とある地方都市に1人の女子高校生が居た。その女の子の名前は君嶋(きみしま)(あおい)。17歳の公立高校に通う2年生だ。少しだけ特別な目を持つ以外には、これと言って特徴の無い平凡な女子校生。

 どちらかと言えば勉強の方が得意で、運動の方はあまり得意とは言えない。走れば平均をやや下回る程度で、25mぐらいなら何とかギリギリ泳ぐ事が出来る。

 かと言って勉強がその分優秀かと言われたら微妙なラインである。平凡な大学であれば狙えても、一流大学は選択肢に入らない。容姿も特に目立つ所はなく、脱いだら実はと言った事もない。

 ミディアムヘアの黒髪に、素朴な顔立ち。どこまでも平均値を地で行く平凡な女の子。そんな葵は現在、窮地に陥っていた。

「仕事、みつけ、ないと……」

 つい最近、葵の両親は車で買い物に出掛けた先で事故に遭った。たった1人の娘を残して両親は他界し、葵は突然孤独の身となってしまった。

 親戚縁者は誰もおらず、頼れる身内は周囲にはいない。このまま高校生を続けても、生活して行く余裕はない。それならいっその事と、高校を中退して生活の為に働く事に決めた葵。

 しかし17歳の実質中卒では、就職するのは簡単ではない。だからと言って水商売に手を出す気にはなれず、両親が残してくれた遺産で生活を続けながら就職を目指す日々。

 どんどん減って行く預金通帳の数字に怖くなった葵は、食事の量を一気に減らしていた。そのせいもあって、体調はすこぶる悪かった。次の面接に行かねばと、日が落ち始めた夕暮れ時の繁華街をフラフラと歩く。

「ねぇ君、大丈夫?」

「あ、はい、大丈夫ですので」

 軽薄そうな眼鏡の若い男性に声を掛けられたが、葵はホストか何かだろうと判断して急いでその場を離れる。しかしそれが不味かったのだろう。

 無理やり減らした食事量に、自身の体力に見合わない生活。その結果葵は雑居ビルの影に入った所で、力尽きて倒れてしまった。

「だれ……か……」

 このままでは不味いと起き上がろうとするも、限界を迎えた葵の体は動かない。徐々に薄れて行く意識の中で、掠れた声で助けを求めるも周囲に人は居なかった。そこで葵の意識は途切れた。これで葵の物語は終了する、筈だった。

「珍しいねぇ、ここに人が来るなんて」

「えっ? あれ? 私は、どうして?」

「これ、先ずは挨拶からじゃあないのかい?」

 意識を取り戻した葵は、古びた道具屋の様な建物の中に居た。先程まで居た繁華街の外れとは全く違う景色に、キョロキョロと辺りを見回す葵に大人びた女性の声が掛けられる。

 声のする方に意識を向けた葵の眼には、驚きの光景が飛び込んで来た。店番用の古風な木製の椅子に、異様に綺麗な毛並みの真っ白な狐が座っていた。

 何よりも異質なのは、9本もある尻尾と器用に前足でキセルを持っている事だ。お伽噺にしか出て来ない筈の、伝説上の生き物が目の前に居る。その状況に葵は混乱した。

 夢を見ている様な感覚は無く、座り込んだ床から感じる木材の冷たさは本物だ。それに何より、先程から感じる空腹感が現実味を帯びている。限界を迎えていた葵の体から、そこそこ大きな腹の虫が鳴る。

「あっ、す、すみません」

「なんだい、腹が減ったのかい? 仕方ないねぇ」

 九尾の内の一本が揺れると、葵の目の前にはお皿に入った3個の苺大福が現れた。クイと白狐(びゃっこ)の鼻先が動いて食べろと促す。一瞬食べても大丈夫だろうかと悩む葵だったが、限界まで来ていた空腹には勝てなかった。

 出された苺大福を食べる葵を、流し目で見ながら白狐はキセルでタバコを吸う。不思議とその煙は澪の方には流れる事なく、静かな時間が流れて行く。

「あの! ありがとうございます」

「構いやしないさ。それで、アンタは?」

「君嶋葵、です」

 何となく超然とした雰囲気を感じた葵は、九尾の狐を敬う様な態度で応じる。尾が9本もある喋る狐なんて、漫画や神話の類ならば永き時を生きた大妖怪である事が殆どである。

 そこから判断したに過ぎないのだが、その対応で問題は無かったらしい。器用に微笑みを浮かべた白狐は葵に語り掛ける。

「ここに来るのは訳有りと決まっていてね。何があった? 言ってみな」

「えっと、その。両親が事故で亡くなりまして」

 これまでの経緯を葵は説明する。葵は話しながらも、何故自分は狐に身の上話をしているのだろうと奇妙な気分になった。しかし誰かに聞いて欲しいと言う思いも確かにあったので、もう良いやと何もかも全てを話し尽くした。

