カーテンから差し込む朝日が眩しくて目が覚める。目覚ましが鳴る数分前に瞼を開いてしまった。なんだか勿体なくて朝から気分が下がる。毎朝みんなが同じアラーム音で起きていると思うと不思議な感覚になってしまう。みんなスマートフォンに入れられた初期設定の音で起きてるはずだ。小学生のときに買い与えられた目覚まし時計はキャラクターものでものすごく煩かった。今の音は個性がない。

 グレー色のシーツの上で眠たい瞼を開け、ゆっくりと体を起こす。充電器に繋いであるスマートフォンはきっかり朝7時に鳴る。それを無意識のうちに指先で止め、すぐさま次の行動に移る。
 SNSのアイコンをタップしタイムラインを眺めた。現代文のテストではマイナスもつきそうなぐらいの言葉の羅列が濁流のように流れてくる。140字にぴったり収まる文字たち。すべてを見るのはほぼ不可能で流作業でいいねを押していく。別にいいねと思わない呟きにいいねを押す理由は偏に見たよ、と伝えるためだ。心がすり減ったとしてもハートマークを赤く塗りつぶす作業をしなければ現代社会では生きていけない。
 朝の光がカーテンを通り抜け、ベッドに差し込んでいる。それでも眼を突き抜けるのは大量の情報だけだった。

 私たちの命がスマートフォンなら、充電器は命綱。コンセントと充電器、そしてスマートフォンを繋げば私たちは栄養を取らなくても生きていける。
 充電器を無造作にぶちりと毟り取り、ベッドから這い出る。充電満タンになったときの充電器ほど邪魔なものはない。
 不意に床に落ちている長い髪の毛に視線が行く。それは鏡の前に落ちていた。抜け落ちる髪の毛は若さの象徴だ。脇毛を剃り、眉毛を抜き、永久脱毛に出かけ、毛を苛め抜く。それでも髪の毛だけはケアを怠らない。
 鏡に映る私はいつだって幸せそう。完璧だ。肌の調子は抜群。でも油物を食べればニキビはできる。食べれば太るけど少し運動すれば体重は元通り。すべて若さの特権。ベッド傍に置いてある体重計にそろりと乗ってみれば、昨日よりも0.1kg減った数字が表示される。

 よし 今日も私は正常です

 値段の高い洗顔料を使って顔面を綺麗に整える。眉毛を整えて、唇を艶々に潤ませて、髪の毛を巻く。朝食を食べず厳しい体重管理をする。スカートをほんの少し短くして短い靴下を履く。肌なんか見せちゃうけど、やっぱり美しく見えるのは姿勢がいいときだ。姿勢を正して、そしてSNSの波に乗る。

 身支度を整え、リビングに足を運べばダイニングテーブルに健康的な朝食が並んでいた。オレンジジュースに食パン、ベーコンに目玉焼き。ランチョンマットの上に綺麗に並べられたそれら。ダイニングテーブルの椅子に座る父親は新聞紙に目線を向けている。いつもの朝だ。テレビの中の気象予報士がはっきりと情報を口にした。「今日は一段と暑いでしょう。紫外線対策を忘れずに」


 女子校生は紫外線に負けません 
 夏物のセーラー服は最強です


 「おはよう」を誰かに言い、「行ってきます」を誰かに言う。返事は返ってこない。いつものこと。今朝はなにを食べたっけ? まぁ、いいや、なんだって。ご飯の味に幸せを感じるよりそれが腹の肉になる恐怖の方が強い。ほら、アイドルだって言ってる。今日なに食べた? なにも食べてない。
 足に馴染んだローファーはしっかりと履きじわができている。茶色のそれに足を突っ込み、玄関に備えつけられた鏡を一瞥する。長方形の鏡。一辺の長さを求めなさいとテストに出てくるような図形の中に私は存在した。価値あるセーラー服を着て。


