私の神様は、(すず)さんという。


やってきたー! 待ちに待った高一の夏休み! 

私はこの夏を、あることに費やすことを今年が始まった頃から決めていた。

大学受験はまだ先。

東大なんかを受ける頭じゃないから、高一の夏休みは課題くらいしか追われるものはない。

両親も勉強はほどほどにできていればいい、というスタンスなので、赤点なんかをとらなければ文句は言われない。

というか、夏休みをひたすらコレにつぎ込むために、学年で中の上くらいはキープしていた。

夏休み明けの試験が怖いけど……また盛り返して見せる! すべてはケータイ小説を読むために!

そう。私が夏休みまるまる使ってやりたいのは、ケータイ小説を読み漁ること。

中三のはじめ頃、私は部活で足を骨折して入院していた。

選手に戻ることは難しくなって病院のベッドで鬱々と毎日を過ごしていた私に現れた神様が、ケータイ小説だ。

お見舞いに来た従姉のお姉ちゃんが差し入れてくれた、ケータイ小説がもとになった文庫本。

ページを開くと、すぐに魅了された。

純粋で瑞々しい文体。リアルな心情。現実にありそうと思ってしまう恋愛ものから、ファンタジーものまで、お姉ちゃんが差し入れてくれた三冊は、一日で読み切ってしまった。

新しい本を買いに行きたいと思っても、そのときの私は術後で外出など出来ない状態だった。

そしてカバー裏のケータイ小説サイトの紹介ページを目にして、即登録した。

ユーザネームは悩んだけど、あとからも変えられるみたいだったから名前からとって『蘭』にした。

それから私の毎日は一変した。

悶々と、何が悪かったの、私はもうコートに戻れないの、と哀しい思いの沼に自ら足を突っ込んでたゆたっていた日々から、一秒ごとに新しいお話を受け取れて、それがすごく楽しみな毎日に。

リハビリもきつかったけど頑張れた。これが終わったらケータイ小説読むんだ~! と意気込んで。

退院が決まる頃には、部活への未練がなくなっていた。

退部してもよかったんだけど、顧問と部長から、マネージャーとして残ってくれないかと言われて、それを請けた。

マネージャーはマネージャーで楽しかった。

割とサポートという立場も好きなことに気づけたんだ。

中三ゆえの悩み、受験もケータイ小説をご褒美に乗り越えた。

すきなものができた私はもはや無敵だった。

高校は地元の公立で、徒歩十五分。

電車でケータイ小説を読みながら登下校する図に憧れて別の高校も見学に行ったりしたけど、ゆっくり没頭しながら読みたい欲が勝って、一番近い高校に決めた。

合格するために、成績的にはギリギリ。

それでも、何回も何作も読んだ、憧れのケータイ小説の世界である高校に行くためにがんばった。

さすがにケータイ小説断ちをした時期もある。泣く泣く。

そのとき目標に決めたのが、高一の夏休みは全部ケータイ小説につぎ込んでやる……! ということだ。

そしていざ、今日から高一の夏休み!

終業式を終えた私は、友達に手を振って急いで帰ってきた。

高校でできた友達は、部活はばらばらで出身中学もばらばら。

私以外みんな部活に入っていて、一人で帰ることに抵抗はなかった。

家に帰って手洗いうがいを済ませて、だいぶ汗をかいちゃったから軽くシャワーを浴びて家用のノースリーブのワンピースに着替える。

両親は仕事でいなくて、兄は大学生で一人暮らしをしているから、これから私は悠々自適な時間! なんと素晴らしい響き!

お昼ご飯を食べてからゆ~っくり読もう。

更新されたばかりだろう新作様たちも気になるけど、今月の新刊は買ってあってそれから読むと決めていた。

帰ってきてすぐつけたエアコンが効きだして、リビングは居心地がいい。

私は蕎麦大好き人間なので、一人で食べるお昼ご飯はたいていお蕎麦だ。

両親も兄もうどん派だから、いただきもののお蕎麦はすべて私のものになっている。

はやる心を抑えつつ、お蕎麦をゆでている間にネギを刻んで、氷を入れためんつゆを用意する。わさびはつけない。辛いのは苦手だった。

おかずに出汁巻き玉子を作って、浅漬けきゅうりを添える。

冷蔵庫に冷やしトマトがあったから、それを二切れ乗せておかずは完成だ。

ダイニングテーブルにゆであがったお蕎麦たちを並べて、「いただきまーす!」と元気よく手を合わせる。

これを食べたらどの先生の新刊から読もうかな~、と、幸せすぎることを考えながら租借していく。

そして今日のためにお茶とお菓子も用意している。

友達が誕生日にくれた紅茶の茶葉とそれに合うクッキーだ。

夏休み前の日曜日に、近くのショッピングモールのスイーツ売り場で、奮発してバラ売りのクッキーを何種類か選んで買ってきたんだ。

ケータイ小説の新刊とクッキーを買ったから今月はもうお小遣いはないけど、後悔はしていない! 友達は部活三昧の夏休みだから、八月の大会が終わるまで遊ぶ予定もなかったりするし。

