「羽川先生、カンニングのこと、黙っていてくれてありがとうございました」
「あれからきみの悪事は落ち着いたようですから。ただ、本来はきちんと罪を償ってもらうべきなのかもしれませんが。僕は教師として失格かもしれません」

 まだ肌寒い3月。卒業証書を抱えて僕は生物化学準備室を訪れていた。相変わらずこの部屋の空気は冷たい。

 あの後、間一髪のところで秋山さんを助けることが出来て、南先生は毒物所有の罪で捕まった。秋山さんはしばらく学校を休んで、クラスメイトにも碌に知らされず転校してしまった。
 悪事にはおなじ重さの痛みで返すべきだという南先生。対して更生の余地を与えるべきだという羽川先生。どちらが正しいのか、正しかったのか、僕には未だわからない。
 無知だったとはいえ子猫の命を奪ってしまった秋山さんと、命の重さを尊ぶ為行動に出た南先生、果たしてどちらが正解で、どちらが間違っていたのだろう。或いはどちらも間違っていなかったのかもしれない。僕には正解を導き出すことが出来ない。

「先生、ひとつ聞いてもいいですか」
「勿論です」
「先生はあの時、僕が子猫に牛乳を与えたと勘違いしていました。カンニングもして、子猫を死に追いやって、そんな救いようのない生徒をどうして守ろうとしてくれたんですか」
「はは、それは僕が教師だからです。それ以上でも以下でもありません」


 いつか羽川先生が車の中で言っていたことを思い出す。

 ────『悪事に対して同列の痛みを与えるか、それとも更生の余地を与えるか。正解はないんです。要は、他人にどこまで信頼をおけるかの違いなのかもしれません』


 僕はあれから牛乳が飲めない。
 けれど羽川先生は今日もわらっている。
 やわらかく、ゆるやかに。









【了】2025.01.31