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 お母さんは何が言いたかったのだろう?
 病院を出てから家に帰るまでその問いは続いた。それはベッドに入るまで途切れることはなかった。「今できることを精一杯しなければならないの。そうしないと間違いなくあとで悔やむことになると思うの」という母親の声だけが頭の中で何度も反復していた。
 そのまま受け取れば〈悔いのないように今を生きなさい〉ということになるのだが、言いたいのはそんなことではないように思えた。
 もしかして、私の悩みを知っているのだろうか?
 急にそんな気がしてきた。母親に大学院のことは相談していなかったが、薄々気づいていたのかもしれない。なんと言っても母親なのだ。子供の考えていることはすべてお見通しなのかもしれない。
 でも、今はそんなことを考えている場合ではない。明日の手術のことに集中しなければならないのだ。手術室に入る直前まで手を握って応援してあげなければならない。成功して悪いものがすべて取り除かれることを願わなければならない。再発しないことを祈らなければならない。自分のことなんてどうでもいい。母親のことだけを考えなければならない。
 咲は大きく深呼吸して、すべての邪念を取り除こうとした。そして、胸の前で両手を合わせて、母親のために祈り続けた。

 翌日、父親と音と共に固唾を呑んで待ち続ける中、3時間を超える手術が終わった。
 手術室から出てきた母親はまだ麻酔から完全に冷めていないのか、ボーっとしたような感じだった。
「よく頑張ったね」
 声をかけると、僅かに頷いた。その途端、目に霞みがかかったようになった。動くベッドに手を添えながら無言で病室までの廊下を歩いた。

 医師に呼ばれていた父親が病室に返ってきた。明るい顔だった。
「大成功だってさ」
 事前の検査結果通り、転移はなかったらしい。1週間ほどで退院できることも朗報だった。
「良かった」
 ほぼ同時に安堵の息が漏れたが、それは咲と音だけで、母親の顔に笑みはなかった。手術後の疲れのせいだと思われたが、精神的なショックも大きいに違いなかった。女性のシンボルでもある乳房が片方無くなったのだ。心にダメージを受けないはずはなかった。
「今日はゆっくり休ませてあげよう」
 父親に促されて、音と共に部屋を出た。