バスケ部のゆーこちゃん、バレー部のかなやんにブラスバンド部のりっちゃんと、みんな夏に大会を控えている。

ブラスバンド部のりっちゃんは、「ブラバンは運動部だよ……!」と鬼気迫る顔で言われたことがある。

お、おう……と肯くしかなかった。否定したらぶっ飛ばされそうだった。

私は中学ではバスケ部だったから、別の中学で女バスだったゆーこちゃんとは面識があった。

高校に入って、同じクラスだったゆーこちゃんに話しかけられて、席が近くだったかなやんとりっちゃんの四人でいることが多くなった。

八月になって大会が終わったら、花火とか夏祭りとか、四人で色々計画を立てている。

ケータイ小説を読むのと同じくらい楽しみだ。

お蕎麦を食べ終わって、ゆっくり読むためにお皿も洗っちゃう。

食器棚にしまってから紅茶を入れて、いそいそとクッキーを二枚選んだ。

大奮発して十枚も選んじゃったから、この夏休みで大事にいただこう。

チョコレートもよかったんだけど、この暑さではすぐに溶けちゃうし、溶けたチョコがついた指で文庫本を触ってしまったらいやだったからやめておいた。

今月買った四冊の新刊をソファのサイドテーブルに並べて、アイスティーとクッキーはトレーに載せてから本の隣に置いた。

「よっしゃ! 読むぞー!」

気合を入れてから最初に読むと決めた本を手にする。

一冊目は高校生が主人公の恋愛もの。

親の再婚で義兄になった人が同じクラスの男子で、ドキドキの同居生活がはじまるお話。

これサイトで読んだとき、本気でドキドキして徹夜で読み切ったんだよなあ。

文庫版はなんと書き下ろしがついてるんだ。

途中でソファにごろっと横になって読んだり、アイスティーを飲んだりしながら一冊目を読み終わった。

「は~、至福」

こんな素敵なお話を世の中に生み出してくださってありがとうございます。と、文庫本に向かって両手を合わせて拝んだ。

ハッピーエンド大好き。バッドエンドはちょっと苦手。ホラーはもっと苦手で読めないのが悔しいけど、お話を世に生み出せるだけで作家様には尊敬しかない。

「次は~、ちょっとサイト見てみようかな」

誰も聞いていないのをいいことに、盛大な独り言を言いながらソファに放り出していたスマホを手にする。

私が今使っているケータイ小説のサイトは三つあって、メインで住処にしているサイトを開く。

最初に登録したこのサイトが、私には一番使いやすくて好みの作品がたくさんあるんだ。

今更新を追いながら読んでいるものは夜に読もうかな。新着更新……いや、お母さんたちが帰ってくるまで時間はあるから、完結速報から見てみよう――

と、完結したばかりの作品が載せられているページを開くと、一番上に興味をひくタイトルを見つけた。

作者は鈴さん……すずさんかれいさんかな。

気になったものはとりあえず表紙を見てみよう精神でタップする。

ジャンルは青春恋愛系で、うん、これ読みたい。と素直に思った。

それまでソファに寝転がりながらサイトを見ていたけど、座りなおしてから、深く腰をかけて読むモードに入った。

――ぐい、と、腕を引っ張られた感覚がした。

ページを繰る指が止まらない。次々に展開される世界に魅了されていく。すごい――すごいものを、私は見つけてしまった。そう思った。

中編くらいの長さだったそのお話は、あっという間に読み切ってしまった。

最終ページまでたどりついた私は、しばし呆然としていた。

こんな……ことって、あるんだ……。こんな……激しく心を揺さぶられて、頭に衝撃を受けるようなお話を書ける人が、いるんだ……。

私の今までの感性を、真正面から否定されたような、そして肯定されたような、不思議な感覚にとらわれている。

読んだ相手に影響を与える作品。

今まで読んできたケータイ小説だって、私に多大なる影響を与えてくれた。

今楽しく学校生活を送れているのも、ケータイ小説のおかげだ。

その中でもこのお話は、――少なくとも私にとっては――異質だった。

この作者さん、書籍化してないのかな? 呆然としているしかなかったところから立ち直って、作者さんのプロフィールページに飛んだ。

名前の読みは『すず』さんのようだ。コメント欄には、

『読んでくださりありがとうございます。
 メイン更新→『▲▲▲▲▲▲』
 サブ更新→『▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲』
 完結→『▲▲▲』』