 今年の春、女王Aは死にました

 
 どれだけスマートフォンに釘付けになっても姿勢は正しくするのが美しいというもの。二重アゴなんて絶対に作らせない。
 電車の中はいつだって臭い。朝のラッシュは他人の汗の匂いと他人の口臭が混在していてまるで地獄だ。それでもその他人に好印象を持ってもらうためにシャンプーは香りのいい物を。他人との距離は指を動かせるだけのもの。誰かの指が器用に動き、私のお尻を触る。眉根に皺を寄せながらけれどなにもしない。世の中は痴漢に声を上げる女を嫌う。冤罪だなんだ、とSNSに上げられたら面倒だ。私は無視を決め込んでSNSをスクロールした。ある呟きが目に飛び込んでくる。まるで私が投稿したかのような言葉だった。


〈痴漢うざ〉


 フォロー外の知らない誰かの言葉。こんなたわいもない呟きが自意識過剰だ、とかに変換されてしまう場所がSNS。だが、実際に今、私のお尻を揉む指先を感じるのだから自意識過剰ではなく事実なのだ。知らない誰かの呟きにいいねを押したくなった。押さないけど。知らない人だし。FF外から失礼しますは面倒臭い。
 私は電車の揺れに身を任せ文字を打つ。


〈今日って体育あった?〉


 さぁ、最短記録に挑戦しましょう
 1、2、3


 数秒するとまるで改札口を出る人だかりのように沢山の返信が飛んできた。よく知らない誰かが私に体育があるのを伝えてくれる。丁寧に何時間目にあるのかまで教えてくれた。
 アイコンを変えられると誰が誰だかわからなくなる。気分で変えるのはやめてほしい。そんな薄っぺらい友情で繋がるバーチャル世界。


 今の時代どこにいてもすべてと繋がっています


 感謝の言葉を呟く。ひとりひとりに返事はしない。だって全員に返信していたら日が暮れる。二重アゴが心配になった私は鞄にスマートフォンを仕舞う。
 誰かの指が下着のラインに触れた。この手を掴み、痴漢だと叫ぶ。運がよければお金がゲットできるかもしれないらしい。この指に私の下着の繊維が付着していれば勝てるかもしれない。小遣い稼ぎ。それも悪くないけれど私たちの価値はお金じゃない。十代の価値あるお尻だ。仕方ない、触らせてあげよう。

 電車を降りれば声をかけられた。同じ重みのセーラー服を着て普遍的なスクールバックを持つ女の子たち。いつめん? 安定? 私たち永遠?


 少女A、少女B、少女Cは私の大切な友達です


 「おはよ」と元気よくかけられた声に私はゆっくりと唇の端を持ち上げた。「おはよう」と同じように告げ、「ジャージ忘れたー」と言葉を続ける。返ってきた言葉は当たり障りのない記憶にも残らないものだった。
 言葉を使うのが嫌だ。考えるのが面倒だから入力したら続きの文字も自動で出てくるようにして欲しい。都合の悪い言葉は後から削除できて、水面下で話せるダイレクトメッセージも欲しい。既読機能は要らない。災害なんて起こらない。


 既読スルーはただの人災です


 新しいリップクリームで作られた艶やかな唇とニキビのない頬が私たちの階級。校則を守れない人たちはかなりイタイ。髪の毛は艶々な黒髪が基本。傷んだ枝毛だけの金髪にいいねはつかない。ありふれた思春期のありふれた強気はクールじゃない。水面下にある階級。水面下にある派閥。水面下にある区別。


 女王Aは失踪中


 ゆっくりと階段を上がる。女王Aを失脚させた私は教室の中で階級が上がった。少女Aと少女B、少女Cを引き連れて階段を登っていく。一段、一段を大切に踏み締めた。そして教室に足を踏み入れる。
 教室を水槽だと言う人間がいた。寄せ集められた魚。どうにか息をしようともがく魚。同じ方向を向いて整列している。教室を天国だと言う人もいた、地獄だと言う人もいた。私は戦場だと思う。死んだ者から席が空いていく。席はまるで墓石だ。死臭さえしないそれに「おはよう」と挨拶をしていけば返ってくる挨拶。墓石はやまびこを作り出すらしい。
 1時間目の授業に間に合うように戦闘服を身につけ、登校する。みんな死なないように必死だ。そして殺そうと必死だ。


 今日の(アンチ)は明日の味方(ファン) 今日の味方(ファン)は明日の(アンチ)


 女王Aの墓場は献花が手向けられている。机には菊の花が花瓶に入って置かれていた。私は命令していない。誰かがしたのだ。女王Aの席の周りは不自然に空間ができている。遠巻きに眺める多数の視線。人と同じことをするのは嫌と話していた女王Aは確かに今、みんなと違う道を歩いている。そういえば女王Aって誰だっけ?

