それは、うちの長男が中学生、次男が保育園児だった頃の話。
長男はよくクラスの友達の家に次男を連れて遊びに行っていた。彼の家には次男と年が近い保育園児の男の子がいて、一緒に遊ぶのに最適だったからである。ついでに、長男の友達も面倒見の良い子で、まだ幼い次男や弟と仲良く遊んでくれるタイプであったらしい。
長男とその友人の存在は、私にとって非常に助かるものだった。
というのも、その頃我が家は共働きであり、私自身会社に契約社員として働いていたからである。そんな時、帰宅部だった長男(今思うと、私達のために部活に入るのを我慢してくれていたのかもしれない。正直、申し訳なかったとは思う)が保育園まで次男を迎えにいってくれるのは本当にありがたかったのだ。
しかも、そのまま同じ保育園の子と一緒に、友達の家まで連れていってくれる。そして、私が家に帰る時間までそこで時間を潰してくれるのだ。
小さな子供のいる家庭にとって送り迎えの問題はなかなかの死活問題である。残念ながら私の職場からも夫の職場からも遠い保育園しか入れることができかったので、長男がそれを担ってくれるのは実にありがたいことだった。保育園の先生も理解を示してくれている。真面目で優しく、力持ちの長男は他の子供達からも人気があるらしい。時には、保育園の園庭で一緒に遊ぶこともあるのだとか。
さて、ここまでが話の前提。
ここからが本題である。
長男が次男と一緒に遊びによく遊びに行く友達の家。とりあえず、長男のクラスメートをAくん、その弟で次男の友達である子をBくんと呼称することにしよう。
そのAくんとBくん兄弟はちょっと高いオートロックマンションに住んでいた。長男には携帯を持たせているので、行き帰りの際は必ずLINEするように言っている。最近では、小さな弟同士、兄同士で遊ぶことも多いようだった。兄たちがテレビゲームにハマっていて、保育園児たちにはハイレベルがすぎたからだろう。
幸い、その家にはAくんBくん兄弟の母と、それより年が離れた大きなお兄ちゃんがいて、小さな子供達の様子を見てくれているらしい。小さな子供達だけで遊んでいても長男たちが心配しないのはそれが理由なのだった。
そんなある日のことだ。
家に帰ってきた。たっぷり遊んで帰宅した次男が、私にこんなことを言ったのである。
「おやま、おやまがあった!」
と。
***
次男は、話し始めるのはがちょっと遅めの子供だった。
大人しい性格もあったのだろう。文字は読めているし話も通じているが、ママもパパもにいにもすぐに喋らなかった子である。立ち上がるのも歩くのも早かったのに、と当時は少し心配したものだ。
そして、喋るようになってからもたどたどしい時期が長かった。四歳になっても、あまり流暢にものを喋ることはなかったのである。
なお、その頃のことを覚えている本人によると、“話すのがなんかめんどくさかった”とのこと。――こっちの心配を返せコノヤロウ、と思ったのは此処だけの話である。
さて、そんな次男はといえば。
ある時を境に、私に“話しかけてくる”機会は大幅に増えたのだった。特に、何か特別なものを見つけたり、面白いものを見つけた時はよく私にそれを報告したがったのである。
「まま、あんね」
その日も、まさにそうだった。
「おやま、おやまあった。Bくんち」
「お山?」
「うん。おやまね、あった」
私は首を傾げた。次男が長男と一緒に例のマンションに遊びにいくのは珍しくない。もう何回も、それこそなん十回も遊びに行ったはず。それなのに、今日初めて知ったかのように“お山があった”と報告してくる理由はなんなのだろう。
窓の外から山が見えたとか、そういうことだろうか?