 もうどうにでもなれと言う気持ちで、本当に包み隠す事なくここ最近の出来事を話した。そんな葵を見て、白狐は尋ねた。

「働く気はあるんだね?」

「は、はい! もうどんな仕事でも良いので、就職したいです」

 こんな風に空腹で倒れて狐に話を聞いて貰う惨めな生活をするよりはと、半ば投げやり気味に葵は答えた。すると白狐が急に輝きに包まれ、その眩しさに思わず葵は目を閉じる。

 そして数秒の後に、葵が再び瞼を開ける。すると今度は、真っ白な和服に身を包んだ美女が立っていた。結い上げた艶のある真っ白な髪に、輝く金色の瞳。

 誰もが憧れる様な美しい曲線を描く輪郭に、紅が引かれた真っ赤な唇。そして和服の上からでも分かるグラマラスな肉体。およそこの世の者とは思えない美しい大人の女性が、屈み込んで床に座る葵を見下ろす。

「ふむ……良い目をしているねぇ」

「あっ、あの!? えっと!?」

「良いだろう、着いて来な」

 突然現れた絶世の美女に一時的に混乱した葵だったが、その声と手に持ったキセルのお陰で正体が分かった。先程まで話していた、狐が変化した姿なのだと。そんな絶世の美女に促されて、葵はその後を追った。

 年季の入った引き戸から外に出ると、眩い光が再び葵を照らす。次の瞬間には元居た雑居ビルの裏へと戻っていた。葵は思わず後ろを振り返ると、古びた木造の道具屋など無い。自分は夢でも見ていたのかと、思わず首を傾げる葵。

「あれ?」

「何やってんだい! 置いてくよ!」

「え!? あっ! 今行きます!」

 しかしこれは現実である。先程の美女が少し離れた位置から葵を呼んでいる。陽が落ち始めた夕暮れ時に、白髪の女性が異様に馴染んでいる様に葵は感じた。まるでこれからの時間が、この女性本来の世界であるかの様に。

「えっと、その……これからどちらに?」

「黙って着いて来な」

「は、はい!」

 白狐と葵は暗くなりつつある繁華街から離れていく。駅前の華やかな空間とは違う、少し寂れた商店街へと場所を移す。もう殆どが趣味でやっている様な、古くからある商店ばかりだ。

 夕刻には半分以上の店舗でシャッターが下りている。中には既に空きテナントとなっている場所もある。そんな商店街に、白狐が履いた下駄の奏でる音が響いている。

 商店街を歩く白狐の姿を見た年老いた魚屋の店主が、彼女に手を合わせている。他の店舗でも、老人達は皆同じ様にしていた。葵はこの辺りに詳しくなかったが、どうやら彼女は有名な存在らしい。

「ここだ」

「えっと……」

「ここの2階だ、ちゃんと覚えておきなよ」

 寂れた商店街の隅にある、良くある平凡な3階建ての雑居ビル。1階が喫茶店で、2階には『退魔屋ツバキ』と書かれた看板が掲げられている。

 その文字列を見て、葵は疑問を覚える。聞いた事もない店の名前であり、どんな職業か想像が出来なかった。漢字そのままの意味で考えると、妖怪や幽霊を相手にする様な印象を受ける。