 教室は「おはよう」と「宿題やってない」が交差する。言葉を口に出すよりスマートフォンに文字を打ち込む方が簡単だ。言葉を発するより先に指を動かす。

 少女Bが昨晩の月9ドラマを語り出す。主演俳優がカッコイイどうのこうの。私は相槌を打ち同意した。ドラマの内容なんてこの際どうでもいい。この場でのドラマなんて会話をするためだけに存在するコンテンツだ。不特定多数のために描かれたドラマに共鳴することなんてできないけれど余裕があればそんなのは「カッコイイよね」と受け流せる。話題のドラマはもうすでに配信に来ているだろう。手のひらの中で簡単に観られるけれど、私はどうせ観ない。興味なし。今の時代、手のひらに収まるスマートフォンでなんでもできる。時間がいくらあっても足りない。だから取捨選択は大事なのだ。


 ここは嘘つきが集まる場所
 エフェクトは上手にかけましょう
 

 朝礼の時間がやってくる。先生が出席者を確認していく時間になるだろう。それは敗北者を晒し者にする行為だ。先生は毎朝飽きもせず死亡者の名前をリポストする。毎日同じ呟きをリポストすることって嫌われる行為だって理解しているのかな。
 生徒たちが教室に集まってきた。青春という今しかない瞬間を楽しむ時間。青春を謳歌するためにクラス内での戦争が勃発する。ここでは生き残るしか選択肢は残されていない。起立、礼。たったその数文字。そんな号令より先にバトル始まりの合図は出されている。



 ……ツマラナイ。そんな言葉を吐き出した。ほとんど無意識だった。隣にいる男性は「そんなこと言うなよ」と呟く。彼の声はこんなに低かっただろうか。

 他人の墓石の上でお弁当を広げる。他人の墓石の上で自撮りを始める。スマートフォンを置いてダンスなんか踊ってみる。そんな昼休みを取ったら体育だ。でも私は今日ジャージを忘れた。
 そんなときに先生に呼び出された。先生との秘密の関係が一年続いている。私は学校内でこれしか楽しみがないのだ。鍵のかかったよく知りもしない教室に忍び込んで数分先生を待てば、隣に男性が立った。
 体育をしていないのに汗で背中に張りついたセーラー服が気持ちが悪い。埃臭く、汚い床。乱雑に積み上がった本、古びた机。その上での性行為に憧れがあった。教師との淫らな行為。みんな刺激が欲しいのだ。そして早く処女膜を捨てたい。


 処女なんて醜い! 処女は蔑まれる!


 教室で仲間と青春を分かち合う。けれどみんなより先に手に入れる処女喪失の優越感は絶品だろう。それでも先生は私に手を出さない。つまらない。でも他の楽しみがあった。

 使い過ぎて足が擦れ不安定な机と椅子。窓際に置かれたそれに座って空を眺める。暑い。夏の日差しが照りつける。がたり、がたり、音を立て机が左右に揺れる。健康的な青空と微かに耳に響く蝉の鳴く音。それに身を預けた。SNS映えしそうだ。今の世の中なにをするにも一番先に考えるSNS映え。優先順位の高いそれ。夏はSNS映えする。窓から見える青空はたまらなく刺激が強い。誰かが今日は紫外線が強いと言っていた気がする。

 隣に立つ現代文の先生が授業中よく「ここテスト出るぞ!」と叫んでいるのを思い出す。この先生との行為が赤点になるということは十分に理解していた。でも生徒と教師のセックスより問題じゃないから見逃してほしい。


 すべて若さのせいなんです


 授業のおかげでSNSは静かだ。座学のとき誰かひとりは無謀に呟く。投稿内容はつまらないけど、授業中に隠れてSNSができれば教室内でちょっとした話題になる。授業後のたった3分程度、先生を欺いたと有名人になる。たった3分程度。でも話題の中心であることに変わりはない。