「そうなの。面白かった?」
「うん。へんだった」
「ああ、そうなのー」
その時は、適当に話を合わせたが、私は何のことだかちんぷんかんぷんだった。そこで、一緒に遊びにいったはずの長男に話を聞いたのだが。
「え?あの家、確かに高層階だけど山なんか見えたかなあ。窓の向こう、ずーっと町しか見えないし」
彼は私の話を聞いてきょとんとしている。
「山ってなんだろ?……あ、ごめん俺、今日Aとずっとゲームしてたから、あいつがどういう遊びしてたのかとか見てない。あの家、マンションだけどすげー広いからさ。俺達ずっとリビングにいたんだけど、なんか廊下の奥の部屋の方で遊んでるなーってことくらいしか、知らない。電車の本持ってたから、それ読んでたんじゃないかなって思うけど」
「じゃあ、電車の本の中に山でも出てきたのかしらね」
「じゃないか?ほら、電車って山の中通るやつ多いし。あいつ電車好きだし。……つか、あんまり喋るの得意じゃないのに、山手線の駅の名前は覚えつつあるんだけどマジなんなんだろうな」
「……まじ?」
好きこそものの上手なれとは本当にあるらしい。今度クイズでも出してあげようか、と思った私である。
そのため、山がなんなのか?なんて疑問はすぐに飛んでしまったのだった。何か危ないことがあるわけでもない。ひょっとしたら全然別のモノを山と称しただけかもしれないし、友達から山の話でも聞いただけかもしれない。
深く追求するだけ野暮だろう、と考えたのだ。
よく考えたら、新鮮なものほど報告したがる次男である。それまでなかったものがそこに出現したからこそ話していた可能性が高かったわけだが。
「あのね、きょう、でんちゃみた。でんちゃ、きいろいしんかんせん、みれる?」
「黄色の新幹線?ドクターイエロー?」
「うん!どくたーいえろー!」
拙いながら、言葉数が増えていく次男を私達は微笑ましい気持ちで見守っていた。
それから何度も何度も、AくんBくんの家に遊びにいく長男と次男。次男が山がある、と言ったのはあの日だけだったので、私もあっさりその件を忘却したのだった。
が、それから一か月くらい過ぎた時だ。
「まま、あのね」
その日。家に帰ってきた次男は、明らかにしょんぼりした顔をしていた。
「あのね、おやまは、さわったらだめなんだって。ぼく、だめっておこられた……」
どういうことかと尋ねると、長男は困惑したように首を振ったのだった。
「俺もどういうことかさっぱり。……また、いつものように奥の部屋で遊んでたみたいなんだけど、廊下でこいつとBくんがおばさんに怒られててさ。なんか、触っちゃいけないものを触ろうとしたから駄目だったらしいんだけど」
「触っちゃいけないものって?」
「ちょっとBくんのおばさんの剣幕が怖かったから、何かあったんですかって尋ねたんだけど。おばさん、俺には教えてくれないんだ。Aもはぐらかすしさ。で、コイツに何を触ろうとしたんだって尋ねたら……」
「おやま!おやま、さわろうとしただけ!でも、だめだっていわれた!」
「……これなんだよなあ」
まったく話が見えない。
ただ、私は少しだけ嫌な予感を感じつつあったのだった。どうやら、次男が言っている“山”というのは、遠くに見える景色のようなものではないらしい。多分、絵本の写真やイラストの山でもない。
その気になれば、保育園児が触れるようなもの。ということは、高い場所にあるものではないはずだ。
そして、触れるけれど、触ってはいけないと言われるようなものだった、と。ならば山というのは、景観や自然の山とは別の、何か比喩なのではないか。
そして、保育園児の次男にはまだそれを山としか表現できないのではないか。
――でも、妙ね。……そんな子供に触らせちゃいけないものがあるなら、さっさと移動させればいいのに。玩具とか宝物なら、高い場所に移動させるとか、別の部屋に運べばいいだけよね?
