先生に紙幣を渡されたのは高校1年生の秋だった。文化祭の準備中に声をかけられたのだ。柔和な眼差しを持った三十路の現代文の先生は女子たちの憧れの的で、告白をして玉砕したという女の子が数人いるのを聞いたことがある。
柔らかな笑みを携えた高身長な彼に呼び出された私はなにを叱られるのだろうか、と考えながら頭の中で課題の提出をきちんとしたことを思い出していた。通された進路指導室、差し出された紙幣、そして耳を疑うような言葉。
誰でもいいから休学になるくらい誰かをいじめて
穏やかな笑みを浮かべる先生から吐き出されたドス黒い言葉に恐怖を覚えながら、けれど私の頭の中に気に入らない人間が姿を現す。クラスのトップである女王だ。
私は彼女の側近だが、いつも彼女のご機嫌取りの駒だった。腹が立つ。嫌いな女だ。そんな女をいじめられる。そしてその見返りにお金がもらえるなんて、なんて幸福なことなのだろうか。目の前に軽やかに落ちてきた快楽に私は逡巡することなく頷いた。紙幣が私の手の中に入る。そのまま先生は「期待している」と笑いながら消えていった。
それから私はありとあらゆるいじめを女王に仕掛けた。手始めに裏アカウントで彼女の悪評を広める。私は彼女の側近として彼女の悪癖を知っていた。たまに万引きをしていることや、彼氏を持ちながら二股していたことなど。
SNSの長所はたった一雫の情報を投下しただけで、それに尾鰭がついてひとり歩きすることだ。目を離した瞬間に雪だるま式に巨大な悪口になる。まぁ、短所でもあるが。
そんな膨大に膨らんだ悪口に女王が気付かないわけはなく、次第に顔色が悪くなっていったのを覚えている。そのうち物理的ないじめに発展していく。そのころには水面下で彼女をいじめるグループができあがっており、私が手を下さなくてもところ構わず彼女へのいじめができあがっていた。
ベタだが無視はとても効くことを知った。彼女の物が無くなることは日常茶飯でそれがゴミ箱から発見されるのも常だった。彼女はクラスの女王という立場から完全に墜落し、孤立した。1年生をどうにか耐え抜いたようだが、結局春休み以降クラスに顔を出すことはなくなり失踪。
私は彼女を痛めつけた数ヶ月で先生から莫大なお金をもらった。そしてそれは高級ブランドバッグに変身した。2年生に上がると女王の側近だった私は女王Bとして玉座に座る。
先生がなぜ誰かをいじめることを私に頼んできたのかはわからない。訊いたこともない。訊く必要はないと思った。教師から金をもらい、同級生をいじめてるだなんて大問題であり、彼にどんな理由があれど私はなにも理解することはできないと思ったからだ。私たちの思春期特有のセンチメンタルと同じ。教師だってなにか憂さ晴らしをしたいのだろう、そう感じている。ただ嫌いな女を目の前から消せた。そして金が手に入った。そのメリットだけを実感したらいい。
そんなことを思いながら放課後にひとり廊下を歩いていた。階段を下がりながら先生が望む次のターゲットを誰にしようかと考える。最近調子に乗っている少女Bをターゲットにするのはどうだろうか。女王Aを積極的にいじめていたのは彼女だ。自らが手を下していただけに女王Aが失踪したことを自分の手柄だと勘違いしている。彼女は少しその毛がある。自分中心に世界が回っていると思っている節があるのだ。別に彼女に憤慨はしていないが、目障りではある。先生が望むなら彼女をターゲットにしてもいい。