 私は先生と秘密の関係にあるが、別に彼を好きだということではない。ジャージを忘れただけでズル休みが好きだということもない。両親は不仲、私をあまり大事にしない親だが家庭環境は悪くないし、クラスでいじめられてもいない。成績だっていい。だけど、とにかく空っぽなんだ。好きなアーティストのライブに行ったのに波に乗れなかったぐらいの強い孤独を感じる。ひとり蹲りたい気持ちになる。この気持ちは誰にもわからないだろう。


 孤独だ、とポストする? するわけない


 開けられた窓。夏の光を通し、ひらひらとなびくカーテン。目に見えるのは美しいものだけ。久しぶりに空を見た気がする。こんなに味気ない色だとは思わなかった。いつだって空は狭くて加工されている。狭い。すっごく狭い世界だ。友達のそのまた友達、元彼の元彼女、SNSを辿っていけば誰とでも繋がれる。何者にでもなれる。誰にでも会える。そんなグローバル社会なのに狭い。目線の先には切り取られた世界がある。窓枠のおかげでアスペクト比4:3の画像のように見えてしまう。その先には雲が浮かぶ青い空。窓の外からは青春の香りがする。すべてが青くてきらきらしている。でもSNSで見るものよりとてもしょぼい。無加工だ。色褪せて見える。
 この空を飛ぶ人間は多分いない。みんな知っている。空を飛んで地面に落下したら、その次はSNSに写真付きで投稿される。

 そろそろ授業が終わるころだ。教室に戻ったら制汗剤の強い匂いが待っている。若者をターゲットにした甘い香りのする制汗剤は一昔前仲のよい友達同士でキャップを交換することが流行ったらしい。スクールバッグにその制汗剤だけでなく、制服姿の女の子たちがCMをして話題になるスポーツドリンクなんて入れてみたらなお最高。

 私の名を呼ぶ先生の声が蝉の鳴き声とともに耳に入ってくる。「ここ閉めるから」と言う先生を瞳の中に閉じ込めた。私はセーラー服のスカートをなびかせ、椅子から立ち上がる。ぎしり、椅子が軋んだ。その瞬間に埃がきらりと舞う。窓に背中を向けて部屋をゆっくりと歩く。暑い日差しは教室に濃い影を作り上げる。くっきりと濃い影の中に足を踏み入れると、鮮明に見える世界。


「次がほしい」
「わかった」


 手渡された紙幣を若さの象徴であるスカートのポケットに忍ばせる。体が汗臭い。あとで少女Cに制汗剤を貸してもらおう。

 クラスメイトは誰も私が先生とこんなことをしているなんて知らない。誰も知らない。興味がない。みんな140字さえもきちんと読んでいないのに、現実までしっかりと見るわけがない。
 私は先生に言われ教室を出た。一歩外に出ると身体がひんやりと冷えた気がする。教室に鍵をかけながら先生は私に問い掛ける。「進路は決まったか?」そんな教師らしく尋ねる言葉に少しだけ眉を寄せてしまう。私の表情を見た先生は小さく笑い、「まだか」と呟いた。私は軽く笑みを浮かべ、先生から離れる。そしてゆっくりと階段を上がっていく。
 SNSは今何をしているか、ということを呟く場所だ。SNSが盛んな現代社会は(⚫︎)を大事にしている。未来なんて考えられない。
 ポケットにはスマートフォンともらった紙幣が入れられている。階段を上がりながらスマートフォンを開いた。SNSのアイコンをタップする。5分前に見たそこは相変わらず同じまま。少女Aの推しの話題以降、なにも動いていない。つまらない。

 他人の汗の香りがする教室に足を踏み入れた。そこには教科書で顔を扇ぐ生徒たちがいる。男子に「サボんなよー」と気軽に話しかけられ私はへらりと笑った。そして私の名を呼ぶいつものメンバーの元に足を進める。甘い香りがする。制汗剤の香りは青春そのもの。多種類の香りが混ざりに混ざったそれはこの言葉に当て嵌まる。みんな違ってみんないい。私は少女Cに「貸して」と声をかけた。貸してもらった制汗剤で彼女らと同じ体臭になる。
 みんな違ってみんないい、と言いながら他者と違う者を嫌うのが教室というものだ。これも若さの特権だろう。


 さぁ、次のいじめのターゲットは誰にしようか