ひょっとして、と私は気づいた。
もしかして、その家にはゴミやがらくたを押し込んでいる倉庫でもあるのではないか、と。
私は、Aくん宅に一度も行ったことがないので、その家の構造はよくわかっていない。ただ広くて、3LDKよりも部屋があるらしい、とぼんやり聞いているだけだ。
もしかしたら。奥の部屋の一つを物置小屋にしてしまっていて、ゴミやがらくたを山のように積み上げてしまっているのではないか。それを、次男は山と称しているのではないか。
もしそうなら、“山”の位置は簡単に動かせない。危ないから触るな!とおばさんが怒るのもわからない話ではないだろう。
「それって、どういう山なの?大きな山?ちいくんたちより大きい?」
ちいくん、というのは次男の名前だ。
私はてっきり、彼が頷くとばかり思っていた。ところが次男は、ううん、と首を振ったのである。
「ちっちゃい。ちいくんより、ずっとちっちゃい、おやま!」
なんじゃそりゃ。
私は長男と顔を見合わせたのだった。
***
山、の正体がわかるのはそれから暫く後のことだった。
ある日、私が家に帰ると、どこか青い顔をした長男と涙のあとを晒した次男がしょんぼりとリビングに座っていたのである。
確かに、長男は家の鍵を渡してあるし、私が帰宅するより前に家に帰ることは可能だ。だが、今日はいつも通りAくんの家に遊びに行くと言っていたのに。
「あ、お帰りなさい、母さん。えっと、その……」
長男の顔色が悪い。何かがあったのは明らかだった。私が「どうしたの?」と尋ねるより先に、次男が私の足に飛びついてくる。
「まま、おかたづけは、だいじだよね?おかたづけ、しないと、おこるよね?」
「ん、ん?」
「おかたづけ、しただけ!ぼく、おかたづけしたのお!」
何がなんだかわからない。困惑する私に、長男が説明してくれた。
「あのさ。今日もいつもの部屋で、ちいくん遊んでたみたいなんだよ、友達と。で、部屋をかなり散らかしちゃったみたいでさ。母さんが教えてる通り、ちゃんと片付けようとしたわけね」
「うん、それはいいことよね」
「で、その時、“山”を崩しちゃったらしくて。散らばっちゃったから、それも掃除機で吸っちゃったみたいなんだ。Bくんが使い方わかってたから、教えてもらったんだって。そしたら……おばさんがかんかんに怒って」
掃除機を壊したわけじゃないんだ、と長男は続ける。
「なんてことしてくれたの、出てきちゃったらどうすんの!って。……もうすげえ剣幕で。俺、わけわかんなくて奥の部屋に飛び込んだんだ。で、そこで初めて知ったんだよ。あいつらが遊んでた子供部屋の奥にな……もう一つ、部屋あったの。それで……白い粉が散らばってんのを」
白い粉。
どういうことかわからず困惑する私に、長男は。
「子供部屋の……奥にあるドアの前に、でかい盛り塩がされたみたいなんだ。こいつずっと、それを“山”って呼んでたんだよ。Aが言ってた。奥にあるのは、母親だけの秘密の部屋で、他の家族は全員入っちゃいけないことになってた、って」
盛り塩。
それが、魔除けや結界のために使われることがあるくらい、私でも知っている。だが、普通は玄関の前などに置くものではないか。何故室内に、部屋の前に、大きいと称されるほど塩を盛る必要があるのか。
それはまるで、奥の部屋にあるものが“出てこられないように”しているかのようではないか。
――一体、そこに、何があったっていうの?