と、簡単な挨拶だけだった。

書籍化作品があればリンクが表示されるはずだけど、見当たらない。

まだ書籍化したことがない方のようだ。

「………」

無言で、鈴さんの過去作品を開いていた。

完結済みは十作品くらい。

そして鈴さんの作品の世界に、飲み込まれ、吸い込まれていった。







「………なんか、すごい出逢いをしちゃった気分だ……」

夜、脱衣所で髪を乾かしながらつぶやいた。

セミロングの髪は特に染めたりはしていない。顔はぼんやりしている。

結局、お母さんが帰ってくるまで鈴さんの作品を読みふけっていて、時間感覚がなくなってしまっていた。

うん、鈴さんの作品は一日に読む量に制限つけないと、寝食忘れて読んじゃいそう。

一日一作品とか、半分まで、とか。

だって今、読み終わったばかりの二作品をもう読みたくて仕方なくなっている。

鈴さん――プロフィールページからわかったのは、登録したのは今から二年前、書籍化の経験はない、つぶやきのアプリとかブログとか、貼付されているリンクはなかった。

年齢も、性別もわからない。

ただ、私はひどく鈴さんの作品にほれ込んでいることだけは確かだ。

まさか夏休み初日にこんな出逢いがあるなんて。……いや、出逢ったと思っているのは私の方だけだから、出逢いという言葉を使うのもちょっと違うかもしれないけど。

でも、そう言いたかった。

言うなら、運命とか。

鈴さんが男の人でも女の人でも関係ない。

鈴さんの作品との出逢い、これは私の運命だ。

……誰に言うでもないから、私だけはそう思っていてもいいだろうか。

髪を乾かし終えて、リビングに戻る。

お父さんはお酒を飲まない人で、食後のコーヒー飲みながら本を読んでいる。

お母さんはハーブティーを用意して趣味の刺繍をしていた。

「ねー、アニメ見てていいー?」

二人に訊くとお父さんから「いいぞー」と返事があった。やった。

私はテレビ台横の本棚の奥の方からDVDを取り出してセットした。

テレビ前のソファを一人で陣取って、再生ボタンを押す。

始まったのは、以前放送されていたバスケアニメ。

「お前本当それすきだな。結構前のやつだろ?」

「もちろん」

お父さんは呆れ気味に言うけど、好きなことに変わりはない。

このバスケアニメは、私が小学生の頃放送されていたものだ。

中学生になってから、そのDVDをずっと貯めていたお年玉貯金で買って、時間があれば見ている。

ケータイ小説を読むのと同じくらいの私の趣味、ケータイ小説にハマる前からの私の趣味――そう、私はオタクだ。

オタクにもいろんな人がいる中で、私はアニメや漫画が好きなタイプ。

言っても原作までしか読んでいなくて、二次創作は今のところ手を出していない。

これからどうなるかわからないけど、イベントとかにも行ったことはない。

……なんで急に最推しアニメを観だしたかというと、ケータイ小説からちょっと離れようとか思った――わけではなく、鈴さんのプロフィールページの好きなキャラの欄に、このバスケアニメのキャラの名前があったからだ。

私の推しとは違うキャラだけど、鈴さんもこのアニメ好きなのかな……もしかしたら年近い?

私が小四の頃に放送していたアニメだけど、主人公たちは高校生だったから、当時中高生、それよりも上の人が観ていてもおかしくはない、か。

……鈴さんの好きなキャラは寡黙なイケメンキャラだった。

私の推しは普段はニコニコして穏やかだけど一番怒らせてはいけないキャラ。

同じ学校の選手という共通点はある。

「………」

アニメを観ながら思う。

なんだろう、めっちゃ語りたい……! 鈴さんと推しについて語りたい!

……と思ったけど、まあ土台無理な話で。そもそも私、友達にすらオタクであることを話してないんだよなあ……。

……オタバレするのがめっちゃ怖い隠れオタクとは私のことだ。

以前にオタクだとバレていじめられたとか、そういう経験があるわけじゃない。

ただ私は、自分が好きなものをひとに知られるのが怖かった。ずっと前から。

なんでだろう、趣味を否定された記憶とか、哀しい思いをした記憶とかはないんだけど、好きなものを打ちあけるのが怖かった。中学でバスケ部に入った理由も、バスケアニメが好きだったから、と誰に言えずに中学を卒業してきた。

そんな私が、オタクであることを友達は知らない。

知られるの、めっちゃ怖い……!

私がオタクだからという理由で仲間外れにされたり離れていったりするような不安はない。

……わけではないけど、オタクを毛嫌いしている子たちでもないし、実際クラスのオタクを自称している子たちとも普通に接しているみんなだ。

むしろオタバレしないかと、話していてびくびくしているのは私の方。

……いい人たちなのに。

私は一人で、勝手に怖がっている。

「………」

ま、いっか。

と、心の中でつぶやいて俯けていた顔をあげる。

こんな私でも陰ひなたなく仲良くしてくれているし、私に文句があったら直接言われるか、遠くから聞こえたりするだろう。

最悪――みんなに向かってこんな仮定をするのも失礼だとわかっているけど、仲間外れにされたりしたら、そのときはそのときだ。

今、大好きなキャラたちが動いて目の前にいるのだから、そっちに没頭しよう。

そっちの方が前向き!

私は色々考え込んでしまったときは、オタ活に没頭することにしている。

大好きな推しを見たり聞いたりしていると強張っていた顔がほや~ってほどけて、ついでにモヤモヤギスギスしていた心もほや~ってほどけて、気持ちが明るくなるから。

推しのパワーは偉大! オタクであることを隠しているけど、オタクになったことを後悔はしていない。

推しがいる時代に生まれてよかったって思う。

そんな感じで私は今日も推しに釘付けだ。

そしてまた思った。鈴さんの推しプレゼン聞きたい……! と。

畏れ多すぎることだし、実現することはないけれど。



+++



夏休み二日目。

昨日、鈴さんの作品に夢中になって食べるのを忘れていたクッキーと、今日はアイスコーヒーを用意して部屋のベッドでコロコロしながら書籍化作品を拝読している。

両親は今日もお仕事で、私はひとり時間を満喫している。

今朝友達とのグループでおはようのメッセージを送り合ったけど、みんな元気に部活のようだ。

私が帰宅部であることで何か言われたことはない。

中学時代他校のバスケ部で顔見知りだったゆーこちゃんが、私がバスケから引退した理由を知っているから、ちょっと気を遣わせてしまっているのかもしれない。

私は昼間から家でコロコロさせてもらっている代わりに、両親と約束している。

課題は一つもサボらないことと、夏休みの間の家の掃除は総て請け負っている。

のんびりケータイ小説を読めるんだから、そのくらいちゃちゃっとこなせちゃう。

今朝のうちに床掃除は終わらせている。あとはお手洗いの掃除とお風呂の掃除を片付ければよしかな。

ベッドに仰向けになって、読み終わった作品を閉じて目も閉じて、両手で包んだ。

神作品を、ありがとうございます……! おかげ様で今日も生きていけます……!

なんていうかね、もはや推しているものって生きるエネルギーだよね。ほんと尊い。

推している対象が二次元であれ三次元であれ、私はオタクの皆さんがすきだ。

好きなものがある人っていいなって思う。

体を起こして、神作品をベッド脇の本棚に仕舞ってから今度はスマホを手にする。

昨日のうちに鈴さんをファン登録しているから、更新があればファン登録一覧に情報が出るはず……あ、やった! 新作もう書かれている~! 読む読む読みます! ぜひとも拝読させてください~!