 しかしそんな存在が実在する訳がない、と考えた所で葵は自分が何者の後を着いて来たのか思い出す。まさかそんな筈は、そう思いながらも葵は白狐の後に続く。

「さ、入んな」

「う……は、はい」

 どんな仕事でもやります。確かに葵はそう答えた。だがそれは常識の範囲内であって、妖怪や幽霊を相手に戦いの日々繰り広げる様な仕事ではない。

 そんな力は無いし、そもそも運動が得意ではない。一体どんな恐ろしい職場に連れて来られたのか。筋骨隆々の大男や、頬に傷のある様な厳ついオジサン達が居るのか。

 もしくはこの白狐の様に、人間ではない魑魅魍魎が待っているのか。そんな不安を抱きながら葵は室内に入る。恐る恐る入った室内には、4人の男性が居た。

「アンタ達、新人だ。仲良くしてやりなよ」

椿(つばき)さーん! 今夜、良かったらディナーでもどうです?」

「馬鹿を言ってんじゃないよ! その前に家賃を払いな!」

 入室するなり話し掛けて来たのは、髪を真っ赤に染めた背の高い短髪の男性。ツンツン頭と眼鏡が特徴的な青年だった。整った顔立ちではあるが、やや軽薄そうな印象を受ける。

 しかし人は悪く無さそうに見える。そして青年の発言により、白狐の名前が椿であると判明した。看板にも書かれていたので間違いないだろう。その青年は葵を見るなり声を掛ける。

「あれー? さっきの子じゃない?」

「えっ!? あ、ああ! 駅前で会った」

「そうそう! どうせここに来るなら、俺が案内したのに」

「あの、えっと……ここに来たのは偶然で」

「そこまでにしなよナンパ野郎。お姉さんが困ってるでしょ」

 軽薄そうな青年に話し掛けられて困惑する葵に助け船を出したのは、茶髪をショートカットにした利発そうな少年だった。見た目だけで判断するならば、恐らくは中学生ぐらいと思われる。

 17歳で平均的な背丈の葵よりも、彼はまだ少し背が低く見える。可愛らしい顔立ちをしており、子役として活躍していても不思議ではない少年であった。

「はぁ~~~これだからガキは分かってねぇのよ」

「なんだと!?」

「ちょーっと! あなた達やめなさいよぉ! 新人ちゃんの前でしょぉ!」

 喧嘩になりそうだった2人を止めたのは、長身で細身の美しい女性……の様な男性であった。美しいブロンドの髪を長く伸ばし、髪先を纏めて肩から前に垂らしている。

 線の細い輪郭に、バッチリとメイクがなされているが喉仏はしっかりと出ている。声が中性的である為に、最初は葵も女性だと思ったが認識を改めた。葵は内心で「本物のオネェだ」等と思ってはいたが口には出さなかった。

「あらぁ~可愛らしい子ね。アタシは石田亮(いしだりょう)。リョウちゃんって読んでね」

「わ、私は君嶋葵です。よ、よろしくお願いします」

 入り口でバタバタと人が入れ替わり立ち替わりしながら、葵の周りに人が集まって来た。和装美女の椿に、それぞれタイプは違うがイケメンの男性達。

 そんな美形達に囲まれた経験がない葵は、どうして良いのか分からない。ただでさえ人付き合いが得意では無いというのに、この状況では余計とテンパってしまう。

 慌てふためく葵がふと目を向けた先に、4人目の男性が座っている。事務机で文庫本を読んでいたその青年と、葵の目が合った。美形揃いのこの空間で、一際目立つ美しい造形。

 女性かと思う程に目鼻立ちが美しく、夜の闇を思わせる漆黒の髪と瞳が印象的だ。しかし女々しいという印象は無く、体格もがっしりしている様に見える。人ではない椿にも劣らないその整った顔立ちは、まるでファンタジー世界の王子様みたいだと葵は感じた。

「…………」

「あっ、その、どうも?」

 数秒に渡って葵と青年の視線が交差する。しかし興味を失ったと言わんばかりに、青年の視線は葵から逸らされた。何か気に障る様な事をしただろうかと悩む葵に、椿が声を掛ける。

「あの子は財前翔也(ざいぜんしょうや)。ただ寡黙なだけさ、気にしないで良いよ」

「は、はぁ」

「それでそこの子供が伊月蓮(いつきれん)で、ナンパ男が葛城慎也(かつらぎしんや)

「「ナンパ男(子供)じゃないって!」」

「そして私がここのオーナー、妖狐の椿さ」

「は、はい」

「退魔屋ツバキへようこそ、新入りのお嬢さん」

 絶世の美女とイケメン達、そんな美形揃いの職場にこれから務める事になった葵。就職については何とかなったものの、退魔屋とは何かまだ良く分かっていない。

 それ以上に、葵には気になる事があった。4人の男性達には、悲しみの青が彼女の眼(・・・・)には視えていたのだ。体の中心に滲む様に纏わりついた、深い深い青の色が。