――「上野ぉ!酒つぐのがおせぇんだよ!」
「……すみません」

 夜は旅館にある小さな宴会会場で社員全員が集まり宴会を開いていた。海の幸が並ぶ中で僕は食事に手を付ける暇もほとんどなく、全員のお酒を注いで回っていた。

「ねぇパパ、あの箱、何が入ってるんだろ?」
「おん?」

 食事に飽きた凱亜くんが宴会会場の奥に飾られていた箱に興味を示したようだった。箱は高級そうな艶やかな黒色の箱で、赤色の太い紐で縛られ、竜の模様が施された台の上に乗せられていた。

「おいおい上野!!綺麗だからって触るなよ!」
「は?」

 お酒を飲んで酔っていた社員の一人で一番の古株である駿河さんが僕の方を見るわけでもなく突然大きな声を出した。高級そうな箱を触って遊んでいるのは凱亜くんなのに。凱亜くんは大人たちの声を気にせず箱の中身が気になって仕方がないようだ。なかなか開かない箱にイライラを募らせ、乱暴に扱い始めている。
 僕が言葉の意味が分からず戸惑っていると、沢井さんが駿河さんに同調するように部屋の外に向かって大きな声を出した。沢井さんは誰よりも体が大きいのに何故か社長と駿河さんに頭が上がらず、機嫌を取るような行動をすることが多い。そしてそれは、大抵僕にとってロクなことではない。

「そうだぞ上野!!壊したら弁償もんだぞぉ⁉」

 沢井さんの言葉にゲラゲラと笑う他の社員たち。ここで僕はようやく彼らの意図に気づいた。凱亜くんが箱を壊してでも中身を見ようとする性格だと分かっているから、箱が壊れてしまった時にすべての責任を僕になすりつけようとしているのだ。旅館の従業員は今は宴会会場にいない。わざと廊下に向かって大声をあげて僕の名前を呼んでいるのは、旅館の人たちに聞かせるためなのだろう。

「が、凱亜くん、待って!」

 僕は慌てて凱亜くんの元へと駆け寄った。酔っ払いが多い宴会会場に高価な物を飾っておくとは思えなかったけれど、たとえ安物だとしても罪をなすりつけられるのは嫌だった。

「あぁ!!もう!!なにこれ開かない!!」

 凱亜くんの我慢の限界は僕が彼の元へとたどり着くよりも早く訪れた。凱亜くんは箱を思い切り床に投げつけた。床に当たった衝撃で箱に纏わりついていた赤い紐が切れ、箱が開いた。

「あっ!!開い――」

 それを見た凱亜くんが喜びの声を上げた瞬間、宴会会場は白い煙に包まれた。僕は開いた箱の中から大量の白煙が昇ったのを目撃した。一瞬で視界が真っ白な世界へと変わる。視界を奪われた大人たちの驚く声と社長の奥さんである圭子さんの悲鳴が響き渡った。何かが倒れる音も聞こえ、宴会会場は一気に混乱へと陥った。

「な、何が……」
「凱亜!!どこ⁉」

 視界が完全に晴れることはなかったが、白い煙は霧のように変わり濃度が薄まっていくようだった。パニックになって息子の凱亜くんを探す圭子さんの高い声が野太い社員の男たちの中で際立っていた。

「落ち着け!!」

 社長の怒声で皆が静まった。段々と人の姿も形だけだけれど見えるようになってきた。次第にお互いの顔が見えるようになり、僕は大嫌いな会社の人間だとしても異常状態の中で少し安心してしまったことで自己嫌悪に陥っていた。

「全員いるか?」
「なんか踏んじゃいました......いってえ……」

 大崎さんの情けない報告を聞いて社長は舌打ちをした。すると突然圭子さんが大きな悲鳴を上げた。

「いやぁああ!!」
「どうした⁉」

 社長が圭子さんの元へ駆けつけると、圭子さんのすぐそばに人影があった。ゾンビのような鈍い動きをした謎の人物だった。白髪でシワだらけの顔で相当なお爺さんのように見える。しかも全裸のようだった。骨ばった腕を伸ばし、うめき声を上げながら圭子さんの元へと近づいてきていた。

「マァ……アァ……」
「あんた誰よ!気持ち悪い!!」
「こっちに来るな!!」
 
 社長は圭子さんに近づく人物のお腹を蹴り飛ばした。ゾンビのような人物は倒れ、大きなうめき声をあげたと思ったらピクピクと体を痙攣させ、そして動かなくなった。

「......何なんだよ一体」 

 異常事態にその場にいた全員が動けなくなっている間に、視界はほとんど元に戻っていったが、変わらず緊張感が流れていた。変わったのは、倒れたゾンビのような人物の後ろに大きなウミガメが現れたことだった。