結局。答えはわからない。確かなことは一つである。
私はその翌日にはもう、AくんとBくんの名前も、そのマンションの住所も、連絡先も何もかも思い出せなくなっていたということだ。長らく一緒に遊んでいた長男と次男も同様に。中学校と保育園のクラスからも、当たり前に二人の名前が消えていた。みんなも、そんな子は最初からいなかったというのだ。
彼等は、一体何に食われてしまったというのか。
それとも、最初から人ではなかったとでもいうのか。
真相は、未だ闇の中である。
長男はよくクラスの友達の家に次男を連れて遊びに行っていた。彼の家には次男と年が近い保育園児の男の子がいて、一緒に遊ぶのに最適だったからである。ついでに、長男の友達も面倒見の良い子で、まだ幼い次男や弟と仲良く遊んでくれるタイプであったらしい。
長男とその友人の存在は、私にとって非常に助かるものだった。
というのも、その頃我が家は共働きであり、私自身会社に契約社員として働いていたからである。そんな時、帰宅部だった長男(今思うと、私達のために部活に入るのを我慢してくれていたのかもしれない。正直、申し訳なかったとは思う)が保育園まで次男を迎えにいってくれるのは本当にありがたかったのだ。
しかも、そのまま同じ保育園の子と一緒に、友達の家まで連れていってくれる。そして、私が家に帰る時間までそこで時間を潰してくれるのだ。
小さな子供のいる家庭にとって送り迎えの問題はなかなかの死活問題である。残念ながら私の職場からも夫の職場からも遠い保育園しか入れることができかったので、長男がそれを担ってくれるのは実にありがたいことだった。保育園の先生も理解を示してくれている。真面目で優しく、力持ちの長男は他の子供達からも人気があるらしい。時には、保育園の園庭で一緒に遊ぶこともあるのだとか。
さて、ここまでが話の前提。
ここからが本題である。
長男が次男と一緒に遊びによく遊びに行く友達の家。とりあえず、長男のクラスメートをAくん、その弟で次男の友達である子をBくんと呼称することにしよう。
そのAくんとBくん兄弟はちょっと高いオートロックマンションに住んでいた。長男には携帯を持たせているので、行き帰りの際は必ずLINEするように言っている。最近では、小さな弟同士、兄同士で遊ぶことも多いようだった。兄たちがテレビゲームにハマっていて、保育園児たちにはハイレベルがすぎたからだろう。
幸い、その家にはAくんBくん兄弟の母と、それより年が離れた大きなお兄ちゃんがいて、小さな子供達の様子を見てくれているらしい。小さな子供達だけで遊んでいても長男たちが心配しないのはそれが理由なのだった。
そんなある日のことだ。
家に帰ってきた。たっぷり遊んで帰宅した次男が、私にこんなことを言ったのである。
「おやま、おやまがあった!」
と。
***
次男は、話し始めるのはがちょっと遅めの子供だった。
大人しい性格もあったのだろう。文字は読めているし話も通じているが、ママもパパもにいにもすぐに喋らなかった子である。立ち上がるのも歩くのも早かったのに、と当時は少し心配したものだ。
そして、喋るようになってからもたどたどしい時期が長かった。四歳になっても、あまり流暢にものを喋ることはなかったのである。
なお、その頃のことを覚えている本人によると、“話すのがなんかめんどくさかった”とのこと。――こっちの心配を返せコノヤロウ、と思ったのは此処だけの話である。
さて、そんな次男はといえば。
ある時を境に、私に“話しかけてくる”機会は大幅に増えたのだった。特に、何か特別なものを見つけたり、面白いものを見つけた時はよく私にそれを報告したがったのである。
「まま、あんね」
その日も、まさにそうだった。
「おやま、おやまあった。Bくんち」
「お山?」
「うん。おやまね、あった」
私は首を傾げた。次男が長男と一緒に例のマンションに遊びにいくのは珍しくない。もう何回も、それこそなん十回も遊びに行ったはず。それなのに、今日初めて知ったかのように“お山があった”と報告してくる理由はなんなのだろう。
窓の外から山が見えたとか、そういうことだろうか?
