その次の日から、俺の家に透が住む事になった。
 小さいあの頃から変わらず透は朝型で、朝8時ちょっきりに早速俺を起こしに部屋に来たらしい。
 コンコンというノックの音と爽やかなイケメンボイスが聞こえてくた。

「達樹、起きてる? 起こしに来たよ。」

 けど、俺は反応せず自分にタオルケットをかけ直した。
 俺は朝に弱い。昼夜逆転、とまではいかないが夜型だから朝が苦手だ。
 寝起きも大体機嫌が悪く、夏休み真っ只中の今は昼前起きが普通になっている。
 透は健康体だな……なんてぼんやりした頭で思いながら、ちゃっかり寝直す。

 そんな塩な対応の俺に、透がもう一度扉越しから声をかけてきた。
 
「透? もしかして寝てるのかな……。」

 何やらごにょごにょ声が聞こえるが、眠気80%には負ける。何を言ってるか聞き取れないが、別に気にする事でもないか……。
 どうせ起きてこないと分かれば透も諦めて部屋戻るだろ、なんて考えが甘かった。
 もう一度よく聞こえない声で声をかけられ、それっぽい反応してやるか〜とテキトーに「おー……。」と返事してみる。

 そうすると間髪入れずに部屋の扉が開く音が聞こえ、目を閉じていても影が落ちたのが分かった。
 透が入ってきたのか……? まぁいいか、やましいもんも何もないし寝とけば。

「達樹ー、おばさんが朝ご飯できたから起きなさいって言ってたよー?」
「うーん……? いやだ〜、おれはねむいんだ〜。あと5分ねかせろ〜……。」
「そんな事言って、昨日遅くまで起きてたんでしょ? おばさんにも聞いたけど、生活リズムヤバいんだって? 学校も1週間ちょっとで始まるんだし、そろそろ直してかないとダメだよ。」
「い〜や〜だ〜! おれはまだまだ寝るんだぁ……。」

 執拗に起こしてくる透に、段々と苛立ちが溜まってくる。透め……俺の睡眠を邪魔するとは……。
 そう悪態をつくも、相手にするのもめんどくさくて背を向ける。

「相変わらず朝弱いね、達樹。」
「……。」
「意地になって起きないのかただ眠たいだけかは分からないけど、本当に起きないと達樹の為にもならないから起こすよ。」

 ギシッと、ベッドが音を立てたのは流石に分かった。
 けど目を開けて確認まではしたくなくて、そのままタオルケットを口まで持っていく。
 その瞬間だった、おでこらへんに吐息がかかったのは。

「たーつき、起きないとキスするよ。」
「ッ……!?!?」
「あ、起きた。おはよう達樹。」

 あ、じゃねーよ……っ!
 流石にこれを無視できるほどのメンタルは持っていない俺は急いで起き上がり、タオルケットを目の下まで持ってきた。

「お、おまっ、お前透っ……自分がさっき何て言ったのか分かってるのかっ……!!」
「うん、キスするよって言ったよ。何言ったか分からなくなるほどおかしくなってないよ。」
「いやでも、俺男だぞっ!?」
「うん、それがどうしたの?」
「変だろ! 男が男に、き、キスするとか……!」
「そう? そんな変かなー、好きな人にキスするのって。」
「…………な、」

 何言ってんだ透っ……!?!?



「……と、ちょっと達樹!」
「……、な、何、母さん。」
「さっきから買い物行ってきてって言ってるのに、どうしたのよ? 何か朝からぼーっとしてるわよ?」
「き、気のせいじゃね……? あ、それよりも買い物!? 俺すぐ行ってくるわ! 行ってきます!」
「え、ちょっと待ちなさい達樹……、ったくもう。」

 午後1時半、リビングで悶々としているところに母さんから買い物を頼まれた。
 悶々としてた理由なんてあれしかない。透のことだ。
 透が、透が変わっちまった……。
 そりゃ4年もあれば変わるとは思うが、恋愛対象まで変わってたとは。いや、両性愛者って可能性もなくはないのか……。
 どちらにせよあんな事言うなんて、小さい頃の透を知っている身からすれば、どう反応するのが正解か分からない。

 でも、はっきり言ってたよな……“好きな人”って……。
 文脈から考えて、透の好きな奴ってのは俺だと思うんだが……いや、そんなわけないだろ。透が俺のこと好きなんて、子供じゃあるまいし。
 小学校低学年くらいまではお互い友達として好き好き言ってたが、まだその癖が取れていないのか透は。
 ……だなんて考えてみるけど、ちょっと無理があるな。
 いや、だとしてもだ。透が俺に恋愛感情持ってるなんて考えれないし、子供の時の癖が取れてないだけだよな。うん。
 無理やりなこじつけという事には目を瞑り、母さんからの買う物リストに目を通しながら祈る。
 そうだ、逆にそうであってくれ……!