即行で本棚登録して、再びベッドにダイブする。

あ~、もう最高! たださえ神作家様と神作品がたくさんなのに、推し作家様とも出逢えるなんて……! 公開されたばかりの新作を、最新更新ページまで読み進める。

鈴さんは恋愛も青春もファンタジーも書かれる方で、昨日完結したのは恋愛、新作は青春部活もののようだ。

美術部の女の子と、陸上部の女の子の友情のお話。最新ページで指を止めて、深く息を吐いた。

「………………………………」

……次の更新いつだろう……! いや、こんな毎日暑い中、普段の生活諸々に加えて執筆と更新もしてくださっているんだから、せっつくようなことは言ってはいけない。

いけないことはわかっているんだけど……一ページでもいいから続きが読みたい……! それがファンの心理……!

スマホを抱きしめてベッドを転げまわる。

「いや~もう私鈴さんのファンだわ。一生ファンですわ。鈴さんの過去作読もー」

にやにやと頬が緩むのを止められない。

「蘭―、いんのかー?」

え。

「完全に留守か? これ」

……なんでお兄の声が……。

私の兄は今年から二つ隣の市の大学生だ。

家から通えない距離ではないんだけど、一度は一人暮らしを経験しろという父の方針で一人暮らしをしている。

今日お兄が帰ってくるとか聞いてないけど、電車で三十分くらいの距離だからいつ帰ってきても不思議はないんだよね。

……仕方ない。のっそり起き上がって、スマホをベッドに置く。

「はいはーい。蘭ちゃんいますよー」

アホをほざきながら部屋を出て階段を下りる。

「あ、いんじゃねえか」

リビングから出てきたお兄と、階段の途中で行き会った。

「おかえり。私しかおらんよ?」

「だろーと思って持ってきた」

にや、と笑って手にしていた紙袋を見せるお兄。

「? なに?」

「去年やったスピンオフの映画」

「!!! うそ、買ったの!? 私受験と重なって一度も行けなかったんだよ~」

「もちろん買った。お前も観たいだろーと思って持ってきてやった」

「お兄さっすが! でもお金大丈夫なの? これ万するよね? 一人暮らし、学費以外は全部自分持ちだって聞いてるけど」

お兄から紙袋を受け取って中をのぞく。

そこに見える背表紙には、推しバスケアニメのタイトルが……!

「映画やった頃からこれに向けてちっとずつ貯金してたからな。好きなものにかけるための金は必要」

「お兄高校の頃からバイトしてたもんね。わああ、ありがと~」

「取り合えず見ねえ? 俺も受験だったから映画館で観てねえんだよ」

「観よ観よ! お茶用意するね!」

わーい! 推しアニメの映画ー! 去年の冬に公開された映画で、受験真っ只中だった私は観に行くことが出来なかったんだ。

ブルーレイ、DVDになってもお値段的に手が出なくて、動画配信サービスに出るのを待っているところだった。

こうなったらお兄にもクッキー出しちゃおう!

ディスクの入った紙袋をリビングのテーブルに置いて、部屋に戻ってスマホとストックのクッキーが入っている袋を手にして階段を駆け下りる。

「ちょっと待って~。コーヒーと紅茶、冷たいのならどっちもあるけどどっちー?」

「コーヒー」

さっさとディスクを準備しているお兄に言うと返事がった。絶対オープニングも見逃したくない!

慌てて朝作って置いたアイスコーヒーを二人分用意して、リビングのソファに向かう。

「え、なんか豪勢じゃん」

「高一の夏休みはケータイ小説読みまくるって決めてたからそれ用に買っておいた」

お兄の分のクッキーをお皿に載せてテーブルに置きながら、無駄なドヤ顔で言う。

「じゃあ今度は菓子買ってくるわ」

「お兄、それより絵瑠(える)ちゃんに使ってあげなよ」

私が言うと、お兄はずーんと暗い顔になってしまった。

「……今日イベント行ってる……」

「あ(察し)」

絵瑠ちゃんは高校時代からのお兄の彼女だ。

私は黙ってテレビの真ん前のソファに座った。

お兄は角の一人掛けのソファにいる。ちょっとへこんでいる。

絵瑠ちゃんはオタクで腐女子だ。

中学生の頃からBLが好きで、高校生になってから同人活動も始めたらしい。

私は、BLは趣味じゃないから読まないけど、読めないこともないって感じ。

そしてお兄はアニメのディスクを買ってくるくらいにはオタクだけど、BLだけは無理な人。

絵瑠ちゃんの同人活動に反対はしていない……んだけど、その手の話を振られるとへこむ。

お兄の反応から見て絵瑠ちゃん、今日は同人誌買いに行っているみたいだ。

だからお兄、暇を持て余して帰ってきたのか。

オタクを尊敬する私には、絵瑠ちゃんはもちろん尊敬の対象だ。

「お兄って友達にオタクってバレてるんだっけ?」

お兄がリモコンをいじって画面を進めているので、私は再生を待つのみだ。

お兄はテレビ画面を見たまま答えてきた。

「バレてるってか、俺の友達も漫画とかアニメ、少年系だけど普通に読んでるからオタク扱いされたことないな。あ、ゲームやってる奴はいないかもしんね。スマホのアプリ以外」