「え、」
そんなときだ。目の前を見知った後ろ姿の女性が通過した。柔らかそうな髪質のボブカットをふんわり揺らしながら歩く女性。女王Aが廊下を歩いている。失踪する前は虚でおぼつかない足取りだった彼女は今や軽やかに学校の廊下を歩いているのだ。なぜ? という困惑と玉座を奪われる焦りに駆られる。健康そうに微笑む彼女はあるひとりの男性の隣に立った。その男性は私の金銭援助者だった。現代文の先生は柔らかな瞳で女王Aを見つめていた。
こいつら相互フォローだったのか
殺意が芽生える。私の居場所を簡単に奪っていく女王Aが嫌いだ。私だって女王になれる素質があるのに、いつだって話題の中心はあいつで、あいつはそれをさも当たり前だと言わんばかりに享受している。自分が崇められるのは当然だという素振りが腹立たしかった。そんな女が私が秘密の関係で繋がった男と一緒にいる。死んでほしい。殺したい。目の前から消えてほしい。私の人生から抹消したい。そうやって奥歯を噛み締めていれば、ふたりはとある空き部屋に入っていく。嫌な予感がした。女の勘だ。
「……ま、せぇん、せ」
部屋に近付いて建てつけの悪い扉の隙間から中を覗いてみる。猫撫で声をあげる女王Aがそこにいた。頬を紅潮させ、セーラー服のスカートの形が崩れる。
悪いことをすることは若さの象徴だ。みんな刺激が欲しいから、馬鹿みたいなことをする。他者より先に大人になりたくて、だから……。頭ではわかっていても腹立たしさの方が先行する。私より先に処女を失ったこの女が憎たらしい。なにをするにしても私より先。こいつはそういう奴なんだ。
「かぁ…ぎぃ、しめ、て…」
……しね! 死ね! 死ね!
*
私は若さの象徴である制服を脱ぎ捨てた。明日のためにハンガーに制服をかけるのは忘れない。鏡に映る自分の姿を確認した。前髪を上げて顔を整えていく。生まれ持った二重に似合うアイラインを引く。大人をターゲットにしている化粧品で顔を整える。安価で真っ赤なリップは子どもっぽい。少しだけシックな濃いめの色を唇に乗せた。もちろん、すべて先生からもらったお金で買ったものだ。校則にバイト禁止がある学校だけど、親からもらう少ないお金では生きていけない。世の中は思春期の女の子はお金がかかることを知った方がいい。お金が無ければ教室内では生きていけない。だから私はいじめをする。お金が手に入るから。私は稼いだお金で買った高級ブランドバッグにデパコスが入っている化粧ポーチと稼いだ紙幣が入る財布を投げ入れた。
玄関にはヒールの高い靴が置いてある。学校に履いていっているローファーを乱暴に足で玄関の隅に寄せそのヒールのある靴を履く。あ、香水つけてない。そう瞬間的に思い出し、バッグから取り出した香水を首に吹きかけた。
母は夜に外出する娘になにも言わない。気付いていてなにも言わないのだ。リビングからはテレビの音が聞こえてくる。どうせバラエティ番組だろう。母は無難な人間である。ただの専業主婦。このグローバルでフェミニズムな社会なのに外に出ようとしないただの人間だ。戦う気のない人間。不倫ぐらいしてくれたほうが魅力的。暇を持て余した彼女に付き合ってリビングにいてあげるほど私は腐ってない。腐った人間が大人ってやつなら私はなりたくない。
母の墓石はリビングにある
父はそんな墓石に興味さえないみたい。夜まで働き、ただ家にお金を入れる。それだけの人間。父は社会の奴隷である。
冷たい家族でしょ?