「そうなの。面白かった?」
「うん。へんだった」
「ああ、そうなのー」
その時は、適当に話を合わせたが、私は何のことだかちんぷんかんぷんだった。そこで、一緒に遊びにいったはずの長男に話を聞いたのだが。
「え?あの家、確かに高層階だけど山なんか見えたかなあ。窓の向こう、ずーっと町しか見えないし」
彼は私の話を聞いてきょとんとしている。
「山ってなんだろ?……あ、ごめん俺、今日Aとずっとゲームしてたから、あいつがどういう遊びしてたのかとか見てない。あの家、マンションだけどすげー広いからさ。俺達ずっとリビングにいたんだけど、なんか廊下の奥の部屋の方で遊んでるなーってことくらいしか、知らない。電車の本持ってたから、それ読んでたんじゃないかなって思うけど」
「じゃあ、電車の本の中に山でも出てきたのかしらね」
「じゃないか?ほら、電車って山の中通るやつ多いし。あいつ電車好きだし。……つか、あんまり喋るの得意じゃないのに、山手線の駅の名前は覚えつつあるんだけどマジなんなんだろうな」
「……まじ?」
好きこそものの上手なれとは本当にあるらしい。今度クイズでも出してあげようか、と思った私である。
そのため、山がなんなのか?なんて疑問はすぐに飛んでしまったのだった。何か危ないことがあるわけでもない。ひょっとしたら全然別のモノを山と称しただけかもしれないし、友達から山の話でも聞いただけかもしれない。
深く追求するだけ野暮だろう、と考えたのだ。
よく考えたら、新鮮なものほど報告したがる次男である。それまでなかったものがそこに出現したからこそ話していた可能性が高かったわけだが。
「あのね、きょう、でんちゃみた。でんちゃ、きいろいしんかんせん、みれる?」
「黄色の新幹線?ドクターイエロー?」
「うん!どくたーいえろー!」
拙いながら、言葉数が増えていく次男を私達は微笑ましい気持ちで見守っていた。
それから何度も何度も、AくんBくんの家に遊びにいく長男と次男。次男が山がある、と言ったのはあの日だけだったので、私もあっさりその件を忘却したのだった。
が、それから一か月くらい過ぎた時だ。
「まま、あのね」
その日。家に帰ってきた次男は、明らかにしょんぼりした顔をしていた。
「あのね、おやまは、さわったらだめなんだって。ぼく、だめっておこられた……」
どういうことかと尋ねると、長男は困惑したように首を振ったのだった。
「俺もどういうことかさっぱり。……また、いつものように奥の部屋で遊んでたみたいなんだけど、廊下でこいつとBくんがおばさんに怒られててさ。なんか、触っちゃいけないものを触ろうとしたから駄目だったらしいんだけど」
「触っちゃいけないものって?」
「ちょっとBくんのおばさんの剣幕が怖かったから、何かあったんですかって尋ねたんだけど。おばさん、俺には教えてくれないんだ。Aもはぐらかすしさ。で、コイツに何を触ろうとしたんだって尋ねたら……」
「おやま!おやま、さわろうとしただけ!でも、だめだっていわれた!」
「……これなんだよなあ」
まったく話が見えない。
ただ、私は少しだけ嫌な予感を感じつつあったのだった。どうやら、次男が言っている“山”というのは、遠くに見える景色のようなものではないらしい。多分、絵本の写真やイラストの山でもない。
その気になれば、保育園児が触れるようなもの。ということは、高い場所にあるものではないはずだ。
そして、触れるけれど、触ってはいけないと言われるようなものだった、と。ならば山というのは、景観や自然の山とは別の、何か比喩なのではないか。
そして、保育園児の次男にはまだそれを山としか表現できないのではないか。
――でも、妙ね。……そんな子供に触らせちゃいけないものがあるなら、さっさと移動させればいいのに。玩具とか宝物なら、高い場所に移動させるとか、別の部屋に運べばいいだけよね?
