに完璧な王子さまだって、あんな態度をとられたらさすがに怒るだろう。
あの時彼は、寝ている俺の頭を撫でようとしたのかもしれない。でも俺はそれに対して"あのひと"を重ねて拒否してしまった。最低だ。彼と"あのひと"は全然違うのに。
「俺の、運命のひと」
··················は?
「絶対に逃がさない」
なにそれ、怖い怖い怖い怖い⁉
ちょっと待って····え? なに?
七瀬 湊斗ってそっち系なの?
ぎし、とベッドにもうひとりの重みがのしかかる。被っていた布団を捲られ、俺は思わず目を開けてしまった。視線が重なる。そこにあるヒカリは、どこまでも陰りなど無く、先程までの台詞が嘘のようだった。
(まずい····どうしよう······俺、)
そう思いつつも、なぜか不思議と逃げ出したいとは思わなかった。
(俺、また······)
寧ろ、縋りつきたいとさえ思う。
「なんだ、起きて····どうしたの?」
助けて。
たすけて。
「茉李?」
「な、なせ······く、····俺、」
あの時と同じように、気付けば俺は彼にしがみ付いていた。こんなの、気持ち悪いよね? だからどうか、君も俺を完全に拒否して欲しい。そうしたら、もう、縋ったりしないから。だから。
「大丈夫だよ。落ち着くまで俺がずっと一緒にいるから」
そんな風に優しくしないで欲しい。
「嫌なら、さっきみたいに突き放してくれていいから。それくらいで諦めたりしないし」
なんで····?
「聞いてたんでしょ? 茉李は俺の運命のひとだって。絶対に逃がさないし、どこまでもつきまとうから覚悟してて?」
いや、それはちょっと····迷惑かも。
どうしてそこまで俺に固執するのか。
けれども抱きしめられたぬくもりと優しい声に惑わされ、俺は考えるのを止めてしまった。