私はかつかつと存在を示すように玄関をヒールで踏み鳴らした。長方形の鏡の中には美しい私がいた。私は行ってきますを言わないで玄関を出る。
金銭援助者に腹が立っていた。数時間前に見たあの光景に苛立ちが止まらない私は少女Aたちに声をかけ、遊びの約束を取りつけていた。
今の世の中、遊びの延長線にクリエーションがある。SNSの発達で誰でも何者かになれる時代がきた。楽器をはじめた高校生がSNSに弾き語りを投稿しミュージシャンらに発見され認められ、世に出るなんてことが簡単に起こる世の中だ。スマートフォンに搭載されたカメラで写真を撮り、動画で自己表現をしている我々世代は誰だってアーティストなのだ。
だから夜に出かけることもただ遊ぶだけじゃなくて、目的があって外出していた。最近SNSで知り合った他校の女の子がイラストの個展を開催するとのことだった。彼女単体ではなく、数人で場所を借り個展を開いたとのことだ。こういう場所でコミュニティーが広がっていく。世界は変わった。美大に行かなくてもイラストで食べていける人間がいる。年齢の壁は取り払われ、実力とフォロワー数で仕事をもらっている人間がいる。誰にだって投げ銭を送れる。
SNSで知り合った少女Dに少女A、少女B、少女Cを紹介した。挨拶もそこそこに流れる動作で飲み物が提供される。少女Dは「額に入っているから気にしないで。データはあるから汚されても大丈夫だし」と自らグラスに口をつけた。その言葉に私たちも蒸し暑さで渇いていた喉に水分を伝わせる。なにを間違えられたのか口に入ってきたのはアルコールだった。別に指摘する必要はない。無料で提供されるものだ。お金を払っているわけじゃない。だから私たちは目を合わせながらもそのままお酒に口をつけつづける。
「写真撮ってもいい?」
「もちろん! 是非拡散して」
少女Bが少女Dにそう訊く。訊く必要のない質問だ。この個展ははじめから写真撮影を可にしているし、第一この個展は写真を撮られることがメインなのだ。写真とハッシュタグ、タグ付けを狙った展示会であることは明白であった。拡散、拡散、拡散。数多情報が溢れる世界、知られることが大切。それが大前提なのだ。
スマートフォンを少女Bがかかげた。自撮りをする体勢になった少女Bの周りに私含め4人が集まる。少女Bが一番輝く角度で持たれたスマートフォン。お酒だけが見えないように少女Aと少女Cが頬を寄せた。ギリギリ少女Dのイラストが入る位置での写真撮影。肌が綺麗に見えるエフェクトがかかったレンズは写真上で少女Dのイラストの色味を変化させていることだろう。消したいものは消す。それがニキビであろうと映り込んだ人だろうと変わらない。私たちが綺麗に写ればそれが一番だ。多少世界が歪んでも色味が変わっても気にしない。だってほら、昼間見た無加工の空は味気なかったでしょ。それと一緒。
少女Aとデジタルイラストを見ていればスマートフォンが手の中でぶるりと震えた。少女Bがさっきの自撮り写真をSNSに流したらしい。通知にはあなたをタグ付けしましたという文字が並んでいる。開いてみれば最高に輝く私たちがそこにいる。私たちの煌びやかな瞬間をいろんな人が見ていいねを押していく。こうして拡散されていくグローバル社会。最高に楽しい。
同じ写真がまた違うSNS上にあがる。親しい友人限定に写真を見せられる機能を搭載したSNSに「無料のお酒出してくれたー」という小さな文字付きで投稿されている。友達のアイコンが緑色にひかると少しだけほっとするのだ。少なからず私は誰かの親しい友人なのだという安心感を抱ける。
不意にそのSNSの投稿を眺めていれば女王Aのアカウントを見つけてしまった。女王Aとはいまだ相互フォローだが、親しい友人からは外した。多分少女Bも同じだろう。だからこの場でのこのやりとりを女王Aは知る由もない。
私がいじめを仕組んでから女王Aのアカウントは動いていなかった。だが今晩は違うようだ。24時間で消える投稿がされていた。開いてみる。数時間前の投稿だった。無加工の足元の写真だ。たったそれだけ。でも女王Aが身につけているものは学校指定の靴下とローファーだった。これは返り咲きを意味している。生唾を飲む。
「ねぇ、見た?」
そんな140字よりもはるかに短い言葉を落とした少女Bはスマートフォンを手にしながらこちらを見つめてくる。彼女の言葉がなにを意味しているかは明白であった。
「見た」
この数文字にいろんな感情が乗っている。あぁ、いやだ。やめてくれ。気分を下げるようなことしないで。今最高だったのに。言葉にしたらこれくらいだけど、その中に誰にも言えない残酷な感情が沈澱している。腹が立つ。焦る。殺したい。やめて。
24時間で消える機能は閲覧履歴が残る。だから女王Aも私たちの存在に気付くだろう。閲覧履歴が見たくなければ通常投稿にしたらいい。あえて狙ってこの場所での投稿なのだろう。まるで戦線布告だ。
「どうするの?」
「どうしよっか」
この言葉の意味を受け取れないほど少女Bは馬鹿じゃない。

