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金梟会という謎の組織に「梟徒」として登録されてから三日――俺はマツセンのことを考えながら石鎚高校の廊下を歩いていた。マツセンは昨日まで体調不良で学校に来ていなかった。今朝やっとメールが来たかと思いきや、「最初の任務をやろう。放課後、美術準備室へ集合」とだけ書いてあるではないか。
「マツセン、諸々説明が不足し過ぎとるやろ……」
そもそもマツセンの正体って何者なんだ?
石鎚高校の国語教師……であり、俺の命の恩人であり、道後温泉本館に隠された謎の秘密結社の一員でもある……が、きっと悪い人じゃない。完全に俺の勘だけど……ああ、もう考えることが多すぎる。
「枝本とか梟徒とか、小難しい言葉ばっか……まるで母さんが書いとったSF小説みたいやな……」
ぼやきながら美術準備室へ入ると、いきなり背後から声が掛かった。
「おせぇんだよ、新人君」
ドスの利いた声だった。振り向くと、オールバックの金髪に黒のピアスをつけた人物が立っていた。金梟会から支給された黒の袈裟姿で「ぷっ」と床に唾を吐く。
「車ん中でも思ったけどよぉ、チチくせぇ餓鬼だな」
睨んでくるそのいかつい顔には見覚えがあった。あの日、俺とマツセンを道後温泉本館まで乗せたタクシーのドライバーだ。
「おい、何黙ってんだ。ご挨拶しろよ、ぼけ。ったく、なんで俺がてめぇの面倒見ねーといけねーんだよ。くそダリィ面しやがって」
「こら義人。まずは自己紹介をしようか」
俺たちのやりとりに苦笑したマツセンが現れる。その腕には、授業の教材が抱えられていた。どうやら五限の授業終わりに直接来たらしい。メールでは「記念すべき天屯君の最初の任務には、とある助っ人を連れていくから」と、たしかそういう内容が書かれてあった。
「つーか抹波さん。コイツなんで制服なんすか。名札もそのままだし」
義人と呼ばれた「助っ人」に睨まれ、俺は臙脂色のアディダスのジャージを着たマツセンを見上げた。マツセンだっていつもと同じ格好だが……
「まあまあ。初めて袈裟を着るのに、ひとりじゃ難しかったんじゃないかな。私も普段通りの格好だし」
「抹波さんはいいでしょ。今回任務には参加しませんし。それに梟徒の中でも今は立場が……」
義人が深刻そうに話し始めるが、その言葉を遮って、俺はふと本音を零してしまった。
「抹波さんて、呼んでるんや」
その直後、鋭い眼差しが俺を射貫いた。
「ああ?」
俺の顔に頭突きをする勢いで義人が近付いてくる。ブリーチされた眉が九の字に跳ね上がって、ぴくぴくと震えている。
「てめえ何様だよ、えぇ、おい。俺を馬鹿にしてんのか?」
「いや、馬鹿にはしとらんけど。なんか、気になって」
「お前……なんか存在そのものがむしゃくしゃする奴だな。マジでむかつくぜ。すっとぼけた顔しやがってよ……」
「義人。天屯君は後輩なんだから。優しく指導してやってよ」
マツセンが優しく諭してくるのも無視して、義人がさらに顔を近付けてくる。
「おい。てめぇがな、あの日受胎池なんぞに近寄らなけりゃ、抹波さんは……!」
ピロン――タイミング悪く、制服のポケットに入れていた俺のスマートフォンが鳴った。
「くそがっ」
俺の身体が一度宙に浮き、準備室の床の上に落とされた。風を切った音と衝撃が一瞬だった。
「足払いってやつだ。実戦だったら、お前はもう死んでるぜ」
「義人」
「……はい。自己紹介でしたよね。俺は皇義人で、天屯ぃ、おい」
面倒そうに名乗った義人が、未だ床に転がったままの俺の腹の上に乗ってくる。
「俺はてめぇの大先輩で、抹波さんに一番信頼されている部下だ。任務中は私用の通知は切っとけ。ついでに二度とタメ口をきくな。口答えもだ。まともに動けなねぇようなら、死んでも放っとくからな」
そう言って、「ぷっ」とまた唾を吐く。マツセンが苦笑しながら義人の身体を持ち上げた。
「義人くん。やめなさいな」
「だって」
「天屯君、自分で起き上がれるかい?」
俺は頷いて、すぐに立ち上がった。制服についた埃を手で払う。
「問題ないっす。別になんともなっとらんし。今のって柔道の技っすか?」
俺が問い掛けると、マツセンと義人が顔を見合わせた。
「なんだコイツ……きもっ」
義人が舌を出して露骨に嫌悪感をあらわにする。俺は何故「きも」と言われたのか分からず、義人に再び話しかけようとしたところで、マツセンに肩を叩かれた。
「うーん。やっぱりちょっと天然入ってるね」
「俺、そんな変な事は訊いてないっすけど……」
「いいよいいよ。それじゃあ、とりあえずチュートリアルからだね」
そう言って、マツセンがパイプ椅子を三脚集めて長机の前に並べる。窓際にはマツセンが座って、向かいの壁側に俺と義人が座った。長机の上に古典の教材を置いたマツセンが、腕を組んでから「コホン」と空の咳払いをする。もったいぶったように腕を組んでから、右手の食指を立てた。
「それでは講義を始めます。えー、まずは……」
と真面目なトーンで話し始める。
「いや、抹波さん。十五分後には職員会議が始まりますし、俺もこの後次の任務があるんで。かいつまんでいきましょう」
スパッと義人が言い切ると、マツセンは「ええ~」と残念そうに唇を尖らせ、長い前髪を掻き上げた。やや不満げな表情を浮かべたマツセンが説明を再開する。
「それじゃあ、まずは『枝本』についてだね。金梟会に所属している梟徒たちが血眼になって回収している本、これを枝本と呼ぶ。これから天屯君に回収してもらうのも『EDEN』というタイトルの枝本だよ。枝本の歴史は古くて、数千年前に書かれた本からつい一週間前に書かれた本まで様々。たしか、ざっくりした話は我妻さんから聞いたんだよね?」
「はい……えっと、思考の実現化装置とかなんとか」
俺が答えると、「かなりざっくりだな」と義人がぼそりと呟く。