「ふーむ」

お兄はライトなオタクっていうのかな。

漫画やアニメを見るだけで、グッズとかは手を出さないし、イベントも行かない。

見るのも少年向けの主にスポーツ系だけだし。

私は推しグッズには手を出してしまうときがある。

中古本屋さんで推しキャラのグッズを見かけてしまったときとか……。

知り合いに見られていないか不安で滅多に購入までいけないけど。

絵瑠ちゃんはご実家住まいの高校生の頃遊びに行かせてもらったことあるんだけど、秘密の本棚とか秘密の祭壇とかあった。

これがオタク……! と、オタクな自覚のある私だけど、圧倒された。

絵瑠ちゃん、ご両親にオタクとは知られているけど、腐っていることは秘密にしているから本棚も祭壇も秘密らしい。

うちでも、絵瑠ちゃんが腐なことは私とお兄しか知らない。

私はソファの上に足をあげて膝を抱える。

「なんだ? 友達に知られたか?」

そしてお兄と絵瑠ちゃんは、私が家族以外にオタクであることを隠していると知っている。

言いふらしたりもしない、いい人たちだ。

「んーん。そんなんじゃない」

……けど、言いたくもない。オタク話したい人がいる、とか。

そもそも私にとっては神様に等しい存在だから、声をかけることすら不可能な場所にいる方だし。

「そっか。まあなんかあったら俺でも絵瑠ちゃんでも言えよ」

「んー」

生返事をしていると、画面が切り替わった。よし! 今は映画に没頭しよう!




「うん……神」

「ああ……神」

エンドロールが流れるテレビを前に涙ぐむ兄妹がいた。

私に至っては鼻までぐずぐずさせている。

「いやもうなにさ! あの脇キャラをここまで掘り下げてくれるなんて……!」

「これは沼増殖しまくりだろう。ほんと沼ってどこにあるかわかんねえ」

互いに深く肯きながら感想戦を繰り広げる。

アニメ版も神作品だったけど、スピンオフの映画も神だった!

この作品、原作は完結しているけどアニメでは放送してない続きの部分があるから、続編がテレビ放送か劇場版かで出ることを期待してしまう!

劇場版で出るときは私が受験とか関係なくて観に行けるときでお願いします!

「あ、そろそろ帰るわ」

リビングの壁掛け時計を見たお兄が立ち上がった。

「お、早いね」

「絵瑠ちゃん、今日は一緒に行く友達がいないっていうから駅まで迎えに行こうと思って」

「やっさしー」

「茶化さない。まあなんだ……抱え込む前に俺ら頼れよ?」

「はーい」

じゃねー、と玄関でお兄を見送る。

お兄にはバレバレですな。……中学のときの失敗を。

……ってかお兄、ディスク置いて行っちゃった。

これ、絵瑠ちゃんも好きなアニメなのに。忘れてたのかな? ……一応メッセージ送っておこう。

「さーて。お昼の時間だけどお菓子食べちゃったからな……本の方読もっかな」

お腹の空き具合的にまだお昼にする感じではなかった。

まだ読み終わってない新刊があと一冊あるから、そっち読もうかな。

お昼ご飯の食器が出たら一緒に洗おうと思って、コップを流し台に置いてからディスクをパッケージに戻してテーブルに置く。

お菓子の袋は捨てちゃって……よし。推しアニメからのケータイ小説! なんと幸せな!

階段をるんたるんたとあがって、部屋に入って本棚から最後の新刊を取り出す。

ふふ~! にやにやが止まらない! このお話はサイトで読んでめっちゃときめいたお話なんだよね。

「楽しみ~!」

ベッドにごろんと身を投げる。

書き下ろしもあると作者様のつぶやきで知っているので、更ににやにやしながらページをめくりだした。



「……お昼ご飯忘れてた……」

目頭を押さえながらつぶやく、時計の針は午後三時。おやつの時間になってしまったよ。

サイトで読んだお話から改稿がされていて、更には書き下ろしもあるというダブルパンチで時間を忘れて読みふけっていた……。

「それだけ神だったということ!」

大声で宣言した一言で気持ちを切り替える。

失敗したって取り返しがつかないことの方が珍しいんだ。

「お昼どうしよー。お夕飯が七時だから、それまで食べないのはきついな……おにぎりでも作るか」

文庫本を本棚に仕舞って、拝む。

素敵なお話を読ませてくださってありがとうございました!

スマホだけ手にしてキッチンへ向かう。

朝ごはんの残りのごはんが確か冷蔵庫に仕舞われていたはずだ。

塩おにぎりと、インスタントの汁物でも作って軽く食べよう。

目的はすぐに果たせて、お兄が来た時にそのままにしていた洗い物も一緒に終えた。

えーと……四時か。本読みすぎを夏休み二日目にして二回やらかしているので、今日はもうやめておこう。

まだやってない掃除やって、夕食の材料でも買ってこようか。

お母さんから、買ってくるものを書いたメモとお金は預かっている。

「鈴さん~更新待ってます~ってか書籍化して~運営さんお願い~読む用と保存用と飾っておくように三冊は買うから~」

ヘッタクソな音階で、即興でこれまたドヘタクソな歌詞を口ずさみながら掃除をしていく。

胸を張って言おう。私は音痴だ。友達とカラオケ行っても賑やかし担当だ。

アニメ系の歌を選んじゃってオタバレしたくないのもある。

今はメジャーなバンドさんや俳優さんがアニメの主題歌を歌ってる時代だから、下手に突っ込まれたくなくて隠れ蓑術を使っているんだ。

お兄は友達に趣味を隠してないんだけど、私みたいに好きなものがバレるのが怖いとかないのかな?

絵瑠ちゃんは、ご両親には言ってないみたいだけど、腐女子なことを私やお兄には隠さないし……お兄が言ってた抱え込む前に、ってこういうことかな?

