「あなたには関係のないことです。・・・それと、そろそろお手を離していただけないでしょうか」
男はクスッと笑うと、雪の手を握ったまま、冬空を見上げた。
「私にも妻がいたが、あんたと一緒で病弱でね。新婚生活も長くは続かなかったが、短い時間、幸せを教えてくれた女だったよ」
「なぜ、わたしが病弱だと?」
雪は後ずさる。
男はさらに一歩距離を詰めると、今度は反対の細い腕を掴んだ。
「この細腕。軽すぎる体。白い肌も、ずっと屋内にいたからだ。簡単すぎる推理さ」
「わかりましたから、あの」
「昔の知り合いも、こんなふうにガリガリだった。栄養失調の体は見慣れている」
男は是が非でも雪を逃がす気はないらしい。雪の肩を遠慮なく抱く。そのまま傘の下へ連れ込むと、山道を下り始めた。
「あの、どこへ・・・?」
「時期に日が暮れる。家まで送ろう」
――家・・・?
雪は足がもつれた。「どうした?」と尋ねられたが、そっけない龍胆の顔が離れない。
「・・・家には・・・帰りたくなくて」
「ほう。それはなぜだ? ひょっとして、あんたをふった男が居座っているとか?」
雪はこくんとうなずく。微妙に違うが、今はどうでもいい。今は龍胆のそばを離れたかった。
「それじゃ、私の止まっている宿にくるか? 料金は私が持とう」
「え?」
雪はぎょっとして顔を上げる。本当に考える暇を与えない。男は含み笑いをしていた。
「心配させてやればいい、そんな男。私の直感だが、まだあんたに気がある気がするしな」
「そうでしょうか。でも、さすがにそこまでしていただくわけには・・・」
「気にするな。これも仕事だ。この村の貴重な生き残りに話を聞かねば。特に、若い女をあやかしは好むから」
最後の言葉であやめを思い出した雪はゾッとした。男は勝手に名乗る。
「申し遅れた。私は穢土から派遣された怪異討伐隊の隊長、佐々木 白木蓮(はくもくれん)という。よろしく」
そして、男は歩みを止めると、雪の肩にぐっと力を込めた。

「ね? 庄屋の代わりに生贄に出されたのになぜか生き残っている『雪さん』。あんたは貴重な生き証人だ。いろいろとしゃべってもらいますよ」

雪のはく白い息が消えた。





白木蓮は木々の間から気配を感じ、眼球だけ動かしそこを見る。

――鬼の気配。

にやりと笑う。震える雪を見せつけるように白い傘をくいっと上げた。

(獲りに来い。この私から奪ってみろ。――この白雪(はくせつ)へ首が飛ぶ、その覚悟があるのなら)

鬼はそれでも飛びかかって来なかった。
茂みが動いた。
やがて、鬼の着物が現れる。白木蓮は息を呑んだ。

遠い過去に捨てたはずの記憶の中にある顔。

だが、全く知らない顔。

風に舞う白い髪。――長い前髪から覗く真っ青な瞳。

刹那、突風が吹いた。

白木蓮と雪は足を止める。なにかあったのかと雪は戸惑った。


そこに、鬼の姿はもうなかった。