ひょっとして、と私は気づいた。
もしかして、その家にはゴミやがらくたを押し込んでいる倉庫でもあるのではないか、と。
私は、Aくん宅に一度も行ったことがないので、その家の構造はよくわかっていない。ただ広くて、3LDKよりも部屋があるらしい、とぼんやり聞いているだけだ。
もしかしたら。奥の部屋の一つを物置小屋にしてしまっていて、ゴミやがらくたを山のように積み上げてしまっているのではないか。それを、次男は山と称しているのではないか。
もしそうなら、“山”の位置は簡単に動かせない。危ないから触るな!とおばさんが怒るのもわからない話ではないだろう。
「それって、どういう山なの?大きな山?ちいくんたちより大きい?」
ちいくん、というのは次男の名前だ。
私はてっきり、彼が頷くとばかり思っていた。ところが次男は、ううん、と首を振ったのである。
「ちっちゃい。ちいくんより、ずっとちっちゃい、おやま!」
なんじゃそりゃ。
私は長男と顔を見合わせたのだった。
***
山、の正体がわかるのはそれから暫く後のことだった。
ある日、私が家に帰ると、どこか青い顔をした長男と涙のあとを晒した次男がしょんぼりとリビングに座っていたのである。
確かに、長男は家の鍵を渡してあるし、私が帰宅するより前に家に帰ることは可能だ。だが、今日はいつも通りAくんの家に遊びに行くと言っていたのに。
「あ、お帰りなさい、母さん。えっと、その……」
長男の顔色が悪い。何かがあったのは明らかだった。私が「どうしたの?」と尋ねるより先に、次男が私の足に飛びついてくる。
「まま、おかたづけは、だいじだよね?おかたづけ、しないと、おこるよね?」
「ん、ん?」
「おかたづけ、しただけ!ぼく、おかたづけしたのお!」
何がなんだかわからない。困惑する私に、長男が説明してくれた。
「あのさ。今日もいつもの部屋で、ちいくん遊んでたみたいなんだよ、友達と。で、部屋をかなり散らかしちゃったみたいでさ。母さんが教えてる通り、ちゃんと片付けようとしたわけね」
「うん、それはいいことよね」
「で、その時、“山”を崩しちゃったらしくて。散らばっちゃったから、それも掃除機で吸っちゃったみたいなんだ。Bくんが使い方わかってたから、教えてもらったんだって。そしたら……おばさんがかんかんに怒って」
掃除機を壊したわけじゃないんだ、と長男は続ける。
「なんてことしてくれたの、出てきちゃったらどうすんの!って。……もうすげえ剣幕で。俺、わけわかんなくて奥の部屋に飛び込んだんだ。で、そこで初めて知ったんだよ。あいつらが遊んでた子供部屋の奥にな……もう一つ、部屋あったの。それで……白い粉が散らばってんのを」
白い粉。
どういうことかわからず困惑する私に、長男は。
「子供部屋の……奥にあるドアの前に、でかい盛り塩がされたみたいなんだ。こいつずっと、それを“山”って呼んでたんだよ。Aが言ってた。奥にあるのは、母親だけの秘密の部屋で、他の家族は全員入っちゃいけないことになってた、って」
盛り塩。
それが、魔除けや結界のために使われることがあるくらい、私でも知っている。だが、普通は玄関の前などに置くものではないか。何故室内に、部屋の前に、大きいと称されるほど塩を盛る必要があるのか。
それはまるで、奥の部屋にあるものが“出てこられないように”しているかのようではないか。
――一体、そこに、何があったっていうの?
結局。答えはわからない。確かなことは一つである。
私はその翌日にはもう、AくんとBくんの名前も、そのマンションの住所も、連絡先も何もかも思い出せなくなっていたということだ。長らく一緒に遊んでいた長男と次男も同様に。中学校と保育園のクラスからも、当たり前に二人の名前が消えていた。みんなも、そんな子は最初からいなかったというのだ。
彼等は、一体何に食われてしまったというのか。
それとも、最初から人ではなかったとでもいうのか。
真相は、未だ闇の中である。