今度訊いてみようかな。

趣味が知られるの、怖くないの? って。







「えー、怖いよ、めっちゃ怖い。腐ってるって一般人に知られたら軽く死ねる」

「私よりレベル高い」

夏休み五日目。

お兄と絵瑠ちゃんと、うちの方から近い駅前のカフェで話していた。

この三日、私は充実したオタライフを送っていましたさ。

なんでこのメンツかと言うと、お兄にディスク忘れてるよーってメッセージを送ったら、絵瑠ちゃんがお前に会いたがっているからどっかで会おーそのとき返してー、って返事が来て、こんな感じに。

お兄と絵瑠ちゃん、二人ともバイトがない日が今日だったんだ。

「絵瑠ちゃんがおおっぴらに話すの、オタ繋がりの友達か俺らだけっしょ? 学校の友達もオタクじゃない子は知らない」

お兄の説明に、へーと肯く。

高校が一緒で、大学も一緒の二人だから友達関係もよくわかるんだろう。

「あたしからしたら柊太(しゅうた)くんも一般人と変わんないくらいだしねー。蘭ちゃんも全然オタクじゃないよ」

「それって絵瑠ちゃんがオタクとして重症なだけじゃね?」

お兄、なかなかすごいこと言うな。

私もオタクさん見てびっくりすること多いけど……。

絵瑠ちゃんは大人びた綺麗な顔ににっこり笑みを浮かべた。

「否定はしない。まあでもわかるよ。オタクって陰湿なイメージ持たれてるのは認めざるをえないし、カミングアウトするのって大変だよね」

「絵瑠ちゃんは……学校のオタクさんなお友達には自分から話したの?」

お兄の言い方からして、ネット以外で繋がった友達にも知られているってことだよね?

「えーと……ゆうてもその子幼馴染だから、ちっちゃな頃から一緒にアニメとか見てきて、二人とも自然にオタクになってたからなあ。蘭ちゃんみたいに、高校にあがってから知り合った人で話したのはネットで繋がったオタ友だけ、かな?」

「ふーむ」

ネットで知り合ったオタ友さんか……。

いないな。オタ関連で絡みにいけた人、リアルでもネットでもいないよ。

お兄と、お兄の彼女さんって立場で知り合った絵瑠ちゃんだけだよ。

「柊太くんは? って、高校でも柊太くんオタクってわけでもなかったしね」

「そうなの?」

絵瑠ちゃんの言葉に、首を傾げる私。

「柊太くん、本屋さんで買った漫画読んでテレビでアニメ見るくらいでしょ? グッズは興味ないしオタク御用達のお店には用がないし、柊太くんの周りの男子もそんな感じだったから」

あー、そういえばお兄もこの前、友達も自分と似たような感じとか言ってたっけ。

私は小学校当時から――そうだ、オタク以外にも、自分の好きなことを知られないようにしてきたから、周りに似たような友達がいる、とかいう環境ではないんだよな。

「あ、この前見せてくれたディスク、持ってきたよ」

カバンに入れていた袋を取り出す。

「あー、悪いな。ふつーに忘れてたわ」

お兄が受け取ると、絵瑠ちゃんは意味ありげに目を細めた。

「ほら。それだって初めて買ったでしょ、アニメのディスク」

「……受験で見られなかったんだからいいだろ」

お兄は不機嫌そうな顔で言い返す。

ちょっと、ここで喧嘩しないでよ? でも、私の心配をよそに、絵瑠ちゃんはにっこり笑った。

「悪いとは言ってないし責めてもいないよ。そんなピュアな柊太くんと比べてあたしときたら……」

「わー。腐な発言は承りませんー」

後半、憂いをたたえだした絵瑠ちゃんに、お兄は両手で耳をふさいでわめきだした。

絵瑠ちゃん、腐った話に持っていくつもりだったのか。

……まあ私も、絵瑠ちゃんレベルのオタ話にはついていけないところ多いんだけど……。

腐ってもいないし、腐った知り合いも絵瑠ちゃんしかいないし。

「私がダメなの、オタクって知られることより、好きなものを知られること、みたいなんだ……」

テーブルに載せた自分の手元を見ながらしゃべる。

オタクって自分の好きなものがある人だよね。

オタクってバレる、イコール私とっては好きなものがバレるってことだ。

「そうねえ……理由がわからないんだっけ?」

「うん……いじめられたとか、からかわれたってこともないんだけど……私にとっては、すきなものを知られるのは……すごい恐怖」

お兄はこの話、小さな頃から知っている。

好きなものをひた隠しにする私を守ってくれたのもお兄と、私が中学生になってからは絵瑠ちゃんだった。

「無理に理由を探さなくてもいいと思うよ? こう、うまく説明できないけど、漠然と死ぬことが怖いとか、大きな声が怖いとか、そういうのってあるし」

「……死が怖い……?」

「うん。本で読んだんだけど、その人は、死んだこともないんだからどうしてかわからないけど、小さな頃から死ぬことが怖かったんだって。親には笑われるような話だけど、本当に怖くて泣いちゃう夜もあったとか」

「………」

私は泣く、まではしたことないから、怖さのベクトルは違うかもしれない。

でも、そういう『理由のわからない恐怖』を持っている人っているんだ……。

お兄が平坦な目で絵瑠ちゃんを見た。

「絵瑠ちゃんが腐女子ってバレるのが怖いの、理由は?」

「偏見の目で見られるから」

「あ、はい」

お兄、黙らされた。絵瑠ちゃんにはいつも負けているなあ。

カフェを出て、これからデートという二人と別れた。

私はどこへ行こうか考える。

別のカフェにでも行ってアプリのケータイ小説を読み漁るか、本屋さんでも行くか……あ、カフェはプリペイドカードにチャージした分でいけるけど、本はもう買えないな……うーん、でも見るだけでもいいなあ……。見るだけにしよう。