 それから約1時間後、無事に買い物を終えた俺はずっしりと重たい荷物を両手に抱えて帰路についた。
 クソッ、せっかくアイス食べながら帰ろうと思ったのにこれじゃ開けれねぇ……。
 こんな炎天下の中、外に出した母さんを恨みそうになりながらも仕方ないから足を進ませていく。

 その道中、たくさんのちびっ子が公園なり学校の校庭なりで遊んでいるのを見かけた。
 よくこんなあっつい中遊べるよな……今じゃ考えられねーわ。
 そんなじーさんみたいな事を思いながら、雑に手首で顎の汗を拭う。
 にしてもほんっと重いなこれ……しかも、全部食べ物なのがまた……。
 透がいるから気合入ってるのは分かるけど、限度ってもんがあるだろ……。
 でも今更言ったって母さんが透に甘いのは昔からだし、仕方ないか。

 そう割り切って日陰でぼやいていたら、向かいの道路に見覚えのある姿が見えた。

「ねぇカズマ君っ、この近くに気になってた映えるカフェ見つけたんだけど、今から行ってもいい?」
「あ、そうなん? 全然いいぜ、そんじゃ早速行くか!」
「やったー! カズマ君ありがとうっ!」

 ……やっぱり少しは辛いもんだな、元カノが他の奴といるのを見るのは。しかも、同クラのイケメンと付き合ってる。
 俺は束縛したいわけでもなければ監視をしたいわけでもなく、元カノに未練らしい未練はない。
 ま、こういうのを直で見るのはちょっと傷つくけどな。未練なんてねーのに。

「恋愛上手な男はいいよな……。」

 女子の扱いを分かってる男が、時々羨ましい。何しろ、俺は恋愛するのに向いてないからだ。
 不器用なのかは知らないが、女子にどう接すればいいか分からず振られる事累計4回。
 別に女子が苦手とか嫌いとか、そういうわけじゃない。ただ、毎度波長が合わなくて振られる。
 
 俺なりに努力して、合わせてたつもりではあった。
 今の流行りは何だとか、どういう男が女子ウケがいいとか、モテるだとか……色々と、そりゃあ頑張った。
 けど、いくら頑張ったって結局は取り繕ってるだけ。永遠に頑張る事はできない。
 だから大抵1ヶ月、長くても1ヶ月半で振られてしまう。

『達樹って、顔はイケメンだし性格とかもいいんだけど、なーんか違うんだよね。微妙に合わないっていうか、付き合う前は良かったけど……ねーって感じ。』
『真泉、頑張るのは良いと思うしその努力はすげーもんだが……ちょっと女子ウケはしねーかもな。やるならこう、引いてみたり、とか?』
『ごめんね、真泉君。真泉君がいい人ってのは分かってるんだけど、わたしとはちょっと合わないかなって思ってて……別れて、ほしいの。』

 影で言われていた言葉、俺を憐れんでアドバイスしてくれたクラスメイトの言葉、そして振られた時のセリフを同時に思い出してしまい、ははっと乾いた笑いが零れた。
 俺に恋なんて早い、と恋愛の神様が言ってるんだろうなー……なんて。
 ぼーっと我ながら情けない事を考えていたら、突然足元がふらついた。

「……っ、やべ……」

 これ、倒れるヤツじゃね……?
 と、どこか呑気に考えていたのに、俺の体が熱々のコンクリートの上に投げ出される事はなかった。
 代わりに、何だ……? なんかやけに筋肉質な腕が見えるような……。

「って、透!? 何でここにいるんだ!?」
「近くの本屋に行った帰りだよ。ほらあるでしょ、この通りに本屋。」
「あ、あぁ、確か、そうだったなぁ……」
「それよりも、何で帽子も被らずに外出たの? ……いや、お説教は後だね。とりあえず家そこだし、歩ける?」
「歩けるしっ!」
「……それなら荷物持つから、代わりにこっち。」
「あっ、勝手に俺の荷物取んなよっ……!」
「ほら、早く。手出して。」

 そう言ってひょいと俺の両手から荷物を奪い取った透は、代わりだと言って左手を差し出してきた。
 ……こいつ、どんな筋力してんだ。俺が両手で持ってた買い物袋3つを、片手で持つなんて。なんか負けた感じ。
 しかも透のくせに、いっちょ前にリードしてきやがって。
 ぼんやりさが勝つ頭でも、透を守ってやるのは俺だ!という意思が先に来て首を振る。透に迷惑なんてかけられねぇ!

