『屍食鬼の館』へ来て、初めての平和な時間だ。
雪は野菜を切る。台所へ立てるようになった。

外はすっかり春になっていた。

「痛っ」
雪は包丁を置いた。怪我するのはしょっちゅうだった。
すると「ただいま」という声とともに、龍胆が帰ってきた。以前のように、薬売りで生計を立てている。白い髪をしっかりと隠し、人間のように暮らしている。
雪はぱたぱたと小走りで出迎えた。
「おかえりなさい」
「おや、雪。手はどうしたのだね?」
「・・・また包丁で切っちゃって」
雪の白い指から滲む赤い血は、煽情的ですらある。
龍胆はほほ笑むと、指を口に含んだ。
「っ!」
「甘いな、雪の血は」
龍胆は手を取ったまま、トロンとした瞳で雪を見上げる。雪は真っ赤になった。
「もうっ。おわたむれはやめてください・・・」
龍胆は薬箱の中から軟膏を取り出す。雪の指に丁寧に塗り込んでいった。
「あとは俺がやる」
龍胆はたすき掛けすると台所へ向かう。龍胆は人間に戻ってから食事する。もう、吐くことはない。
すると裏口から、子どもたちが(主に小梅が)泣きながら雪に抱きついてきた。
「助けて、『お母さん』! どら猫がいじめるんです!!」
「いじめてないよ、雪お姉ちゃん。その子すぐ泣くの」
菫は小石を足で蹴飛ばす。雪がなにか言う前に、龍胆は苦笑した。
「子育てとは、容易にはいかないね。――なあ、雪。俺が思うに、薔薇さまは常に狂気と戦っていたのではないかな」
「え?」
「大勢の子供達を育てるのも、慕われるのも容易ではない。やはり、父親だったこともあったのかもしれないね」
「そう、かも、しれませんね・・・」
雪は小梅と菫の頭を撫でる。
「龍胆さま。食事の前に行きたい場所があるのですが」
龍胆は瞬いた。


花散里は桜が満開だった。所狭しと植えられた桜が一斉に開花している。花という花がほころび、こぼれるように花びらが散る。

雪と龍胆は育ての両親の墓の前に来ていた。その隣には、産みの母の墓を新しく建ててある。
母の遺品は、ほとんどない。中身はない墓だが、きちんと埋葬されたかすら不明な母への、雪の気持ちだった。
「正直に言えば、まだ心の整理はできていないのです」
雪はぽつりと言った。
桜の枝を供える。手を合わせる姿は、ため息が出るほど美しい。薔薇に似ているといえばそうだ。
「それでいいと思うよ」
龍胆は言った。
「俺もそうだ。かつての部下だった白木蓮も、隊をやめて新しい職を探している。皆心に深い傷を負ったからね」


手を繋いで、『屍食鬼の館』へと帰る。龍胆はふと、白髪をなびかせ、空を見上げた。

庭の桜が、一枝だけ咲いていた。
見上げながら、
「雪。ずっと言いたかったことがある」
「はい?」
雪は首を傾げた。龍胆は雪を引き寄せると、抱きしめてふわりと笑った。

「愛している。一緒になろう」

ざあっと桜の花びらが乱舞する。
「はい」
互いに唇を重ねる。
龍胆の身体が黄金に輝き、髪は白から黒へと変わってゆく。

人間にもなれる。

あやかしにもなれる。

半端者同士の二人。

唇が離れてゆく。ふたり、おでこをこつんと合わせて、笑いあった。

こうして生きてゆく。永遠(とわ)に――・・・・・・。