目的地がカフェではなく本屋さんに決まった。

「……こーして見ると高一だからって気を抜いてちゃ危ないのかなあ……」

本屋さんに入って真っ先に目に入ったのが、小中高と揃えられた夏休み用のテキストたちだった。

夏休み明けのテストが散々な覚悟はしてケータイ小説に没頭すると決めたけど、こうして目の前に並べられると不安になってくる……。

私は、将来この職業に就きたい! と思っているものがあるわけじゃない。

だから分野に特化した勉強は、どこを勉強したらいいのかわからない。

とりあえず高校は文系選択で来たけど……大人になる頃には、好きなものを好きだって言えるようになっているかな? そしたら自分の好きなことを仕事にも生かせているかな?

……見えない。そんな未来。

テキストの前をうろついて気持ちが落ち込んでしまったので、のろのろとした動きでケータイ小説のコーナーに向かう。

こういうときは表紙と帯を眺めて気分をあげよう。

知っている小説の文庫版だったら、そうそうこの展開! とか、こうくるんだよね~! とか、帯の文句でテンションあげられるんだ。

そんなことを考えながら歩いていると、ケータイ小説コーナーにつく頃には足取りも軽くなっていた。

「わ~! 新刊出てるじゃん~!」

私がよく読んでいるのとは別のレーベルだけど、この前買いにきたときにはなかった本が並んでいる。

あ~、やっぱいいな~、鈴さんの本あったりしないかなあ~。

「って、鈴さんのプロフに書籍化のお知らせなかったもんな~」

書籍化していたら、自動的にそのお知らせページへのリンクがあるんだよね。

「八月になったら新刊買おうかな……」

眺めていると、読みたい欲求が出てきた……でもお小遣いには制限がある……うん? じゃあ本代だけでも自分で稼げばよくない? そうだよ! なんで今まで気づかなかったんだ! 私もう高校生になったんだから、学校に申請すればバイトだってできるんだ!

よし! 確かこの本屋さんにも求人情報のフリーペーパーもあったから帰りにもらっていこう。

スマホでも探せるし、あとはお父さんとお母さんに了解もらうことが難関かな。

お兄は味方につけておこう。

ケータイ小説コーナーにいるだけでウキウキしていた気持ちが、更にあがってきた。

もうちょっと見るだけ見てから帰って、バイト探しもはじめよう――っと?

ふと、視線がポップにくぎ付けになった。

それは、私が一番お世話になっているレーベルのポップで、『あなたのコメントが帯になる! お気に入りのお話に感想を書いて応援しよう!』と書かれていた。

新刊につく帯には、サイトで作品についた感想コメントから抜粋されたものが載せられることは知っていた。

でも私、コメントを書いたこと一度もないんだよな……。

好きなものを好きと言えない症が出て。

でも、そっか……こういう感想コメントとかでも、作家さんの応援になるんだ……ってことは、書籍化への一歩になるかもしれないのかな?

え、じゃあ鈴さんのお話にコメントしたい! めっちゃ感想書いて書籍化への応援したい! だ、だって、このサイトなら感想コメントに付随して出される情報はユーザーネームだけで、私が自分から、「これ私のコメント!」とか言わない限り、誰にも気づかれる心配はないんだよね……?

ちょ、ちょっとドキドキしてきた。これって……挑戦してもいいんじゃない?

あ、もちろんバイト探しも並行して進めていかなきゃ。

鈴さんのお話が本になったとき、お金がなくて買えないなんて事態は断固阻止だ!

鈴さんの作品の感想ノートを見たことはある。

みんなすごい鈴さんを応援していた。

私もその一人になるときか……!?



+++



本屋さんの入り口のラックに置かれたテイクフリーの求人情報誌をもらってきた。

それを一旦ダイニングテーブルに置いて、手洗いうがいと着替えを済ませる。

今日は、夏はヘビロテのショートパンツと半袖フードつきのルームウェアにした。

「今日は……どんなバイト募集してるか見たいから先にそっち見てみよう。あ、お兄にメッセ送って味方にしとこ。今なら絵瑠ちゃんにも話届くよね?」

今日も独り言をつぶやきながら方針を決める。

お兄も高校生の頃からバイトしていたから、一助になってくれるはず。

絵瑠ちゃんが味方でいてくれると私の精神的に安全。オタク仲間という点で。

氷水をコップに用意してサイドテーブルに置いて、膝を抱えてソファに座る。

求人情報誌、スマホ……とみていく。
 
割と都会よりの場所だから、色々あることにはあるな……短期か長期かで言ったら、正直長期にしたい。

仕事が向いているかいないかは今の段階では全然わからないから、免許がないとできない系以外はピックアップだな……。

「あ、ここ制服可愛いんだよね……」

ふと目についたのは、スマホに出ていたショッピングモールの近くにあるファミレスの求人。

ウェイトレスさんなんだけど、着物に袴、編み上げブーツで大正ロマンみたいな恰好が制服なんだ。

ゆーこちゃんたちと行ったことがある。

求人募集の要綱をじーっと読み込む。

……いいな。ここで働いてみたいかも。

はっ。そういえば面接って履歴書とか必要なんだよね? ネットで面接履歴書不要とかうたっているところもあるけれど、このファミレスは履歴書が必要って書いてある。

「………」

買ってこよう。コンビニにもあるかな?