「だいじょうぶだ……透の助けなくても、あるけるから……」

 なんだか視界がボケているけど、透に心配させたくねぇ。
 そんな一心で頑なに否定したが、直後の透の言葉で一瞬背筋が凍った。

「達樹、いい子だから手繋いで。」

 とお、る……? 今のは透が言った、のか……?
 思わず困惑してしまい、ぼんやりしている視界で透を見上げる。
 そして視界に映った透は、小さい時には見た事なかったような冷たい表情をしていて、ビクッと肩が震えた。

「っ……わ、かった……」
「ん、いい子だね。」
 
 今の透に逆らったら、ヤバい。そう思った俺は透に言われた通り、汗だらけの手を繋いだ。
 すると一転、透の表情は柔らかいものになって俺に微笑んだ。
 その笑顔はいつもの透みたいで、小さいあの頃の透と同じで、ほっと安心する。
 やっぱり透は、透だよな――……?



「ほんとにごめんな透、迷惑かけて……」
「そんなの気にしないで、今日は大人しくしてる事。軽い熱中症になってたっぽいからね。」
「え、マジか……。」

 冷房がキンキンに効いた部屋、おでこには冷却シートがある俺はどうやら熱中症になってたらしい。
 隣には心配そうに眉をひそめている透がいて、過保護な母親のようにさっきからせっせと世話を焼いてくれている。
 熱中症とか久々になったかもな……これも地球温暖化のせいか?

 ぼやけが少しはマシになった頭で考えながら、汗をかいているスポドリを喉に流し込む。
 そうするとようやく調子が戻ってきたような気がして、改めて透にお礼を伝えた。

「透、色々とありがとな。もうだいぶ調子よくなってきたわ。」
「確かにさっきよりは顔色よくなってるね、よかった。でも大事を取って今日は安静にしてて、分かった?」
「そんなに心配しなくても平気だって。透ってほんっと心配性だよな〜。」

 あはは〜とあっけらかんに笑いながら、透の背中を力なく叩く。腕にこもる力が、まだ本調子ではない事を教えてくれる。
 それでも透に余計な心配をかけないように立ち回るも、透はまだ不安らしい。
 俺の腕をおもむろに掴んだ透に、真剣な眼差しで言われた。

「達樹が平気でも、僕が平気じゃないの。達樹、分かってよ。」
「……透?」

 なんか、やっぱり透が変な気がする。
 いつもの透だって、昔の面影自体は残ってるものの、それはごくわずか。
 今俺の目の前には、小さい頃のままの“斑鳩透”じゃなくて、俺の知らない“斑鳩透”がいる。そう断言できた。

 どうしたんだよ……?という疑問を込めて名前を呼ぶと、俺の腕を掴む透の手により力がこもったような気がした。

「達樹はさ、今でもまだ僕のことを昔のままだと思ってるみたいだけど、それは間違いだよ。僕はもう、弱いままの僕じゃない。達樹、僕は変わったんだよ。達樹の為に。」
「え……っ、と、透……!?」
「達樹は鈍いし気が付かないだろうとは思ってたけど、まさかここまで気付かないとは思ってなかったよ。まぁそういうところも達樹のいいところなんだけどね?」

 雪崩が起きるように、流れるように透にベッドに縫い付けられる。目の前には透の黄金比の顔があって、反射的に目を背けそうになった。
 でも、今の透から目を背けると……危ない気がして、俺も負けじと見つめ返す。
 そうする事数分、透は俺の腕から手を離して俺をベッドに寝かしつけた。

「……ちょっといじわるしすぎたね、ごめんね達樹。もう休んでいいよ。」

 慣れた手つきでタオルケットをかけてくれ、冷房の再設定をする透。
 そしてそのまま部屋を出ようとしたから、俺はまだ重い体を起こして引き止めた。

「透、待てよ。」
「ん? どうしたの?」
「透は、俺のことが好き……って事でいいのか?」
「……うん、そうだよ。僕は達樹が好き、普通に恋人にしたいって思うくらいにはね。」
「……、そうか。分かったよ。」
「そういう事を聞くって事は、俺に気持ちが少しでも動いてくれたのかな?」
「……知らね。」
「そっか。」

 そんな短い返事を残し、透は部屋を後にした。
 パタン、と小さい音が聞こえたのを確認してから、俺はタオルケットに顔を埋める。
 俺は、透のことを“友達”として好きだ。けど透は違う、そういう好きじゃない。

 ……さて、俺はどうするべきなんだろうか。
 まさか幼馴染からモテるとは思っていなかったな、女子には一切モテないのに。
 ははっと再び笑いたくなったけど、この状況は正直笑えねぇなー……。
 俺は恋愛対象は女子だし、男を好きになった事はこれまで一度もない。だから透の気持ちなんて分かるはずがないんだ。

 だからといって、透の気持ちを無下にするような真似だけはしたくねぇ。
 でも、なぁー……どうしたらいいんだろうなぁ……。
 とりとめのない気持ちが揺れ動いて、ますます頭がこんがらがってくる。
 ……寝るか。こんな体調じゃ、考えれる事も考えられねぇだろうし。
 結果的にそんな結論に至り、頭からタオルケットを被る。

 けど俺が、透を好きになる事もあるのかなー……。
 深い眠りに付く前に俺が思ったのは、現実になるかギリ分からないくらいの戯言だった。