着替えてしまったけど、さっきまで着ていた服にもう一度着替えて、カバンをつかんで家を飛び出した。







「バイト? お前、夏休み中は本読みまくるから明けてのテスト絶望しといて、とか言ってなかったか?」

帰宅してお夕飯を終えたお父さんに、私はバイトをしたいことを伝えた。

食後のコーヒータイムしてるから、機嫌はいいはずだけど……。

私はダイニングテーブルのそばに突っ立ったままうなる。

「あ、うーん……言ったんだけど……」

「理由があるんだな?」

お父さんに訊かれて、小さく肯いた。

お父さんはカップを置いて私の話を聞く体勢になる。

「うん……」

「言えないことか?」

言えない……ことではない。後ろめたいことでもないし、理由もちゃんとある。

ただ、バイトをしたいと決定づけた理由は、別にある。

「……私、さ、もう運動部できないじゃん?」

「……うん」

お父さんは神妙な顔で肯いた。

「文化部って手もあるけど、なんかこう……部活頑張ってる人見てると、思っちゃうと思うんだ。なんで私、コートにいないんだろう、って。……だから高校では帰宅部の一択だったんだ……」

中三のとき、退院してリハビリを終えた私は、退部するつもりだった。

でも、顧問と部長たちに引き留められてマネージャーとして残った。

そのときに一度、その思いを思いっきり味わっている。

正直、心地のいいものではないし、避けられるものなら避けたい感情だった。

「………」

く、空気が重くなってしまった……。お父さん黙り込んじゃったよ。ちょっと話題を明るめにしないと~。

「でも、それはケータイ小説の世界でも同じだった。みんな頑張って書いてる。だから私も、何か頑張ってみたくなった。その……バイトして稼げれば、本代に回せるお金も増えるよね~、という下心もありますが……」

私には小説は書けない。だから、なんで私がそこにいられないの、と思うこともなかったがために選んだ道かもしれない。

頑張ってみたいと、思った理由。

お父さんは「うん」と深く頭を上下させた。

「……わかった。蘭が何かやりたいことが見つかるまでは何も言わないつもりでいたけど、自分で見つけたんなら応援するよ。学校への届け、保護者の承諾も必要なんだろ? 書くから、早めに準備しな」

「い、いいの?」

「うん? って、反対する理由もないだろ。社会経験にもなるし。ただし、これからする約束は守ること。それやぶったら即辞めさせる」

「はい!」

「まず、夜遅くの勤務はしないこと。蘭が応募するの、午前か午後のシフトだな? 延長を言われても家に門限あると言って受諾しないこと。向こうの仕事もあるだろうけど、そういうところも考えて募集しないとだめなやつだから、これ」

「ハイ!」

「それから、誘われても酒とたばこには手を出さないこと。絶対あとあと後悔することになる。学校に知られてもやばいし、場合によっては補導もある」

「ハイ!」

「あとお前は、人を頼ること。特に先輩には、わからないことは何でも聞きな。聞いて不機嫌になる人には二度と頼らなくていいけど、頼ること、相談することは新人に絶対必要だから」

「ハイ!」

「それから――」

「ハイ!」

「楽しみな」

「ハイ! ……はい?」

お父さんの言葉に勢いよく返事をしていたけど、間抜けな声が出てしまった。

「蘭は俗にいう青春を送れるんだ。色んな理由から、当たり前と思われていることが出来ない人は多い。家庭の事情とか、病気とか……そういう人たちからしたら、蘭は憧れさえする対象だ。だから、今すぐじゃなくていい。いつか、この経験が誰かの糧(かて)になるように、楽しむことも大事だと、お父さんは思うんだよ。これ、柊がバイトするって言いだしたときも言ったやつなんだけどな」

ははっとから笑いをするお父さん。

青春……。

深くお父さんに肯いて、私は自分の部屋に入った。

静かにドアをしめて、ベッドに座り込む。

ベッドの脇には、お気に入りのケータイ小説が詰まったサイドテーブルにもなる本棚。

溜息がもれた。

青春ものばかり読み漁っているくせに、考えてなかった。

……私は中三のはじめに、バスケの練習試合でケガをして選手生命を絶たれた。そんな私が一番不幸とすら思っていた。

私が部活をしないことを誰も責めないのをいいことに、ただ好きなことをしていた。

好きなことに没頭するのを悪いこととは思わない。

今は、好きなことを仕事にする時代だと思っているから。

でも、好きなことをすることすら出来ない人もいるんだ。

自分からその環境に挑んでいかないとか、でもとかだっての理由を並べることすらできないで。

……私は命の尊さとか、生死のお話はあまり読まない。

ただ、同年代の中高生が恋愛だったり部活だったりに一生懸命なお話がすきだった。

叶わないから。

私には、部活に一生懸命になることも、好きな人の話とかで盛り上がることが。

私は高一だけど、初恋もまだだった。と言うか、小学生の頃からオタ活が楽しすぎて自分の恋愛を放棄していたからな……。

好きな人がほしいとか彼氏がほしいとか、強く思ってはいない。ここは正直に言って、今は趣味が楽しい。

部活は、やろうと思えばやれないことはない。

走れなくてもジャンプできなくても、マネージャーだっていいし文化部だっていい。

……これはお父さんに言った通り、私は逃げている。

頑張っているみんなを、支える立場になるのが嫌だ。私もみんなの輪の中に入りたい。一緒に走りたい。汗を流して、笑い合いたい。

……この願望があるから、私は部活に入っていない。

叶わないゆめ。

でも、私より大きな理由で、私みたいに過ごすことさえできない人もいるんだ。

「………」

私より辛い人がいるからって、私が辛くないわけじゃない。

お前は軽いんだから我慢しろなんて言われたら暴れている。

私は私を否定はしないけど、私より辛い人がいることも……否定してはだめだ。






END.